記憶を封じられたエルフ猶予の旅

在江

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第二章 出奔

置物逍遥

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 目を開けると、昼間と同じ場所にいた。質屋の店の奥である。
 リズワーンはカーフの目を借りて、辺りを見回した。綺麗に整頓された店内に、人はいない。店主は店と別に住居を持つらしかった。すると、人目につく危険は減るが、脱出が難しい。

 一通り店内を調べた後、フクロウは換気用の小窓を器用に開けて、外へ出た。これから、金を持って一往復しなければならない。ヴァルスのせいで、飛んだ手間をかけさせられる。

 夜空を飛ぶフクロウの行く手に、まぶしい光が現れた。
 神殿である。長年生きてきたエルフのリズワーンが、初めて見る形式の建物だった。木の幹を模した特徴的な柱が立ち並ぶ。
 もっとも彼は、あの村にほとんど隠棲状態だった。移り変わりの激しい人間の世の動きには、うとい。

 神殿の近くには広場があり、店も並んでいた。こちらの方は、寝静まっている。方角からして、ヴァルスが褒めた棒パンは、この辺りで買ったものとみえた。

 手元へ戻ったカーフに銀貨を詰めた袋を持たせ、再び質屋へ向かわせる。フクロウの置物の代わりに袋を置いて、同じ小窓から飛び立った。残念ながら、外から鍵まで閉めることはできない。夜盗に狙われないことを祈るしかない。

 往復の目印に据えた神殿には、変わらず明かりが灯っていた。隣接した芝生の地に、人の輪が見えた。往路では見かけなかった人影である。
 敢えて夜中に外で集う信仰の形態なのだろうか。リズワーンは好奇心を覚えて、近寄ってみた。フクロウは、羽音をさせずに飛ぶことができる。

 彼らは若い男で、全員が僧侶の衣服を纏っていた。四、五人で一つの輪を作る。他には誰も見当たらない。

 「このまま、放っておいたら、わしらまで悪者じゃ」

 「内輪のことは、内輪で片付けないと、いけないわな」

 「無茶な。あいつら、山の連中を味方にしとるんじゃ」

 「じゃが、表沙汰にはできん」

 なかなか興味深い会話だった。宗教行事ではない。この場にシャラーラが居合わせれば、仕事に結びつきそうな流れであった。
 しかし彼らの方は、部外者に頼るつもりがなさそうである。
 リズワーンは、カーフを呼び戻した。フクロウは、音もなく飛び立った。


 翌朝、ヘンクとギーノも交えて食事を取っていると、ドンの店にいた肉付きの良い女が入ってきた。
 今日は、愛想どころか、たたずまいから悲壮感を振り撒いていた。

 「朝からごめんなさい」

 「ドンくんの奥さんじゃないの。どうしたの?」

 厨房から女将が出てきて、空いた席へ座らせた。女の顔色は、それほど悪かった。一晩中起きていたような顔だった。
 近くの卓で朝食を取っていた一同が、自然とそちらへ目を向ける。

 「夫が、戻って来ないんです」

 視線にうながされるようにして、口を開いた。

 「どこから?」

 ヘンクが尋ねる。女将が簡単に経緯を説明した。

 「ルシアの実家に、ドンくんが直接向かったって、ことよね?」

 念を押す女将に、妻が頷いた。
 聞けば、ドンは昨日ここへ来た後、妻に店を任せ、すぐにルシアの実家へ向かったらしい。

 「夕方には帰るって言ったのに。伝言も来ないし、ルシアちゃんも帰って来ないままだし、あたし、心配で」

 「何かに巻き込まれたのは、確かだろうね」

 ヘンクが重々しく頷く。シャラーラの目が、光った。

 「わたしたちが、ご主人とルシアさんの様子を見に行ってみましょうか? とはいえ、ただという訳にはいきませんが」

 「えっ。私らならっ?」

 テーブルの下で、シャラーラがヘンクのすねを蹴った。彼はまだ鎧を着用していなかった。

 「ごめんなさい。大丈夫ですか? ちょっと、こっちへ来て見せてくださいね‥‥ああ、奥さん。わたしたちだけでは、ご心配でしょう。今後の予定について、少し話し合ってきます」

