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第三章 卒業生

20 攻略本とは

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 「リュシアン。フロランス様」

 隣の部屋にいたのはクロヴィスだけではなかった。書記役として副委員長もいたけれど、それとは別に、懐かしい二人の姿があった。

 「クロヴィス委員長、あのお二人は?」

 「一応、前委員長と前々委員長だからね。今日だけ立ち合わせてもらったの。貴女の元気な顔を見られて安心したわ。堅苦しい挨拶は抜きで。時間も遅いし」

 フロランスが答えた。クロヴィスはかろうじて威儀いぎを保っているけれども疲れが隠せず、書記の方は、そのうち居眠りしそうである。

 室内に居合わせた誰一人、私がぶら下げた即席ブラックジャックを気にかけない。理由はそれぞれだろうが、そのことに気付いて、私の緊張が少しばかりほぐれた。

 リュシアンともフロランスとも、積もる話はある。しかし今は、仕事が先だ。

 「では、失礼します」

 クロヴィスと向かい合う。机の上に、見覚えのある本が置いてあった。『乙女の学園恋物語』。
 吸い寄せられて、釘付けになる。彼の手が、本をこちらへ押し出してきた。

 「今回の件を解決するのに、大変有用だった。長い間、預からせてもらったが、お返しする。ありがとう」
 「重要な証拠品なのでは?」

 「物証は他にもある。秘密の暴露ばくろを含む自白も取れている。心配ない」
 「では、受け取ります」

 手に取って、習慣でぱらぱらめくってみる。
 んん? 初めの方に、やたら書き込みがある。

 「ああ。それを書いたのは、ノアイユくんだそうだ。取り返すのが間に合わなくて、済まなかった」

 エマニュエル。語学苦手だからといって、人の本に書き込むのは非道だろう。しかも、翻訳が間違っている。
 アメリが、この本を返すつもりがないことを知っていた、とも受け取れる。

 私の彼に対する好感度は、一気に下がった。私は、前世今世を通して、問題集にも書き込まない派である。


 それから、聴取を受けた。
 私自身の行動と、アメリに関して気付いたこと。
 シャルル王子、ディディエ、クレマン先生、エドモン先生、アラン=クールランド、モーリス=デマレ、ユベール=カロンヌの動静についてまで、聞かれた。

 エドモン先生はいたかどうか気付かないし、ユベールとやらは顔も覚えていない。確か、エマニュエルの親友だとか聞いた。
 ステファノ司祭についてまで聞かれて、はたと思いつく。エマニュエルの攻略対象か。推定BLゲーム。よみがえる鮮烈な記憶。

 「代表委員長?」
 「は、はい。司祭様が、会場へいらしていたのですか?」

 クロヴィスに問われ、慌てて問い返した。下手な誤魔化ごまかし方だった。

 「うむ。普段、あのような行事の折は礼拝堂へこもっておられるのに、今夜は見かけた、と言う話を偶々たまたま聞いて、な。一応確認してみたのだが‥‥何か知っていることがあったら、吐いた方がいいぞ」

 「容疑者のような扱いですね」
 「そんなつもりはない。むしろ、被害者と思っている」

 性的指向の暴露ばくろは、プライバシーの侵害だ。
 この世界にはプライバシーの概念がなく、同性愛は忌避きひすべき、という常識が設定されている。

 私は視線を部屋へ彷徨さまよわせた。クロヴィスはもちろん、リュシアンとフロランスは秘密を守ってくれるだろう。

 問題は、この書記だ。彼のことは、今年同じクラスになっただけで、あまりよくわからない。更に、これから私が喋ったことを、逐一ちくいち記録されるのだ。

 あれが、エマニュエルとステファノ司祭の相思相愛の営みだったらと思うと、人の口に立つことはしたくない。
 しかし、エマニュエルは明らかにアメリをしたっていた。
 無理矢理か。それはそれで、人に知られたくないだろう。

 「事件と直接関わりのないことですし、後ほど風紀委員長にのみ、お話ししたく思います」

 あれを第三者に説明する、と考えただけで、冷や汗が出る。だが、クロヴィスの有能さからは逃れられない。

 「関わりがないかどうかは、こちらが決めること。しかし、事情がありそうだ。よかろう」

 意外とあっさり引き下がった。聴取を一通り終えた後、書記が先に帰された。生徒会長室へ続くドアとは、別の出入り口だ。

 「では、私達もおいとまするわ。卒業したら、またゆっくりお話ししましょうね」

 リュシアンとフロランスは、シャルル王子に挨拶するとて、私が入ってきた方のドアから出ていった。残ったのはクロヴィス委員長と私。

 「では、聞こうか。手短に」

 今聞くのか。時間ないのに。終わったと知れば、いつ王子と弟が乱入してくるかわからない。
 私は、司祭とエマニュエルが体の関係を結んでいる現場に出くわした、とまさに簡潔に告げた。

 クロヴィスは驚かなかった。日時と場所、私と彼らの位置関係を聞き、手元の紙に記号のようなメモを書いて終わりにした。

 「了解。今後の処遇で考慮する。質問があれば、どうぞ。今の件に限らず」
 「驚きませんの?」
 「高位の聖職者には、よくある話だ。騎士団でも、その手の噂を聞いたことがある」

