記憶を封じられたエルフ猶予の旅

在江

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第二章 出奔

重装戦士

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 ドンは、パイの礼を言って、外へ出て行った。入れ違いに、ヴァルスが戻った。

 「うわあ。幸せな匂いがすると思ったら、洋梨のパイですね。僕も食べていいですか?」

 「もちろんよ。今、お皿を用意するから、少しだけ待って」

 女将が皿を置くや否や、ヴァルスはパイに手をつけた。

 「むう。サックサク。バターを根気よく挟み込んだからですね。洋梨の砂糖煮が生地に染み込んで、しっとりとした食感になっても、負けない風味が良いバランスとなっています。ああ、まさに味の楽園でしょう」

 「ありがとう。美味しいってことね」

 女将が厨房ちゅうぼうから応じた。もう、次の仕事にかかっていた。ヴァルスは女将に笑顔を振りまき、リズワーンに顔を戻した。

 「このパイも絶品だけど、街には新しい食べ物がいっぱいあって、全部は食べ切れないから、選ぶのが大変だったよ。見歩くうちに、広場の北まで行っちゃった。変わった神殿があって、そこの聖体とかいう棒パンが、安くて美味しかった~。あれは、掘り出し物だったな。神殿に入らなくても、お土産屋さんで買えるのが、また良いね」

 「ヴァル。その金は、どこから出したのだ?」

 リズワーンがおもむろに問いかけた。ヴァルスの顔に緊張が走った。カトラリーを握る手が、無意味に空の皿を往復する。

 「あー。質屋で金を作った。置き物を借りて。あの、どうせ昼間は眠っているから、置き物と一緒でしょ? カーフを。ちょっと、ちょっとだけ。リズィが呼べば戻ってくるし、ダメでも期限までにお金入れれば返してもらえる」

 ヴァルスは、エルフの尖った耳がピクピクと動くのを見て、焦って言い訳に走った。

 迂闊うかつであった。使い魔と魔術師は一心同体である。それゆえの油断だ。
 昼から起こすのは気が引けたが、リズワーンはカーフを刺激して周囲を窺わせた。質入れされたばかりの『フクロウの剥製はくせい』は、店の奥に丁重に安置されていた。期日までに金を用意できなかったら、呼び寄せるより他はない。

 「無軌道な行動が目に余れば、神罰を喰らうのではないか」

 ヴァルスは大地母神の信者であり、僧職の資格を持っている。神の恩寵があるならば、神の罰もあるだろう。

 「ははは。気をつけます」

 彼の言からは、全く反省が感じられなかった。
 パイを食べ終えると、ヴァルスは再び街へ出掛けていった。まるで、焼きたてパイの匂いを嗅ぎつけて来たかのような行動であった。


 夕刻になって、シャラーラが戻ってきた。顔を見ただけで、仕事探しの首尾がわかってしまった。

 「見つからなかったか」

 シャラーラは、リズワーンの斜め向かいに席を占めた。かぶとを脱いで、足元へ挟む。

 「伝手つてのありそうな店には、仕事の口があったら紹介してくれ、と声はかけてきた。でも、大体地元のパーティで間に合うから、流しの冒険者にまで回ってこないそうだ」

 「そういうものだろうな」

 どうせ人に頼むなら、見知らぬ相手よりも、見知った信頼できる相手の方が良いに決まっている。
 仕事の内容にもよるが。とリズワーンは考えた。

 「このまま稼ぎが見込めないなら、カーフを売りに出してもらうしかないかも。使い魔って、売れるのか?」

 「もう売られた」

 「え」

 冗談だったらしい。驚くシャラーラに、リズワーンはヴァルスの所業しょぎょうを教えた。自分でも提案した癖に、彼女は彼に腹を立てた。

 「信じられない。それでは、詐欺だ。金を渡すから、引き取って来なさい」

 シャラーラが怒ったのは、後でリズワーンがこっそり取り返す点だったようだ。

 「金は、私の方で出す。それに、受け渡しもカーフを使って出来ると思う。直接出向かずとも事足りる」

 リズワーン自身にも、長年村に住む間に多少の蓄えは出来ていた。
 路銀をシャラーラが負担するという契約があったので、出立に当たり、彼はそれを神殿へ寄付しようとしたのだが、ユーニアスやイリウに断られたのである。

 「わかった。では、それで頼む‥‥あいつ、けないかしら」

 「野宿では大いに役立ったろう。資金が乏しいなら、これからもっと必要になるのではないか」

 ヴァルスの本業は、精霊使いである。リズワーンも精霊を見ることはできるものの、操る術は不得手であった。それに、彼の持つ治癒魔法もまた、旅の身の上には便利であった。

 「くっ。確かに」

 シャラーラが納得して、リズワーンはホッとする。ヴァルスの技能が必要だ、という見解に嘘はない。彼の良識に問題があることも承知している。
 だが彼の存在のおかげで、シャラーラとの間の緊張感が緩和されることが、リズワーンにとって重要だった。

