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第二章 出奔

昏倒鍋汁

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 「あそこの棒パンです。もう一度、食べたいなあ。きっと、シャラも気に入るよ」

 ヴァルスが指す先には、それらしき棒状の物が、三角に積まれていた。
 昨夜は慌ただしく気づかなかったが、あの奇妙な神殿の向こうには、なだらかな低い山が見えていた。
 意外と距離が近い。神殿が、すでに郊外の位置にあるとも言える。

 「この神殿には、何の神がまつられているのですか?」

 ちらちらと視線を送り、棒パンをねだるヴァルスを完全に無視して、シャラーラがヘンクに尋ねる。

 「境会ですね」

 ヘンクが、息を弾ませながら答えた。

 「生き物にはそれぞれの分、というものがあって、これを境と呼び、守ることが信仰の本義と聞いたことがあります」

 ガシャ、ガシャ、と歩くたびに音がする隙間を縫って、解説する。当人は、慣れたものである。
 聞き慣れない周囲はこちらへ視線を送り、集まる視線の範囲に捉われた側もまた、落ち着かない。
 ここは早足で通り過ぎたいところが、人の足を操れないのはもどかしかった。

 遠目にはなだらかで低い山に見えても、生い茂る草木、体力を削る坂道は他の山と同じだった。
 これまで、怪しい気配は感じられない。山道は一本きりで、迷う余地もない。
 一同は、たちまち道の終わりへ行き着いた。

 まだ、山の中腹だった。切りひらいたような空間に、三、四軒の木造家屋が建っていた。家から離れた場所に、焚き火の跡があった。

 人の気配はない。ここへ至るまでに、ヘンクの鎧歩行の音が続いていた。生きた者が存在すれば、その耳に聞こえない筈はなかった。

 「こんにちは! 誰か、いますかあ」

 ヴァルスの呼びかけに、応じる声もない。

 「あの家が、ルシアさんの実家だった筈。扉が開いている」

 シャラーラが指す端の家は、僅かに扉が開いていた。
 ガシャ、ガシャ、と騒音を立てながら駆け寄るヘンク、そしてギーノ。その後を、ヴァルスも追いかける。

 シャラーラは、彼らの背中を見送った。

 「見に行かないのか?」

 「念のため。わたし達が端の家に集中している間に、他の家に隠れた誰かが逃げ出すかもしれない」

 一応尋ねてみたリズワーンを振り向かないまま、彼女は答えた。推測通りである。

 「私が、他の家を見て回ろうか? シャラはここにいて、全体を見張れば良い」

 「頼む」

 「ひっどいな、こりゃあ!」

 シャラーラが頼んだ途端、ルシアの家を覗いたヘンクの声が上がった。彼女は、チラリとそちらへ目を向けた。

 「好きな順番で見て。終わったら、問題のある家を確認する」

 ヘンクたちは、そのままルシアの家へ入り込んでしまった。ガシャ、ガシャ、と音がする間は、無事に動いていると考えて良い。
 リズワーンは、反対側の端から家を観察することにした。

 順当に、ノックをして反応を見る。家を一周し、鎧戸よろいどの隙間から中を覗く。ついでに戸締りも確認する。最後に、入り口の扉を開けてみる。

 どの家も、人の気配は感じられなかった。たまたま留守の家と、長い間人が住まない家との間には、明白な違いがある。

 こちらは、いずれも空き家に分類される方だった。二間ふたま程度の小さな家である。戸締りもなされており、中へは入れなかった。

 シャラーラの位置からも、リズワーンの動きで様子がわかったらしい。彼がルシアの家へ向かうと、近づいてきた。

 「他は全部空き家らしい」

 「そうらしいな」

 ルシアの家の扉は、大きく開いたままだった。いつの間にか、ヘンクの足音も消えた。
 ギーノが、戸口に姿を現した。

 「ど、く」

 そのままずるずると、戸口をふさぐように崩れた。
 シャラーラとリズワーンは、戸口から離れて中をうかがったが、そこからヴァルスやヘンクの姿は見えなかった。
 煙や異臭が流れ出る様子も、感じられない。

