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第四章 セリアンスロップ共和国

10 石剣葉っぱ井戸

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 馬車二りょうに分乗して出発した。
 行き先は、ネルルクの本宅である。首都に二つも屋敷を構えるとは、かなりの大物である。首都以外にも、大陸のあちこちに別荘があるという。

 メリベルが御者を務める馬車にネルルク、キリル、マイア、クレアが乗ったので、俺とグリリとエサムが二輛目に乗った。俺たちの乗る馬車は、キリルが乗ってきた貸馬車である。

 分乗すると、引き離されて襲撃を受けるのが心配だ。向こうの馬車が襲われた場合、メリベルとキリルが応戦することになるだろうが、その場合、クレアの警護が手薄になりそうだ。

 公使を失って、マイアが共和国に残るとなったら、国交を開くことになったとしても、ミッション成功とは言い難い。
 クレアがシルウェ=クルーガー宰相の娘と判明した以上、彼女の生還が第一である。

 聞けば、彼女は母親が出産時に亡くなり、母親の遺言を守りたい生家の意向で修道院に入っただけで、正式に宰相の第一子だった。神殿に勤めるのも、クレアの希望である。
 ちなみに宰相は再婚して、後継となる子息も生まれている。

 クレアの今後の希望はともかく、父の宰相は、今回の勲功を機に、娘を手近に置きたいと思っているのではないか。
 俺だって、年頃になった娘が寺に籠っているより、一緒に暮らして話をしたり、遊びに行ったりしたい。
 いや、そんな呑気な話ではなく、政略結婚に差し出すのかもしれない。

 ただ、クレアは貴族として婚約も結婚も適齢期を大幅に過ぎている。それでも、と望む嫁ぎ先が出てきたか。魔法学院で勉学に明け暮れていたせいで、上流階級にも政治情勢にもとんと疎い。

 「マイアは、大変なことになったなあ」

 「長老に嫁ぐにせよ、拒否するにせよ、レクルキスには戻れないと思う」

 エサムとグリリがマイアを案じている。

 「これでクレアも誰かに見染められたら、俺たちも帰国できないんじゃないか」

 エサムは冗談めかして言ったが、俺は固まった。クレアが国交のためにセリアンスロップへ嫁ぐ、という選択肢に気付いたのだ。

 竜人も蝙蝠人も長命のようだし、ここなら二十歳過ぎのクレアも十分若い。
 クルーガー家の先祖が暗黒大陸出身なら、宰相がそうした情報を言い伝えなどで知っていた可能性もある。

 「わたくしはレクルキスへ戻らなくても構わないが」

 とグリリが俺を見る。

 「俺は」

 王妃に会いたい。だがそれ以上に前の世界へ戻りたい。王妃と物理的に離れてしまうと、親しくなれる期待が蒸発すると共に、現実が冷静に降りてきた。

 グリリが協力してくれたところで、まず不可能な望みである。それでも目の前にしたら、再び頭に血が上る自信がある。王妃のことは傍に置いても、レクルキスを出禁になるのは避けたい。

 最初に召喚された場所は、戻る時にも必要になるかもしれない。

 「任務を成功させたい」

 「そこは皆、一緒だな」

 とエサム。

 「クレアが国交の人身御供になるかも、という話を承知しているか、確認した方がいいな」

 彼も俺と同じ考えに至ったようだ。表情を消して聞いていたグリリが、ポンと手を叩いた。

 「なるほど。承知なら、マイアとクレアなしでも、わたくしたちは大手を振って帰国できる、という訳か」

 馬車が停まる。話に夢中になって首都中枢の景色を見損ねた。窓の外には、またぞろ立派な鉄柵が左右に伸びていた。


 ネルルクの本屋敷もまた、広い敷地に建っていた。
 鉄柵の内側には樹木が茂り、外から直接屋敷が見えないようになっている。あの巨大アロエに似た竜絶木は見当たらない。

 昨夜泊まった別宅ほどではないにせよ、首都中心部にあるとは思えない、閑静な空間を作り出している。むしろ、一分の隙もない印象だ。

 迎えに出た召使いの顔ぶれは、昨日と一人も重ならなかった。こちらでも、執事はエルフだった。

 「おかえりなさいませ、ご主人様」

 前と同様、ネルルクが打ち合わせをしている間に、俺たちは召使いに部屋まで案内された。違っていたのは、俺たち全員の部屋が近接していたこと、そしてクレアとマイア、残る男三人と、相部屋になったことである。

