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懺悔1
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部屋へ入るなり、オミは顔を顰めた。
「煙草臭いぞ。禁煙したんじゃなかったのか」
「しているよ。昨日から」
キヨカは平気な顔で、オミの持つ一升瓶を受け取り、卓上で包みを解いた。
彼女はオミの部下ではあるが、年上ということもあり、仕事を離れたところでは、友人のような関係を保っていた。
キヨカが住むのは、擬洋風建築の家である。
床には輸入物の絨毯が敷かれている。今、彼女が瓶を置いたのも、脚の長い椅子と意匠を同じくした、丸テーブルであった。
「いいね。いつも、珍しい物を飲ませてくれる」
「煙草の匂いは、染み付いてとれない。特に酒と一緒にやると、強くなる。キリ様は孕られてから、匂いに敏感なんだ」
オミは立ったまま、帰ろうかどうか、迷う様子を見せた。キヨカは、窓を開けた。すうっと風が入り込む。新鮮な空気であった。キヨカの長いスカートが、風を孕んで靡く。
教師のような格好をしている。実際彼女は、しばらく前まで、帝都で女学校の教師を務めていた。
「心配ない。通いの婆やには、休みを取らせた。煙草も、キリさんが産むまでには止めるよ。こっちの女学校は、厳しそうだからね」
彼女の言葉を聞いて、ようやくオミは、腰を下ろした。すかさずキヨカが、コップとつまみを用意した。
数時間後。オミはぐだぐだになって、テーブルに突っ伏していた。彼の持参した一升瓶は空になり、床に置かれている。テーブルの上には、新たな一升瓶が封を切られ、八割方飲み干されていた。
キヨカは、ちびちびとグラスに口をつけては、オミの口元へ耳を寄せる。
「うん、それで?」
「キリ様が、むにゃむにゃ‥‥」
オミは、キヨカに問われる度、懸命に話を続ける。酩酊して、半ば意識が飛んでいる。
「うん、いいね」
キヨカは席を立ち、窓辺から外を一通り眺めた。敷地内にはもちろんのこと、通りすがりの者も、近所からこちらを窺う者も、いなかった。
キヨカは窓を閉め、再びオミの側へ腰掛けた。
高校の先輩に連れ出された遊郭で、オミは初めて娼妓を抱いた。
実家にいた頃、目の前でするところを見学したことはあるが、見ると実際にするとは、大違いであった。
「あら、坊や。強いのねえ」
夢中になって二度三度と、噴き出す欲望のままに、むしゃぶりついたオミを、敵娼は喜んで迎え入れた。自分でも驚くほど、出しても出しても性欲が止まらなかった。
ほぼ夜通し娼妓を抱き潰し、さすがの玄人も腰を押さえながら見送りに出る。一緒に来た先輩も、刻限により帰されるところだった。
「おう。随分いいのに当たったらしいな。こっちも当てられたぜ。なあ、キリ」
オミは、はっとして、その娼妓を見た。
まだ、若い女だった。朝の光に、崩れた化粧が痛々しく見える。オミの知るキリとは、天と地ほども違う。
家同士の関係で、オミは、キリという娘に仕えていた。良家のお嬢様である。娼妓などと比べるも烏滸がましい。
しかし、次の休日、オミは一人で店を訪れ、キリを買った。
キリは、オミを覚えていなかった。客としては、初対面である。
酒を差されながら、身の上を聞いた。
まず、同じ読みでも、充てる漢字が異なった。こちらのキリは、樹木の桐と書いてそのまま読んだ。よくある名付けである。
常陸国辺りから、年季奉公で買われてきた、と言う。故郷には弟や妹が五人もいる。
遊里で聞く身の上話などは、御涙頂戴で、金を引き出す方便と決まったものだ。
キリの話も、どこまで本当か知れたものではない。
ただ、こうした話に付きものの泣き真似もせず、淡々と話す様子は、却って本当らしくオミには思えた。また、若いのに達観した様子が、お仕えするお嬢様を連想させた。
