記憶を封じられたエルフ猶予の旅

在江

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第二章 出奔

根城侵入

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 それから、救出計画の話になった。
 歪曲わいきょく派には拠点があった。古代王国時代の貴族の館跡を利用したもので、今いる山の裏手の方角に位置する。

 「案外近いんですね。とっとと奪い返せば良いのではありませんか? あるいは、通報して騎士団に任せるとか」

 ヘンクが提案した。グレゴーが頭を振った。

 「奪っても奪い返されるか、他の生贄いけにえを使われるだけだ。生贄の条件はくわしくわかっていない。たまたまルシアの居所は知れた。儀式も今夜と判明した。次は防げる保証がない。騎士団へは、人間の生贄は象徴で、儀式としてそれらしく見せかけるだけだ、と釈明したらしい。だが、一旦実行されれば、我々にもるいが及ぶ。実際の現場に立ち入って、証拠を押さえるのが、彼らの力を削ぐのに最も効果的だ。未然に防げれば最良、万が一でも我々が告訴側の証人として立てる」

 彼が考えた案は、既に検討済みだった。

 「ルシアさんを犠牲にすることには、変わらないんですね」

 シャラーラの平板な声に、場がぎこちない雰囲気となった。身も蓋もなく言えば、その通りである。
 今のグレゴーの考えからすると、ルシアがさらわれるのを見越して両親に通告したようにも感じられる。

 ここへ駆けつけたのも、襲撃の前哨ぜんしょう基地とする他に、救出が間に合わなかった、というアリバイ作りのためとも受け取れた。

 彼らがルシアを攫った側と敵対するのは本当だろうが、彼らをそのまま信用するのも危うい、とリズワーンは思った。

 神に人生を捧げる者が、すべてユーニアスのようであるとは限らない。神の名の下に、自分だけの正義を振りかざし、他の者を虐げる例を、彼は見知っていた。

 だが、今は彼らを頼るしか、ルシアの行方は掴めない。

 「で、でも、僕らの力で間に合わせれば、大丈夫だよ。ルシアさんでもドンさんでも、殺されるまで待たなくたって、いいんですよね?」

 ヴァルスがとりなすように、僧侶たちを見回した。彼らの視線を集めたグレゴーが、重々しく頷いた。
 空気が少し軽くなった。

 「良い。儀式の段取りが整っていれば、彼らがだけだと言い逃れても、危険がある、と介入する隙はできる。先ほどのリズワーン殿の話と併せて、騎士団へ突き出すことも考えられる」

 「普通に誘拐ですからね」

 ギーノが口を開いた。
 滅多に喋らない彼は、一同の注目を浴びても平然としてあった。


 歪曲派の拠点と襲撃の手順について打ち合わせをした後、全員で出発した。
 道案内を兼ねて、先導するのは境会の僧侶であるが、一部はリズワーンたちと共に後ろを歩く。彼らもまた、こちらを全面的には信用しかねているのだった。
 お互い様である。

 「体が軽すぎて、空を歩いているみたいですわ」

 ヘンクが言う。分厚い金属鎧を脱いだ彼の体は、満月のような顔から想像もつかないほど、細かった。
 今は、体にピッタリした鎖帷子くさりかたびらを着込み、本人の感想通り軽快に歩いている。あの、ガシャン、ガシャンという音も聞こえない。

 反対に、歩きにくそうなのは、ヴァルスである。一行は、山の中へ分け入っていた。敵と出くわさないよう、山道を避けている。
 彼の衣服は精霊使いらしく、ゆったりとしたシルエットで、布や刺繍が、木の枝や皮にいちいち引っかかるのだった。

 魔術師も似た格好をする者は多い。リズワーンは旅支度で動きやすい服装を選び、今はマントだけが職業を表していた。それもシンプルに滑らかな肌触りの布地で作られている。

 境会の僧侶たちも、布地をたっぷりと使った聖職者らしい服を着ていたものの、上から紐をかけて動きやすくそですそを縛っていた。

 「ああ。服が、ぼろぼろになりそう」

 「鎧を着れば、そんな心配もありませんよ」

 嘆くヴァルスに、ヘンクが経験を踏まえた助言をした。ヴァルスは同意しなかった。

 「そろそろ、話を控えてください。山の中では、思いがけず遠くまで声が通ることがあります」

 側を歩く僧侶に注意され、二人は口を閉じた。一行は黙々と手足を動かした。


 目指す場所は、そこから更に山を越えた先にあった。
 歪曲派の拠点とされる場所を見下ろす位置に到着した時、太陽は山に沈み、残照が空を僅かに染めるばかりであった。
 今宵は新月である。月明かりは期待できない。

 山に囲まれたその窪地くぼちには、古代遺跡を活用した建物や建造物が点在してあった。それらは石塀でぐるりと囲んである。門には真新しい木の扉が作り付けられ、立番がいた。