 「裏へ回って、換気を。わたしは、彼を外へ出す。間に合うかもしれない」

 「わかった」

 シャラーラが遠慮なくギーノを引き摺り出すのを横目に、リズワーンは裏手へ回る。他の家と同じ間取りであれば、窓がある筈だった。
 鎧戸は、開け放たれていた。中を覗くと、蓋の開いた鍋の側で、ヴァルスとヘンクが倒れているのが見えた。他に人の姿はない。

 「ヴァル。ヴァルス。ヘンク殿」

 呼びかけてみたが、反応はない。二人とも、苦しんだ様子はなく、眠っているようにも見えた。
 リズワーンは、家を一周するようにして、元の場所へ戻った。
 シャラーラが、ギーノの頬を叩いているところだった。こちらは、明らかに眠っている。

 「毒というか、眠り薬のようだ。向こうの二人も、こんな感じだったか? 他に人は?」

 彼女が顔を上げて確認する。

 「そうだ。二人しか見当たらなかった。そういえば、僧職が使う魔法に、毒消しがあった」

 唯一の使い手もまた、眠っていた。ヴァルスである。

 「役に立たんな。換気はできたか?」

 「窓が開いていた。二人とも、鍋の側で倒れていた。中に籠った気を、吸い込んだのかもしれない」

 「三人雁首がんくび揃えてか? 先が思いやられる」

 シャラーラは、ギーノをそのままに、立ち上がった。

 「中へ入ってみる。お前の推測通りなら、拡散で無効化されているだろう」

 「では、私は裏から見守る」

 こうしてリズワーンは、裏手に再び赴いた。ヴァルスとヘンクは、相変わらず倒れたままだった。
 そこへ、シャラーラが現れた。床に転がる鍋の蓋を見つけ、素早く鍋に被せた。

 「また、この中に薬の気が溜まるかもしれない。差し当たり、ヴァルスを外へ連れ出そう」

 外から覗くリズワーンに言うと、荷物のように容赦なく、ヴァルスの服ごと引きずって表へ去った。
 相当な音が立ったが、ヘンクは変わらず眠っている。頑丈な金属鎧を着込んだままである。

 彼を運ぶのは、二人がかりでも難しいように、リズワーンには思われた。
 表へ戻ろうとした彼は、茂みの下に光る物を見つけた。


 ヴァルスとギーノは、並んで眠っていた。シャラーラは二人の前で、所在しょざいなげに立っている。

 「薬なら、いつかは起きるのだろう? 待つ間、腹ごしらえでもした方が良いのか、何か手当を施した方が良いのか、わからない。それに、家の中にはお嬢さんも店の親父も、手がかりも見当たらなかった。後は、ふもとの広場で目撃者を探すぐらいしか、思いつかない。どのみち、彼らが起きなければ、動けない」

 リズワーンは、先ほど拾ったガラス小瓶を彼女に見せた。大きさも形も、村の聖遺物に似ていた。こちらの中身は、ほぼ空である。

 「これは‥‥眠り薬か?」

 「そうだ、本来、服用することで効果を発揮するのだが、一度に全量混ぜ込んだと見える。それで揮発量きはつりょうも多かったのだろう。それを、蓋で閉じ込めた形になった」

 「それで、雁首揃えて‥‥起きる見込みは?」

 リズワーンは、眠りこける二人を観察した。呼吸も安定し、普通に眠っているようだ。

 「わからない。吸入とはいえ、過量摂取には違いない。ヘンク殿の様子と、家の中もついでに見てくる」

 「頼んだ。瓶は、預かろう」

 ルシアの家の中へ入ると、まず食事中と思しきテーブルが目についた。周囲に椅子はなく、部屋のあちこちに敷物と共にひっくり返っていた。
 他にも、コップやスプーンが落ちていた。
 テーブルの上には、三つのスープ皿が残されていた。中身が残ったまま固まっていた。

 部屋の隅にはベッドが並ぶ。近づいて探ったが、人は隠れていなかった。仕切りの奥は台所である。
 ヘンクが倒れていた。鍋の蓋はきっちり閉まっている。他に中身の入った鍋はない。
 リズワーンは、ヘンクに近づいた。規則正しい呼吸で寝入っていた。

 外まで出さなくとも、鍋から離した方が安全であった。しかし、魔法を用いても、彼を一人で動かすにはリズワーンの力が足りなかった。

 と、表が騒がしくなった。リズワーンは、足音を忍ばせて、戸口の陰から外を覗いた。
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