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第五章 マドゥヤ帝国

3 王太子の疑念

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 馬車で例によって、シルウェ=クルーガー宰相の別邸へ運ばれる。

 マドゥヤ帝国とレクルキスは地続きだが、国境の山が急峻きゅうしゅんであり、徒歩や馬車で越えるのが難しい。
 山を迂回うかいする形で、船を使って行き来するのが普通だった。

 庶民も使う港へ王族を連れて行くとなると、規制線を敷いたりして物流を止めることになる。警備も大変だ。
 それで、宰相のプライベートビーチを使うのだろう。ほとんど公邸である。

 今回は別邸へ宿泊せず、馬車から小船に乗り換え、沖へ停泊する帆船を目指す。
 暗黒大陸へ行く時に乗ったものより、随分大型である。マストも一本多い。それに、塗装や装飾が丁寧に施されていた。

 小舟で乗り込む順番を待っていると、水面からプルニャが顔を出した。

 「トリス。この間は、世話になったわ」

 「いえ。お役に立てて良かったです」

 昼間から気恥ずかしくて、目を合わせられない。幸いにも、彼女はそれ以上余計な話をせず、海中へ潜った。今回も、警備を担当するようだ。

 空を見上げると、見覚えのある鳥影が弧を描いて舞っている。鳥人も来ているのだ。船まで降りてこないので、ペンゲアがいたかどうか、わからなかった。

 船の中も、地上の建物並みに丁寧な仕上げが施されていた。飾りも多い。
 王宮所有の船だということは、あちこちに紋章のようなモチーフが繰り返し取り込まれていることで分かった。
 西洋の紋章とは異なるが、王宮の印に相当する柄はある。日本の家紋に近い。

 船員も多い。操船担当の船員たちの他に、乗客専任の船員もいた。彼らに案内されて、応接室へ入る。


 王妃がいた。


 予想すべきだったとはいえ、不意打ちだった。たちまち世界が止まる。

 さっき会ったばかりなのに、数ヶ月ぶりに感じられた。記憶と違わず美しい。相変わらず妻にしか見えない。

 ゴンッ。

 後頭部に衝撃を感じた。膝から力が抜ける。

 「ああ失礼。ぶつかってしまった」

 抑揚のないグリリの声が、遠く聞こえた。目の前が暗くなる。


 目を開けると、オレンジ系金髪に縁取られた明るい緑の瞳が俺を覗き込んでいた。

 「傷は治しました。大丈夫ですか」

 確か、王妃の近衛兵で、イレナといった。エルフ的な顔立ちだが、耳は尖っていない。

 「大丈夫です。ありがとうございます」

 俺は長椅子に寝かされていた。王妃が視界に入る。慌てて起き上ろうとすると、背後から腕が伸びてきて、ゆっくりと起こされた。

 「無理をしなくてよいぞ、トリス。体が辛いなら、横になれ」

 王妃の方向から、子どもの声がする。
 ルキウス王太子だ。まだ六歳なのに、しっかりしている。黒褐色の巻き毛に赤茶色の瞳。全体的に、父王似である。

 「お心遣い痛み入ります。今は平気です」

 「グリリ殿、もう少し手加減しないと、いくらトリス殿が丈夫でも、体が持たぬぞ」

 「、ぶつかってしまったのです。気をつけます」

 王妃の背後に立つ男は、近衛隊長のオピテル。彼とは、繁殖パーティで顔を合わせていた。
 既婚者子持ちである。プラチナブロンドに薄青の瞳は人魚に人気なのか、実績のせいか、何回も呼ばれていると聞いた。
 無論、王太子は参加していない。

 俺の背後に、グリリの気配を感じる。剣のつか辺りで殴ったようだ。
 そのくらいしないと、また王妃を見つめ続ける非礼を働くのを止められなかった、という訳か。腹が立たぬでもないが、致し方あるまい。

