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第五章 マドゥヤ帝国

4 中華三昧

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 その後、王妃と王太子は自室へ引きこもったので、グリリが例によって船酔いするのを治しては、マドゥヤ帝国に関する講義を受けて過ごした。

 乗組員の数が多いとはいえ、先ほどの王太子の発言を思い出すと、どこへ行っても誰かが視界に入る状況は、常時監視とも取れた。
 俺たちの出自と能力を考えれば、警戒されて当然ではある。

 ならば何故、大事な王太子が警備しやすい王宮から離れる旅に同行させ、わざわざ近侍に付けたのか、という疑問が生じる。

 一つ考えられるのは、俺たちを信頼できないのは王太子と、せいぜいその側近だけで、王妃やその他大勢からは問題なしと見られている場合である。

 歴史的にも、勇者ショウは救国の英雄となっているし、ピニャやジェムトのような非戦闘系の転生者は、魔法学院の保護下で好きなことをさせ、互恵ごけいの関係を保っている。
 総じてレクルキス国は、転生者に好意的と考えて良い。

 俺たちに関しては、グリリが闇魔法の使い手であること、そのグリリと俺がセットになっていることが警戒される要因だったのだろう。

 それも、魔法学院で五年過ごし、暗黒大陸への往還で使命を果たしたことで、国の首脳陣には、ある程度認められたのではなかろうか。

 ルキウス王太子はおん歳六歳である。
 王族として俺たちの事も含めて様々な知識を蓄えてきたとしても、まだまだ経験は浅い。
 もしかしたら、転生者を間近で見たのも初めてかもしれない。それが先ほどの発言に繋がったのなら、理解できる。

 それとも、信頼する身近な誰かから、何か吹き込まれたのだろうか。
 しかし、信頼されようがされまいが、俺としては、目の前の課題に誠実に取り組むつもりだった。

 これも、コーシャ王妃のためである。


 ティエンジ港に着いたのは、日が傾きかけた頃だった。

 甲板から眺めると、だだっ広い岸壁から突き出した桟橋が数本ある。
 帆を畳んだ船が、桟橋さんばしと反対側にある岸壁に寄せられ、まとめて係留されている。

 倉庫のような建物が並ぶ前面に、うずたかく積まれた資材らしき山が二つ、取り残されたように置いてあった。

 逆光でよく見えないが、陽光の当たる部分がキラキラ光っているようだ。広さの割には船も少なく、人気ひとけがない。違和感があった。

 俺たちの降り立つ桟橋には、箱形の小屋があった。平らな屋根に幾つか突起が付く、独自の形状である。
 その前に、武装兵団と行政官らしき人が並び立ち、俺たちを出迎えた。

 「フィオナ! 久しぶり。大人になったわね」

 コーシャ王妃が、船を降りるのももどかしく、行政官に駆け寄った。

 「コーシャ王妃、ご無沙汰しております。再び、こうしてお目にかかれて、嬉しく思います。この度は、大変にご愁傷様でございます」

 フィオナと呼ばれた官吏は、王妃と同じく黒髪黒目の女性だったが、顔立ちが西洋風だった。年齢も同じくらいに見える。
 やや湿っぽい雰囲気になったところで、彼女は話題を変えるように顔を上向けた。

 「ロン・レンヤも来ております。少しお話しなさいますか」

 「レンヤ!」

 フィオナが言い終わらないうちに、王妃が声を上げた。声に明るさがある。視界の端が動いた。目を向けて、ぎょっとした。

 置き去りの資材が崩れていた。

 その山はみるみる小さくなり、こちらに向かって伸びてくる細長いものは、蛇の動きでざりざりと腹を擦っていた。
 胴体に比べて、小さく見える手足の先は、鋭い鉤爪である。光に当たって黄色く光るうろこ。先頭には白いひげに囲まれた、麒麟きりんのような角を持つ細長い顔がついていた。

