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第一章 新入生

10 来襲のヒロイン

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 案内されたのは、マカロンの店だった。
 確か、砂糖とアーモンドの粉とメレンゲで焼いてふくららませた、ミニカルメ焼きのような菓子。

 実は前世でも気になっていながら、食べたことがなかった。
 昔読んだ、主婦の自立みたいな戯曲に出てきたのだ。マカロンが気になって、肝心かんじんのあらすじを覚えていない。
 そしてマカロンという単語だけが記憶に残った。

 意外なことに、マカロンの店は昼食を取った店より庶民的で、持ち帰り専門だった。
 屋台に毛が生えたような店構えである。

 シャルル王子が、そういう店を知っていることが、まず驚きだった。

 王子も私も一応、街中へ出るので軽く変装というか、貴族らしくない格好をしてきたのだが、十分金持ちには見える。お供も連れているし。

 店員が、そんな私達を見ても他の客と同様、普通に応対したのが、また驚きだった。
 それも、市場の露天商ろてんしょうというより、一軒店を構えたような、丁寧な接客である。

 元々、富裕な客が多いのだろう。そう言えば、値段も高めだった。

 店を出て、離れた場所に止めた馬車まで歩く道すがら、王子が袋に手を突っ込み、中身を私の口に押し付けた。

 仰天して、思わず口へ入れてしまった。もう咀嚼そしゃくするしかない。

 人生初マカロン。カルメ焼きよりは、口当たりが柔らかい感じ。前世で見た物と違い、こちらにはクリームが挟まっていなかった。

 紅茶と食べたら、美味しいだろうな。
 そのまま、文庫本十巻分くらいの情報量でも湧いてこないか、と期待したが、紅茶がないせいか、何も浮かばなかった。
 これが紅茶の水分を吸いやすいマドレーヌだったら、何か思い浮かんだかもしれない。

 「どうだ?」
 「んぐっ。初めて食べました。美味しいです」

 感想を聞かれた。味わいを犠牲にして、急いで飲み込む。王子はご満悦まんえつである。

 「美味しいだろう」
 「シャルル王子!」

 街中で、いきなり身分と名前を大声で呼ばれ、一同ギョッとした。
 聞き覚えのある声である。見ると、ローズブロンドが視界に入った。

 そうだよね。お出かけイベントと言えば、ヒロインが相手役だ。悪役令嬢はお呼びじゃない。


 逃げる訳にもいかず、逃げる間もなく、アメリ=デュモンドが走り寄ってきた。

 後ろから、慌てて追ってくるのは何と、リュシアンとフロランスだった。
 二人とも、私達と同様、富裕な商家の子息みたいな格好をしていた。知らぬ者が見かければ、彼らをアメリの召使と思うだろう。

 そう。アメリだけが、ヒロインらしく、貴族令嬢の衣装だった。重いドレスを着たまま、貴族令嬢らしからぬスピードで、街中を駆けたのだ。
 庶民の間に、高速ピンク令嬢とか、妙な都市伝説が生まれなければよいが。

 「お」

 怒涛どとうの勢いで追いついたリュシアンが、王子を連呼しようとしたアメリの口を、手でふさいだ。
 場合が場合だから仕方ないとはいえ、ほとんど抱き寄せるような格好になってしまった。

 「アメリ嬢。皆、お忍び中ですから、街中で身分を叫ばないでください。危険です」

 アメリは頬を赤くして、こくこく頷いた。何か勘違いしていそう。
 そんな彼女を、フロランスが冷然とした目で見ている。私には見せたことがない表情だ。

 リュシアンは婚約者の方を見るまでもなく、さっとアメリを解放した。互いに身分を隠すていなので、交わす挨拶は軽めだ。

 「三人で外出とは、珍しい取り合わせだな」

 シャルル王子が、ズバリ指摘する。婚約者同士に加えてお付きでも親戚でもない、多分男の方に言い寄っている格下の令嬢の組み合わせである。

 乙女ゲームのイベントでなかったら、こんな組み合わせはあり得ない。

 リュシアンとシャルル王子という、二人の恐らくは攻略対象が揃ったところからすに、本来はヒロインを巡って彼らが衝突したりするのだろうか。
 二人共、婚約者連れなのに。