 「では、揃ったところで、私から、今後の予定をお話ししましょう」

 王太子の近衛隊長、メッサラが軽く手を打った。
 部屋には他に、同じく王太子の近衛であるリヌスと、王妃の侍女チャルビがいる。
 王妃と王太子も入れると、総勢九人である。

 旅の目的は、おおむねキナイ学院長から聞いていた通りだった。
 縁組の話は出なかった。

 俺は、近侍きんじとして、ルキウス王太子の身の回りを世話する係を仰せつかった。
 リヌスとイレナは通訳として連れてこられた。両近衛隊長とグリリは護衛である。

 「近侍の仕事が、わかりません」

 俺は正直に白状した。もしや、学院長が貸してくれた本にマニュアルがあったかもしれないが、読む時間も教えてもらう時間もなかった。

 「心配ない。あちらでも、人をつけてくれる筈だ。君の仕事は、彼らに足りない部分を補うことと、護衛だな。我々武人が入れなかったり、武器を持てなかったりする場所もある。そのための要員と思ってくれ」

 てっきり怒られるかと思いきや、笑顔でメッサラが答えた。
 侍女以外は、全員護衛として働ける。人数を絞って、このような構成になるとは、マドゥヤ帝国の宮廷は、油断のならない場所のようだった。

 「この船は、ティエンジに入港する。そこから迎えの者の案内で、首都マハプールへ向かう。首都では恐らく宮殿に滞在することになると予想されるが、もし物資に不足が生じた場合、グアンミーン商会から調達する」

 俺の乏しい知識では、レクルキスから最も近いマドゥヤの港は、確かゾウシャとかいった。
 帝国最大の港でもある。

 王妃の出身国ということもあり、レクルキスとは物も人も頻繁に行き来している。条件が良ければ、日帰りできる距離だ。
 ティエンジがどこか知らぬが、ゾウシャ港よりは確実に遠い筈である。王族の出入りによる混乱を、避けるためだろうか。

 「他に心配なことがあれば、言ってくれ」

 「とり立てて思いつきません」

 「私はあるぞ」

 と、王太子が言った。

 「メッサラもオピテルもよく知っている。イレナとリヌスは彼らの部下だから良しとしよう。トリスとグリリのことは全然知らないのに、私の近侍や護衛を任せるのは、不安だ」

 お説、ごもっともである。
 俺はソファから立ち上がり、彼の前にひざまずいた。怪我は完全に治っている。ふらつきもない。
 背後で、グリリが俺にならう気配を感じる。

 「改めてご挨拶申し上げます。私どもは、こちらの世界には存在しない、日本という国から参りました。レクルキス国は、こちらの世界における故国と考えております。今回の任務において、ルキウス王太子には、誠心誠意お仕えしたく存じます」

 王族に対する礼儀にかなっているか、内心冷や汗ものだった。言葉にした通り、誠意を持って応じるしかない。

 しばらく沈黙が続いた。こちらは頭を垂れている。王太子の表情も周囲の状況も見えない。
 顔を上げたい気持ちを抑えた。今顔を上げたら、王妃に目が行ってしまう。

 「トリスには、取り立てて疑問に思うところは、ない。日本は勇者ショウの出身地でもあり、国情はある程度伝え聞いている。能力については、闇魔法以外、全て使えるのだったな」

 「はい。左様にございます」

 「グリリは何故、暗黒神と契約して、トリスを召喚したのだ?」

 王太子は、根本的な質問をしてきた。
 ひゅっ、と息を吸い込む音が、前方から聞こえた。グリリが闇魔法の使い手であることを、今知った誰かだろう。
 リヌス辺りか。

 「この世界へ来る直前、最初に会った存在が暗黒神でした。他に選択肢があったかどうか、今でもわたくしは知りません。トリスを召喚した理由は、第一に彼が優秀だからです。人格も優れております。初めての世界で生き抜くのに、彼が一緒なら心強いです」

