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第三章 暗黒大陸
6 船上平穏
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船長室は立派な部屋だったが、五人も来客があると、窮屈だった。そのうち二人は鎧を着用している。そして部屋主の船長も、自分の肘掛け椅子に腰掛けていた。
内密の話はできそうにない。
「ヤースム船長はレクルキス国海兵隊を除隊して、暗黒大陸へも往来の経験があるため、今回お手伝いをお願いしました」
クレアがあらためて紹介する。マイアと並んでベッドに腰掛けており、威厳に欠けるのは仕方がない。皆真面目に聞いている。
「これから皆さんにお話しする内容は、レクルキス国では公式に認められておらず、一般に知られていません」
そう前置いてクレアが話したのは、王宮で把握している暗黒大陸の情勢であった。
レクルキスでも、国交がないからといって本当に放置していた訳ではなく、いわゆる諜報員を何人も送り込み、情報を得る努力をしてきた。
海を挟んではいるものの、隣国である。沿岸で漁を営む住民など、日常的に接触する層もあった。そうした自然発生的な交流まで、杓子定規に禁止はできない。
黙認という形で、情報も得ていた。
こうして集めた情報によると、六十五年前のドラゴン襲撃が失敗した後、暗黒大陸では政変が起こり、数十年にわたって混乱した状態にあったという。
マドゥヤ帝国も、混乱に乗じて何度か出兵したらしい。
そしておよそ十五年前、新しい国が成立した。
「セリアンスロップ共和国と名乗っています」
獣人を中心とした民主的な国として、現在まで安定している。暗黒大陸全土とまではいかないものの、大方を従えている状態という。マドゥヤ帝国や、鳥人族、人魚族とも対等の関係を結んでいる。
「最も留意すべき点は、人間の扱われ方です」
共和国の前身、六十五年前まで暗黒大陸を統治していたドラゴニア皇国において、人間は奴隷だった。
現在では奴隷制が廃止されているが、魔法が使えない種族として、人間は他の種族より下に見られがちであるという。
そういえば、獣人は基本的に魔法を使える種族だった。
「そういうことなら、クレア公使は正規ルートで入国すべきでは」
エサムが指摘した。クレアは人間で、公使という身分がある。安全のためには、そうした方が良かろう。
「先ほど、セリアンスロップ共和国は大陸全土を支配下に治めていない、とお話ししました。沿岸部に大小の町や集落が点在しておりますが、それらは全て自治領の扱いになっております。内陸部にも同様の場所がいくつか存在するようです。まず、これら自治領を通り抜けないと、共和国の中枢に接触できません」
「自治領は共和国側の名目で、実質独立している訳ね」
マイアが言う。クレアが頷いた。
「正確な関係は不明ですが、現状そのように考えた方が、対応しやすいかと思います」
「あのう、沿岸部でも人間は下層扱いされているのでしょうか」
遠慮がちに発言したのは、グリリである。クレアはここで船長を見た。皆も振り返る。
「そうですね。暗黒大陸での上下関係には二つ基準があって、一つは獣人か人間か。もう一つは魔法の力が強いかどうか。人間でも魔法の力が強いと分かれば、それなりに尊重されます」
ヤースム船長が説明した。船で往来する商売を選ぶくらいだ。彼は魔法が使えるのだろう。
「俺、魔法使えないんだよな」
「ドワーフさんですよね。全然使えないんですか?」
俺は思わず聞いてしまった。幸い、エサムは気を悪くしたりしなかった。いい奴だ。
「ああ。そう思ってもらっていい。だから、こっちを鍛えているんだ」
と腕を曲げる。筋肉を見せたかったのだろうが、鎧で覆われていて見えない。