 である。人と異なり、翼はない。

 武装兵団が避けて作った道を通り、巨大な顔が王妃の元までやってきた。
 同じ桟橋には建物もある。道幅が足りず、最後は海にはみ出ていた。

 オピテルやメッサラも、龍を見るのは初めてらしく、剣に手を伸ばしたまま中途半端な位置で固まっている。

 俺もアニメで見たぐらいで、実物は初めてである。鱗のきらめきは美しいけれども、動きが生々しくてグロテスクだった。

 そんな龍を、王妃は躊躇いなく両腕を回して抱き締めた。少女めいて可愛らしい。
 龍の方は、触角のように細長く伸びたひげを、ひょこひょこと動かした。羨ましい。

 「レンヤ、また会えて嬉しい」

 「イーシャのことは、残念だった。だが、コーシャが元気そうで何よりだ」

 龍が喋った。くぐもったような、獣の唸り声が混じった感じの声である。しかし、はっきりと人語が聞き取れた。
 近衛隊長二人は、目が飛び出しそうだ。

 「さて、時間がない。そこの箱に入ってもらおう。わしが運ぶ」

 話を切り上げたのは、龍の方だった。後ろの箱形建物を頭で指し示す。
 つまり、あれはコンテナだった訳だ。

 それを合図に、控えていた兵士が箱の扉を開けた。内開きになっている。俺たちは、ぞろぞろと中へ入った。

 飛行機や新幹線のようだった。肘掛け椅子が同じ方向に、整然と列を成している。シートベルトのような固定紐もあった。椅子は床に固定されている。

 「空の旅になります。揺れますので、ご面倒でも、ベルトをお締めくださいね」

 出入り口で、内外に指示を出しているフィオナが、俺たちに向けて言った。

 「酔うかも。前世で飛行機もだったんですよね」

 出発前から、グリリの顔色が悪い。オピテルたちだけでなく、イレナやリヌス、王太子までも緊張で表情が固い。平然としているのは、王妃だけである。治療の準備をしておこう。


 龍に運ばれるのは、エレベータと飛行機を合わせたような印象だった。エンジン音がない分、静かである。しかし重力と気圧の変化は同じく感じられた。風を切る音もする。

 気温の低下は、配られた毛布で耐えた。コンテナ自体も、耐寒仕様なのだろう。それに、龍は飛行機ほど高く飛ぶまい。
 窓がないから、外の様子は見えない。

 「具合はどうですか。お話しした方が、酔わずに済みますよ」

 隅の椅子に腰掛けているフィオナが、大きめの声で呼びかける。他の三隅にもそれぞれ兵士が座っている。おもし代わりか。

 「私語を許す。皆、床を汚すことのないように」

 ルキウス王太子が言った。酔って吐くな、との意だ。折角許可が下りても、高貴な人の前でもあり、急なことで私語など出てこない。

 「船に積んだ荷物は、どのように運ばれるのですか」

 グリリが質問した。さっきまで、目を天井に向けたまま、口の中で前世の洋楽らしき曲を唸っていた。
 近衛隊に注意を受けなかったのは、彼らも自身の緊張で手一杯だったからである。

 「荷下ろしが終わり次第、他の龍に運ばせます。今日中には到着します。ご安心ください」

 「わかりました。次に、龍の顔の周りに生えている毛は、硬いのですか?」

 「その点につきましては、コーシャ王妃がお詳しいので、王妃様からご説明願います」

 「硬いけれども、人の髪を越える硬さではないわ」

 思いがけず、王妃の話が聞けた。
 龍も長寿で、ロン・レンヤは五百年ぐらい生きているらしい。王妃が幼い頃、宮殿を抜け出す度に龍達の元へ行き、レンヤに乗って遊んだということだ。

 「レンヤは戦闘向けの龍で貴重だから、遊びで傷つけないように、と父上に叱られました」

 楽しげに思い出を語る声が、湿り気を帯びた。王妃を叱ってくれたイーシャ皇帝が亡くなったことを、改めて思い出したのだろう。

 「母上」

 隣にいる王太子が身を寄せる気配がした。座席に固定されているので、抱き合うとまではいかない。それでも母子が互いに寄り添う姿が、俺の脳裏に浮かんだ。


 陽が落ちる前に宮殿へ到着した。運ばれた距離を知らないから、これがどれほど凄いことなのかはわからない。一同、乗り物酔いをしたにせよ、どうにか吐かずに乗り切ったのも凄いことである。

