記憶を封じられたエルフ猶予の旅

在江

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第二章 出奔

生贄始末

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 ギーノが矢を叩き落としながら叫ぶ。彼の腕前も相当である。
 言われるまでもなく、ヘンクは儀式の場へ向かっていた。リズワーンを体で庇うことも忘れない。

 リズワーンは、長身をできる限り縮めて歩を進めるしかなかった。
 敵があちこちに潜み、遠くから矢を仕掛けるため、有効な魔法攻撃を打てない。

 カーフを上空に飛ばしてある。一人ずつ特定して倒すことは可能だが、ルシアとドンを救出するためにも、無駄打ちを避けたかった。

 ブスッ。リズワーンのマントを、一本の矢が貫通した。彼は、そちらへ向かって魔法を放った。
 途端に、バタバタと人の倒れる音がして、そちら方面からの攻撃がぱたりと止んだ。

 「エルフ凄い!」

 「ヘンク、失礼だからっ」

 今日のギーノは、よく喋った。
 やがて、矢が尽きたらしく、何も飛んで来なくなった。気づけば、前方に炎がちらちらと見える。
 儀式の場に近づきつつあった。

 「神聖なる儀式を邪魔立てするとは、罰当たり極まりない」

 ガシャン、と音がした。炎を背に、ぬうっと進路に立ち塞がった影がある。鎧を着込んだ戦士であった。
 ヘンク愛用の鎧と同じ種類のものだ。幅広の大型剣を構えていた。

 「ああ。いつもの鎧を着ていれば‥‥いざ、尋常に勝負!」

 ヘンクが嘆きつつも、勇敢に突っ込んでいった。ギーノも続く。
 そして、リズワーンと僧侶たちは、その脇をすり抜けた。

 「なにいっ? 全然尋常じゃないだろっ!」

 戦士の悲鳴のような声と共に、金属同士がぶつかる音がした。


 ルシアがいた。
 かがり火の炎に照らされ、あの白いまな板のような岩も、赤く染まって見えた。

 彼女は、仰向けに寝かされていた。薬で眠らされているのか、本当に眠っているようだった。その体に傷は見当たらず、リズワーンはホッとする。
 ドンや、彼女の両親らしき姿はない。

 岩を前に、グレゴーと同じような服を着た僧侶が立っていた。彼は両腕を広げて祈りのような文句を唱えていたが、リズワーンの姿を認めると、ぴたりと止めた。
 一見、人当たりの良さそうな顔つきだった。その点、グレゴー司祭長と対照的な印象である。彼がタルドットであろう。

 「ほう。エルフが迷い込んできた。これも神のお導きだな。血を捧げる前から恩寵が」

 リズワーンが魔法を放つのと、かがり火の一つが炎の舌を伸ばすのとは、同時に起こった。炎はタルドット目掛けて襲い掛かり、彼の周囲に集った信者が一斉に倒れ伏した。

 残ったのは、僧侶ばかりである。リズワーンはその顔ぶれの中に、いつか夜中に神殿の裏で輪を作っていた人物を認めた。
 内通者かもしれない。味方としても、これから戦闘するのに、区別できるかは心許こころもとなかった。

 「呪われよ」

 タルドットが、リズワーンを真っ直ぐに指した。おどろおどろしい気配が彼を取り囲み、心に侵入するのを感じる。
 リズワーンは焦るが、なすすべはない。ただ呪いが自分の心に潜む傷を掴み、引き摺り出すのを眺めるしかない。

 しかし、黒い指はそこで、ふっと消えてしまった。彼は一瞬呆然とし、すぐに正気を取り戻す。助かったのだ。

 「お前たち、敵はこっちにもいるぞ!」

 タルドットの声で、視界がはっきりした。
 僅かの間に、周囲は戦う僧侶でいっぱいになっていた。シャラーラの姿も見える。グレゴーとヴァルスは味方の僧侶に守られながら、魔法で対抗するようだった。

 「偉大なる我が神、暗黒神よ。我が生贄の対価として、望みを叶え給え」

 タルドットが、倒れた僧侶から剣を奪い、天へ掲げた。その下には、目を閉じたルシアがいる。
 リズワーンは、次の呪文を唱えた。
 空に稲妻が光り、タルドットへ直撃した。