 今のところ、男達は全く争いそうもない。

 「リュスと出かける予定だったのです」

 フロランスがおごそかに告白する。お忍び中のお約束で、作法やら呼び名やら、いろいろ省略している。もちろん王子もとがめない。

 「ごめんなさい。私、お邪魔かと思ったんですけれど、どうしても新しいお菓子を食べてみたくて、お願いしてしまいました。そうしたら、お優しくもリュシアン様が」

 「んんーっ」

 リュシアンが咳払いした。お前が断れよ、という、アメリ以外の周囲の視線が刺さったみたいだ。
 それに、どうせ連れてくるなら、彼は服装について注意すべきだった。

 「新しい菓子とは、これか?」

 王子が袋の中身を見せた。話題がれて、ホッとしたリュシアンの顔が、明るくなる。

 「そうです。フローに食べさせたくて」

 なのに、余計な女を連れてきたんだね。イベント強制でも働いたかな。それとも、ヒロインが強引に手を回したか。

 「やる。少し食べてしまったが、一人で食べるには十分だろう」

 王子が、持っていた袋を、アメリに押し付けた。ヒロインは、潤んだピンクの瞳を王子に向ける。嫌な予感がした。

 「これって、間接キ‥‥ありがとうございます!」

 違うと思うものの、関わりたくない気持ちが勝る。

 少し下がったところから、バスチアンがリュシアンとフロランスに、行け行け、と合図していた。少し躊躇ためらうリュシアンを、フロランスがつついた。

 「では、我々の分を買いに行くので、これで失礼します。アメリ嬢も、お気をつけてお帰りください」

 恐る恐る別れの挨拶をしかけるリュシアンに、笑顔を浮かべるアメリ。

 「はい。ここまでありがとうございました、リュシアン様」

 アメリは王子に釘付けのまま、上の空だった。家格の違い以前に、人として大分失礼である。
 王子の方は、極上の笑みを浮かべてヒロインを離さない。

 逃げるように退散しようとするリュシアンの後ろで、フロランスが、私を気遣うように見た。

 私は、安心させるような笑顔を作り、バスチアンと同じ合図を送った。彼女は感謝の身振りをして、去っていった。彼らの危機は、ひとまず回避した。

 さて、私達のターンである。正確には私の順番。

 「では、帰ろうかサンディ」
 「え? はい。では失礼しますね、アメリさん」

 呼び捨てから進んで、愛称呼びになっている。
 リュシアンとフロランスを見て真似したな。

 それより、まだ来週の昼食を買っていない。馬車に乗ってから指示すればいいか。

 この場を離れるために、馬車へ向かう。少し歩いて違和感に気付く。背後に迫る気配が、変だ。

 歩きながら振り返った。シャルル王子、バスチアン、ジュリーと次々振り向いた先に、息を弾ませたアメリの姿があった。

 「シャルル王子、貴重なお菓子を、ごちそうさまです」

 よく通る声で、アメリが礼を言った。少し離れた通行人が、驚いて振り向く。辺りの空気が、ざわりと動いた。

 馬車は目の前だ。

 「とりあえず、お乗りになって」

 咄嗟とっさに口から出た。ジュリーとバスチアンがあからさまに、目をく。

 私もしまったと思ったが、時既に遅し。

 「ご親切に、ありがとうございますぅ」

 ヒロインはマカロンの袋を抱え、真っ先に乗り込んで行った。
 一応、彼女は男爵令嬢である。今更、引き摺り出せない。彼女のことはとりあえず置いといて、身分の順番で行くと、次こそは王子を乗せねばならない。

 「狭くなりまして、ご不便おかけします」
 「心配はいらぬ」

 急ぎ王子に続いて入ると、案の定、アメリが車内で立ち上がっていた。王子がヒロインの向かいに腰を据えたので、自ら移動するところだったらしい。

 「あら、馬車をお降りになりますの?」
 「いいえ。他の皆様が座りやすいように、移るところでしたの」

 と王子の横に腰を下ろす。同時に王子が立ち上がり、素早く馬車から降りた。馬車が揺れる。

 まるでコントだ。笑いたくなるけど、笑っている場合ではない。

 「サンディ。そなたの家の馬車だ。そなたが先に乗れ」
 「お気遣い感謝いたします。ではお言葉に甘えて」

 私はアメリの向かいに腰掛けた。すると王子が隣に来た。再度立ち上がるアメリの進路を塞ぐように、バスチアンが乗り込み、王子の隣に無理矢理尻をねじ込んだ。
 二人共、男性としては細身である。我がヴェルマンドワ家の馬車も、お忍び用の割に余裕のある造りなのだが、予定人数を超過すれば、狭くなる。

 「狭くて苦しいならば、私の上に乗っても良いぞ」

 ぴったり体を寄せた王子が、耳元で声を出す。
 腕が私のくびに回されていて、既に胴体が四分の一ほど重なっていた。吐息はかかるし、体温まで感じるほどの密着度で、王子の若く鍛えられた肉体の弾力性まで分かる上に、意外と男臭い。それも、嫌な匂いではないのだ。

 よく聞く話で、中年のおっさんが若い女の肉体におぼれる、という感覚が、理解できた。
 今世のサンドリーヌの肉体も十分若いが、自分の体を自分で触るのと他人の体に触れるのは、別物である。

 他へ注意を向けないと、意識が持っていかれそうだった。前世で私は、子持ち人妻だった。余裕な筈なのに。十五歳相手に、クラクラしていたら、犯罪だ。

 「そ、そこまでには至りません」

 不覚にも声が震える。思わず腕に力を入れると、抱えたマカロンが、みしり、と音を立てて我に返った。脇汗わきあせが出る心地がする。汗の臭いを王子に嗅がれるんじゃないか、と思うと、余計にあちこちから汗が出る。
 恥ずかしい。

 でもアメリの方を見ることができないのは、恥ずかしさではなく、恐ろしいから。
 またも、ヒロインのイベントを邪魔してしまった。

 攻略対象の前で、ヒロインが悪役令嬢を睨みはしないだろうけれど、笑顔でいても、それはそれで怖い。

 私のせいじゃない。王子が、私の買い物についてきただけ。

 二人で勝手に、出かけてくれればよかったのに!


 最後にジュリーが乗り込んだ。アメリの隣に座る。

 馬車は出発した。もう、買い物どころではなかった。
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