 「部屋が足りないって訳じゃ、ないよな」

 立食パーティでも開けそうな、広々とした部屋に通され、エサムが真面目に言う。
 実際会議でもできそうなテーブルと椅子があり、ベッドは巨大な天蓋付きダブルベッドの両サイドに、エキストラベッドにしては立派なシングルベッドが少し間を空けて置いてあった。それに風呂。

 衝立の陰に浴槽が置いてあった。三つ。鏡付きの洗面台もあるし、ソファもある。
 高級リゾートホテルの趣であった。

 「マイアの警備上の問題だと思う。あるいは、わたくしたちをマイアの仲間として信用してくれたのかも。それより、議員に面会するのに鎧脱いだ方がいいのでは?」

 「そうか?」

 ネルルクの有能な召使い達のお陰で、エサムは昨夜脱いだ鎧をまた身に着けていた。尤も、フル装備の鎧を持ち歩くなら、着た方が早い。

 「失礼します。お支度に参りました」

 言っている側から、召使い達が参上した。俺たち三人分の衣装を抱えて、仕事する気満々である。逆らわず、互いに見られながら着替えることになった。もう羞恥心も何もない。


 着替えたところで、軽く昼食を取り、再び馬車に分乗してクセニヤ議員の屋敷へ向かう。今度は二輛ともネルルクの馬車である。自前の馬車を持つだけでも凄いのに、複数持つとは、彼はいかほどの資産家なのか。

 前回の反省を踏まえ、車窓から景色を観察する。建物の密度はアルクルーキスと同じくらいで、店が多いのも同様だった。

 違うのは、建物の色形である。漆喰だろうか、白い壁塗りの建物が目立つ。赤茶色の建物の方が多いが、いずれにしても石積みではなく、壁が平らに塗られていた。まさかコンクリートではあるまい。

 しかし、動く馬車から見ても素材はわからない。ただ、地面に直接建てるのではなく、少し床を高くしてから建物を乗せる感じに造られている家屋が多い。全般に窓が小さめである。改めて、異国に来たと感じるに充分な景色だった。

 馬車は程なく停まった。議員だけに、やはり中心街に屋敷を構えているのだ。馬車を降りて拍子抜けする。
 立派な屋敷ではあるが、ネルルクのそれと比べるとこじんまりしている。市井の建物と同様、壁が真っ白に塗り潰されている。シンプルな形状から、ギリシアの島にある町を連想する。

 建物の中へ入ると、打って変わって派手な装飾に度肝を抜かれた。
 地の壁は外側と同じだが、窓枠、天井の梁、柱の飾りが金の立体彫刻である。それだけならまだしも、彫刻や壺、鎧、と立体展示が多い。その全てが金属と宝石で派手派手しく彩られている。

 「はあ」

 エサムが実用性の欠片もなさそうな鎧を見て、ため息とも感嘆ともつかぬ声を漏らす。
 この屋敷の執事もエルフだった。長命種同士と言うことだろうが、エルフが召使として使われる光景は、不思議な感じがした。

 「改めてご案内致しますので、それまでこちらでお待ちください」

 と示された部屋にも、作り付けの飾り棚に、金の皿などが麗々しく並べてあった。布張りのソファも金糸刺繍が施されている。
 ほどなく運ばれてきた飲み物のカップも金色だった。

 「相変わらず金銀宝石好きだな。また増えたんじゃないか」

 「いかにも竜人らしい趣味だ。君の方が珍しいよ」

 ここでネルルクは、俺たちの方へ顔を向けた。

 「キリルのような例外はありますが、普通の竜人は光る物が好きで、自分の集めた宝物を盗られた恨みを決して忘れません。時には恨みが一族の宝に対しても及びます。覚えておいてください」

