記憶を封じられたエルフ猶予の旅

在江

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第一章 出立

地下探索

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 柱の陰に残った死体は、僅かだった。シャラーラとヴァルスが二、三回力を振るうと、全て片付いた。
 リズワーンは、これまでと違った目で司祭を眺めた。最初に光の矢を放ったのは、彼である。死体にはほとんど効き目がなかった。
 実質、この戦いを制したのは、白髪頭の痩せた司祭であった。

 「意外ですか?」

 司祭がリズワーンの視線に気づき、微笑みかけた。

 「昔、修行先で鍛えられたのです。ここは長い間平和で、使う機会もありませんでした。役に立って幸いです」

 「ユーニアスに助けられた。まだ回復途上に、無理をさせたな」

 「何の。三日も休んだのです。十分ですよ」

 村長が、がばっと立ち上がった。

 「そ、そうだ。アステアを助けねば。ひいいっ、化け物!」

 村長は、誰もいない空間に向かって、腕を振り回した。
 シューッという、何かが噴き出す音が、聞こえていた。これまで、戦闘で気がつかなかった。

 「幻覚剤ですっ。あわわわっ」

 ヴァルスが原因を見極めたと思いきや、自ら犠牲になった。手の振り方が、呪文の動作に見える。
 リズワーンは素早く呪文を唱えた。

 バタバタと倒れる一行。村長、司祭、ヴァルス。シャラーラは、剣をこちらへ向けていた。危ないところであった。
 リズワーンは、自分を除く全員に、睡眠魔法をかけたのであった。その後、自らを幻覚剤から守る防御を施す。

 部屋に噴出したガスが、幻覚を伴う毒であった場合、彼らが死ぬ恐れはあった。それでも彼らを眠らせなければ、リズワーンも含めて全員死ぬところであったのだ。

 リズワーンは自分の判断に疑いを持たなかったが同時に、記憶に何か引っ掛かるのを感じた。
 ガスの噴出が止むまでに、答えは出なかった。


 音が止み、時間を置いたところで、リズワーンは司祭を部屋の出入り口まで移動させた。司祭は途中で目を開けた。

 「ユーニアス、動けそうか?」

 「うう。どうやら薬にやられたようですな。とんでもない遺跡だ」

 「お前も含め、幻覚作用のある毒に侵されている。治せるだろうか」

 「試してみましょう」

 「無理はするな。さっき、強力な魔法を使ったばかりだろう」

 司祭はニコニコと笑った。

 「あれは、神の恩寵です」

 そうして彼は、次々と治療を施した。村長は、幻覚を本当の記憶と取り違えていた。

 「動く死体だけでなく、あの訳のわからない化け物まで倒してしまうなんて、頼もしい」

 「お恥ずかしい。僕は幻覚にすっかりやられてしまいました」

 ヴァルスの謙遜けんそんにも、村長の賞賛は止まらなかった。

 全員回復したところで、再び地図に従って進む。罠の記載がなく、あちこちに罠が仕掛けてあると知った現在、心ははやりつつも、慎重にならざるを得ない。

 それで一同、微かな異音にも反応する癖がついたのだ。と言っても、実際体が動くかどうかは、経験の差が大きかった。

 カシャ、と音がして、最も有効な動きができたのは、シャラーラであった。彼女が身を屈めた上を、数本の矢が交差した。

 「痛っ!」

 避けるのが間に合わなかったのは、ヴァルスである。幸い急所を外していた。その他の者は、もともと罠の範囲から外れていた。

 「毒はなさそうですね」

 司祭が、傷を調べながら、そのまま魔法で治療した。
 リズワーンは、交差した矢の先まで足を踏み込む。突き当たりは壁である。

 「おかしいな。この向こうに、部屋があるのに」

 地図と見比べる村長が、首を傾げる。リズワーンは壁に手を当てる。本物の感触であった。呪文を使っても、見た通りの壁である。そのうち、治療の終わったヴァルスや司祭も、捜索に加わった。

 「これか?」

 シャラーラが指したのは、石の陰に隠されたように刺さる棒であった。一種の開閉装置である。棒を握って動かすと、壁の一面がそのまま脇へ吸い込まれ、奥に部屋が現れた。

 小さな部屋だった。真ん中に石の台が据えてあり、その上に金属製の小箱が載せられていた。

 「これだ。これが」

 村長が、すたすたと小箱へ近づき、どこからか鍵を取り出して小箱へ差し込んだ。カチリ、と鍵の開く音がした。

 「危な」

 ヴァルスが止める間もなく、村長は無造作に蓋を開く。何事も起こらなかった。見守る一同がほっと息をつくのも気づかぬ様子で、村長は中の物を掴み出した。大きな銀色の鍵であった。

 「この鍵で、最後の部屋を開ける。アステア、今行くからな」

 「最後の部屋。それはどこにある?」

 シャラーラが驚いたような声を出す。てっきりこの部屋が到達点だと思っていたのである。それは、リズワーンも同様だった。

 地図を検討する。最後の部屋は、入り口の方向へ半分ほども戻らねばならないことが判明した。それには、矢の飛び交う通路、動く死体に幻覚剤噴霧の部屋も再び通過しなければならない。

 「一旦、ここで休もう」

 リズワーンが言った。

 「だが、もう三日も経っているんだろう? 一刻も早く、あの子を助けないと」

 村長が、鍵を振り回す。司祭が、その腕を押さえた。

 「もちろんだ。でも、リズワーンさんの忠告に従わなかったせいで、今の状況になってしまったことを思い出してくれ。これから私たちは、また罠のある場所を通らなければならない。体力を回復せずに、私たちが罠で命を落としたら、アステアはもっと悲しむだろう」

