記憶を封じられたエルフ猶予の旅

在江

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第一章 出立

遭難救助

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 「彼らと話ができれば、村長殿の行き先がわかったかもしれないのだが」

 今いる部屋には、入ってきた扉を含め、すべての壁に扉が一つずつ取り付けられていた。

 「片端から探すしか、ないでしょう。まず、入ってきた扉の正面から始めませんか? わかりやすいですから」

 ヴァルスが提案した。シャラーラは返事の代わりに、コボルトを脇の壁へと追いやった。
 犬もどきは、こちらに殺意がないと見切り、素直に従った。彼らの尻に生えた尻尾が、犬のようにブンブンと激しく振られた。

 「リズワーン殿。わたしたちが移動する間、彼らを気絶させてくれ」

 シャラーラが言った。リズワーンは、魔法でコボルトの集団を気絶させた。


 「先ほどは、わざと手を出さなかったのだな」

 扉の向こうには、石畳の通路が続いていた。古びてはいるものの、崩れた箇所も見当たらず、入り口の辺りよりもよほど広い。二人並んで通れるほどである。

 「技量のほどを知りたかった」

 リズワーンは悪びれなかった。シャラーラは胡乱うろんな目を向けただけで、再び先頭に立った。
 通路を進んだ先に、十字路があった。左手を照らすと、行き止まりが見えた。三人は、そのまま直進した。

 杖の先の灯りが、薄ぼんやりと、何かを照らした。シャラーラの歩みが止まる。

 「人が倒れている。多分、死んでいる」

 この距離から見ても、その体は平らに過ぎた。

 「知り合いか?」

 「いや。知らない、と思う」

 リズワーンは答えた。少なくとも、村長や司祭よりもずっと若い男の死体だった。

 「あっ、上っ。上!」

 急に、ヴァルスが叫んだ。振り向くシャラーラの後方を指差しながら、ジリジリと後退りを始める。
 その先の天井に、石畳と異なる巨大な薄茶色の物体が貼り付いていた。その塊の先端からは、先の丸いツノ状のものが二本突き出して、ゆらゆら揺れていた。

 「なめくじ」

 シャラーラが素早く下がって、リズワーンの並びに立った。なめくじの目が、三人の姿を捉えたように、固定された。
 それは、のろのろと、しかし確実に、天井から壁へ降りようとしていた。自重でぽたりと落ちるのも時間の問題であった。その下敷きとなった犠牲者が、あの若者であろう。

 「どうする。この先へ進むのか?」

 シャラーラが尋ねる。その間にも、巨大なめくじは着実に移動していた。這い跡が光球に反射して、キラキラと場違いに光る。

 「別の道を試そう。ひとまず撤退する」

 リズワーンの言葉を合図に、三人は一斉に逃げ出した。十字路まで戻ると、残る一方の道へ入った。
 その行手には、石造りの扉が待ち構えていた。

 その扉は、シャラーラが軽く押しただけで、簡単に開いた。その向こうは、左右に伸びる通路である。

 「どちらへ進みましょうか」

 最後に潜り抜けたヴァルスの背中で、石の扉が勝手に閉まる。ごとり、と重い音がしたかと思うと、辺りの空気が変化した。ヴァルスが振り向いて、声を上げた。

 「消えた!」

 扉は消えていた。初めからそうであったと言わんばかりに、ただの壁が続いている。
 シャラーラが、扉のあった筈の場所に取り付き、押したり引いたり叩いたりしたが、何も起こらなかった。

 「ダメだ。ここからは戻れない」

 三人は、通路を進むことにした。どちらを選んでも同じように見えたことから、まず左方向を選んだ。
 いくらも進まないうちに、壁に突き当たった。先頭に立っていたシャラーラが、踵を返す。

