記憶を封じられたエルフ猶予の旅

在江

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第一章 出立

神殿少年

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 エルフの彼が案内した先は、大地母神の神殿だった。
 一般に、エルフは神を信仰しない、と信じられている。その理由を、エルフ自身が神に近い存在であるから、と説くのは人間であって、エルフではない。

 「失礼ながら、貴方は僧職に就いていらっしゃる?」

 ここへ来て初めて、精霊使いが遠慮がちな態度を示した。彼は苦笑した。

 「先ほども言った通り、私は居候に過ぎない」

 人声を聞きつけて、奥から少年が駆け出してきた。彼は、戦士と精霊使いを見ると、パッと表情を明るくした。

 「お帰りなさい。応援の人たちを、迎えに行ってくださったのですね。良かった」

 少年が話しかける後ろから、フクロウが飛んできた。フクロウは真っ直ぐに少年の頭へと降り立った。
 戦士が目庇まびさしを跳ね上げた。目が鋭い光を放つ。

 「お前が、リズワーンか?」

 「リズワーンは、私だ」

 エルフが答えた。戦士の厳しい目が、彼に向けられた。

 「わたしはシャラーラ。この名に聞き覚えは?」

 リズワーンの表情は動かない。

 「いや、ない」

 シャラーラはかぶとを脱いだ。隠されていた、豊かな髪が流れ出した。少年と精霊使いが目を丸くする。

 「この顔に見覚えも?」

 「‥‥ないな」

 エルフは慎重に戦士の顔を観察した後、同じ答えを返した。その表情には戸惑いがある。

 「では、ラト」

 「ねえねえ。君、女性だったの?」

 精霊使いが、更なる問いを遮った。戦士は苛立ちもあらわに彼を睨む。

 「だったら、何だ?」

 「レディに対し、これまでの失礼をお許しください。僕はヴァルス。ご承知の通り、精霊使いです。よろしく」

 「う」

 シャラーラは口籠くちごもり、フクロウを頭に止まらせた少年の方へ体を向けた。

 「君の名は?」

 「イリウです。このフクロウはカーフです。リズワーンさんが飼っているのですが、聞き分けの良い子で、お留守番もできるんですよ。お二方には、とても期待しています」

 イリウは素直に答えた。歓迎の気持ちが表情に溢れていた。

 「知っている」

 シャラーラの言葉に合わせて、カーフが少年の頭から飛び立ち、リズワーンの肩へ移動した。

 「イリウ。二人をここへ泊めても良いだろうか」

 「当たり前です。シャラーラさん、ヴァルスさん、お腹空いたでしょう。僕、急いで食べる物を用意します。リズワーンさんは、お二人を部屋へ案内してください。空き部屋ならどこでも使えます」

 「わかった」

 イリウは一同に笑顔で頷いてみせると、きびすを返し、奥へ駆け去った。
 この純真な少年に対して、リズワーンだけでなくシャラーラも、彼女が彼の期待した相手ではない、と告げることはできなかった。

 「彼が、この神殿の主なんですか? それにしても若すぎる気が」

 「違う。だが、今は彼が主のようなものだ。まず、あなた方の部屋を探そう」

 リズワーンは残った二人を引き連れて、神殿に併設された居住区へ向かった。程なく彼は、シャラーラとヴァルスに、それぞれ寝室を割り当てることができた。


 「取り急ぎ用意したので、簡単な品になってしまいましたが、せめてお腹いっぱいになるまで、お召し上がりください。お代わりもありますよ」

 テーブルの上には、堅焼きのパン、干した果物、干し肉、干し魚、炒り豆、と乾燥した食べ物が並べられていた。それに水差しの水である。
 同じテーブルの端にはフクロウが鎮座し、何かを啄んでいた。

 一同は、黙々と食事を進めた。
 森の中でも言っていたように、シャラーラとヴァルスは一日旅をした後で、倒れそうなくらい空腹だったのだ。

 彼女は遠慮しつつ、噛み締めるように、ヴァルスは食欲の赴くままに次々と皿へ手を伸ばし、結果二人で大半の皿を空にした。

 「『白いカラス亭』で伺った話では」

 ヴァルスが依頼の話を持ち出したのは、空腹があらかた満たされたからである。

 「急ぎで人助けのために、応援を頼みたい。力強い、戦士系の者を求めるということでした。詳しい話は現地で説明があると聞いて、とりあえず引き受けたのです。僕も精霊魔法では、それなりの戦力になると思いますよ。ひとまず、お話を聞かせてもらえませんか?」