「ドワーフやエルフは、獣人として認識されています。基本はクレア公使のご説明通りですが、町によって厳しさの度合いは異なります。私がこれから皆さんをご案内する町は緩い方ですが、充分お気をつけください」
船長が付け加えた。そこでグリリが手を挙げた。
「ヤースム船長に質問があります。この五人を暗黒大陸で身分の高く見える順に並べると、どうなりますか」
船長が戸惑ってクレアを見る。クレアの方は真面目な顔で頷く。マイアもエサムも興味津々である。
「ううむ。難しい質問ですね。皆さんの魔法力が分からないのと、私も暗黒大陸の人間ではないので、知らない基準があるかもしれません。ですから、参考程度にしてください」
頷く俺たち。観念する船長。
「まず、間違いなくマイア教授が一番です。多分、竜人ですよね」
「はい」
「失礼ながら、レクルキスに竜人がいると初めて知りました。獣人の中でも、竜人、獅子人、エルフ、馬人、蝙蝠人は五大族と呼ばれ、強い勢力を持つ、と言われています」
また、聞き慣れない言葉が出てきた。獅子人は名前からして強そうだが、蝙蝠人が強いのは意外だ。
「次はエサム小隊長。ドワーフということでしたので」
面白そうに頷くエサム。対照的に、マイアは平静である。船長はここで言い淀んだ。誰も助け舟を出さない。
「後の皆さんは、同列、でしょうか」
俺はグリリが猫になれることを教えようとしたが、本人に止められた。
「ありがとうございました。大変参考になります」
クレアが後を引き取って、ヤースム船長は荷を下ろした顔になった。
「すると、暗黒大陸上陸中は、マイア教授をかしらに頂いた方が安全ですね。お引き受けいただけますか」
「見せかけ、ということなら構わないわ。でも公使はあくまでもクレアさん。セリアンスロップ共和国に繋いだ後は、どうします?」
「明らかにするタイミングは、行った先で考えます」
方向性は決まった。昼食まで解散となった。
船の食事は簡単な品だった。移動中だから、こんなものだろう。
それでも司厨士がいるだけあって、調理した物を出してくれた。
食事の合間には船酔い防止を兼ねて、なるべく甲板に出た。幸い天候に恵まれ、暑くも寒くもなく、適度に風の吹く穏やかな日だった。
空には、ペンゲアを中心とする鳥人部隊が常に数体舞っており、時折二本あるマストの先へ止まって羽を休めていた。よく見るとマストの先には籠が括り付けてあり、中に食べ物が入っているようだった。
彼女らは籠の中へ頭を突っ込んで、食事を取っているのだった。脚が使えず食べにくそうである。あまり見ないようにした。
夕食を終えて、甲板に出る。夜の海は思いの外、暗かった。気のせいか昼間より揺れるし、船体にぶつかる波の音も大きい。
マストの見張り台には甲板員が登っている。もう一本のマストには、鳥人が一体止まっていた。月の暗い夜で、空を見上げても、星がまばらに瞬くばかりである。
ふと船楼に目をやると、巨大な鳥影が彫像よろしく数体並んでいた。眠っているのだろうか。やはり鳥目なのだろうか。疑問が脳内を駆け巡るが、目鼻立ちが見える距離まで近寄って確かめる勇気はない。
船室へ戻る。
寝台の上に、中身空っぽの鎧が一式横たわり、隙間にグリエルが黒だるま状態で挟まっていた。
『着たまま変身すればいいのに』
馬車で鎧ごと変身したのを、見ている。
『これ重いし、面倒です』
脱ぎ着する方が面倒だ、と思う。
『どこで寝る?』
『この辺で』
と隙間に挟まったまま答える。
『休みたいので、バリアを張ってもらえますか』
『おお、殊勝な心がけ。シャワー浴びた?』
『はい。もう寝るだけです』
そこで、いびき防止と鎧落下防止にバリアを張って、俺はシャワー室へ行った。
翌日も、まずまずの天候だった。昨日より雲が増えた程度である。
ヤースム船長によると、波も穏やかで、予定通り航行しているとのことであった。それでも、陸の上にいるよりは揺れる。
グリエルはまたぞろ船酔いにやられた。今度は、俺が治してやったが、本体のままベッドに挟まっている。