 「待て」

 リズワーンが、彼女の足を止めた。怪訝な顔を見せる彼女の前で、彼は呪文を唱え、壁を叩いてみせた。
 音は出なかった。ほっそりとした拳が、手首ごと壁に呑み込まれた。

 「っ!」

 シャラーラがリズワーンの腕を掴み、壁から引き抜いた。彼の拳は、傷一つなく戻ってきた。
 そして、壁の方にも、めり込んだ跡がない。

 「幻覚魔法ですね。壁があるように見せているだけで、通路が続いているのです」

 ヴァルスが説明した。シャラーラは、リズワーンの腕を離した。

 「怪我がないなら、何より。進もう」

 「‥‥と見せかけて、罠を仕掛けている場合も」

 精霊使いが続けた時には、彼女は幻の壁の向こうへ消えていた。残された二人は、自然と聞き耳を立てた。
 シャラーラの顔が、壁から飛び出した。

 「奥に扉があるようだ。灯りが欲しい」

 二人は彼女の後を追って、壁へ突入した。無事に通り抜けた先には、通路が続く。その先は、石の扉で終わっていた。半分開いた状態である。ここから聞く限り、何かの気配は感じられない。

 「灯りを」

 シャラーラの求めに応じ、リズワーンが杖の先を扉の隙間から差し入れた。覗き込んだ彼女が、低く呻いた。

 「やはり、待ち伏せてはいないようだが、何か妙な気配がする。入ってみよう」

 扉を大きく開き、三人で部屋へ踏み込んだ。

 「これは‥‥」

 シャラーラが息を呑む。魔法の灯りに照らし出された室内には、何かの骨が散らばっていた。
 それよりも、四方の壁に描かれた絵が、異様な雰囲気を醸し出す。シンプルな線で形どられた、人ともつかぬ何かは、躍動感に溢れた動きで、今にも壁から飛び出しそうだ。

 「古代文明において、死後の世界を描いて死者を追悼する風習があった、と聞いたことがあります。言い伝え通り、ここは誰かの墓だったのでしょうね」

 ヴァルスが、リズワーンへ同意を求めるように話しかけた。その彼は、壁画ではなく宙を見据えている。精霊使いの声も、耳に届いていない。
 エルフの尖った耳がぴくぴくと動くのを見て、残る二人も耳を澄ませた。

 「おーい」

 くぐもった声が、微かに届く。
 リズワーンは呪文を唱えた。

 「あそこに」

 ヴァルスが指す先は、入り口とは別の扉であった。リズワーンが近づき、手前で跪いた。

 「助けてくれ」

 床から声が上ってきた。先ほどより大きい。リズワーンが振り向く。

 「ロープを貸してくれ。あれは、村長の声だ」

 ヴァルスが荷物からロープを取り出すと、リズワーンは端をシャラーラに差し出した。
 受け取った彼女は、閉まった扉を前に跪くエルフに、怪訝な顔を向けた。

 「確かに声は聞こえた。だが、このロープをどうするつもりだ?」

 「この下にロープを垂らし、村長を引き上げる。司祭の声がないが、恐らく一緒にいる筈だ」

 「この床も、さっきの壁と同じで、幻覚魔法を使った偽物です。本当は、この扉の前に、穴が空いているんですよ」

 彼女の様子を見てとった、ヴァルスが状況を説明した。シャラーラは、ロープを腰に回して結ぶと、その先を彼の手に置いた。

 「えっ。シャラーラさん?」

 「わたし一人で引き上げるのは、心許ない。お前も手伝え」

 後ろで戦士と精霊使いがやり取りする間に、リズワーンは床下に声をかけて、村長と司祭が二人とも生きていることを確認した。

 意図を説明し、残りのロープを投げ下ろす。床を突き抜けて杖を差し入れると、おお、と歓声が上がった。
 ヴァルスが呪文を唱え、青白い光の玉を出現させた。

 「その床は、魔法で消せないのか?」

 シャラーラが尋ねた。

 「高位の魔術師が施した仕掛けだ。私には解除できない。せいぜい、位置を特定するぐらいだ」

 リズワーンが答える側から、二人の男の声が立ち上る。どうやら、どちらが先に登るかで譲り合っているようだった。
 それもやがて収まり、ロープがずるずると床へ吸い込まれた。

