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第三章 卒業生

9 夜襲*

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 「飲みます?」

 カップに入れた白湯さゆを差し出す。
 王子はまだせている。私がハンカチを取り出すと、奪い取った王子は、中へ何かを吐き出した。
 素早く包んで、よろいの隙間へ押し込む。どさくさに紛れて、私のハンカチをゲットされた。
 もちろん、問題はそこじゃない。

 「お前、王子に何か食べさせたのか!」

 バスチアンが、夜目にもわかるほど顔色を変えて、アメリの胸ぐらを掴んだ。

 「あめをあげただけよ。私も毒味したし」

 アメリは平然としていた。バスチアンの迫力を考えると、なかなか肝の据わったご令嬢である。
 それよりバスチアン、よそ見していた訳ね。

 「サンドリーヌ様が、変な音を立てて驚かしたから、咽せただけよ」

 「まあっ、何という言種いいぐさでしょう。お嬢様のせいになさるなんて」

 私の代わりに、後ろからジュリーが怒ってくれている。さっきまで居眠りしていた気恥ずかしさもありそうだ。

 「デュモンド嬢。シャルル王子は、特別なお立場にあられます。また、このような野外では、緊急の対応も万全ではありません。飴一つでも、差し上げる際は、側近の許可をお取りください」

 「責めるな、サンドリーヌ。私が自分で食べたのだ。バスチアンにも、心配をかけた」

 私からカップを受け取って口をゆすいだ王子が、ようやく喋った。

 だから、そういう問題ではないのだが。
 大方吐き出したようだし、大丈夫かな。『ラブきゅん! ノブリージュ学園』は、王道乙女ゲームだ。ヒロインが攻略キャラを毒殺は、いくら何でもあり得ない。


 その後、巡回してきた先生方に、人員や状況の報告をしたぐらいで、何事もなく交代の時を迎えた。
 起き出してきたドリアーヌもディディエも、眠そうな目をしている。

 「後半の方が、大変そうですわね」

 今から帰宅まで寝られない。前半と後半の人数配分を、逆にすればよかった。

 「先に休ませていただいて、良かったですわ」

 健気けなげに微笑むドリアーヌを、バスチアンが温かく見守る。私はディディエの肩を叩いた。

 「ドリアーヌ様を、よろしく頼むわよ」
 「任せておいて、姉様」

 ディディエは急に目が覚めたみたいな声を出した。その脇で、トビが寝起きの紅茶を用意した。


 灌木かんぼくを壁代わりに利用したテントは、屋根と壁が一面だけの簡易な作りだ。両サイドがら空き。
 トンネルのような感じである。

 ジュリーとバスチアンとアメリの臨時雇の男は、警護をどうするか相談し始めた。
 私たちは、頭と足が壁に当たる向きで横並びに眠ることにした。問題は、並び順。

 「王子が真ん中になるべきです」
 「女性に守られているようで、嫌だ」

 「でも、シャルル王子が端になったら、私たち二人を同時には守れないわよ」
 「それに、女性が常に守られる側であるという考えは、偏見です」

 珍しくアメリと私の意見が一致し、王子を挟んで休むことになった。
 王子、私、アメリの順番で並ぶ可能性を潰したかったのかも。

 私の外側にはジュリーが来て、アメリの外側には臨時雇いの男が並んだ。最初の立ち番は、バスチアンである。
 雨天だったら、この二人は濡れている。テント満員御礼だ。

 フル装備で休む予定が、頭が痛すぎて、かぶとだけ脱ぐことにした。本当は、頭こそ守らないといけないのに。
 就寝中、頭をつぶされたら終わりではないか。

 もう、そこはバスチアンを信用するしかない。私は、すぐ眠りに落ちた。


 疲労で眠ったものの、良い睡眠とはいかなかった。固い地面に横たわっている上、鎧を着ていて寝返りしにくいせいだ。
 動く度に、金属音がするのも眠りを浅くする。

 シャカシャカ。シャカシャカ。

 息苦しさで目が覚めた。体が、押さえつけられたように重い。

 当たり前だった。重い訳である。
 暗がりに、シャルル王子の整った顔が至近距離で見分けられた。上に乗られている。
 プラチナブロンドの髪が、外から入るわずかな星あかりを含み、光って見える。