 食事の音が止むと、それまで何となしに賑やかだった食卓が、急にしん、と重く静まり返った。
 シャラーラが、椅子を引く。

 「外聞を憚る話ならば、私は席を外そう」

 「えっ。何でですか?」

 イリウが慌ててリズワーンを見る。リズワーンは、軽く手を上げた。

 「いや。シャラーラ殿にも聞いてもらって構わない」

 シャラーラが座り直すのを待って、彼は話し始めた。

 「四日前になる。村長の娘が薬草摘みに出たまま、一晩戻らなかった。暗くなってから村中で手分けして探したのだが、見つからない。翌朝、村長の扉に紙が差し入れられていた」

 「聖遺物と引き換えに、アステアさんを返してくれるそうです」

 イリウが口を挟んだ。

 「聖遺物」

 ヴァルスがおうむ返しする。彼の目が、燭台の光を反射してきらりと光った。

 「裏山の中腹に、古代遺跡と思しき建造物が、半ば埋もれている。過去に探査されて、地図が作られた。その際、村の危機に備えて何かを隠したらしい。それを、聖遺物と呼んでいる。村長と、ここの主とが地図を半分ずつ保管する決まりになっている」

 「地図があるのなら、聖遺物を取って交換するか、彼女を見捨てるか決めれば済む。部外者に助力を求める必要はないのでは?」

 リズワーンの説明に、シャラーラが返した。

 「そのつもりで村長さんと司祭様が遺跡へ出かけたんですけど、戻らないんです」

 イリウの声が湿り気を帯びた。

 「私は、彼らだけで行くことに反対した。それで、冒険者に依頼しようと出かけたら、留守の間に勝手に遺跡へ潜ってしまったらしい。今日で三日になる。『白いカラス亭』に着いた時には、冒険者がおらず、亭主に依頼だけ伝えて戻った」

 「僕たちも、自力で遺跡へ入ろうとしたんです。でも、小さい頃からあそこへ近づかないよう言い聞かされて育った人ばかりで、一緒に入ってくれる人がいなくて。アステアさんも見つからないし、犯人からの連絡もないし、地図を持った村長さんや司祭様まで消えてしまって、僕はもう‥‥」

 「事情は理解した。ちなみに、報酬は?」

 少年が泣き出しそうになったところを、シャラーラが現実的な話で遮った。流れを断ち切られた少年は、驚いて泣かずにしまった。

 「銀貨二十枚でした」

 答えたのは、ヴァルスだった。シャラーラの冷ややかな目が、彼に向かう。

 「二十枚、でした?」

 「あちこち借りがありまして。お陰で全部精算できました」

 ヴァルスは、照れつつも晴れやかに言い放った。シャラーラの目は、リズワーンへと移動した。
 エルフは首を振った。

 「では、彼が依頼をこなすしかない」

 「もちろん、ヴァルス殿にも協力してもらう。だが、シャラーラ殿にも助力を頼みたい」

 シャラーラは、しばし無言でいた。それから、徐に口を開く。

 「私に仕事を依頼したいなら、銀貨百枚は必要だ。仕事を始める前に、少なくとも半金は欲しい。今晩の食事と宿を提供してもらったことには、感謝する。明朝に結論を聞かせてくれ。では、先に失礼する」

 彼女は立ち上がり、部屋を出ていった。その場の誰も、彼女を引き止めなかった。フクロウも、大人しく見送るだけだった。

 「僕も、そろそろ休ませてもらいますね。仕事、明日からですよね。お互い、頑張りましょう」

 シャラーラの姿が見えなくなると、ヴァルスが我に返ったように席を立った。
 後には、リズワーンとイリウとフクロウが残された。

 「銀貨は、あれで全部でした」

 「知っている」

 リズワーンは、空の皿を片付け始めた。

 「僕、てっきりお二人で来てくださったものだと思っていました。ヴァルスさんが来てくださったのは、もちろん嬉しいのですが、シャラーラさんも加わってくださった方が、安心ですよね。でも、百枚なんて、とても」

 「お前の心配することではない。それより、片付けてもらえないか」

 「は、はい」

 イリウが、ガタガタと椅子を引いて席を立つ。フクロウが音もなく飛び立ち、少年の頭に乗った。
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