 降ろされた場所は正面ではないとのことだったが、十分な広さのある場所だった。石畳で、前後を高い塀で挟まれている。
 ロン・レンヤは俺達を下ろすと、すぐ飛び去った。

 「まあ懐かしい」

 降り立った王妃が、前方を見て言った。その先には武装兵が並んでお出迎えしている。王妃の姿を見て、左右に割れ一斉に拝跪した。

 「イーシャ故皇帝の命で、王妃がお輿入れの後に庭ごと移築して、そのままを保つよう手入れされておりました」

 フィオナが説明する。王妃は自宅へ戻るような軽い足取りで門へ向かった。
 門扉が開かれた。
 俺達も、後をついて入ることを許された。となると、後宮とは別の区画になるらしい。マドゥヤ帝国の皇帝はレクルキス王と異なり、一夫多妻である。

 懐かしい感じのする庭だった。向こうに見え隠れする建物は勿論、植栽の選び方、配置、剪定からしてレクルキスともセリアンスロップとも異なる、どちらかというと和風に近いものだった。

 そういえば、兵士の武具や塀の色彩、装飾も派手派手しく独特だった。中華風というか、これがマドゥヤ風なのだろう。

 要所要所に石製の灯籠が置いてあり、日没時でも十分明るい。行き着いた先の建物も、明かりが煌々と灯っていた。庭に面した開放的な一室に、椅子で囲まれた円卓が大小二つあった。

 「勝手ながら、お付きの方のお部屋はこちらで配しました。後ほど、ご案内いたします。まずは、お食事をどうぞ」

 と示された卓上に見えたのは、棒棒鶏のような料理と、どう見てもピータン、そして多分クラゲであった。中華料理である。

 グリリを見ると、口に手を当てて唾を飲み込んでいた。俺はピータンもクラゲも特に好まないが、この先出てくる料理への期待が膨らんだ。

 王妃と王太子、その他お付き、と二卓に分かれて着席した。俺には王妃の姿が見えない席があてがわれた。それぞれ給仕がついていて、酒も注いでくれる。花の甘い香りがする。

 中華料理のマナーはさっぱりだが、近衛隊長達も初めてのようなので安心した。意外にもリヌスは詳しいようだ。皆で彼を窺いながら食事を進める。

 食べ始めると、給仕が湯気の立つ椀料理を運んできた。琥珀色の透明なスープに、もやしに似た具がどっさり入っている。

 「フカヒレ」

 グリリがぼそっと呟く。俺もフカヒレぐらい知っている。
 フカヒレは、前世と変わらずコラーゲンで下味がついている。それに、スープが前の世界に劣らず複雑で深みを感じさせる味だった。

 なんだろう、この出汁は、と考えるうちに飲み干してしまう。そして次々と運ばれる料理は、油淋鶏、海老と葱の炒め物、アワビの姿煮、炒飯、焼売、と円卓に並び切れない品数と量であった。

 デザートに、杏仁豆腐と胡麻団子まで出た。完全に中華料理のコースである。食べ尽くしたいが、とても食べ切れない。

 マドゥヤ料理が初めての隊長組は、ピータンやクラゲ、アワビにはほとんど手をつけていなかった。

 感激せんばかりに食べまくっていたのは、リヌスと俺たち転生組である。侍女のチャルビは立席で、王妃達の卓に付ききりである。

 イレナは満遍なく手をつけていて、旨いと思っているのか不味いと思っているのか判らなかった。
 隊長達は小型の海老料理で、その見ようによっては芋虫に見える形を怪しんでいたが、俺たちにつられて食べていた。
 食べてみれば、美味しさは分かるようだった。
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