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第四章 セリアンスロップ共和国

5 水も滴る

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 エサムの声に押されるように、クレアが詠唱を始めた。彼女の手と閂がぼんやりとした光を帯びる。時間がかかるなら、早く始めて欲しかった。間に合うだろうか。

 ゾンビの群れの後ろが乱れ出した。唸り声に混じり、馬のいななきと車輪のがたつく音が徐々に大きくなる。
 グリリとエサムが、俺たちの前へ出た。敵なら斬るつもりだ。

 「おどきなさい! 邪魔立てする者は排除する!」

 ぶつかるゾンビどもを蹴散らしながら、二頭立て馬車が現れた。御者が振るう鞭は、馬よりゾンビに当たっている。
 進路に俺たちが見えている筈なのに、全くスピードを緩めない。

 俺たちが慌てて脇へ寄るすぐ側を、馬車が通り過ぎた。馬が閉まっている門に突進した。馬に押されて門扉が開いた。クレアの魔法が成功していたのだ。

 「俺たちも入るぞ」

 馬車の後ろから柵の内側へ入り、元通り門を閉めて閂もかけた。馬車に押されて、ゾンビどもは思いのほか接近していた。危ないところだった。

 閉め出されたゾンビの一群は、柵に阻まれ、無秩序に外側を動き回る。グリリが魔法にかけた、仲間を攻撃するゾンビは、馬車に撥ねられたか、効力が切れたか、姿を消していた。

 「さあ、もう少し頑張って宿まで行くわよ」

 マイアが魔法で灯りを点けて歩き始めた。
 雨はまだ降りしきっている。戦いが終わって一安心した途端に、びしょ濡れの体が気になった。
 絶えず顔を水が流れ落ちる不快感に加えて、雨で服が重いのも動きを鈍らせる。

 靴の中まで水が染み通り、踏み出すたびに湿った音を立てる。屋根のある場所へ辿り着かなければ、この不快からは逃れられない。

 皆、彼女について歩き出す。周囲は田畑のようで、街灯がない。今宵は雨とあって足元まで真っ暗である。彼女の灯りだけが頼りだ。

 内側の柵へ近付くにつれ、町の灯りが届くようになった。マイアは魔法の効力が切れた後は、新しくかけ直しをせず、ほのかな灯りに目を慣らすようにした。
 目指す門の前には、先ほど俺たちを追い抜いて去った馬車が、停まっていた。

 当然こちらの門も閉まっているのだが、あの勢いのまま門扉を壊し突破していなかったことが、意外だった。

 「やあ。君たちもメントナに行くんだね。一緒に入ろう」

 馬車の窓が自動車のパワーウィンドウみたいに下がると、中から水もしたたる美形の男が話しかけてきた。

 実際に水が滴っているのは俺たちの方であるが、もののたとえだ。ピニャが見たら涎を垂らしてBL漫画の主人公にしそうな感じ、と言った方がいいだろうか。
 濃い金髪に濃い碧眼。目鼻立ちが整っているだけでなく、同性の俺でも色気を感じる。

 「ご配慮痛み入ります。お急ぎとお見受け致しましたので、お先にお通りください」

 クレアが真面目に応答した。隣でマイアが外に顔を向けて肩を震わせている。背後のエサムが、くしゃみとも噴き出しともつかぬ音を立てた。
 見惚れているのはグリリぐらい、と思いきや、彼は御者の方を見ていた。

 御者は女性で、こちらもなかなかの美形だった。兜の下から覗く、短く切り揃えた白っぽい髪、革鎧で覆われていても隠し切れない豊満な胸と、対照的にすらりと伸びる締まった手足が、馬車に付けられたランプで見てとれた。
 彼女の方は、俺たちと一緒でずぶ濡れである。

 「気の利かぬ者どもめ。ネロ様は、お前たちに門を開けろ、と仰ったのだ」
 「メリベル。言葉を慎め」
 「はっ。失礼致しました」

 主人の方は優しげな言い方だったが、言われた御者は鞭打たれたように反応した。謝った相手も俺たちではなく、馬車に乗る主人だろう。

 「あれ、あんたたち入り損ねたんか。雨の中、大変だったろう」

 自警らしい集団がやってきた。


 巡回してきた町の人たちに門を開けてもらって、全員中へ入ることができた。彼らはちょうど外側の柵を見回りに行くところだったという。何故俺たちが外側の門を突破できたのか、については問われなかった。

 内側の門には閂だけでなく錠前もついていて、下手に解錠を試みなくてよかったと思った。魔法が失敗すると、鍵が壊れることがあるのだ。

 彼らに宿屋を教えてもらって、そこを目指すことにした。
 傲慢な御者とは、ここでお別れだ。

 幸い、蝙蝠人が活躍している町らしく、夜でも色々な店が営業中で、どの道も明るかった。
 雨天ながら人通りも絶えず、安心して歩くことができる。

 教えてもらった宿屋は思っていたより大きく、酒場付きだった。まず屋根の下へ入って俺たちは、濡れた服を絞った。

 「乾燥」

 マイアが自分の服を乾かしたのを見て、思い出す。俺は自分の服を魔法で乾かした。それから二人で他の人を乾かした。
 ただし、グリリとエサムは鎧を着込んでいるせいで、あまりうまくできなかった。生乾きといったところである。

