記憶を封じられたエルフ猶予の旅

在江

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第三章 出現

子爵褒殺

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 「シャラの師匠って、凄いんだね」

 ヴァルスが興奮気味に話しかける。シャラーラは軽く応じただけだったが、彼女とラトーヤとの関係に気づいた門番が、体を緊張させた。

 程なく、敷地の奥から馬車がやってきた。ヴァルスが目を丸くした。
 中から降り立ったのは、執事に見えた。詰め所から兵士が出迎え、馬車の後ろへ回って話をしている。
 前へ出てきた時には、門番よりは丁重な物腰でこちらに応対した。

 「わたくし、当家に仕える執事にございます。失礼ながら、お名前とご用件を今一度お伺いしても、よろしいですか?」

 「エル・シャラーラと申します。我が師、ラトーヤの命により、フェー子爵様に御目通り願いたく参りました。書状はこちらにございます。ご覧になりますか?」

 相手に応じて、シャラーラもより丁寧な言葉遣いになる。手にした書状を丸めたまま、差し出すように示した。執事が心持ち身を反らしたように見えた。

 「はい。拝見いたします」

 シャラーラが再び書状を広げて執事に示す。彼は書状を凝視ぎょうしし、首肯しゅこうした。彼には魔法を跳ね返す力が付与されている。
 高位貴族には、人材が豊富に揃っているようだ。

 「確かに、ラトーヤ様からの書状のようにお見受けします。ご承知の通り、本日は王族の方々のお目見えにございます。お時間を取れるかどうか、確認のため、お待ちいただきます。ひとまず中へお入りください」

 ここで門扉が開かれた。脇に設えた小さな方ではなく、鉄柵の大きな両開きの扉が、二人がかりで動かされる。きいいっ、ときしむ音がした。

 「油が足りないようだな」

 執事の言葉に、詰め所から慌てて油差しを持った兵士が駆けつけた。
 ふとリズワーンが後ろを見ると、木箱を積み上げた荷馬車が到着したところだった。


 三人は執事の乗ってきた馬車に乗せられ、応接室へ通された。
 壁に絵画が飾られ、刺繍の入ったソファと飾り彫の施されたテーブルが置かれた部屋である。

 一方、シャラーラはかぶとこそ脱いでいるものの、革鎧姿であるし、ヴァルスもリズワーンも旅装のままであった。屋敷まで徒歩で来たのだ。どこから見ても、平民である。
 リズワーンの肩で眠るカーフも、服の飾りとみなされた如く、すんなり通された。

 この扱いは、ラトーヤの使いと認められてのことだろう。ただし、油断は禁物である。
 王城の前に屋敷を構える貴族なら、より豪華な応接室を備えていても不思議はない。応接室にもランクがあり、その伝でいくと、この部屋はむしろ質素な方に位置づけられそうであった。

 「良いソファだなあ。寝心地良さそう」

 ヴァルスが、ソファの弾力と布の肌触りを確かめながら、ため息を漏らす。何気に昨夜ソファで寝かされた意趣返しでもしたつもりだろうか。
 リズワーンには、見た目を除けば、品質に大差ないように感じられた。むしろ、刺繍で凹凸の多いこちらより、ラトーヤの家にあったソファの方が、肌に優しい気がする。

 シャラーラは反応しない。いつもなら、今晩から床で寝るか、くらいのことは言いそうな場面である。

 「会えたとして、どう切り出したものか。わたしは、男女間のことにはうとい」

 彼女の頭の中は、師匠の命を遂行することで一杯だった。

 「これは、恋愛よりも政治問題だろう」

 リズワーンは助言のつもりでそう言ったが、シャラーラの顔は晴れない。
 しん、となったところへ、貴族の男が入ってきた。
 一斉に席を立つ三人。

 「待たせたね」

 フェー子爵であった。


 互いに自己紹介し、ラトーヤの紹介状も提示して、席についた。召使がお茶を運び、各々の分を用意し、退室するまで、双方無言を貫いた。
 子爵が紅茶を口にする。リズワーンがカップを手に取ったのを見て、ヴァルスも真似をする。シャラーラは動かない。