 「引き上げてくださーい」

 ロープがピン、と張られた。シャラーラが、穴と反対方向へじりじりと進む。ヴァルスもロープを掴んで引っ張る。なかなか進まない。リズワーンは呪文を唱え始めた。

 「リズワーンさん。貴方もロープを引いてください」

 ヴァルスが食いしばった歯の間から、声を出した。エルフは杖を床へ置き、ロープに手をかけた。その腕は、先刻幻の壁にめり込んだ時よりも、太く逞しい。

 するすると動き始めたロープの先には、小太りの村長が縛られていた。彼は、穴から顔を出してリズワーンと顔を合わせると、申し訳なさそうに眉を下げた。

 「ああ、リズワーンさんに引っ張り上げてもらうなんて、面目ない」

 その後、再びロープを床下へ垂らして司祭を引き上げた時には、村長の力も加わり、順調に事が進んだ。

 「ユーニアス」

 白髪頭の痩せ枯れた男が、ロープに縋って現れた。


 「本当に、皆さんにはご迷惑をおかけして」

 村長と司祭は、揃って頭を下げた。彼らは、リズワーンが応援を求めに出かけた後、互いの地図を持ち寄って、聖遺物を手に入れた後の事を相談したのだった。そうして話すうちに、一刻も早く娘を取り戻したい村長の気持ちがはやり、二人で遺跡へ向かったのだった。

 彼らはすぐ帰るつもりだったため、地図以外の何の準備もないまま、穴へ落ちたのだった。この三日間、飲まず食わずであった。
 差し当たり状況を把握するため、その場で食事を取ることにしたのである。周囲の不気味な絵画も、空腹の前では無力であった。

 「地図には、罠の記載がなかったのですね。この際だから、書き入れてはどうでしょう」

 ヴァルスが二人の許可を得て、地図を読み解きつつ、幻の壁や床の位置を書き加えた。

 「怪我はないようだな」

 「それはもう、司祭が治癒魔法をかけてくれましたから。ほれ、この通り」

 リズワーンが言うと、村長が得意げに足首を叩いて見せた。穴に落ちた時、足を挫いたらしかった。

 二人が空腹を満たしたところで、地図の案内に従って、先へ進むこととした。地図によれば、村長たちが落ちた穴の向こうにある扉を通らねば、目指す場所へは辿り着けない。
 一行は、慎重に穴を避け、どうにか扉の向こうへ進む事ができた。床の幻影は、そのままである。

 扉の先には、これまでより広い部屋があった。壁だけでなく、左右に柱が数本ずつ据えられている。

 「ええっと。この部屋の左側にある扉を」

 地図と部屋を見比べた村長の言葉が途切れた。彼の視線を辿ると、柱の側に立つ人影に行き着いた。
 その皮膚は水分を失って干からび、ところどころ裂けているせいで、纏った衣服との区別がつかない。

 まばらな頭髪の下、剥き出しの歯と欠けた鼻が、張り付いた皮膚の下で笑っているようにも見えるのが、黒く落ち窪んだ眼窩がんかによって一層恐ろしげな表情となっていた。

 「し、死体が、動いて」

 村長が腰を抜かした。シャラーラが素早く前へ出る。その脇をすり抜けるようにして、光の矢が数本、動く死体に刺さった。
 肉の焦げる嫌な臭いが立ち上る。死体はぐらりと揺れ、一瞬動きを止めただけで、再び前進を始めた。

 シャラーラがさらに前へ踏み込み、一体に斬りかかった。薙ぎ倒すようにして、片付けた。ほとんど二つ折りとなって床に倒れ込んだ死体は、たちまちバラバラに崩れた。
 彼女は休まず、次の死体に向かう。

 ヴァルスが呪文を唱えた。動く死体が一斉に、苦悶の動きを見せた。枯れた喉から漏れる唸り声が大きくなる。
 動きが鈍った死体を、シャラーラが素早く数体切り伏せた。

 「‥‥どうか、彼らに安らかな眠りを与え給え」

 司祭の声が、はっきりと聞こえた。途端に、眩い光が部屋に満ちた。リズワーンが照らす灯りよりも遥かに強いのに、柔らかな温もりを感じさせる光だった。
 その強烈な光に照らされた死体は、一瞬にして崩壊した。

 「おお、ありがたや」

 村長が、手を合わせて拝んだ。
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