 シャラーラは笑顔で言い置くと、ヘンクを引っ立てるようにして食堂から連れ出した。
 ギーノとヴァルスが後を追おうとしたのだが、ヘンクが手で制止したのと、シャラーラが笑顔の奥で睨んだのに気づき、二人とも椅子に腰を下ろした。

 「少し、食べた方がいいよ。全然眠っていないんだろう? 今、用意するよ」

 女将が、ドンの妻を気遣って、厨房へ行った。
 それをしおに、ヴァルスが朝食を再開する。ギーノもつられてパンを手に取った。
 リズワーンも食べ始めた。エルフの聴覚は、シャラーラの言葉を途切れ途切れながら、捉えていた。

 「プロなら当然‥‥己の無能さを喧伝しているようなもの‥‥金持ちの暇潰し‥‥剣だけでは危険」

 ヘンクの返事は聞こえなかったが、二人が戻った時には、双方笑顔だった。
 ドンの妻は、朝食にもほとんど手をつけられなかった。不安げにシャラーラを見上げる。彼女は安心させるように、笑顔を返した。

 「どうかご心配なく。わたし達は、協力してご主人とルシアさんを捜索します。総勢五名、一人頭銀貨三十枚として、百五十枚でお引き受けしましょう。これは、お二人の捜索と救出費用の実費と手間賃を含めた金額です」

 リズワーンが、ドンの店に出勤すれば、三日でお釣りがくる金額である。日給を聞いた後では、安いとさえ思える対価だったが、ドンの妻は躊躇ためらった。
 女将が厨房から顔を出した。

 「奥さん、ドンくんの命がかかっているかもしれないよ。何なら、五十枚はうちで出すわ。ルシアの実家の土地は、うちの物だからね。坊ちゃん、悪い奴がいたら、ついでにやっつけちまってください」

 「ありがとうございます。それで、お願いします」

 「任せておけ。フィリアの土地は、私が守る!」

 リズワーンは、頭を下げる二人の女の上で、シャラーラが苦い顔をするのを見た。対照的に、ヘンクは満足げに胸を張っている。
 これは、女将が金を出した時に、さりげなく仕事を追加されたことが原因と察せられた。

 ルシアとドンの救出に加えて、犯人がいた場合の始末も頼まれたのである。無論、救出の過程でやり合う可能性は高いが、相手の数が多ければ、全員を掃討そうとうするのは難しい。状況もわからないうちに、義務として引き受ける筋合いの仕事ではなかった。

 だが、一緒に行動するヘンクが同意したのだ。彼は、乳母に成長した姿を見せたいのであろう。
 彼の意欲に実力が伴うことを、祈るより他ない。

 こういうトラブルを防ぐために、通常は酒場などを仲介に仕事を受けるのである。
 シャラーラの懐は、リズワーンが思うより逼迫ひっぱくしているのかもしれなかった。

 「では、準備が整い次第、出発します。よろしければ、道中の食料を用意いただけますか?」

 せめてもの意趣返しとばかりに、シャラーラが女将に要求した。これは快諾され、揉めずに済んだ。
 ドンの妻は、店へ戻って行った。

 女将が食料をまとめても、ヘンクは降りて来なかった。彼の鎧は、着脱に時間がかかる。それに、通常一人では脱ぎ着できない。今頃、ギーノと四苦八苦している筈だ。

 彼らを待つ間、リズワーン達は、女将からルシアの実家と周辺の地理を聞き取った。
 ルシアの家は、山の中にあるらしい。果たして半日で往復できる距離だったのか、疑問が湧いてきた。
 それでも五、六日経過して音沙汰おとさたがなく、後を追った者の消息も知れないのは、異常である。

 「やあ、皆さん。お待たせしました。早速出発しましょう!」

 現れたヘンクとギーノは、鎧着用だけで既に体力を消耗したように見えた。不穏な先行きであった。
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