オミは、その後、キリを抱いた。
「キリ、キリ」
気を抜くと、娼妓に様をつけてしまいそうになる。
こちらは客だ。様付けで呼ぶくらい、頼むまでもなく承知してくれるだろう。しかし、オミは、己が主に抱く劣情を、娼妓相手にも知られたくなかった。
それに、別人相手でも、主の名を呼び捨てにする快感が得られるのだ。
「オミ様っ」
キリは、妓女の割には、床の技に物慣れない風であった。若い所以で、そのように振る舞うよう、抱え主から指導を受けているのかもしれない。
そのように初々しさを思わせる絡みの最中に、様付けで呼ばれると、オミは一層興奮するのであった。
オミは、休みの度に、キリを買いに行った。
この頃お嬢様は、寮住まいであった。休日に都見物とて外出する女学生も多い中、真面目に勉強に打ち込む主に、オミの出番はなかった。
婿漁りに遊び歩かないことも、勉学に励む主も、オミには好ましかったが、その結果会うこともないのは、寂しかった。
おまけに、主は筆無精で、オミがいくら手紙を書いても、返事を寄越さないのであった。
かくして、オミの遊里通いは、続くのである。
「おお、キリ」
娼妓のキリは、結い髪を崩されるのを嫌う。オミは客の一人に過ぎない。オミも、キリに入れ込んでいても、落籍せようとまでは考えない。
互いに、割り切った関係であった。筈であった。
「オミ様」
床を済ませた後の、気だるい間に、キリはオミに甘えかかる。
「キリは、オミ様が一番好き。嫌なことをしないから」
「そうか」
話半分に聞きつつ、細い肩から背中を撫で回す。
「どなたか、想う方がおられるのね。知っているのだから」
初回、遊里を紹介した先輩の名を挙げた。キリは、彼をも馴染みに陥落していた。
どきりとした心のうちを表さないよう気を配りつつ、キリを見た。娼妓は、いつの間にか一人前の女になっていた。上目遣いに、嫉み心が感じられる。
「オミ様は、どんなお嬢様に言い寄られても、決して靡かないとか。わたしを抱く時も、他の方を想っている。そういうこと、わかるのよ」
柔らかい乳房を押し付ける。立った乳首が、肌の薄い部分に当たり、オミを刺激する。
「きっと、一緒になれない事情があるのね。わたしは、もうすぐ年季が明ける。わたしなら、オミ様の物になることもできるわ」
唇をつけられた。ねっとりと、舌を絡ませてくる。手は抜かりなく、男のモノを弄っていた。すっかり床上手である。オミは、体が否応なく感じるのに反比例して、気持ちがすうっと冷めていくのを自覚した。
しかしながら、既にそそり立ってしまったモノを鎮めるために、これを限りと娼妓を抱いた。
ちょうど、遊里通いが祟って、手元が覚束なくなってきていた。
軍資金が、底を突きかけていたのだ。
主のキリも、一生寮に閉じこもる訳ではない。本命に呼ばれた際、駆けつけられねば、オミの立場がない。
潮時だった。
オミが、ハッと顔を上げると、キヨカがグラスを飲み干したところだった。
一升の空瓶が二本、床に置かれ、テーブルの上には、半分ばかり空いた一升瓶があった。
「キヨカ。俺は、どのくらい寝ていた」
「寝ていたのは、せいぜい一時間ぐらいだと思うよ」
「起こしてくれれば、よかったのに」
「起こしたよ」
キヨカは、にんまり笑った。オミの顔に不安が過ぎる。
「昔の夢を見たのだが‥‥何か、寝言を聞いたか」
「キリさんの名前を呼んでいた」
オミの顔が赤くなる。キヨカは、声を上げて笑った。
「ははっ。オミがキリさんを心配するのは、いつものことじゃないか。それより、そろそろ帰らないと、お迎えに間に合わないだろう」
キヨカの言に、オミが慌てて立ち上がる。息は酒臭いが、立ち居振る舞いはしっかりしていた。
「参ったな。酒が残っている」
「歩いているうちに、抜けるさ」
「そうだな。邪魔をした」
「いいや。またおいで」
急ぎ立ち去るオミを、キヨカは温かく見送った。
