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第四章 セリアンスロップ共和国

7 実は私は

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 今日は、グリリが御者席に座り、エサムが後ろのお立ち台についた。お立ち台と言っても、一人なので、座れないこともない。
 馬車の中は、昨日と同じ四人である。

 「よく眠れたかな。部屋が狭かったかもしれないね」

 ネロは、朝から無自覚に色気を振りまいている。

 「よく眠れました。ありがとうございます」

 「快適でしたわ。でも二人部屋でも平気で眠れますから、今後はお気遣いなく」

 「そういえば、夜中に覗きが出たそうですよ」

 俺の言に、クレアとマイアが、非難の目を向けた。
 今それ言う? といったところである。ネロも驚いた顔をしている。

 マナー違反をとがめるためか、やや表情が大袈裟おおげさな気もする。そういえば、宿泊代を出してもらったのだった。

 「おや、そんな事があったのか。皆さん無事だったかな」

 「それはもう。きっと彼は、寝ぼけていたのでしょう」

 マイアが急いで笑顔を作る。対照的にネロが怪訝けげんな顔になった。彼は当然の如く、覗かれたのは女性陣、と思い込んでいたのだ。

 「彼?」

 「眼帯をしている方の戦士です。今、御者席に座っています」

 クレアが説明した。ネロは納得した様子になった。馬車の窓は左右にしかなく、御者席の様子は見えない。

 その後は、昨日と同じ雑談で時間が過ぎた。

 話の合間に車窓から外を見ると、相変わらず野原や畑が続く中にも、徐々に建物が増えてきていた。天気も上々で、馬車は速度を緩めず走り続ける。

 「今日中には着きそうだ。だが、夕方になってしまうだろうな」

 俺の視線を追って外を見たネロが言う。

 「どうだろう。行き先を私の屋敷に変更しても構わないだろうか。その代わり、皆さんに我が家へ泊まってもらう」

 彼の屋敷は、市街地から外れた場所にあるため、宿屋を手配できない、とのことだった。

 俺たちは顔を見合わせた。本来、全員の意見を聞いて決めたいところである。

 この状況では、行き先の変更は、飲まざるを得ないだろう。断って、ここで降ろされても別段支障はないが、断るほどの理由も思いつかない。屋敷へ泊めてもらうのも得難い話である。

 それだけに、話がうま過ぎて怪しくすら感じられるのであった。

 「偉い人に会いたいと言っていたね。つてがないなら、私の方で心当たりを探してみよう。レクルキスからの貴重な客人と巡り会えた記念に、一働きさせてくれないか。私も君たちの故郷について、色々話を聞きたい。今後の商いにつながるかもしれないからね」

 販路開拓という理由なら、納得できる。一抹の不安が残るのは、したたる色気への偏見だろうか。

 「お心遣いに感謝いたします。それでは、ご厚意に甘えて、お屋敷までご一緒いたします」

 クレアが言った。彼女の決断が早過ぎるのも、不安要素の一つである。

 その後、休憩を取った時に、ネロはメリベルに行き先の変更を命じ、クレアはエサムとグリリに、事情を説明した。
 案の定、エサムとグリリが俺とマイアを見る目に、不満が見えた。

 「決まっちまったんならしょうがねえな、グリリ」

 「はい」

 彼らが口に出したのは、これだけだった。


 夕暮れに空が染まる頃、馬車が止まった。

 窓から外を見ると、背の高い鉄柵がずっと奥の方まで続いていた。反対側の窓から見える景色もしかり。
 そして、金属同士が触れ合う音と共に、馬車が再び動き出した。

 左右に開いた門扉を、それぞれ武装した門番が押さえている。馬車が通り過ぎるとすぐに、門の閉まる音がした。

 内側には、柵沿いに巨大なアロエのような植物が植えられており、所々で茎を伸ばして赤い蘭に似た花を咲かせていた。
 馬車は森の中へ入っていく。こちらは杉のような真っ直ぐ育った木が程よく配置されていて、日の光もよく差し込み、人工的に作られたものと知れた。

 森を抜けると、赤い薔薇のような花が咲く生垣で道が飾られており、彼方には噴水、反対側には四阿あずまやと、立派な庭園に入り込んだ。

 馬車は、カーブを描きながら緩やかに進む。窓から見えた建物は、宮殿と見紛みまがうような、大層な建物だった。
 その建物の周囲をぐるりと、あの巨大アロエが取り囲んでいるのであった。

 全体としてはヨーロッパ風なのに、そこだけメキシカンで面白い。主の趣味が変わっているだけかも知れないが、異世界らしく感じる。

 「王宮みたいですね」

 同じく車窓から建物を見たクレアが、誰にともなく呟く。馬車は建物の正面で止まった。
 既に入り口の扉は開かれ、両側にメイドやらボーイやら何やら、召使がずらりと並んで出迎えていた。

 「お帰りなさいませ、ご主人様」

 メイド喫茶を連想する。ちなみに、行ったことは、ない。ないぞ。

 ネロは至って日常の感覚で、馬車から降りて執事らしき男と話をしている。

 無論、その間に俺たちも馬車から降ろされて、メリベルは馬丁に馬車を引き渡していた。

 彼女がかぶとを脱ぐと、緑がかったアッシュブロンドの髪が一瞬、ぱっと広がった。二十歳ぐらいにしか見えないが、整った顔立ちと落ち着いた物腰は、実年齢の高さをうかがわせる。しかしエルフではない。

