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第一章 新入生

2 入学まで

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 回復してから入学までが大変だった。

 私ことサンドリーヌは、頭も悪ければやる気もないのに、王子と結婚する気だけ満々だった。
 婚約だって、シャルル王子に一目惚れしたサンドリーヌがゴリ押しした結果で、本来の政略結婚とは異なる。
 うち、つまりヴェルマンドワ家ばかりが得する取引だからである。

 父上は、愛娘のために多方面へ頭を下げたり逆に権力を使ったり、譲ったり、色々手を回したようだ。ご苦労なこってす。
 前世の記憶に目覚めた私からすると、今更ながら気の毒なことをした。年齢的に、十五歳のシャルル王子よりも、父上の方が気になるし。しかし生物学的な父親とどうにかなるのは、流石さすがにまずい。

 そこで思い出した。乙女ゲームは、更に十八禁とヤンデレというジャンルに分かれるらしい。
 私がヒロインだったら、父上や弟とのスキャンダラスな絡みがあったかもしれない。いわゆる近親相姦というやつ。
 前世で、そういう系統の漫画も結構読んだ。でも、私が好きなのは、近親相姦以外のヤンデレと十八禁の方だった。なんて、とても人には言えない。

 あああ。前世を振り返っている場合じゃないのに。サンドリーヌのは、勉強に向かない。

 私は、病床を離れてから、遅れを取り戻すべく、王子の婚約者としての勉強にいそしむようになった。
 ここが何の世界か予備知識がない以上、自衛のために知識をたくわえる必要があった。

 父上が元々つけてくれていた優秀な家庭教師陣も、初めの頃こそ驚き疑っていたが、すぐに熱意を持って教えてくれるようになった。

 ところが、肝心のサンドリーヌの頭と体がついていけないのである。頭も体もすぐ疲れて、よほど気をつけないとすぐ違うことを考え始める。
 前世の私も、息子を産んでから記憶の衰えは感じていた。だから若いサンドリーヌの肉体に転生して、その記憶力に期待していたのに、見込みが甘かった。

 そういう訳で、朝から晩までぎっちり勉学のスケジュールを詰め込んで、己にビシバシと鞭打ちながら学んでいた。
 十分に忙しかった。食事を取る間も惜しく勉強していたある日、父上に嘆かれた。

 「サンドリーヌは、父の顔を見るのも嫌になったのかい?」

 無論、そんなことはない。イケオジだし。

 「父上のことは大好きですわ。ただ、これまで甘えていた分、父上の娘として恥ずかしくないように、遅れを取り戻そうと時間を惜しんでいるだけです」

 きっちり否定しておいた。嬉しそうな父上の顔は、私の励みになった。

 そして、何もしていないのに、弟との関係が良くなった。

 頭を打つ前は、機会を見つけては、ちょっかいをかける、というか、いじめていたのである。
 何もしなくなったからこそ、関係改善したとも言える。

 母上はディディエびいきで、弟いじめもあって、私に対する愛情が薄い気がしていた。それも、弟に構う暇がなくなった上に、勉強に励むようになって、少しは見直されたようだった。

 面白いことに、距離を置くと、弟の方から寄ってくるようになった。

 今日も、我が家の図書室で読書していたら、弟が入ってきた。のみならず、わざわざ話しかけてきた。以前なら、姿を見かければ即逃亡したのに。

 「姉様、何読んでいるの?」

 「周辺諸国の概要。なかなか覚えられなくて」

 前世の世界地理に比べれば、格段に少なく単純なのだが、何せ苦手なカタカナ名に加え、サンドリーヌのおつむである。読む本のレベルは低い。頭に叩き込むため、もう何度も同じ本を読み返していた。
 一部を隠して、確実に覚えたかどうかを確認する。受験勉強と一緒だ。繰り返しは苦行である。

 「僕も、お側で本読んでいい?」

 「どうぞ」

 ディディエは私の許可を得て、いそいそと隣のソファに腰掛ける。その手にあるのは、『困窮者救済における教会と修道院の役割について』。
 二歳下なのに、読む本のレベルが見上げるほど高い。

 本を開くと、彼はすぐに没頭した。
 私と同じ濃い金髪だが、さらさらストレートで、あごの辺りで切りそろえている。長いまつ毛の下に見えるのは、母上と同じ紫色の瞳。顔だけ見たら、女の子と間違えるくらい、愛らしい美しさだ。
 こんなに素直で可愛くてしかも優秀な弟を、嫉妬からいじめていた過去の私を、ぶん殴りたい。

 美しいものを眺めるのは、前世から好きだった。
 人形のような美少年から無理矢理視線を引き剥がし、再び本に目を落としたところで、ばん、と図書室の扉が開いた。

 「よお、サンドラ。あ、ディディだ」

 鮮やかな赤い髪をなびかせ、走るように入ってきたのは、リュシアン=アルトワ。侯爵家の長男にして、騎士団長の息子である。これはこれで美形だ。
 家は格下で一つ年上だが、幼い頃は私と一緒になっていたずらしまくっていた。

