記憶を封じられたエルフ猶予の旅

在江

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第一章 出立

秘密契約

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 大地母神の礼拝堂は、村の規模に比べて広く立派であった。通路を挟んで二列に並んだ長椅子の前方には、母なる女神像が正対していた。
 堂内の灯りは最小限に抑えられ、その僅かな光はこの神像を照らすことに使われていた。

 神を祀る祭壇の前に、一人の少年がひざまずき、熱心に祈りを捧げていた。

 「偉大なる大地母神よ。日々我らにその慈愛を与え給うことに、感謝いたします」

 神がゆらりと動いた。違う。神像を照らす炎が揺れたのだった。少年は、頭を上げて振り向いた。イリウであった。

 「お祈りの邪魔をしてしまいました」

 少年の背後から近づいたのは、ヴァルスであった。彼は、並んで跪いた。

 「一緒に祈らせてください。私も、大地母神を信仰する者です」

 イリウの顔が明るくなった。

 「そうでしたか。これも、女神様のお導きでしょう。もし、よろしければ、司祭様と村長さんとアステアさんの無事もお祈りしていただけますか?」

 「もちろんです。二人で共に、彼らの無事なる帰還をお願いしましょう」

 少年と精霊使いは、打ち揃って頭を垂れた。


 「回復魔法も使えるなら、彼も案外役に立つかもしれん」

 リズワーンは振り向いた。シャラーラの姿があった。彼女もまた、彼と同じようにイリウとヴァルスの姿を見守っていたのである。彼は二人の会話に聞き耳を立てており、彼女の気配に気づかなかった。
 彼女の招きに従って、彼は礼拝堂を離れた。

 シャラーラが足を止めたのは、先ほど四人と一羽で食卓を囲んだ部屋である。礼拝堂からは十分に離れており、夜の静かな時間でも、互いに話し声の聞こえない位置にあった。

 「つらつら考えてみるに、貴方が銀貨百枚を用意するのは、無理ではないか。違うか?」

 リズワーンは頷いた。彼女は別件で村を訪れた、と言っていた。その用を足す間もないうちに、高額な報酬を条件に仕事を引き受けようとした。
 いずれ、未払いを理由に何か要求することは予想できた。誘拐された娘の救出など、二の次なのだ。

 「代案を出そう。銀貨百枚の代わりに、依頼を受ける報酬として、リズワーン殿の身柄を預かりたい」

 「それは、どういう意味か」

 彼は、シャラーラの交換条件が呑み込めず、聞き返した。

 「わたしの故郷まで、付き添って旅をして欲しい。路銀はこちらで支払う。ただし、費用を稼ぐために途中で仕事を請け負うこともある。その際は、協力してもらう。そうだ。そのフクロウも必要だ」

 カーフは、先ほどからリズワーンの肩に乗ったままであった。夜なのに、目を閉じている。

 「つまり、シャラーラ殿に奉公すると考えれば良いのか?」

 「そ、うだな。道々わたしの指示に従ってもらうためにも、そう考えた方が都合が良い。厳密には、主従関係ではなく、私がリーダーと言ったところだろうか」

 これまで強気で押してきた彼女が、彼を下僕として扱うことに躊躇ためらいを見せたのは、リズワーンに意外であった。
 彼は、それで提案を受け入れる気になった。もっとも、彼女をこの仕事に引き込むためには、彼に選択の余地などなかったのである。