 「すまぬ。盛られた。付き合え」

 私が目を開けたのを見て、耳元に口を寄せささやき、そのまま耳たぶを軽くくわえた。
 唇が頬をってくる。目的地は私の口だ。うわあ。
 肺が重みで押されている。重すぎて、身じろぎもできない。王子も鎧着用中だった。

 発話しようと開いた口に、王子が侵入してきた。
 あ、これ寝ている間にもされていたな。口が既に、よだれまみれなことに気付く。

 王子と、こういう深いキスをするのも、実は初めてではない。二年目ぐらいから、急にスキンシップが増えてきた。
 流れで、うっかり以来、二人きりになる度ねだられる。なすがままにされていると、際限なく進んでいきそうで、何とか胸ぐらいまでに押しとどめている。

 ここの貴族社会、婚前交渉が絶対的に禁止されている訳ではない。だが、いわゆる出来ちゃった結婚をすれば一生言われるし、明らかに処女でない未婚令嬢に、良い嫁ぎ先は望めない。
 そんな環境で、婚約破棄予定の私が体の関係を拒むのは、当然だ。

 それにしても、回数をこなして段々上手くなってきている王子。今日はとりわけ動きが激しいし、執拗しつようだ。
 今世処女でも、前世既婚の私である。体が勝手にうずいてしまうのが、辛い。鎧が邪魔だわ。

 「ああ、鎧が邪魔だ」

 シャルル王子の声で、我に返る。盛られた、と言えば薬しかない。
 王子の口が首筋へ移動したのを幸い、アメリの方を向く。

 固まった。ピンクの瞳が猫みたいに、金色に光って見えた。憎悪のギラつきとも見えた。
 暗い中で、アメリの腰の辺りに動きがある。武器? ヒロインが、ここで私を殺す?

 ジュリーは、アメリの従僕とあちらを向いて立っている。私が眠っている間に、バスチアンと交代したのだ。
 焦ると声が出ない。
 飛び起きようにも、王子がのしかかって動けない。

