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第三章 卒業生

6 カツラ

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 いとまを告げる気配を察したみたいに、とんでもないことをぶち込んできた。
 私は、居住まいを正した。

 ゴミ捨て場の焼却炉を、クレマン先生が担当しているのか? 聞けば、実験後に出る廃棄物などを処理するため、独自に小さめの焼却炉を設置しているという。

 「カツラ?」

 「ご高齢の向きには愛用されているよ。ほら、バルナベ先生とか」

 と、先生はカツラ常用者の名前を、次から次へと挙げるのだった。

 もとよりプライバシーの概念がない世界ではあるけれど、生徒に話して大丈夫なのだろうか。
 心配しつつも、耳がぐいぐい吸い寄せられる。

 その全員が、愛好者には見えず、完璧に偽装した人たちだった。この世界、カツラレベルが異様に高い。

 「どなたのカツラでしたの?」

 焼却炉で見つけたというカツラのことである。灰になる前だったから、カツラと特定できたのだろう。

 「それが、女の子用に見えたんだよね。そもそも先生方とは、色合いも違う」

 重要な証言だ。攻略の進み具合はともかく、現時点で先生はアメリの協力者ではなさそうだ。密かに安堵あんどする。

 「すっかり燃やしてしまったのですか?」

 「まさか。人毛を大量に燃やした日には、焼却炉ごと臭くなってしまう。埋めたよ」

 手がかりを掴んだかもしれない期待に、脈が速くなる。

 「案内していただけます? 掘り起こしたいのです」

 「案内はできるけれど、もう随分と日が経ってしまった。焼却炉の掃除をする度に、同じ穴へどんどん灰を投げ入れているんだ。掘り起こすとなると、汚れてもいい格好をした方がいいんじゃないかな。ああ、あの服をとっておけばよかった」

 「服?」

 嫌な予感がする。

 「カツラを取り出した時、下に侍女の服みたいなものも見えたんだよね。そっちは悪臭にならないと思って、そのまま燃やしちゃった。たまに、不用品を捨てていく人がいて困る。ゴミ捨て場の方まで持っていくのが、面倒なんだろうな。せめて、一言断りを入れて欲しいのに」

 もう少しで、クレマン先生の襟首を掴んで前後に揺さぶるところだった。

 前世の記憶覚醒前のサンドリーヌが、奥でガルガルうなる。危険信号が。

 それにしたって、この人は、この人は‥‥あれだけ学園で不審な侍女を探しているというのに、何という‥‥研究バカだわ。

 私が乙女ゲームのヒロインとして転生しても、先生のことは、攻略しないでおこう。結婚した後の苦労が見える。

 「カツラを見つけたのは、いつですか?」

 呼吸を整え、改めて尋ねた。

 「いつだったかな。確か、親睦武道会の翌日だ。片付けでゴミがたくさん出たから、焼却炉に溜め込んでいた分を燃やそうと思って」

 「では、誰が捨てたか、心当たりはないのですね?」

 「ずっと焼却炉を見張っている暇もないもの。武道会の日は、僕も忙しくてあちこち移動していたし。生徒も役割分担があって忙しかったろう? 普段この辺りで見かけない生徒もいた。エマ・ニュエル=ノアイユ君とか」

 何故か、エマニュエルの名前を口にする時だけ、うっとりとした表情を浮かべるクレマン先生。エマと名前が被るから?