 「お茶をどうぞ、シャラーラさん」

 知り合いに勧めるような、自然な声音だった。リズワーンは、王女が彼に好意を抱いた理由に触れた気がした。

 「ありがとうございます」

 シャラーラは、カップを口につけた。紅茶の香りに、強張った顔が解けるのが見えた。それを見取った子爵の表情も、より柔らかくなった。

 「そろそろ、ご用件を伺おう」

 「はい。ガルミナ姫の結婚に関することです」

 フェー子爵のカップが、チリ、と微かに音を立てた。その表情を見ても、動揺は窺えない。
 シャラーラが音に気づかない訳はないのだが、彼女は子爵の顔に励まされ、言葉を継ぐ。

 「我が師ラトーヤは、フェー子爵様とガルミナ姫のご結婚を後押しします。わたし達も微力ながら、ご協力致します。是非とも、王女様とご結婚なさってください」

 話すうちに熱が入り、最後は前のめりに頼み込んだ。
 対する子爵は、柔らかな笑顔のまま、体が固まっていた。表情は訓練で誤魔化せても、体は正直なものである。

 「何故、ラトーヤ様が、私と王女殿下を?」

 彼はすぐに立ち直り、表情を改めた。当然の疑問である。恐らくは想定問答などしていなかったシャラーラは、言葉に詰まる。

 「お互いに、想いあっているからではありませんか?」

 ヴァルスが平民的感覚をさらけ出し、リズワーンは声を上げそうになる。シャラーラも、そこを告げる気はなかったらしく、呆れた目で精霊使いを見る。

 仲間内でやり合っている場合ではない。恐々フェー子爵に目をやったリズワーンは、彼の仮面が剥がれかけているのを目撃した。

 「失礼しました。それは、師の個人的見解でありまして、お二方が結びつくことは、政治的にも望ましい、と王女様と師は考えておられます」

 シャラーラは、子爵の表情の変化に気づくどころではなく、軌道修正に必死だった。焦るあまり、ヴァルスの発言を補強している。
 もっとも今の場合、悪い手ではない。

 「本日、お目見えがあったとか。そこで、ガルミナ姫を褒賞とした武術大会を開催する、といったような発表があった筈です。子爵様もご参加なさり、必ず優勝してください」

 フェー子爵の表情が一変した。それまでの人の良さそうな笑みが完全に消え、真剣そのものの顔は、怖いくらいだった。

 「私でさえ、先ほど早駆けで報告を受けたばかりなのに‥‥それも、ラトーヤ様の先読みなのか?」

 「わたしには、何とも申し上げようがございません。我が師の求めに応じて、ここに至った次第です」

 「先読みと言えば、子爵様は宰相になれる、と書いてなかったっけ?」

 ヴァルスがまた、思いつきを口にする。子爵の反応を見ると、それも良い方向へ作用したようだった。
 計算した発言とすれば、かなりの策士である。だが普段の言動からも、とてもそのようには見えないのであった。

 子爵は、今度こそ本当に三人と向き合った。

 「王女殿下のご結婚相手の最有力候補は、レーゼンスビュール侯爵だ。競う条件が武術になったところで、彼の優位は変わらない。ひるがえって、私は武術が不得手ときている。王女殿下とラトーヤ様のご期待に添えるよう、全力を尽くす所存しょぞんではあるが、優勝して殿下の御手を取る確約までは致しかねる。先ほど、君たちは協力する、と言ったな? 何か策を持っているのか?」

 問われたものの、リズワーンには何の策もない。三人の間で、ほぼ何の打ち合わせもなく、子爵とも初対面である。

 「武術大会の開催条件を知りたいです。準備までにどれだけの日を割けるのか、大会で使える武器、魔法の使用可否、ルール。可能なら対戦相手とその情報。それに、子爵様の武術練度や得意不得意も教えていただきたい」

 すぐに返したシャラーラも、問いの内容で策は未定、と明かしたようなものである。
 尋ねた子爵が、そもそも期待した風でない。ここは、ほっとするより嘆くべきなのだろう。
 子爵は素直に教え始め、シャラーラに止められた。

  「ちょ。少々お待ちください。筆記用具を準備いただいても、よろしいですか?」

 戸惑いながらも、メイドに用意させるフェー子爵を前に、シャラーラは何事か考えている。

 「資料もなしにお話しするつもりでしたね。全部、頭に入っているとは、相当な記憶力ですよ」

 ヴァルスが、菓子へ手を伸ばす言い訳のように、子爵を褒めた。
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