 二人きりであったら、より息詰まる旅となっていた。
 常に気を張り詰めたようなシャラーラも、ヴァルスの言動で緩むことがある。彼女は自身で気づいていない。

 「お連れさん揃っていないけど、そろそろ並べても良いかい?」

 女将が皿を持ってやってきた。二人は承知した。パンにチーズ、新鮮なサラダが卓に並んだ。籠や皿にも手が込んでいて、見るだけで味見をした気分になれた。

 ガシャン、ガシャン。

 人の行き交う気配の中、一際耳につく金属鎧の足音が、段々大きく聞こえてきた。それは、リズワーンたちの泊まる宿の前でぴたりと止まった。

 引き戸が開いて、ヴァルスが顔を出した。

 「女将さん。お客連れて来たんですけど、二人泊めてもらえませんか?」

 すたすた中へ入るのに続いて、その二人も入ってきた。鋼鉄鎧と戦斧せんぷでガチガチに固めた背の低い男と、長剣を提げた長身の男であった。

 「悪いんだけど、うちは一見さん、お断りなんだよ。食材もないし、今からじゃ夕食も出せない」

 女将の言はもっともである。連れてきたヴァルスが悪い。
 まさに、彼の素行が俎上そじょうに上っていたところだった。リズワーンは、シャラーラの怒りが危険水準に達したのを読み取った。彼は椅子から腰を浮かした。

 「ヴァルス」

 「フィリアは、変わらないね」

 鋼鉄鎧が兜を脱ぐと、満月のような頭に満面の笑みを湛えた顔が現れた。女将が目をみはった。

 「ヘンドリック坊っちゃま」

 「今は、ヘンクと名乗っている。フィリアの料理もそのうち食べたいけど、とりあえず部屋だけでも貸してくれないか」

 「もちろんですとも」

 女将は喜びもあらわに請け合った。ヴァルスは首の皮一枚で繋がった。


 ヘンクは、首都近郊にある商家の息子で、今は冒険者に憧れて武者修行中とのことだった。
 一緒にいた長身の男は、実家がつけてくれたお供、ギーノと名乗った。
 フィリアはヘンクの乳母を務めた後、亭主に従ってこの地へ越してきたのだった。

 「懐かしいなあ、このパイ。昔、こっそり持ってきて、食べさせてくれたよね」

 「坊っちゃまったら、すぐにお腹を空かせるんですもの」

 結局、ヘンクとギーノは食卓に着いた。洋梨のピザの余りと、リズワーンたちに供される予定だった料理を分け合って、足りない分は、出来合いの料理を女将が外で買ってきた。
 酒も追加され、女将が加わって、もはや宴会である。
 ヴァルスが連れて来た客でもあり、文句は言えない。三人は、食事の流れで同席する形になった。

 「それで、ヴァルさんは東へ行くって言っていましたが、どの辺まで行かれるのですか?」

 ヘンクが、シャラーラに問いかけた。短いやり取りの間に、彼女が決定権を握ることを察知したのである。大店の息子らしく、それなりに観察力もあるようだ。 

 「オランです」

 シャラーラは、あっさり目的地を明かした。これまで、ヴァルスに何度聞かれても濁してきたのは、単に意地を張っていたとしか思えない。それとも、本当に途中で撒くつもりだったか。
 当のヴァルスは、口いっぱいに料理を頬張っていて、喋れる状態ではなかった。

 「東の古都ですね。あの辺は確かに古い遺跡も屋敷も多いですが、あらかた探索し尽くされました。今は、西の方が冒険者の需要が高いと聞きます」

 「そうなんですね。それで、ヘンクさんたちは、西を目指しているんですね」

 シャラーラが、完全に他人行儀な言葉遣いで応じた。どちらかといえば、ぞんざいな言葉遣いの時の方が、彼女は相手との距離が近い。今は、いわば仮面をつけたような状態である。

 「西には、夢とロマンがある。東に残るのはその残骸と‥‥隠者ですかね」

 「生ける聖者様に、乾杯」

 女将が、杯を掲げた。酔っていた。

 「そうそう。そんな風に呼ばれていた気もします。世俗の地位を嫌って、僻地へきちに引きこもっているからですね。それで貴族の方々が、何かと助言を賜ろうと訪ねていくらしいですよ」

 「うちの司祭も、凄い人ですよ。ダンジョンに潜った時」

 ヴァルスが、我が事のようにユーニアスを語り始めた。古代遺跡へ潜ってゾンビを退治した話は、大いに場を沸かせた。彼の話には誇張が入っていたが、シャラーラもリズワーンも水を差さなかった。
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