 「エマニュエル=ノアイユさん、とは新入生の?」
 「そう。いつも一生懸命で、可愛いよね」

 生徒会役員会での光景が、よみがえった。

 シャルル王子、ディディエ、アラン、そしてアメリが、エマニュエル=ノアイユなる生徒について、盛り上がっていた。

 いまだに間近で見る機会がない彼は、外見も成績も平凡で、いわゆる下位クラスに所属する。
 ロタリンギアに近い地方に所領を持つ、子爵家の長男である。
 委員会活動もしておらず、事件を引き起こしたり巻き込まれたりした噂も聞かない。

 そんな普通の一生徒が、生徒会長を始めとする錚々そうそうたるメンバーから一様いちように好意的な目を向けられるのは、ひどく奇異に感じられる。

 去年のマリエル=シャティヨンを思い出す。
 彼女は少なくとも新入生首席で、ストロベリーゴールドという珍しい髪色もあり、目立つ存在だった。
 『ラブきゅん! ノブリージュ学園』のヒロインであるアメリも、ピンクブロンドの髪を持つ。

 アメリやマリエルとは系統が全然違うけれども、エマニュエルもまた、ゲームの主要キャラに違いない。
 『ラブきゅん! ノブリージュ学園』は、まだエンディングを迎えていないというのに、またしても新しいゲームが始まってしまったのか。

 問題は、どういうシナリオかわからないが、『ラブきゅん!』の攻略キャラまで巻き込まれていることだった。

 クレマン先生も、ゲームの強制力から、エマニュエルに好意を持つ状態に陥っているのだろう。

 平凡なエマニュエルが主人公として、美形の王子や先生と距離を縮めるゲームとなると‥‥BLボーイズラブか。

 仮にBLゲームとすると、女性キャラは軒並みモブ化しそうだ。それでも攻略対象の婚約者は、やはり悪役となるのだろうか。
 そこは悪の美形男子の方が、盛り上がるのではないか。

 いくら盛り上がっても、メロデウェルでは同性婚の概念がいねんがない。婚約破棄の心配はない?

 『ラブきゅん!』ヒロインも、攻略キャラを横取りされる形になる。ヒロインがエンドを迎える前に悪役令嬢堕ちは、さすがにないだろう。

 ゲームの方で、どう折り合いをつけていたのかは気になるが、どのみち私の知るところではない。
 現実では、シナリオ外でも人が動く。

 親睦武道会の時には、エマニュエルの方からアメリに近寄っていったのを見た。二人は既に知り合っている。

 親睦武道会というイベントの日。
 存在しない侍女。焼却炉に捨てられたカツラと侍女の制服。近くをウロつく生徒。

 女装したのか。何故? エマニュエルが転生者だとしても、彼が関わらないゲームの攻略本を入手する利点は見出せない。
 そもそも、私の部屋にがあるという情報を、どこから得たのか。

 アメリ=デュモンドだ。エマニュエルが、彼女のために盗みを犯した。
 つまり彼女は、エマニュエルを手駒てごまにしている。

 ぞわっと、鳥肌が立った。
 他ゲームの主人公らしきキャラを手懐てなずけるほどの力を持つヒロインに対抗して、脇役が勝てるだろうか。

 生徒会長から教師陣まで好意を集めている生徒を容疑者に挙げても、まともな調べができない可能性がある。
 そこまで計算して、彼を取り込んだとしたら。

 私は呆然として、エマニュエルについて嬉々として語るクレマン先生の前に、立ち尽くした。


 学園の警備隊によって、カツラは発掘された。
 幸いにも、あまり深く埋もれることもなく、誰かに掘り起こされる前に見つけることができた。
 警備隊が灰だらけになった甲斐かいもあった。

 リュシアンほど鮮やかではないが、赤毛の髪を侍女風に結い上げたカツラである。たとえを口にするとグロくなるほど、高品質だった。
 被っている間に目撃されても、誰もカツラと気付かなかったに違いない。

 見せられたジュリーは即座に、例の侍女と同じ頭髪と断言した。

 内側に何本か別の髪の毛がくっついていたものの、平凡な茶系のある程度長さのある髪、ということで、それだけで誰かを特定するには至らなかった。

 仮に侍女の服が残っていても、体格の傍証ぼうしょうになる程度で、決定的な証拠にはならなかっただろう、と考えるしか、慰めにならない。

 風紀委員長のクロヴィス=ザントライユには、一応、男子生徒が変装した可能性を話してみた。
 彼は、先日の『愛でる会』には加わっていなかったが、念の為、エマニュエルの名前は出さなかった。