 「うぎゃあああっ!」

 タルドットが顔を歪めて転げ回る。悶絶もんぜつする様子に、自分でしたことながら、リズワーンの胸が痛んだ。

 「タルドット様!」

 ヴァルスのような服を着た女が、転がり出てきた。地面へ倒れ込んだタルドットに駆け寄り、抱き起こす。

 「ツィアー。あのエルフを殺れ」

 女は、ルシアにちらりと目をやった。この喧騒けんそうの中、彼女は微動だにせず仰向けのままであった。

 「かしこまりました。タルドット様は、その間に儀式をっ」

 ツィアーは、リズワーンに向けて呪文を仕掛ける。足元の土が盛り上がり、彼の足を捕らえた。彼は踏み止まったが、呪文を唱え損ねた。

 地面からニョキニョキと生えてきたつるが、二人に絡みついた。蔓は生き物のようにうねり、彼らを低く押さえつける。

 「くうっ。これでは呪文が」

 「ツィアー、早く」

 背後にシャラーラが現れた。無言で続け様に剣を振り下ろす。

 「あっ」

 リズワーンは声を出した。女とタルドットは声もなく沈んだ。
 その体に足をかけ、辺りを睥睨へいげいする。

 「降伏せよ! お前らの指導者は天罰を喰らった」

 その大声を聞いた敵僧侶の何割かが、魂の抜けたように戦いを止めた。未だ戦意の衰えない僧侶たちも、程なく味方の僧侶に制圧された。

 「やあ~。アーマープレートは、最高ですね」

 ヘンクとギーノが、それぞれ抜け殻の金属鎧と縛られた男を引きずって、合流した。

 折り重なるように倒れた二人に、グレゴーが近寄り、見下ろす。

 「やはり、暗黒に堕していたな、タルドット」

 シャラーラは、ロープを取り出し、せっせと二人を縛りにかかる。遠慮なく僧衣を裂き、猿轡さるぐつわを噛ませた。
 蔓はいつの間にか消えていた。

 「安心しろ。刃のない部分で叩いただけだ」

 彼女はリズワーンを見て、そう言った。


 ルシアは、薬で眠らされていただけだった。実家で襲われた時と同じ薬である。何が起きたか、わからない様子だった。攫われてから今まで、薬漬けだったのかもしれない。
 ドンとルシアの父は、無事に見つかった。牢屋に閉じ込められていた。

 「飯食っていて、気づいたら檻の中だ。どうなっているんだ?」

 「ツィアーは? ルシアは無事か?」

 ツィアーは、ルシアの父の妻であった。ルシアには、義理の母に当たる。
 精霊使いのツィアーは後添えとして家に入ったが、ルシアと折り合いが悪かった。
 義理の娘が街へ奉公に出たことを、夫からお前が原因だとしばしば責められ、境会に救いを求めるうち、タルドットに吸い寄せられたのであった。

 歪曲派の僧侶は、全員捕縛された。彼らは、山の住民と交流があり、時に警備を任せていた。
 山住みの彼らは必ずしも境会の信者ではなく、近所付き合いの感覚で協力したようだったが、ひとまず騎士団へ連行されることになった。

 攫った人間を生贄にしようとした、との通報に、騎士団が動いたのだ。
 リズワーンがカーフに伝言を持たせて連絡すると、朝一番に騎士の一団が到着した。
 一行は、グレゴー側の僧侶と共に騎士団まで同行し、簡単な事情聴取を経て、宿へ帰り着いた。


 宿では、女将が料理を取り揃えて待っていた。彼女を交えて一同食卓につき、まだ日の高いうちから宴会が始まった。
 ドンの妻は、店の采配さいはいがあるので欠席である。ドンやルシア父娘は、騎士団で保護されている。