「また、面白い話を聞かせてもらうよ」
口の中の呟きを、オミは聞きとれなかった。
「煙草臭いぞ。禁煙したんじゃなかったのか」
「しているよ。昨日から」
キヨカは平気な顔で、オミの持つ一升瓶を受け取り、卓上で包みを解いた。
彼女はオミの部下ではあるが、年上ということもあり、仕事を離れたところでは、友人のような関係を保っていた。
キヨカが住むのは、擬洋風建築の家である。
床には輸入物の絨毯が敷かれている。今、彼女が瓶を置いたのも、脚の長い椅子と意匠を同じくした、丸テーブルであった。
「いいね。いつも、珍しい物を飲ませてくれる」
「煙草の匂いは、染み付いてとれない。特に酒と一緒にやると、強くなる。キリ様は孕られてから、匂いに敏感なんだ」
オミは立ったまま、帰ろうかどうか、迷う様子を見せた。キヨカは、窓を開けた。すうっと風が入り込む。新鮮な空気であった。キヨカの長いスカートが、風を孕んで靡く。
教師のような格好をしている。実際彼女は、しばらく前まで、帝都で女学校の教師を務めていた。
「心配ない。通いの婆やには、休みを取らせた。煙草も、キリさんが産むまでには止めるよ。こっちの女学校は、厳しそうだからね」
彼女の言葉を聞いて、ようやくオミは、腰を下ろした。すかさずキヨカが、コップとつまみを用意した。
数時間後。オミはぐだぐだになって、テーブルに突っ伏していた。彼の持参した一升瓶は空になり、床に置かれている。テーブルの上には、新たな一升瓶が封を切られ、八割方飲み干されていた。
キヨカは、ちびちびとグラスに口をつけては、オミの口元へ耳を寄せる。
「うん、それで?」
「キリ様が、むにゃむにゃ‥‥」
オミは、キヨカに問われる度、懸命に話を続ける。酩酊して、半ば意識が飛んでいる。
「うん、いいね」
キヨカは席を立ち、窓辺から外を一通り眺めた。敷地内にはもちろんのこと、通りすがりの者も、近所からこちらを窺う者も、いなかった。
キヨカは窓を閉め、再びオミの側へ腰掛けた。
高校の先輩に連れ出された遊郭で、オミは初めて娼妓を抱いた。
実家にいた頃、目の前でするところを見学したことはあるが、見ると実際にするとは、大違いであった。
「あら、坊や。強いのねえ」
夢中になって二度三度と、噴き出す欲望のままに、むしゃぶりついたオミを、敵娼は喜んで迎え入れた。自分でも驚くほど、出しても出しても性欲が止まらなかった。
ほぼ夜通し娼妓を抱き潰し、さすがの玄人も腰を押さえながら見送りに出る。一緒に来た先輩も、刻限により帰されるところだった。
「おう。随分いいのに当たったらしいな。こっちも当てられたぜ。なあ、キリ」
オミは、はっとして、その娼妓を見た。
まだ、若い女だった。朝の光に、崩れた化粧が痛々しく見える。オミの知るキリとは、天と地ほども違う。
家同士の関係で、オミは、キリという娘に仕えていた。良家のお嬢様である。娼妓などと比べるも烏滸がましい。
しかし、次の休日、オミは一人で店を訪れ、キリを買った。
キリは、オミを覚えていなかった。客としては、初対面である。
酒を差されながら、身の上を聞いた。
まず、同じ読みでも、充てる漢字が異なった。こちらのキリは、樹木の桐と書いてそのまま読んだ。よくある名付けである。
常陸国辺りから、年季奉公で買われてきた、と言う。故郷には弟や妹が五人もいる。
遊里で聞く身の上話などは、御涙頂戴で、金を引き出す方便と決まったものだ。
キリの話も、どこまで本当か知れたものではない。
ただ、こうした話に付きものの泣き真似もせず、淡々と話す様子は、却って本当らしくオミには思えた。また、若いのに達観した様子が、お仕えするお嬢様を連想させた。
オミは、その後、キリを抱いた。
「キリ、キリ」
気を抜くと、娼妓に様をつけてしまいそうになる。