 「て、敵襲てきしゅう!」

 無理矢理、声を振り絞った。

 後ろの方で、ガシャガシャと金属の音が激しく鳴った。バスチアンだ。もしかして起きていたのか。反応が早すぎる。

 続いて王子も、私からずり降り起き上がる。ジュリーともう一人の姿が見えない。アメリは素早く武器を仕舞ったあと、わざとらしくのろのろ起き上がった。

 「サンドリーヌ様、寝言にもほどがあるわ」

 バタバタと、足音が近付き、ディディエが顔を出した。兜をつけている。

 「奇襲! 十時方向より歩兵集団! 直ちに武器を取って応戦せよ、と伝令です!」

 「了解」

 王子と私も兜をつけた。アメリは、鎧を着るところから支度を始めなければならない。

 「デュモンド嬢。済まないが、私たちは先に行く。混戦になるから、気をつけて」

 「ありがとう」

 先ほどの表情が嘘みたいに、無邪気な笑みを王子に向けるアメリ。会心かいしんの笑みを受ける王子の方は、兜でわかりにくいが、多分彼女の表情まで見えていない。

 武器を手にして、出発する。ドリアーヌとディディエも一緒だ。
 色々助かった。

 「解毒しないと命に関わるのでは‥‥?」

 走りながら聞いてみる。どうやら、アメリに媚薬を盛られたようだ。
 あの時の飴?
 この世界は魔法がない。恋する相手を指定できなかったのか。

 一歩間違えば、アメリと王子があんなことを、いや彼女は鎧を着ていなかったから、それ以上のことをしていたに違いなく、私の方が目撃者になっていた。

 危なかった。それまでの怒りの溜まり具合からして、アメリに乱暴を働いたかもしれない。
 別に嫉妬とかではなく、破滅エンド回避したいから。

 「戦闘でなかったら、改めてそなたに頼む」

 声に笑みが混じる。ドキリとする。先ほどのキスの余韻を唇に感じる。
 と言えば聞こえがいいが、涎が固まって口周りがゴワゴワするのを思い出したのだ。

 事情を知らない人がこの顔を見たら、盛大に涎を垂らして爆睡していた、と思うに違いない。恥ずかしい。
 かと言って、事情を知られるのも嫌だ。

 「本部で診てもらった方が、確実です」
 「そうつれないことを言うな」

 剣戟けんげきの音が聞こえてきた。ご丁寧に、周辺に篝火かがりびが焚いてある。それでも暗いには違いない。

 「敵方は、腕に白い布を巻いている。間違えるな」

 近くにいたバルベナ先生が、大声で教えてくれた。本当の戦闘ではないけれど、十分に危険だ。

 「行こうか」

 シャルル王子が、スピードを上げて先陣を切った。武道会と違い、今回は、見惚れている場合ではない。
 私も白布を目指して、駆けた。


 戦闘が終わったのは、明け方だった。

 敵を演じてくれたのは騎士団の方々だった。道理で強い訳である。
 武器を落としたら戦闘終了、というルールがあって、でなければ生徒は瞬殺しゅんさつ壊滅かいめつだった。

 圧倒的実力差がないと、こうはいかない。

 貴族の子弟を訓練で壊したら大変だから、学園も気を使う。
 そもそもそこまでの訓練をしなければいいようにも思うが、この貴族階級における軍事力の高さがメロデウェルを支えている、と教わっている。

 差し当たり、アメリに刺されずに済んだのは良かった。
 彼女は鎧を着るのに時間を取られ、到着がかなり遅れたのだ。その頃には、どさくさに紛れて私を害するほどには、混戦していなかった。
 結果無事だったから、思い返すと少々笑える状況だ。

 シャルル王子をむしばんだ媚薬は、戦闘の間に効果が切れたようだった。騎士団相手に、凄まじい戦いぶりだったとか。
 それも媚薬の効果だったかも。

 絶対アメリに飲まされたのに、全く詮議せんぎがないのが不安材料だ。ヒロインをかばっているイコール攻略されている?

 それにしても、媚薬。
 『ラブきゅん! ノブリージュ学園』でも、一定時間好感度を上げるとか、試験成績が上がるアイテムはある。
 ちゃんとロザモンドが、『乙女の学園恋物語』に書き残してくれた。そこに、媚薬はなかった。
 クスリは邪道だろう。ダメ、媚薬、絶対!

 ロザモンドも、ゲームの全てを知っている訳ではない。ゲームに登場しなくても、この世に存在する物はたくさんある。
 ただ、媚薬は如何にもゲームアイテムらしい。続編のゲームアイテムかもしれない。

 元々のゲーム上で使わなかったから、狙った効果が出なかった、という可能性もある。アイテムを使われた攻略キャラが、相手を間違えるとは考えにくい。
 目的外使用は副作用の害が大きいため、お控えください、と薬の広告文が頭に浮かぶ。

 今回のイベントは、成立したのだろうか。

 ヒロインと攻略キャラは一緒に行動した。
 その間、ほぼ二人きりになる時間もあった。同じテントで一緒に寝た。

 一方で、悪役令嬢による妨害はなく、その結果攻略キャラとの親密度が物凄ものすごく上昇する機会もなかった。
 ディディエとは、二人きりにもならなかった。

 となると、イベントは成立したけれど、攻略は失敗した、と考えるのが妥当。ひとまず安心して良さそうだ。
 ヒロインが攻略を失敗しても、私は破滅する。先を見据え、着実に生き延びる手を打っていかねばならない。

 まだ先は長い。
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