 村長は、渋々腕を下ろした。
 地下にあって、時間の経過を太陽で知ることはできない。それでも、魔法の持続時間や魔力の回復具合から、ここまでの間にほぼ一日を費やしたであろうことを、リズワーンは知っていた。

 村長の娘が消えてから、五日経過したことになる。
 取引条件を示した紙には、期限が記されていなかった。
 犯人が、聖遺物を手にいれるには時間が必要であると承知して書かなかったか、期限を区切るため書き漏らしたのか。
 村長は娘を案ずる余り、その意味を深く考えないようにしているように見えた。

 いずれにしても、ここで急いだために、聖遺物を取り損ねたり、遺跡から帰れなくなる方が、事態を悪化させることは、村長にも理解できたようだった。

 一行は鍵を見つけた部屋で食事を取り、少しばかり体を休ませた。


 その後、地図に従って、最後の部屋を目指した。元の道を戻る時にも、行きと同じく罠が発動した。

 「凄い仕掛けですね。どうなっているのだろう」

 ヴァルスが感心した。
 動く死体の部屋には、まだ塵屑ちりくずの山が残っていた。ここの守りには、新たな死体の確保が必要なのかもしれなかった。
 一同は幻覚ガスを警戒しつつ部屋へ踏み込んだが、それも放出されなかった。

 「よし。ここの扉を開けるんだ」

 村長が、柱の陰にある扉へ取りついた。石の引き戸で、鍵穴は見当たらない。レバーでもないかと探したが見つからず、力技で押し引きしたら、素直に開いた。

 「ここまで来て、呆気ないな」

 飛び込もうとする村長を制し、シャラーラが先立って部屋へ入った。平らな床には何もない。奥の壁に、扉が見える。地図では、その先に目指すものがある筈だった。
 一歩、二歩、と進んだ足元が、ぐにゃりと歪んだ。続いて入ろうとしたヴァルスが、足を引っ込めた。

 「シャラ!」

 振り向いたシャラーラの姿勢が傾いた。波立つ床が立ち上がり、その姿をすっぽりと覆い隠した。殴り掛かろうとするヴァルスの腕を、リズワーンが掴んだ。

 「触れるな。お前なら、離れて攻撃できるだろう」

 ハッと我に返ったヴァルスが呪文を唱え始めるのを確認し、リズワーンも呪文を唱える。彼の足が床から離れ始めた。

 村長は、腰を抜かしたように司祭の足にすがっている。
 司祭とリズワーンの目が合った。

 「私も加勢しましょうか?」

 「ひとまず待機してくれ」

 ヴァルスが青白い光球を召喚し、シャラーラを包む床にぶつけた。球は砕け散り、立ち上がった床がその部分を歪める。痛みを感じて引っ込めたようにも見えた。
 宙に浮いたリズワーンからは、歪んでできた隙間から、シャラーラの姿が垣間見えた。彼女は狭く囲まれた中で、剣を抜こうともがいていた。

 リズワーンは呪文を唱えた。
 部屋の中に、稲妻が降り注いだ。

 「うわっ」

 悲鳴を上げたのは、村長であった。
 稲妻は部屋中に降り注いだ。その衝撃をまともに喰らったのは、床に擬態していた不定形の生物であった。
 それは、ビクビクと痙攣けいれんした後、崩れ落ちた。中からシャラーラが姿を現した。駆け寄るヴァルスが、足を滑らせる。平らだった床が盛り上がった。
 ぶにょ、と小さく波立つ床を、シャラーラの剣が刺し貫いた。床はずるりと落ち平らに戻った。

 リズワーンは床へ降り立った。床はもう起き上がりはしなかったが、靴を通してもグニュグニュと滑る感覚は不快であった。

 「シャラーラさん、大丈夫ですか」

 声をかけたヴァルスが、彼女に伸ばした手を引っ込めた。

 「心配ない」

 そう言う彼女の鎧には、締め付けられたようなしわができていた。かぶとから覗く顔面にも、火傷したような赤くただれた箇所が見えた。

 「ユーニアス、シャラーラ殿の手当を頼む」

 「はい。ちょっと失礼しますよ」

 司祭はシャラーラの顔に手をかざし、祈りの言葉のような文言を唱えた。彼の手のひらから光が差し、彼女の顔を照らすと、たちまちのうちに傷がえた。

 「ありがとうございました、司祭殿」

 「何のこれしき。鎧の下のお怪我は、どのような具合ですか」

 「こちらは、鎧のお陰で、何ともないようです。痛みはありません」

 シャラーラと司祭のやり取りを、ヴァルスが側で見守っていた。

 「シャラーラさん、そう言う言葉遣いも出来るんだ」

 「何?」

 「あああ、リズワーンさん。この気色悪い床は、一体何だったんでしょうなあ」

 村長が大声で、割って入った。彼は足踏みをして、感触を確かめているようだった。
 彼が足を持ち上げる度に、ねちゃ、くちゃ、と粘着質な音がした。

 「これも古代文明の遺物だろう。時間が経てば復活するかもしれない。急ごう」

 「おお。急がねば。扉も開いたことですし」

 村長の言う通り、奥の扉が口を開けていた。その先には、下へ向かう階段が伸びていた。
 一同は、列になって降りていった。
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