狭い船室に閉じこもるのは気が滅入る。
グリエルを部屋に残して甲板へ出た。
空には鳥人が舞い、船上では甲板員がマストを上り降りしている。
エサムが素振りをしていた。揺れる船上で、全身金属鎧を着込み、長剣を振るっている。
「すごい体力」
呟きが聞こえたのか、剣を止めてこちらを見た。
「一人か。隻眼の兄さんはどうした」
「船酔いで寝ています」
「そりゃ、大変だな」
剣がすうっと顔の前に突き出される。髭面の中は笑顔だ。
「トリスさんも武器は使えるだろう。少しやってみるか?」
断られるのを期待して、短剣を出して見せる。魔法学院で剣技も習ったが、俺の本領は魔術である。
「これでよければ」
「じゃあ、俺も」
長剣を背中の鞘に戻し、短剣を出してきた。
王宮戦士は抜かりなく、武器もフル装備だった。
甲板の仕事が暇になったのか、船員たちが手を休めてこちらを見ている。今更、断り辛い雰囲気になってきた。
「では、お手柔らかに、お願」
「おう」
打ち掛かってきた。こちらは後方支援の魔法使い的な衣装で、あちらは金属鎧フル装備である。
短剣の間合いは短く、踏み込んでくる迫力だけで負けそうだ。
どうにか反射で防ぐ。押された勢いで後ろへ下がり、剣を払う。
返す手で外側から脇の下を狙いつつ、間合いを詰める。
そこで船が大きく揺れて、俺はよろめいた。エサムが避けると、波打つ海が現れた。
踏み止まろうとするが、傾く甲板の上では足に力が入らない。たちまち船縁が眼前に迫った。
落ちる、と思った。
視界の端から腕が伸びてきて、腰抱きで後ろへ引き戻された。何か燃えているような、しかし甘い匂いがする。
「船上で戦うのは、もっと練習してからにした方がいいですよ」
副船長のジャックが言った。口に葉巻を咥えていて、少々発音が不明瞭だ。そこへエサムがやってきた。武器は鞘に仕舞われていた。
「いやあ、慣れないことをさせてすまなかった。ジャックさんも、ありがとうな」
「いえ。勉強になりました。ジャック副船長も、助けてくださりありがとうございます」
ジャックは手を振った。熊みたいな太い腕である。
「ところで、それは暗黒大陸特産の葉巻じゃないか」
「はい。一本いかがですか」
「いや結構。レクルキスじゃご禁制だし」
「あ、そうなんですか。初耳です」
そういえば、紙巻きはもちろん、葉巻も刻みも水もパイプも嗅ぎタバコも見たことがなかった。俺は煙草をやらないから、全く意識に上らなかった。
ジャックは俺にも勧めてくれたが、丁重にお断りした。
禁じられている葉巻を持っていて大丈夫なのか、と心配すると、船で保管しておけば違法にならないということだった。
何事にも抜け道があるものだ。
聞くところによると、薬の原材料としての葉タバコは黙認されているという。国交を結んでおらず、高価なこともあって、流通はほとんどしていないとか。
他にも、暗黒大陸にしかない動植物、それらを原材料とした品物がいくつもあって、昔から沿岸部の住民同士が細々と交易してきたという。
レクルキス王が国交を結ぼうと画策したのは、こうした交易を管理して利益を上げるためなのではないか、と思った。
内密の話はできそうにない。
「ヤースム船長はレクルキス国海兵隊を除隊して、暗黒大陸へも往来の経験があるため、今回お手伝いをお願いしました」
クレアがあらためて紹介する。マイアと並んでベッドに腰掛けており、威厳に欠けるのは仕方がない。皆真面目に聞いている。
「これから皆さんにお話しする内容は、レクルキス国では公式に認められておらず、一般に知られていません」
そう前置いてクレアが話したのは、王宮で把握している暗黒大陸の情勢であった。
レクルキスでも、国交がないからといって本当に放置していた訳ではなく、いわゆる諜報員を何人も送り込み、情報を得る努力をしてきた。