 ただし、塀も内側の建物も、ところどころに崩れた箇所が目立った。建物の間には、瓦礫がれきの山がいくつもある。元は計算の上で植えられた樹木も、建造物を突き崩すまでに枝を伸ばし放題であった。

 ほぼ、廃墟である。
 早くも山の影に飲み込まれたそれら建物の崩れた隙間からは、灯りが漏れている。
 誰か住む者のあるのは、明らかであった。

 建物や瓦礫の間に、一箇所、ぽっかりと平らな空間が見え隠れする。その辺りだけ、人が動いているように見える。

 「あの暗がりが、儀式の場だろう。使い魔で、様子を窺うことはできるだろうか」

 側に来たグレゴーが、リズワーンにささやいた。カーフは彼の肩の上で、目を覚ましていた。
 フクロウは音もなく飛び立った。星あかりの夜空の下、巧みに灯りを避け、一本の木の枝に落ち着いた。

 リズワーンは、カーフの目を借りて下界を観察する。
 円形に、土が剥き出しになっていた。平らにならされ、広場のようにも見える。周囲に積み上がった瓦礫は、そこから取り除かれたものかもしれない。
 その中央に、真っ白で平らな石が置いてあった。ほぼ四角い形状である。宿の厨房で見かけた、まな板を連想させた。

 四方にかがり火を炊く台があった。人々は、そこへ薪を積み、火を灯す準備をしているのだった。
 リズワーンは目を戻す。

 「仰るとおりでした。他に確認すべき場所はありますか」

 「タルドットの居室が、わかれば良いのだが」

 「タル?」

 「タルドット。元は司祭だったが、私と同じ司祭長を名乗っている。歪曲派の長だ」

 その時、急に窪みが明るくなった。あのかがり火台に、一斉に火が灯されたのである。カーフが眩しさに顔を背けた。
 リズワーンは、一旦使い魔を引き上げた。飛び立つ際に枝が弾んだが、人々は空飛ぶフクロウを気に留めなかった。

 「そろそろ、距離を縮めておいた方が良いのではありませんか。道もわからず、儀式が始まるのを待ってからでは、間に合いそうにない」

 後ろから、シャラーラが進言した。やはり、囁き声である。

 「うむ。二手に分かれよう。ちょうど、ここから左右に一箇所ずつ、塀が崩れているのが見える。門を避けて、そこから儀式の場を目指そう」

 そこで、ヘンクとギーノとリズワーン、シャラーラとヴァルスにそれぞれ僧侶がついた。グレゴーはシャラーラの方に加わった。

 それぞれに、茂みを掻き分け、下へ向かった。一度森の中へ入ると、廃墟は視界から消えた。リズワーンはカーフを飛ばし、進行方向を調整した。
 シャラーラたちのグループも、順調に進んでいるようだ。もうリズワーン自身の位置からは、彼らの動きは見ることも聞くこともできない。

 無事に正門を避け、崩れた塀の場所まで来た。見張りはいない。代わりに、罠があった。
 低い位置にロープを張り、ところどころに拍子木を取り付けてある。気づかず足を引っ掛ければ、木片同士がぶつかって音を立て、警告する仕組みだ。
 単純だが、このように暗い夜には有効な罠である。

 「罠がある。足元に気をつけろ」

 リズワーンは、ヘンクとギーノに忠告した。彼らもロープに気づいていた。

 「いつもの鎧を着ていたら、足が上がらなかったな。危ない危ない」

 ヘンクがギーノに笑いかけた。
 塀の向こうから、人の気配が濃く漂ってきた。

 「始まった」

 リズワーンは、彼らの前へ出て、ひょいとロープをまたいで中へ入った。塀の内側に人は見当たらない。

 「おっと。先を越された。急がないと」

 ヘンクもロープを跨いだ。が、内側の瓦礫につまずき、着地に失敗した。体勢を立て直そうとする後ろ足が、ロープに引っかかる。

 「あ」

 ギーノが声を上げた。

 カラン、カラン、カラン。

 予想より大きな音が、静かな山の中にこだました。正門の方から、見張りが叫ぶ声がした。

 「中へ」

 リズワーンが呼びかけるまでもなく、ギーノが飛び入った。僧侶たちが続く。
 塀の外に聞こえる足音を背に、一斉に駆け出した。


 儀式の場は、燃え盛るかがり火の多さで見当がついた。向かうべき方向に迷いはない。

 ビュン。

 矢がリズワーンをかすめた。間一髪だった。

 ビュン、ビュンビュン。
 
 バキッ、バキバキッ。

 僧侶たちが、抜いた剣で矢を止めている。

 「凄い! 私もっ」

 「ヘンクは進んでっ」
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