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第五章 マドゥヤ帝国

12 念願の仕事

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 「講師、ですか?」

 俺は、一人で学院長室へ呼び出されていた。俺の前には、キナイ学院長の他に、初等科教授のユガフ=メルイがいる。

 マドゥヤ帝国に関する報告書を仕上げ、グリリに丸投げしていた暗黒大陸及びセリアンスロップ共和国に関する執筆に合流し、無事本に仕立てた後、しばらく間があった。

 慌ただしい日々が過ぎて、ようやく生活が落ち着いた頃に、呼び出しを食らったのである。
 また国外へ出されるのか、と身構えて出頭したら、予想外の話が来たものである。

 「君、教えるの上手いよね」

 ユガフ教授が言う。戦闘でハイになっていない時は、ごく常識的な貴族の武人である。

 「この世界に来てから、もうすぐ六年になるだろう? そろそろ教える側に回っても、いいんじゃないか」

 「私を評価して下さって嬉しいです。しかしながら、私はこの世界の常識にはまだまだうといです。生徒に教えるには、早過ぎるかと存じます」

 「だからいいんだよ。当たり前が何故当たり前と思うのか、疑う目を持つことは、その世界の住人には難しい。魔法学院を卒業する生徒達には、刻々と変化する世界の先頭に立って働く能力が求められる。彼らが、将来直面する困難に立ち向かえるよう、新たな目を持たせてやって欲しい」

 教師になれるのは嬉しいが、俺にそんな大役を果たせるだろうか。

 「最初から全てできるとは思っていない。だから、講師の身分を用意した。ユガフ=メルイ教授の下で、授業の内容や進め方を教わりながら、少しずつ枠を増やしていけばいい。他の科の教授や他の同僚、生徒に聞くのも自由だ。それに講師なら、給料がもらえるぞ」

 俺の躊躇ためらいを見取って、キナイ学院長が付け加えた。

 学院内での生活には、基本お金がかからない。
 授業料、寮費、食費も無料である。最低限の学習用品は貸与されるし、服がなければ、卒業生の古着を貰える。卒業する際、寄付というか、処分する先輩が多いのだ。

 それだけだと、外食したり個人的に欲しい物品を買ったりすることはできないが、俺の場合、暗黒大陸やマドゥヤ帝国へ行った際には報酬が出た。報告書を兼ねた本を出した時にも、金銭を受け取った。

 定期収入がなくとも、生活には困らない。ただ、定職に就きたい気持ちはあった。
 前世から教えることは好きだし、サポートしてもらえるならば、断る理由はない。

 「喜んで承ります」

 「うん。よかった」

 穏やかな笑みを浮かべて頷くユガフ教授の側で、キナイ学院長が手を擦り合わせた。

 「では、早速手続きを進めよう。まず、事務のネイサンから指示を仰いでくれ。それから、職員用の寮に移るからそのつもりで」

 「はい」

 「あ、そうそう。グリリ君は、同じく初等科の助手に採用されたから、これまで通り協力し合うといい」

 「ご配慮ありがとうございます」

 教授を残して学院長室を出る。扉を閉める直前に、学院長の声が耳に届いた。

 「‥‥人材を大国に渡してたまるものか」

 部屋へ戻って問いただそうかと思ったが、手が勝手に扉を閉めた。そういえば、ビハーン皇帝にマドゥヤ帝国への移住を打診されたことも、報告書に上げてある。

 俺が講師になったからといって、ひとたび王命が下されれば、逆らえない気もする。現レクルキス王のクラールは、俺が王妃に懸想していることを疑って、一時暗殺命令を出したと聞いた。

 その後、命令を取り消したのか、音沙汰はない。絶対に知られる訳にはいかないが、疑惑は事実である。王にとっては、俺がマドゥヤへ移住か亡命でもしてくれた方が、まだ心安らぐだろう。

 俺としては、レクルキスに残りたい。

 こういう状況で、少しでも俺の希望が通るように工夫しているのだ。学院長の取り計らいに、心の内で感謝した。

 その後、ネイサンに身分証を変更してもらったり、講師としての契約書を書かされたり、勤務概要について説明を受けたり、色々手続きをした。

 寮監のウルサクには、新たに住む部屋と職員寮を案内してもらった。

 職員寮の方が飛び抜けて豪華ということはなく、広さも以前とほとんど変わらなかった。
 荷物は元々少ない。自力で、あっという間に引越しが済んだ。

 それから、戻ってきたユガフ教授に連れられて、授業棟にある職員用の部屋へ案内された。
 一般教養課程と魔法課程応用科までの教授、研究科の講師以上は個室を持つが、その他の教師陣は、初等科から高等科までで一部屋、基礎科と応用科で一部屋にまとまっていた。

 職員室には、俺専用の引き出し付き机があった。学生が兼務することも多い、助手の机は、ない。
 共用のテーブルと椅子があり、必要の都度、そこで作業するらしい。

 ちなみに、助手は生徒用の寮に住まう、ということだった。

 「あら、講師になったの。初等科? そうよね、魔法は素人だものね」

 基礎科と応用科の職員室で、サンナ=リリウムに会った。
 元から大きい胸を、更に盛り上げるように腕組みをして、俺を見下ろす。

 エルフだから身長が高い。学院入学の手引きをしてくれた親切な人ではあるが、ものの言い方が尊大で損をしている。

 研究科の助手から基礎科の講師に昇格して、尊大さに磨きがかかってしまった。

 「研究科の方は、一人で挨拶廻りできるかな?」

 一通り案内を終えて、ユガフ教授が尋ねた。
 この後、用事があるということだった。俺は請け合って、研究科の建物へ向かった。
 いずれ、挨拶に行かなければならない場所だった。