 俺はムッとした。ここにいる誰も、そんな手癖の悪い者はいない。
 皆の顔を窺うと、それぞれ驚いたり鼻白んだり、無表情を保ったりしている。抗議の声を上げる者はいなかったので、話はそのままになった。気まずい雰囲気である。

 「お待たせしました。ご案内致します」

 執事が顔を出した。ネルルク、キリル、クレア、マイアと続き、俺たちが立ち上がって部屋を出ようとすると、止められた。

 「お三方は、こちらでお待ちを」

 有無を言わさぬ調子である。ネルルクの顔を見る。変わらぬ微笑が浮かんでいる。隣でキリルが、わざとらしくため息をつく。

 「済まんな。クセニヤ=ドラゴ議員は元貴族、前皇帝の血縁でもあらせられる。竜人と公使以外は遠慮してくれってことだ」

 「承知しました。ここで待機します」

 エサムが切り替えて応じた。扉が閉まった。と思ったら、召使いが二人入ってきて、カップを全て片付けた。一人はトレイを持って出て行ったが、もう一人は部屋の隅に控えている。見張りか。

 「やれやれ、だな」

 エサムがわざとらしくソファにふんぞり返る。確かに前身のドラゴニア皇国では人間は奴隷扱いと聞いていた。彼はドワーフだが、何せ竜人が一番偉かったのだ。

 「ここまで通してもらえたのは、ネルルク議員のお陰でしょうね」

 グリリが言う。そう言われれば、メリベルは建物にも入っていない。話したいこともあるが、召使いが聞いていると思うと、下手に喋れない。

 かといって、室内の装飾品を見て回り、後で何か紛失していたら面倒である。三人で、疑われないようソファに座り、口をつぐんで待つ。

 時間だけが過ぎる。時計が見当たらないので、どのくらい経ったのかわからない。暇は時間を長くする。差し支えない話題を探すうちに、眠気が差してきた。

 「昼食、美味しかったな」

 グリリの声で意識が戻る。意識が飛んでいた。それほど長い時間ではない筈。見張りの様子を確認したい衝動を抑える。

 「今朝の食事も美味かったぞ」

 応じるエサムの声も眠そうだ。眠気覚ましに口を動かしているに過ぎない。

 「昨夜の食事も良かった」

 俺も参戦する。中身のない会話は続かない。再び沈黙。眠気との戦い。

 「石剣葉っぱをしよう」

 また寝ていた。

 「うん、いい考えだ。三人でやろう」

 エサムに誘われ、三人でジャンケンを始めた。

 恥じらいを捨てれば、いい時間潰しだった。俺もグリリもこちらのジャンケンに不慣れである。

 何せ手が四つあって、一つは二パターンの勝ちを持つ変則型だ。エサムはそんな二人を相手にしなくてはならない。どちらが勝ちか教えたりして、いつもよりは頭を使う。

 いい大人が真剣にジャンケン勝負する様を、召使いは呆れて見ていたに違いないが、気にする余裕もなかった。こちとら眠気にも勝たねばならないのだ。

 慣れで物足りなくなると、あっち向いてホイを導入した。今度は二人してエサムに遊び方を教える。彼はすぐにルールを覚えた。一回毎に勝者が残りの一人と戦うことにする。

 「石剣葉っぱ、あっち向いてホイ!」

 声を出すと眠気覚ましになる。だんだん盛り上がってきた。エサムは案外上手い。グリリはジャンケンもあっち向いてホイも下手くそである。

 それでもいつかは飽きが来る。すると今度はエサムが別の手遊びを教えてくれた。指を算木代わりに足し引きし、手持ちをなくしたら上がり、というものである。慣れるとリズム感が出てくる。
 これも数字を使うので頭の体操になり、盛り上がった。

 こうして見張りの召使いの視線をよそに、ひたすら手遊びを続けているうちに、時間が過ぎ去った。
 扉が開いた時には、一瞬ここにいる理由を忘れていた。
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