 淡々と言う。嫌悪の情を示さないのは、意外だった。偏見がないに越したことはないが、まずは冷静に応じてくれる方が話しやすい。

 「ノアイユさんは、デュモンド嬢の方に好意を持っていると思います」
 「俺もそう思う。だがラインフェルデン嬢によれば、『彼ら』に好かれやすいようだ」

 そう言えば、クロヴィスが会いに行った、とシャルル王子から聞いていた。それにしたってロザモンド喋り過ぎ。推定第二弾、第三弾まで開陳かいちんしたのか。

 ロタリンギアで、聞き手に飢えていたに違いない。

 「ロザモンド様にしても、全てを見通せる訳ではないでしょう」

 膝上の『乙女の学園恋物語』へ載せた手に力が入る。ロザモンドの特殊な立場が勘違いされて、利用するために監禁などされては堪らない。

 「ああ。俺はラインフェルデン嬢が預言者と言った覚えはないぞ。その本を予言書としたのは、王子や大人に説明するための方便だ」

 「迷惑な方便ですわ」

 つい本音が漏れる。

 「では、クロヴィス委員長は、これを何だと思っているのです?」
 「特に何とも。ロタール語で書かれた恋愛計画書、とでも呼ぼうか」
 「恋愛計画書?」

 「戦闘でも、戦場を想定して、勝てるように作戦を練るだろう? 兵力や兵糧ひょうろう、武器の種類や火力、心理的要因における敵の条件と味方の条件、それに加えて地形や天候、時間帯、季節といった要素のどれか一つでも変われば、勝敗が変わる可能性がある。俺にはその本が、特定の恋愛で勝つための具体的方法を網羅もうらした作戦計画書に見えた」

 クロヴィスは真面目に語っている。何でも戦闘にたとえる人なのかしら、この人。
 思い返せば、浮いた話を全く聞かない。
 『乙女の学園恋物語』は攻略本だから、彼なりの解釈ではあるが、実は正解に限りなく近いとも言える。

 「ラインフェルデン嬢が、話の基礎となる情報をどこから得たのかはともかくとして、実際学園で起きた事柄と照らし合わせると、その本の作戦は、非常に成功率が高いように見えた。そして、作戦が成功すると、学園の生徒から死者が出ることになっている。これでは目的に比して、結果が重すぎる」

 私のことだ。王子の婚約者だったばかりに、処刑されたり、強盗殺人されたり、服毒死したり、以下略。

 「生徒を死なせないためには、作戦を実行する主体を止める必要がある、と判断した。しかも、その実行主は、作戦を完遂かんすいするため、学園内で犯罪まがいの行動を起こしていた生徒と同一人物だった。後は、サンドリーヌ委員長が見聞きした通りだ。詳しく知りたければ、生徒会長に聞くといい」

 「既に聞きました」

 ついさっき。

 「そうか。殿下も大変な心労だったろう。会長としての職務を、犯人と協力して行いつつ、その犯行を防がなければならなかったのだから」

 クロヴィスがモブなのは、乙女ゲームのシナリオ上で割り振られた役割に過ぎず、彼の存在がモブなのではない。

 私やロザモンドとは違った角度からの解釈ではあるが、この書を読み解き、複数の乙女ゲームが入り乱れたような混沌とした状況をよく見渡して、ヒロインが犯した罪を明らかにした功は、彼にある。

 「クロヴィス=ザントライユ様、この度は、私の命を救ってくださり、ありがとうございました。この御恩は忘れません」

 私は立ち上がって、最上級の礼をとった。クロヴィスが初めて慌てた。立ち上がる拍子に椅子が倒れる。

 「待て待て。俺は風紀委員長としての職務をまっとうしただけだ。お前にそこまでされるいわれはない。そんなことをしているところを殿下に見られたら」

 「姉様、一緒に帰ろうね」
 「サンディは私と帰るの、だ」

 生徒会長室へ通じる扉が一気に開いて、ディディエとシャルル王子が、もつれるように入ってきた。
 私は姿勢を元へ戻したが、礼をとったところはバッチリ見られていた。しかも、クロヴィスは止めさせようと、机を回り込んで側へ来ている。

 「クロヴィス=ザントライユ風紀委員長。私の婚約者に何をさせている」

 「シャルル、私がお礼を述べていただけですわ。クロヴィス委員長のご協力がなかったならば、冤罪えんざいを被せられていたのですから」

 「だから俺は風紀委員長として」
 「クロヴィス。私からも礼を言う」

 シャルル王子が、さりげなく私と委員長の間に割って入り、両手をがしっと握った。

 「私の婚約者の危機ばかりでなく、学園の危機を救ってくれた。この功績は大きい。心より感謝する」
 「どう、いたしまして。ええと、生徒会長」

 固まるクロヴィス。その隙を狙って、ディディエが私の手を取った。

 「では、姉様帰りましょう」
 「待て。サンディは」
 「もう時間も遅いです。待てません」

 不穏な雰囲気になってきた。
 とりあえず、この場から離れることにする。

 「クロヴィス委員長、お先に失礼します」
 「ああ。聴取に協力ありがとう」

 王子の手から解放され、クロヴィスはどっと疲れが出たようだった。
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