 「承知した。ただ、出立の際、他の者に対しては、この契約を伏せて欲しい。私が自発的に村を出ると彼らに思わせたい」

 彼はこれまで世話になった人々に、負担をかけたくなかった。シャラーラは頷いた。

 「その方が、私にも都合が良い。では、先の依頼を引き受けよう。遺跡へ潜って、聖遺物とやらを持ち帰れば良いのだな?」

 「一応の目的は、そうなる。もし、途中で村長や司祭を発見した時には、彼らの状態に応じて、連れ帰ることも想定して欲しい」

 「死んでいたら、とりあえず娘の救出が先ということで良いか?」

 「そういうことだ」

 話がまとまり、彼らは部屋を出て別れた。リズワーンが礼拝堂の様子を窺うと、イリウとヴァルスが先ほどと同じ姿勢で祈りを捧げていた。


 翌朝、リズワーンはシャラーラとヴァルスを連れて、神殿を出発した。

 「僕も一緒に行ったら、いけませんか?」

 イリウは見送りの時まで、何度も一緒に行きたいと訴えた。

 「誰かが神殿に残らねば、村長の娘を誘拐した犯人からの連絡を受け取る者がいなくなる。そのせいで彼女が殺されたら、どうするのだ?」

 遺跡の危険を説いても響かず、遂にシャラーラが最悪の事態を示唆して、ようやく諦めさせた。

 「カーフの世話を頼む」

 薬が効きすぎて涙目となった少年に、リズワーンは慰めるように言った。フクロウは、少年の頭の上で、頑固に目を閉じていた。

 「リズワーン様、皆様。どうか神のご加護がありますように」

 神殿から遺跡のある裏山までは、さほどの距離でもない。昼より前に入口へ到達し、一旦足を止めて休むことにした。

 遺跡の周辺は、草が伸び放題であった。それでも入り口が知れるのは、その辺りの草が乱雑に踏みしだかれており、奥に暗い穴がぽっかりと見えるからであった。

 その脇には、元は祭壇と思しき石積みが、草の間から見え隠れする。地上にもほこらのような小さな建築物が、まだ形を残していた。
 そこには定期的に参拝をする者でもあるのか、食べ物の残骸と思しき欠片かけらが散らばっていた。

 「こうして見ると、長い年月の間に埋もれたというよりも、元から地下迷宮だったみたいですね」

 ヴァルスが慎重に奥を覗き込んで、感想を述べた。

 「そのようだ。司祭から、罠の仕掛けがある、と聞いた気がする。昔の権力者の墓かもしれない」

 その遺跡は、入り口から崩れて狭くなっていた。

 「大丈夫ですかね。中へ入っている最中に崩壊したら、生き埋めですよ」

 「そうなったら、どうせ終わりだ。怖いなら、最後尾につけば良い」

 「ええ、ええ、そうします。僕は精霊使い。後衛からの援護が得意なんです」

 三人並んで進めるような広さはない。シャラーラ、リズワーン、ヴァルスの順番で、遺跡へ踏み込んだ。中は、真っ暗である。

 リズワーンが魔法で灯りを点けた。照らし出された石壁は、表から想像されるよりもきっちりと積み上がり、奥へと続いていた。
 足元から伸びる通路は、ゆるやかな下り坂である。彼らは灯りを頼りに前へ進んだ。

 通路の突き当たりに扉があった。石で出来ており、半分開いた状態である。

 「生き物がいる」

 シャラーラが言った。リズワーンの耳にも、せわしない犬のような呼吸音が聞き取れた。

 「村長やアステアではない」

 「では、やってしまって良いということか」

 シャラーラが構えた剣を先にして、慎重に扉を回り込んだ。リズワーンが、杖の先につけた光球を中へ差し込む。
 何の反応もない。石畳の床ばかりが照らし出された。

 「部屋の中を明るくします」

 ヴァルスが呪文を唱え出した。リズワーンが杖を引っ込めると同時に、青白い光の塊が空中に出現し、部屋へ吸い込まれた。
 犬の悲鳴に似た声が、聞こえてきた。
 シャラーラが扉の隙間から中へ入った。リズワーンも続く。

 人に似た形の物が、襲いかかってきた。シャラーラが一撃でぎ倒す。
 続こうとした人影が、ぴたりと動きを止めた。
 先頭の一体が倒されたのをみて、早くも戦意を失ったらしい。

 一体が剣を投げ捨てると、次々手持ちの武器を捨て出した。たちまち武器が積み重なる。
 シャラーラは、それらを足で部屋の隅へ押しやった。シャカシャカ、と安っぽい音がした。

 青白い光が生き物のように飛び回る中、照らされた彼らの顔は、犬に似ていた。
 くうん、くうん、と哀れっぽく鳴く様も、犬めいている。
 彼らは仲間の死体を前に、ただ右往左往するのだった。

 「彼らの言葉を知っているか?」

 剣を前へ突き出したまま、シャラーラが二人へ問いかけた。

 「コボルト語は知らない」

 「僕も」

 コボルトと称された犬もどきの方も、人間の言葉は喋れないようだ。頭は犬に似ているが、その他は人間と同じ姿である。
 襲わなければ殺されない、と解釈したのか、落ち着きを取り戻しつつあった。
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