 「ああ。その可能性も考えていた」

 クロヴィスは、膨大な証言を突き合わせる作業を、一人でしているようだ。
 体力と神経を両方使う仕事で、随分と消耗している。

 手伝ってあげたいが、彼から見れば私も容疑者の一人だろう。

 「ところで、委員長ご自身は、本人にもおおやけにも知られずに、生徒の居室に特定の品があるかどうかを調べる手段はお持ちですか?」

 盗まれた本の偽装された方の概要は、既に委員長に伝えていた。そのほとんど黒く見える茶色の瞳が、私を射抜くように見据えた。

 「『誰か』根拠が?」

 私は躊躇ためらった。クロヴィスがエマニュエルの味方でなくとも、部下や協力者に内通者がいる可能性は高い。
 アメリが糸を引いているとなると、意識のないまま共犯者となっていることもあり得る。

 「私なりに。ただ、目的の品は既に処分されていて、空振りに終わる可能性も高いです」

 父上に頼めば、エマニュエルでもアメリでも、部屋を密かに調べることはできると思う。
 でも、それで『乙女の学園恋物語』を発見したとして、私が見つけたのでは自作自演と疑われるだけである。
 第三者の手が必要だった。

 「聞こうか」

 私がクロヴィスを全面的に信頼していないように、委員長もまた私を信用していない。
 だが、リスクを恐れるばかりでは、何も進展しない。

 「先日、クレマン先生の実験室裏にある焼却炉付近で、本を盗んだ犯人の物と思しきカツラが見つかりました」

 「うむ。先生の話では、一緒に侍女の服も捨てられていたそうだな。燃やされてしまったが」

 「実はそれらが捨てられた日、焼却炉付近で目撃された生徒がおります」

 「誰だ?」

 当然の質問が来た。ここからが問題である。

 「名前を明かす前に、いくつか注意していただきたい点があります」

 私は、その生徒が生徒会本部役員や委員会の委員長、クレマン先生他、いくつもの強力な後ろ盾を持っているかもしれない、と説明した。

 「ですから、王室や学園の協力を仰ぐと、却って証拠を隠滅されてしまう可能性もあるのです」

 「なるほど。俺の友人か?」

 委員長、と言ったことでクロヴィスが考え込む。心当たりがなさそうであった。

 シャルル王子や弟のディディエの名を口にするのがはばかられて、役職を告げたのだが、どうせ疑われているのだ。全員の名前を列挙するくらいで、丁度良かったかもしれない。

 かくいう私も、代表委員会委員長である。

 「クロヴィス委員長の友人かどうかは存じません。私としては、風紀委員長が彼の後ろ盾に頼らず調査する術をお持ちかどうかが、気にかかります」

 「手の内は明かせないが、アルトワ前委員長に免じて信頼して欲しい」

 リュシアンの名前を出してきた。彼と私が幼馴染でかなり親しい間柄であるのは、まあ知っている人は知っている。
 ザントライユ子爵家にまで広く知られているというよりは、この場合、風紀委員長の先輩後輩のよしみであろう。

 リュシアンはアメリの攻略からは逃れたが、エマニュエルに近付けば、彼に引き寄せられる可能性はある。
 そして、再びアメリの元へ戻ることも考えられた。

 現に、『ラブきゅん! ノブリージュ学園』の攻略キャラ三人までが、エマニュエルにおかしな好意を持っているのだ。

 「委員長のことは信頼いたしますが、アルトワ様もまた、その生徒に肩入れする可能性が高いことは、申し上げておきます」

 「そうなのか? それは手強てごわいな」

 驚いたように目を見開き、短く刈り上げた髪を撫で上げ、あごに手を当てた。
 さては、リュシアンに頼む気だったのか。
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