 ということは、ディディエにとって天敵だった訳で‥‥私は思い出して、弟の前に立ちふさがるようにした。ディディエの顔が強張こわばったことに気付いたからでもある。

 「おおっと、やるかあ?」

 ふざけた様子で構えるリュシアン。そう言えば、頭を打って以来、初めて会うのだった。
 私は持っていた本を、ゆっくりと頭の上に振り上げ、胸の前へ下ろした。
 ディディエが、背後から身を寄せてくる。
 うっ、可愛い。

 「やらないわよ。もうすぐノブリージュ学園に入学するから忙しいの。用件は?」

 ひゅうううっと、派手に息を吸い込み、彼はルビー色の瞳を見開いた。構えは自然に解けている。

 「これは驚いた。噂は本当だったんだな」

 と勝手知ったる我が家のように、ソファへ飛び込む。

 「何が?」

 「うーん。頭打っておかしく、いや、普通になった?」

 「やっぱり、殴っておけば良かったかしら」

 「あははっ。やっぱりサンドラだ、安心した」

 「私は私よ」

 そこで後ろに張り付いたディディエをそっと引き剥がして座らせ、自分もその隣に身を沈めた。
 弟は、まだ完全には警戒を解いていない。本と私を盾にしている。

 「だって、王子の元へ押しかけなくなったかと思えば、勉強しているし」

 リュシアンはまだ笑っている。彼も確か、勉強は不得手だった。嫡男なのに、辺境伯へ婿に出される予定で婚約したほどである。その分、武芸の素質は飛び抜けている。

 「シャルル王子も、お忙しいでしょ」

 完全に、忘れていた。
 一応、破滅回避を兼ね、王子に似合う令嬢になる目的で勉強を始めた筈なのに、勉強することが目的になっていた。
 どうせ会いに行ったところで、適当にあしらわれるだけだ。往復する時間が惜しい。

 「前から忙しかったと思うよ」

 やっぱ殴ったろか、こいつ。

 「あなたこそ、私をからかう暇があったら、婚約者の元へご機嫌伺いに行った方がいいんじゃないの?」

 「そうそう辺境まで遊びに行けないよ。どうせ、新学期が始まれば会える」

 辺境伯爵のご令嬢フロランス=ポワチエ嬢は、リュシアンより更に一つ年上である。ノブリージュ学園は三年制だから、次の一年で卒業となる。

 「新学期といえば、今度の新入生で、変わった人とか、目立つ人はいないの?」

 ついでに聞いてみた。リュシアンは一年先輩になるから、ヒロインの情報を得ているかもしれない。

 「ふはっ。サンドラ以上に変わった、いや、目立つ新入生なんていない‥‥あたたっ」

 考えるより先に、サンドリーヌの体が動いてしまった。
 グーで殴っているよ、この娘。自分の体ながら、信じられない思いで、拳を見つめる。

 「あ、ごめん。痛かったよね」

 「ん、まあ。というか、サンドラ、鍛えている?」

 頭を押さえながら笑って見せるリュシアン。ほとんどかわしたのだが、一発かすってしまったのだ。
 相手がディディエみたいなひ弱だったら、大怪我である。自制せねば。

 「ああ。一応、はい」

 立ち居振る舞いやダンス、楽器演奏だけでも真面目にやれば体力を使う。その上、寝室で密かに腹筋など人目につかない方法で体力作りをしていた。

 何かの時に逃げやすくなるかも、と思ってのことである。

 今になって改めて考えてみると、もう、目指すところが意味不明である。これも、サンドリーヌのおつむがいまいちなせいだろうか。

 前世の私のせいだ。出産後、急に下腹の出具合が気になり、毎日自宅でエアロビや筋トレをしていた習慣を、今世に引き継いでしまった。
 サンドリーヌは、体を動かす方では優れた才能を発揮した。それで調子に乗って、続けている次第だ。
 なろうことならその能力を、少しばかり座学へ振り分けたいものである。

 「まっ、元気そうで安心したよ。邪魔したな」

 リュシアンは早々に去った。これ以上、鍛えた拳で殴られたくなかったのだろう。

 「さて、続きを読みましょうか。ディディエは、どうするの?」

 「一緒に本を読みます。姉様」

 弟は、明らかにほっとしていた。過去のリュシアンは、彼に何をやらかしたのだ?

 サンドリーヌも、やらかした事はおよそ忘れている。当時の私は私でなかったけれども、今の私と同一人物であるのは間違いない。
 私は内心で、弟に謝る。許してもらおうとは、思っていない。これから先、何年でも態度で反省を示し続けるつもりである。

 まだ、反省して間もないのに、ディディエが懐いてくれるのは、嬉しい反面、申し訳ない気がして、後ろめたい。
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