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第五章 マドゥヤ帝国

2 またも国外出張

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 予想もしなかった方向へ話が飛んだ。パーティの前後で街へ出ていなかったから、そのニュース自体が初耳だった。

 マドゥヤ帝国も、レクルキスの隣国である。イーシャ皇帝は、レクルキス王妃の父に当たる。そのコーシャ妃は俺の妻に瓜二つなのだ。父を失った王妃の心境が気になった。

 「ビハーン皇太子が、次期皇帝に即位なさる。我が国の王妃は、マドゥヤ帝国のご出身であらせられる。亡くなられた父君をいたみ、新皇帝となられる兄君を寿ことほぐため、祖国へしばし戻られたい、とのご意向である。ついては、君達に護衛を頼みたいと」

 「光栄です」

 考えるより先に口が動いた。王妃の側にいられるチャンスである。逃したくない。

 「我々に依頼せずとも、王妃付きの近衛隊があるのでは?」

 グリリが言う。その疑問はもっともなのだが、どうしても、邪魔されたと感じてしまう。

 「うむ。実はルキウス王太子が、正式な使者として行かれるのだ。王妃は付き添いの立場。弔問であるし、先方からも迎えを出すとのことで、あまり大掛かりな護衛部隊を付けられない。君らは、暗黒大陸への往還という実績を認められたという訳だ。あと、推薦したのはコルネリア姫だが、二人一緒ならは、王も安心して任務に就かせられると」

 そう言って、キナイは意味ありげに笑った。グリリが嗚呼ああ、と気の毒そうに俺を見る。その目は止めて欲しい。

 「出発は明朝だ。君達は、武具と最低限の着替え程度を持てば良い。早速支度してくれ」

 毎度急な話である。今回は、葬儀の参列だから仕方がない。欲を言えば、もう少し繁殖パーティで失った気力体力を回復させたかった。

 「ちなみに、滞在期間は、どのくらいを予定されているのですか」

 グリリが尋ねた。暗黒大陸では、セリアンスロップ共和国が制度的に安定していて、思ったより短い滞在で済んだ。
 この世界での権力者の葬儀も即位式も、見聞きするのは初めてである。普通どのくらいの期間を費やすのか、他国へ嫁した娘がどの程度関わるのか、全く予想がつかない。

 「そうだねえ。通常は長くても数日だろう。新皇帝が即位すると言っても、お披露目にあたる即位式は一年後ぐらいになる。実質、葬儀に参列するだけだ。ただ、王がルキウス王太子かドロテア姫をマドゥヤの皇族と縁組させたいようだから、もしかしたら数ヶ月になるかもしれないな」

 長寿を誇る馬人の学院長は、記憶を辿りながら教えてくれた。記憶力もさることながら、なかなかの情報通でもある。
 ついでにと、参考書として、マドゥヤ帝国に関する書物を数冊貸してくれた。これを一晩で読め、ということである。

 「寝る時間が」

 退室してから、愚痴をこぼす。

 「読めなかったら仕方がないでしょう。睡眠優先で」

 「それから、プラハト教授とウルサクさんには言っておかないと」

 「ニイアにも、話した方がいいですね」

 「資料読み込む時間がない」

 「トリス。疲れていますよ。とりあえず、寝た方がいいです」

 グリリが言うのを口実に、ひとまず寝ることにした。薬で無理矢理動けるようにしても、薬が切れれば回復し切れなかった疲れがどっとくる。
 寮の硬めのベッドでも、沈み込むような気持ちで、俺は眠りに落ちた。


 目が覚めると、朝だった。まずい。非常にまずい。

 俺は文字通り飛び起きた。

 頭はすっきりしている。午後から延々寝続けたのだから、当然だ。すべきことが多すぎて、一瞬混乱する。

 挨拶、資料の読み込み、着替え、荷物、どれから手をつければ早く終わるか。習慣で戸口へ向かおうとして、つまずいた。転んだ俺の体が、何かにぶつかる。硬い床、ではない。

 荷物である。開けてみる。
 背負い袋に着替えなどが詰まっていた。ふと机を見れば、今日着る服が一式載せてある。
 脇には、パンとチーズと干し果物の入った小袋と水差し。
 自分でした記憶はないが、旅支度は終わっている。

 よくわからぬままパンを食べ、シャワーを浴びて着替える。荷物を持って一階まで降りて行くと、管理人室の前にウルサクとグリリがいた。

 「よう。帰ったばかりで忙しいこったな。荷物は前と同じように預かっておいてやるから、安心しろ。よく寝たか?」

 「はい。ありがとうございます。よろしくお願いします」

 頭を下げる。水差しと小袋は、彼から食堂へ返してもらうことになった。

 「プラハト教授には、玄関先で会えます。昨夜、ザインにも事情を話しました」

 並んで歩きながら、グリリが言った。朝のこととて、寮から食堂の間は混むが、そこを抜けると人気が途絶える。

 ザインは同期で、今はピニャ助教授の元にいる。
 研究科の俺たちには、もう親しい後輩などというものはほとんどなく、学院生とすれ違っても、声をかけられることはなかった。
 立ち話する時間もないだろうが、少々寂しい。