 「おめでとう。無事、就職先が決まって良かったな。俺も、早く医者の仕事したい」

 ジェムト講師の元から、ピニャ助教授のところへ向かう途中で、ザインに会った。
 彼も研究科の助手として正式に採用されていたが、BL漫画家のアシスタントと薬学系研究生の指導で手一杯、ということだった。

 工学系も魔法系も助手なしで回っており、研究科の運営に問題はないようである。

 それにしてもピニャは、助教授の仕事をサボり過ぎである。挨拶に行ったところ、案の定BL漫画の締め切りが近いとかで、漫画描きに没入していた。

 「原稿上がったら、伝えておくよ」

 諦めた様子のザインを残し、プラハト教授の元へ行く。

 「引き受けてくれたのね。良かったわあ。トリスちゃん、先生向いていると思うのよ」

 教授は、ふわふわの巻き毛を揺らしながら、俺に抱きつかんばかりに駆け寄った。この人の推薦があっての話だったのだ。

 「ありがとうございます。短い間ですが、お世話になりました」

 「ちょっとやだ、今度から同僚になるのよ。同じ建物で寝起きするし。それじゃお別れみたいじゃないの」

 「失礼しました。まだ未熟者ですので、これからも、ご指導よろしくお願いします」

 「トリスちゃんは真面目ねえ。グリエルなんか、ほら」

 プラハト教授が指す方を見ると、机の下に黒ダルマのグリエルが片目を光らせてうずくまっていた。最近は、ずっとグリリの姿だったせいもあって、存在に全く気付かなかった。

 「何しているんだ」

 「初等科の助手に採用されたご挨拶と、研究室の片付けに参りましたところ、教授から、机の後ろへ入り込んでしまった薄い本を取り出すよう、頼まれました」

 グリエルは机の下から這い出し、グリリに変化してから答えた。魚二本足ことピニャ作のBL漫画冊子をつまんでいる。
 俺達とは、似ても似つかない表紙で、ホッとした。セリアンスロップで仕入れたネタ、ヴァンパイア四角関係シリーズは好評のようだ。

 「私も、ふざけてこの姿になった訳ではありません。教授のせいじゃないですか」

 改めて抗議するグリリに、教授は余裕で取り合わない。

 「いやあねえ、おほほほ。ところで、トリスちゃん。闇魔法の写本は、自室できちんと保管してね。職員室にも持ち出してはだめよ」

 「わかりました」

 けむに巻かれた気分で、教授の部屋を辞した。グリリもついてきた。
 そろそろ、夕食の時間である。闘技場や授業棟から、生徒達が食堂へ流れていた。

 「教職採用、おめでとうございます」

 改まって、グリリが祝いを述べた。

 「ありがとう」

 「そのうち、授業を見学させてください」

 「それは、緊張するなあ」

 「授業の邪魔はしません。目立たないようにします。お願いします」

 社交辞令かと思いきや、真剣に頼まれた。承知せざるを得ない。

 食堂では、ニイアからも祝われた。


 講師と言っても、教えられる範囲は限られている。受け持つ授業は、少なかった。

 大抵は、他の教師の授業を手伝いながら、内容や教え方を盗み取る日々である。

 初等科は魔法以外の初等教育の位置付けで、最少六歳から始めるところも併せて、小学校のような感じである。
 ただし、戦闘の実践や武具の知識といった、前の世界では決して教えない内容も含まれる。

 今のところ、俺に教えられるのは算数だけだった。それも、この世界の度量衡を把握した上のことである。
 次の目標は、勉強すれば教えられそうな、社会の授業を受け持つことだ。

 体育はほぼ戦闘だし、図画工作には、理科の一部と家庭科が含まれている。
 国語は一見楽そうだが、暗黙の了解、文法や語源といった部分を考えると、もう少しこの世界に馴染むまで教える自信がない。
 だがいつかは、とも思っている。

 最終的には、戦闘以外の科目を教えられたら、自分に及第点をつけられる。


 ある日、算数の授業をしに教室へ入ると、教室の後ろにグリエルがいた。猫姿である。
 普段のグリリは助手として、俺や他の先生方の補助に回っている。

 今日は、俺一人で授業をする予定だった。姿からして補助する気がないのはわかる。
 いつぞやの約束通り、見学に来たのだ。生徒達は気づいているのかいないのか、全く意に介していない。

 授業を始めた。意外にも緊張を感じた。
 例え一人しか居なくとも、その相手が遠慮不要のグリエルであっても、仕事を評価されると思ってのことかもしれない。自分でも、よく分からない。

 生徒達は年齢こそばらばらであるが、皆試験で選抜されて入学した。要件を満たせなければ卒業を認められない。
 退学させられることもある。
 全員が、真剣に学んでいる。少数精鋭、初等科は毎年十人以下である。

 前の世界で、塾講師をすることに比べれば格段に楽な筈だが、彼らが次々に手を挙げて質問を浴びせてくると、なかなかに慌ただしい。
 記憶と知識を総動員して、教えることに集中する。

 鐘が鳴って、我に返った。

 「じゃあ、今日はここまで」

 「ありがとうございました」

 『素晴らしかったです。満足しました。ありがとうございました』

 脳内にグリエルの声が響く。彼女がいたことを、すっかり忘れていた。

 と、急に一面の暗闇となった。
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