 グリリはすらすらと答えた。あまりによどみなく話すので、却って嘘臭く聞こえる。
 本当は、俺とイチャラブ目的だったくせに。俺にチートを注ぎ込みすぎて、結果失敗したけど。

 「しかし、この世界でも安定した生活を送るには、職業が必須です。トリスには知識を蓄え、技能を磨き、教職に就いてもらうのが適切である、と判断しました」

 「して、グリリはその後、どうするのだ?」

 「契約上、トリスの側を離れることはできません。置かれた場所で、最善を尽くします」

 「二人が結婚したらいいのではないかしら。レクルキス国では、同性同士も結婚できるのよ」

 反射的に顔を上げようとした。王妃が、口を開いたのだ。
 上げ切る前に、また、背後から硬い物で止められた。今度は、気絶するほど強くなかった。

 まだ誤解されているのだ、と思うと、気持ちが沈む。同時に、この誤解が俺の身を守っていることを、改めて思い出す。

 「王妃様のご提案について、わたくし共の意向をお話ししてもよろしいですか」

 グリリが発言する。頭上の硬い物は後ろへ去った。許可が下りる。

 「わたくし共は日本において、それぞれ異性の相手と結婚しておりました。その記憶が強いため、互いを結婚相手として見ることはできません」

 「勇者ショウは、結婚して子孫も残したぞ‥‥前世で結婚していたかどうかは知らぬが」

 王太子が、また会話を引き取った。
 キナイ学院長かエルフのサンナがいれば、教えてもらえただろうに。長命の彼らは、勇者ショウを直接知っている。

 「わたくしとトリスが結婚しても、子をなすことはできません。彼には、この世界で妻にと望む女性と結婚し、幸せに暮らして欲しいです」

 脈が速くなる。俺が望むのは王妃で、グリリはそれを知っている。王が、俺と奴をBLの仲と誤解したおかげで命拾いしているのに、大胆にも狙う相手に、それとなく宣戦布告したのだった。

 「グリリの元々のご夫君を召喚すれば、良かったのではないかしら」

 またも王妃が口を挟む。まるで、グリリの真意を察したような反論だった。そして、王妃の言は、正論である。俺が召喚されなければ、何の問題も生じなかったのだ、多分。

 「夫を召喚すると、あちらの我が子が孤児になります」

 「他人の家を壊す理由には足りない」

 王太子も言葉で詰め寄る。グリリは少しだけ躊躇ためらった。

 「トリスの家庭は元のままです。正確に言えば、今の彼は、いわば複製体クローンです。元の世界の彼は、何事もなく暮らしております。ここにトリスがいることも、知りません」

 「‥‥つまり、お前は器を作るようにして、人を増やすことができるのか」

 しばしの沈黙の後、王太子が言った。
 そういう解釈は、考え付かなかった。

 仮にそんな能力があったら、牢屋に閉じ込められて、一生クローン作りをさせられるだろう。主に、兵士を。
 他の面々も、同様の考えに至ったらしく、場が緊張した。

 「暗黒神のお恵みによる、生涯に一度限りの術です。夫は条件が揃わず、複製できませんでした。今後、わたくしが誰かを作り出すことは、ありません」

 グリリは、落ち着いて返答した。俺にしたことは、旦那にも出来たと思うのだが、ここで正直に話すとややこしくなるのは、間違いない。

 再び沈黙が続いた後、王太子が、息をついた。場の緊張も解けた。
 グリリの説明を信じてもらえたかどうか、怪しいところだった。ここがレクルキスの王宮だったら、拷問取調べに移ったかもしれない。任務に向かう船上で、幸いだった。
 
 「お前達の事情は、少し知れた。側仕そばづかえに置くには不安が残るが、王命には従わねばなるまい。言葉通り務めることを、期待する」

 「ご期待に添えるよう、努めます」

 俺は、そろそろ首が痛くなってきた。
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