海を挟んではいるものの、隣国である。沿岸で漁を営む住民など、日常的に接触する層もあった。そうした自然発生的な交流まで、杓子定規に禁止はできない。
黙認という形で、情報も得ていた。
こうして集めた情報によると、六十五年前のドラゴン襲撃が失敗した後、暗黒大陸では政変が起こり、数十年にわたって混乱した状態にあったという。
マドゥヤ帝国も、混乱に乗じて何度か出兵したらしい。
そしておよそ十五年前、新しい国が成立した。
「セリアンスロップ共和国と名乗っています」
獣人を中心とした民主的な国として、現在まで安定している。暗黒大陸全土とまではいかないものの、大方を従えている状態という。マドゥヤ帝国や、鳥人族、人魚族とも対等の関係を結んでいる。
「最も留意すべき点は、人間の扱われ方です」
共和国の前身、六十五年前まで暗黒大陸を統治していたドラゴニア皇国において、人間は奴隷だった。
現在では奴隷制が廃止されているが、魔法が使えない種族として、人間は他の種族より下に見られがちであるという。
そういえば、獣人は基本的に魔法を使える種族だった。
「そういうことなら、クレア公使は正規ルートで入国すべきでは」
エサムが指摘した。クレアは人間で、公使という身分がある。安全のためには、そうした方が良かろう。
「先ほど、セリアンスロップ共和国は大陸全土を支配下に治めていない、とお話ししました。沿岸部に大小の町や集落が点在しておりますが、それらは全て自治領の扱いになっております。内陸部にも同様の場所がいくつか存在するようです。まず、これら自治領を通り抜けないと、共和国の中枢に接触できません」
「自治領は共和国側の名目で、実質独立している訳ね」
マイアが言う。クレアが頷いた。
「正確な関係は不明ですが、現状そのように考えた方が、対応しやすいかと思います」
「あのう、沿岸部でも人間は下層扱いされているのでしょうか」
遠慮がちに発言したのは、グリリである。クレアはここで船長を見た。皆も振り返る。
「そうですね。暗黒大陸での上下関係には二つ基準があって、一つは獣人か人間か。もう一つは魔法の力が強いかどうか。人間でも魔法の力が強いと分かれば、それなりに尊重されます」
ヤースム船長が説明した。船で往来する商売を選ぶくらいだ。彼は魔法が使えるのだろう。
「俺、魔法使えないんだよな」
「ドワーフさんですよね。全然使えないんですか?」
俺は思わず聞いてしまった。幸い、エサムは気を悪くしたりしなかった。いい奴だ。
「ああ。そう思ってもらっていい。だから、こっちを鍛えているんだ」
と腕を曲げる。筋肉を見せたかったのだろうが、鎧で覆われていて見えない。
「ドワーフやエルフは、獣人として認識されています。基本はクレア公使のご説明通りですが、町によって厳しさの度合いは異なります。私がこれから皆さんをご案内する町は緩い方ですが、充分お気をつけください」
船長が付け加えた。そこでグリリが手を挙げた。
「ヤースム船長に質問があります。この五人を暗黒大陸で身分の高く見える順に並べると、どうなりますか」
船長が戸惑ってクレアを見る。クレアの方は真面目な顔で頷く。マイアもエサムも興味津々である。
「ううむ。難しい質問ですね。皆さんの魔法力が分からないのと、私も暗黒大陸の人間ではないので、知らない基準があるかもしれません。ですから、参考程度にしてください」
頷く俺たち。観念する船長。
「まず、間違いなくマイア教授が一番です。多分、竜人ですよね」
「はい」
「失礼ながら、レクルキスに竜人がいると初めて知りました。獣人の中でも、竜人、獅子人、エルフ、馬人、蝙蝠人は五大族と呼ばれ、強い勢力を持つ、と言われています」
また、聞き慣れない言葉が出てきた。獅子人は名前からして強そうだが、蝙蝠人が強いのは意外だ。
「次はエサム小隊長。ドワーフということでしたので」
面白そうに頷くエサム。対照的に、マイアは平静である。船長はここで言い淀んだ。誰も助け舟を出さない。