 「それでも、大分マシになった。ありがたい」

 エサムは乾いた髭を満足そうに撫でた。
 二晩風呂抜きの後だから、水浴びぐらいの効果が出ている。

 部屋は、三人と二人に分かれて取ることになった。五人まとめて泊まれる部屋の空きがなかったのだ。マイアとクレアが二人部屋となった。

 寝場所を確保できたところで、夕食にする。雨が降っていることもあり、宿屋の酒場で食べることになった。
 酒場でも料理は置いてある。居酒屋と同じである。

 「明日は、どうしようか」

 注目されたついでに聞いてみる。俺がオムレツを頼んだら、マイアとクレアがやたら視線を送ってくるのだ。鶏卵は生卵しか食べないと思っていたらしい。

 「首都、あるいは次の町までどのくらい距離があるのか、調べないといけないな」

 エサムが応じた。

 「ここメントナは、首都の隣の町だそうだ。境界までなら歩いて一両日」

 グリリが言った。宿泊手続きをしている間に、その辺の誰かに聞いたとか。

 「街中まで行くには、もう少しかかるでしょうね」

 漸く俺から目線を外したマイアが言う。目的地であるバルヴィンの店を、暗に指している。しかも、どこにあるのか、正確な場所を知らない。

 「護衛の仕事があれば、資金も増やせて好都合でs」

 クレアは金の心配をしている。ファウスティの宿はただみたいな値段で泊めてもらったし、野宿や人の好意に甘えて、そんなに金を使った覚えはない。あまり持ち合わせがないのだろうか。

 今日の宿代は確かに、上陸後で一番高かった。今食べている夕食代も、これまでより高くついている。首都へ行けば、もっと金はかかるだろう。

 「じゃあ、明日一日とって仕事探してみるか? ここまで来たら、そのまま進んでも大差ないと俺は思う」
 「宿の人に、仕事を見つけやすい場所があるか、後で聞けばいい。一日使う必要はない」

 エサムの提案に、グリリが返した。

 食後、宿屋の受付に聞いてみると、商業連合会メントナ支部、というところへ行くよう教えられた。商工会議所と冒険者ギルドが合わさったような場所だろうか。

 ともかく方針が決まったので、二手に分かれて部屋に入った。俺はグリリとエサムの三人部屋である。
 グリリはベッドが決まると、早速猫のグリエルに戻った。エサムがもぬけの殻になった鎧を見て、感心している。
 猫姿は初めて見る筈だ。

 「そうやって脱げば早いな」

 感心する点がずれている。しかし、グリエルを気味悪がらないところは、肝が据わっている。獣人を見慣れているとこうなるのか。

 グリエルは、すぐにグリリに戻った。鎧は着ていない。

 「エサムも鎧脱ごう。トリスと手伝うから」

 返事も聞かずに脱がしにかかる。指名された俺も手伝った。前回より早くできた気がする。回を重ねれば、より早く着脱できそうだ。

 「ついでにシャワーも浴びて」
 「え、雨で洗ったからいいよ。金かかるし」

 シャワーは別料金である。

 「明日、商業連合会で仕事にありつくために、石鹸できちんと洗う。クレアからお金預かっている」

 いつの間にやら、グリリは小銭を取り出して、エサムに渡した。彼は観念して部屋を出て行った。俺にも小銭が渡された。

 「トリスもどうぞ。わたくし留守番を務めます」
 「ああ」
 「それから、今夜は猫の姿で眠りたいのですが」

 いびきをかく、という意味だ。グリリの姿ではいびきをかかないが、回復に問題があるという話だった。

 「わかった。寝る時バリアを張る」
 「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 エサムも多少いびきをかく。二人まとめて詰め込もう。


 翌朝は、太陽を拝むことができた。雨上がりで空気も澄んでいるようだ。表を覗くと、まだ濡れた路面が朝日を反射して光り、周囲の輪郭がくっきりと見えた。
 
 朝食の席には、皆すっきりとした姿で現れた。シャワーを浴び、ベッドで眠って人心地がついた感じである。昨夜の居酒屋は店員がすっかり入れ替わって、朝の食堂に様変わりしている。

 食べる間に思い出した。暗黒大陸で護衛の仕事を探すには、朝早く始める必要がある。しかし、今更急いで間に合うとも思えない。俺は黙々と食事を続けた。

 いよいよ宿を出て、商業連合会へ行くことになった。

 「どっちへ行くんだった?」
 「こっちだ」

 エサムの問いに答えたのは、見知らぬ鎧姿の女性だった。俺たちの反応を見て、面頬めんぼうを上げる。昨夜の御者だった。
 そういえば、革鎧の下から豊満な胸がはみ出ている。雨の夜で気付かなかったが、瞳が紫色だった。

 「お前たちを、首都にある我が主人の屋敷までの護衛に雇う。食事と宿泊の費用はこちら持ちで、報酬は襲撃一回につき、一アウラ」

 相場を知らないながら、俺たちの現状を考えれば、好待遇と言っていい。案の定、クレアとマイアが目を見交わして、即承諾した。ただ、一応雇い主から話を聞きたい、とも付け加えた。もっともである。

 それで、御者の後について行くと、角を曲がったすぐそこに、見覚えのある馬車が停まっていた。扉が開いて、水も滴るいい男が降りてきた。

 「やあ、また会えたね。私はネロ。彼女は従者のメリベル。よろしく」

 メリベルから報告を受けたネロは、

 「では、立ち話は危ないから、皆さん馬車に乗ってもらおうか」

 と自ら扉を開けた。馬車は黒塗りの箱形で、装飾のないシンプルな外観であるが、そもそも一人で御者付きの馬車に乗っている時点で、相当の金回りである。

 これまで俺たちを追い越して行った馬車は、リヤカーを大きくしたような荷馬車や、せいぜい幌馬車であった。
 俺たちが強盗団だったら、馬車に招き入れるなど、愚の骨頂こっちょうである。

 実は手練てだれなのだろうか。御者も武装しており、強そうに見えた。
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