 「まさか、タルドットさんが、ルシアを誘拐したとはね。あの遺跡を再利用して有効に活用したい、って話を持ってきた時には、そんな風には見えなかったよ」

 「ルシアさんもドンさんも、無事に見つかって良かった。奥さんもフィリアも、これで安心だね」

 「坊っちゃんも、頼れるようになったのですねえ。フィリアは嬉しいですよ」

 ヘンクに対しては、女将は乳母に戻るのだった。まるで母子のような雰囲気である。

 「やっぱり、継母だから、義理の娘を生贄にできちゃうのかな」

 ヴァルスは、二人からルシアとツィアーを連想したようだ。

 「血の繋がりの有無と親子の関係性は、別の問題だ」

 シャラーラが応じた。リズワーンは、村長とその娘のアステアを思い出した。
 彼らは実の親子だったが、父は娘を捨てる道をとった。村長として、村に重大な損害を与えた彼女を、罰せざるを得なかったのだ。

 アステアもある意味生贄である。ツィアーと村長がそれぞれの娘にした行為は同じでも、そこに込められた意味は異なる。

 「リズィ。ウナスさんとアステアさんのこと、村長さんに教えなくていいの?」

 やはりヴァルスも同じようなことを考えたと見えて、話を変えてきた。
 歪曲派に協力した山の民に、狩人のウナスが紛れ込んでいたのである。

 「あいつ、失礼な奴でしたね。エルフはみんな同じ顔だと思っていたって。絶対、わかって射かけたんですよ」

 ヘンクが話に割り込んできた。
 歪曲派の根城を襲撃した際、一緒に矢の攻撃を受けた。ウナスは、そこに参戦していたのだ。

 「昨夜は新月で、暗かった。まさか、知り合いがいるとは、思わなかったのだろう」

 「狩人なんだから、獲物を見分けられなかったら、商売にならないじゃないですか。負けて慌てて名乗り出たところなんか、完全にお目溢めこぼし狙いですよ」

 「逆効果だったがな」

 ギーノが言った。騎士団の見解も、ヘンクと同様だったのだ。
 騎士団から聴取中に問われて、リズワーンはウナスとの関わりを説明した。
 成り行きで、ウナスが村から追放された理由も話したのだが、そこで彼は意外な話を騎士団から聞かされたのだった。

 「アステアさん、この街にいるのかな。一人で大丈夫かな」

 ヴァルスが心配そうに言う。村を追われたウナスとアステアは、別れていたのである。
 彼の言では、アステアの我が儘で喧嘩が絶えず、互いに別の道を歩もうとなったらしい。
 その後の彼女の行方は、知れない。

 駆け落ち騒動の際に判明したことを考えると、まるっきりの嘘とも思えないが、リズワーンから見れば、似たもの同士であった。

 「必要があれば、自分で便りを出すだろう」

 彼は言った。


 一行は、無事に報酬を貰い、宿を出立した。女将が、宿代を無料にしてくれたのは、思わぬ報酬の上乗せだった。
 ドンの店からも、報酬を得た。ドンは騎士団から戻り、仕事を再開していた。

 「世話になったな。ルシアと親父さんからも、よろしく伝えてくれってさ」

 「ドンさんが元気そうで何よりです。ルシアさんは、どうしています?」

 ヴァルスが尋ねた。

 「あの娘は、しっかりして心配ない。親父さんの方が、ちょっと、な」

 ツィアーは誘拐の実行犯として、騎士団管轄の牢に捕えられたままであった。今は、巡回裁判待ちだ。

 「面会と差し入れに通うのに不便だからって、近くに部屋を借りてやった。嫁が思い詰めたのは、自分のせいだって反省するのはいいんだが、娘の借金増やして、年季が延びることになった。ルシアは仕事の幅を広げることにしたよ。まあ、忙しくしていたら、気も紛れるってもんだ」

 ガハハ、とドンは明るく笑って見せた。
 ヴァルスとヘンクは揃って顔を赤くした。
 シャラーラが、淡々と別れの挨拶を告げた。

 街を出ると、ヘンクとギーノは、西へ足を向けた。リズワーンたちの進む道とは、反対方向である。

 「一緒に仕事ができて、よかった」

 「こっちも、いい仕事ができて良かったです。シャラーラさんと、リズワーンさん、ヴァルスさん、お元気で。機会があったら、またご一緒しましょう」

 ヘンクの隣で、ギーノがうんうん、と頷いた。
 互いに背を向けて、歩き出す。ガシャン、ガシャン、ガシャン。金属鎧の音が遠ざかった。
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