 「色々準備してくれて、ありがとう」

 「足りなかったら、すみません。わたくしに、声をかけてください」

 応えるグリリの小脇には、巻物が十巻ほど挟まっている。思わず、アッと声を出した。

 「全部読んだ?」

 「ざっと流した程度です。大分抜け落ちたと思います。機会があれば、追々おいおいお話しします。でも、王妃様の方がお詳しいでしょう」

 心臓が跳ね上がる。王妃から講釈をたまわる妄想が、勝手に脳内で展開した。今からこれでは、先が思いやられる。

 「トリスちゃん。よく眠れたみたいで、良かったわあ」

 プラハト教授は、司祭の格好だった。豪華な巻き髪が乱れている。
 朝の礼拝を終えて駆けつけた体である。挨拶できなかった詫びを入れる間に、グリリが書物を学院長に返した。

 「写本、預かったままだから、帰国したら取りに来てね」

 グリリの闇魔法について、書かれた本のことである。気忙きぜわしくて忘れていた。

 「今回は、王宮に同行しないんですか」

 「そうなのよ。暗黒大陸公使から上がった報告書で、グリリちゃんもレクルキス国民と同等に認められたってことね」

 闇魔法を使う転生者として、グリリは初めて会う人から警戒されていた。クレアの報告書が効いたという。彼女は仕事が早過ぎる。

 国交の手続きを進めなくてはならないし、目指すところが違う。頭の中で言い訳する。
 俺たちも、早く暗黒大陸の本を仕上げねばなるまい。こう次から次へと外国へ行かされるとなると、古い方から忘れてしまう。

 「パーティでも、十二分に責務を果たしたって報告が上がっているから、両方のはバレているのよね。グリリちゃんがいるから大丈夫とは思うけど、不敬な態度を取らないよう、気をつけなさい」

 両方とか、グリリとの関係とか、色々訂正したい部分をぐっと飲み込む。公の場で王妃を見つめ過ぎないよう忠告してくれているのだ。改めて肝に銘じる。
 ただ、妻に対する気持ちは理屈ではないので、抑えが効く自信はない。

 迎えの馬車が来た。


 「しばらく見ぬうちに、感じが変わったな」

 クラール王から最初に出た言葉は、俺たちの外見についてだった。
 グリリは髪を少し伸ばし、俺は垂らしていた髪を後ろでまとめただけであるが、印象を変えることには成功したようだ。

 ピニャのBL漫画対策である。明らかに、俺たちをモデルとしてキャラクターを描いているので、少しでも別人と思わせるため、髪型を変えたのだ。

 「コルネリア姫が、残念がりますわ」

 同席する王妃が言った。今日は王との間に王太子がいる。
 思い返せば、俺たちを推薦したのは、姫だった。してみると、愛読者はコーシャ妃ではなく、娘の方だったのか。

 俺は、ちょっとだけ安心した。

 出発前の謁見。今回、俺は最大限自制心を発揮して、王妃を視界に入れないよう努力した。
 あまりあからさまに王妃だけ見ないのも怪しいので、王が姿を現してから、ほぼ平伏している。

 「では、頼むぞ」

 王族が退室して、俺たちは別室へ誘導された。改めて自己紹介する。

 今回の随行員は、王太子と王妃の近衛兵が二人ずつ、王妃の侍女、そして俺たち二人の七人である。
 近衛兵のうち二人は通詞つうじを兼ねており、俺は王太子の近侍きんじ、グリリは護衛役として呼ばれていた。通詞?

 「君たち、マドゥヤ語もできるんだな。それで魔法学院から加わったのか。納得した」

 王太子の近衛隊長であるメッサラが言った。今回のリーダーである。

 他の王宮組の面々もそれぞれ頷いている。

 俺は戸惑った。

 マドゥヤ語など勉強した覚えはない。暗黒大陸でもレクルキスと同じ言葉が通用したので、この世界は全て共通語だと思っていた。
 第一、召喚された時から言葉に困っていない。現在話している言葉すら、意識して学んだ覚えがなかった。
 この世界に馴染むことで手一杯で、理解できていることにまで意識が回らなかった、というか。

 「他の者に、教えるほどでは、ありません」

 代わりに、グリリが応じた。当然だ。自分でも何語で話しているのか、いちいち考えない。

 「今日の王妃は、ずっとマドゥヤ語で話しておられたから」

 小声で俺に教える。気付かなかった。
 グリリの言から推すに、意識すれば区別がつくようである。自動で翻訳される仕組みらしい。

 便利というか不便というか。
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