 「では、夕食の席でまた会おう」

 ネロが先に行ってしまった。残された俺たちには、それぞれ案内役がついた。

 「お部屋へご案内いたします」

 屋敷の中へ入ると、広いホールの上に巨大なシャンデリアが下がっているのが目についた。外が夕闇に呑まれつつある中、邸内は多数のランプによって明るさが保たれていた。

 天井画から壁紙、磨かれた大理石様の床に至るまで、いちいち手がかかっているのが、素人目にもわかる。柱や窓枠も凝った装飾がなされた上、綺麗に塗られていた。天井付近には、端から端まで男女取り混ぜた肖像画が並び、歴史の長さを感じさせた。これは、豪商というより貴族である。

 俺たちは、広間の正面にかかる優美な手すりの大階段を登り、前方左右ばらばらに分かれた。案内された先は、個室であった。

 俺たち五人でも、一緒に泊まれそうな広さだった。天蓋付きのベッドは、鎧を着たエサムとグリリが並んで寝ても余裕の幅である。
 そして、部屋の隅には、浴槽が置いてあった。どこかで見た光景だ。

 「お食事の前に入浴なさいますか」

 俺を案内してきた召使いが尋ねる。

 「着替えがないので結構です」

 入りたいのは山々だが。

 「こちらでお召し替えの服を見繕みつくろってあります。ご遠慮なさらず」

 目が飛び出すかと思った。
 開けて見せられたクローゼットの中に、俺が着ても違和感のない服が数組用意されていた。何だ、この手際の良さは。

 「すると、今着ている服は」

 不安を押し殺して尋ねる。

 「洗濯後、こちらへ戻しておきます」

 「では、お湯を用意してください。石鹸とタオルを置いてもらえれば、後は自分でします」

 「かしこまりました」

 風呂に入って、頭を整理しよう、と思った。


 夕食の席に案内されると、全員入浴済みだった。エサムでさえ、初めて見る正装を着込んで、貫禄のある紳士姿になっていた。鎧は、召使いが脱がせたのだろう。

 グリリも正装で、マイアはイブニングドレスを着せられていた。クレアだけが、自前の服を着ている。
 きっと、首周りの開いたドレスに抵抗があったのだろう。当主のネロは、勿論もちろん旅装を解いて座っている。
 メリベルも鎧を脱ぎ、男性的装いで主の後ろに立っていた。胸が大きいので、倒錯的な色気を感じてしまう。

 料理はフランス料理のフルコースのような感じで、一品ずつ供された。
 レクルキス宰相の屋敷以来の御馳走である。料理の説明を聞いても食材が聞き慣れないせいで、全く頭に入らない。
 レクルキスの料理に慣れた身には、共和国の料理は未知の体験であった。美味しかった。

 「改めて、自己紹介をしよう」

 ネロが切り出したのは、食後に案内された葉巻部屋だった。あいにく俺たちの誰も試してみようとしなかったが、色々な種類を取り揃えている、という説明だった。

 葉巻だけでなく酒も楽しめる用意があり、ソファでくつろぎながら話をする体裁の部屋である。グリリ以外は各々酒を手にしている。

 蜂蜜酒、竹酒、麦酒ただしビールではなく、蒸留酒である。
 俺は、あの巨大アロエから作られたという酒を貰った。透明で、アルコール度数が高そうな香りである。テキーラのようだと思ったら、味も似ていた。

 「私はセリアンスロップ共和国議会議員のネルルク=クリュジェ。旅行中は、危険を避けるために別名を使うことにしている」

 「失礼ながら、身分証明のようなものはお持ちですか」

 グリリが言う。グラスの中身は、何とかという果物の汁である。

 ネロ改めネルルクが首を後ろに捻ると、後ろに控えるメリベルが前に出て、手にした物を広げた。紙である。

 『議員証書』とある。ネルルクが、正規の手続きを経て共和国議会の議員になったことを証明する意の文章が、議会名義で記されていた。

 初めて見る書類だけに、本物かどうかわからない。あちら側としては、出せる物を出したのだろう。

 「ご提示ありがとうございます。私はレクルキス公使のクレアです」

 どう判断するか、と見る間もなく、クレアも身分を明らかにした。
 自前の服の下に手を入れると、ペンダントを引っ張り出した。ヘッドがロケットになっていて、開くとレクルキス王家の紋章が立ち上がった。どういう仕掛けなのだろう。

 「凄いな」

 エサムが言う。竹酒だったか、慣れない酒で、珍しく酔っている。

 「ほう。貴女が公使でしたか。すると、シルウェ=クルーガー宰相のご縁戚ですかな。クルーガー家の祖先は、私とも縁続きなのですよ。数百年も前のことで、交流が途絶えて久しく、あちらでご記憶なさる方は、もうおられないかもしれませんね」

 ネルルクが態度を改めて、丁寧になった。クレアが固まり、俺たちは彼女を一斉に見た。

 「はい。父に当たります」

 観念したように答えるクレア。言われてみれば、宰相とクレアの目は色形が一緒だった。加えてネルルクの瞳にも似ている。

 「なるほど、それで公使に」

 彼が口をつぐんだので、部屋が静かになった。
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