こちらは客だ。様付けで呼ぶくらい、頼むまでもなく承知してくれるだろう。しかし、オミは、己が主に抱く劣情を、娼妓相手にも知られたくなかった。
それに、別人相手でも、主の名を呼び捨てにする快感が得られるのだ。
「オミ様っ」
キリは、妓女の割には、床の技に物慣れない風であった。若い所以で、そのように振る舞うよう、抱え主から指導を受けているのかもしれない。
そのように初々しさを思わせる絡みの最中に、様付けで呼ばれると、オミは一層興奮するのであった。
オミは、休みの度に、キリを買いに行った。
この頃お嬢様は、寮住まいであった。休日に都見物とて外出する女学生も多い中、真面目に勉強に打ち込む主に、オミの出番はなかった。
婿漁りに遊び歩かないことも、勉学に励む主も、オミには好ましかったが、その結果会うこともないのは、寂しかった。
おまけに、主は筆無精で、オミがいくら手紙を書いても、返事を寄越さないのであった。
かくして、オミの遊里通いは、続くのである。
「おお、キリ」
娼妓のキリは、結い髪を崩されるのを嫌う。オミは客の一人に過ぎない。オミも、キリに入れ込んでいても、落籍せようとまでは考えない。
互いに、割り切った関係であった。筈であった。
「オミ様」
床を済ませた後の、気だるい間に、キリはオミに甘えかかる。
「キリは、オミ様が一番好き。嫌なことをしないから」
「そうか」
話半分に聞きつつ、細い肩から背中を撫で回す。
「どなたか、想う方がおられるのね。知っているのだから」
初回、遊里を紹介した先輩の名を挙げた。キリは、彼をも馴染みに陥落していた。
どきりとした心のうちを表さないよう気を配りつつ、キリを見た。娼妓は、いつの間にか一人前の女になっていた。上目遣いに、嫉み心が感じられる。
「オミ様は、どんなお嬢様に言い寄られても、決して靡かないとか。わたしを抱く時も、他の方を想っている。そういうこと、わかるのよ」
柔らかい乳房を押し付ける。立った乳首が、肌の薄い部分に当たり、オミを刺激する。
「きっと、一緒になれない事情があるのね。わたしは、もうすぐ年季が明ける。わたしなら、オミ様の物になることもできるわ」
唇をつけられた。ねっとりと、舌を絡ませてくる。手は抜かりなく、男のモノを弄っていた。すっかり床上手である。オミは、体が否応なく感じるのに反比例して、気持ちがすうっと冷めていくのを自覚した。
しかしながら、既にそそり立ってしまったモノを鎮めるために、これを限りと娼妓を抱いた。
ちょうど、遊里通いが祟って、手元が覚束なくなってきていた。
軍資金が、底を突きかけていたのだ。
主のキリも、一生寮に閉じこもる訳ではない。本命に呼ばれた際、駆けつけられねば、オミの立場がない。
潮時だった。
オミが、ハッと顔を上げると、キヨカがグラスを飲み干したところだった。
一升の空瓶が二本、床に置かれ、テーブルの上には、半分ばかり空いた一升瓶があった。
「キヨカ。俺は、どのくらい寝ていた」
「寝ていたのは、せいぜい一時間ぐらいだと思うよ」
「起こしてくれれば、よかったのに」
「起こしたよ」
キヨカは、にんまり笑った。オミの顔に不安が過ぎる。
「昔の夢を見たのだが‥‥何か、寝言を聞いたか」
「キリさんの名前を呼んでいた」
オミの顔が赤くなる。キヨカは、声を上げて笑った。
「ははっ。オミがキリさんを心配するのは、いつものことじゃないか。それより、そろそろ帰らないと、お迎えに間に合わないだろう」
キヨカの言に、オミが慌てて立ち上がる。息は酒臭いが、立ち居振る舞いはしっかりしていた。
「参ったな。酒が残っている」
「歩いているうちに、抜けるさ」
「そうだな。邪魔をした」
「いいや。またおいで」
急ぎ立ち去るオミを、キヨカは温かく見送った。
「また、面白い話を聞かせてもらうよ」
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