「後の皆さんは、同列、でしょうか」
俺はグリリが猫になれることを教えようとしたが、本人に止められた。
「ありがとうございました。大変参考になります」
クレアが後を引き取って、ヤースム船長は荷を下ろした顔になった。
「すると、暗黒大陸上陸中は、マイア教授をかしらに頂いた方が安全ですね。お引き受けいただけますか」
「見せかけ、ということなら構わないわ。でも公使はあくまでもクレアさん。セリアンスロップ共和国に繋いだ後は、どうします?」
「明らかにするタイミングは、行った先で考えます」
方向性は決まった。昼食まで解散となった。
船の食事は簡単な品だった。移動中だから、こんなものだろう。
それでも司厨士がいるだけあって、調理した物を出してくれた。
食事の合間には船酔い防止を兼ねて、なるべく甲板に出た。幸い天候に恵まれ、暑くも寒くもなく、適度に風の吹く穏やかな日だった。
空には、ペンゲアを中心とする鳥人部隊が常に数体舞っており、時折二本あるマストの先へ止まって羽を休めていた。よく見るとマストの先には籠が括り付けてあり、中に食べ物が入っているようだった。
彼女らは籠の中へ頭を突っ込んで、食事を取っているのだった。脚が使えず食べにくそうである。あまり見ないようにした。
夕食を終えて、甲板に出る。夜の海は思いの外、暗かった。気のせいか昼間より揺れるし、船体にぶつかる波の音も大きい。
マストの見張り台には甲板員が登っている。もう一本のマストには、鳥人が一体止まっていた。月の暗い夜で、空を見上げても、星がまばらに瞬くばかりである。
ふと船楼に目をやると、巨大な鳥影が彫像よろしく数体並んでいた。眠っているのだろうか。やはり鳥目なのだろうか。疑問が脳内を駆け巡るが、目鼻立ちが見える距離まで近寄って確かめる勇気はない。
船室へ戻る。
寝台の上に、中身空っぽの鎧が一式横たわり、隙間にグリエルが黒だるま状態で挟まっていた。
『着たまま変身すればいいのに』
馬車で鎧ごと変身したのを、見ている。
『これ重いし、面倒です』
脱ぎ着する方が面倒だ、と思う。
『どこで寝る?』
『この辺で』
と隙間に挟まったまま答える。
『休みたいので、バリアを張ってもらえますか』
『おお、殊勝な心がけ。シャワー浴びた?』
『はい。もう寝るだけです』
そこで、いびき防止と鎧落下防止にバリアを張って、俺はシャワー室へ行った。
翌日も、まずまずの天候だった。昨日より雲が増えた程度である。
ヤースム船長によると、波も穏やかで、予定通り航行しているとのことであった。それでも、陸の上にいるよりは揺れる。
グリエルはまたぞろ船酔いにやられた。今度は、俺が治してやったが、本体のままベッドに挟まっている。
狭い船室に閉じこもるのは気が滅入る。
グリエルを部屋に残して甲板へ出た。
空には鳥人が舞い、船上では甲板員がマストを上り降りしている。
エサムが素振りをしていた。揺れる船上で、全身金属鎧を着込み、長剣を振るっている。
「すごい体力」
呟きが聞こえたのか、剣を止めてこちらを見た。
「一人か。隻眼の兄さんはどうした」
「船酔いで寝ています」
「そりゃ、大変だな」
剣がすうっと顔の前に突き出される。髭面の中は笑顔だ。
「トリスさんも武器は使えるだろう。少しやってみるか?」
断られるのを期待して、短剣を出して見せる。魔法学院で剣技も習ったが、俺の本領は魔術である。
「これでよければ」
「じゃあ、俺も」
長剣を背中の鞘に戻し、短剣を出してきた。
王宮戦士は抜かりなく、武器もフル装備だった。
甲板の仕事が暇になったのか、船員たちが手を休めてこちらを見ている。今更、断り辛い雰囲気になってきた。
「では、お手柔らかに、お願」
「おう」
打ち掛かってきた。こちらは後方支援の魔法使い的な衣装で、あちらは金属鎧フル装備である。
短剣の間合いは短く、踏み込んでくる迫力だけで負けそうだ。
どうにか反射で防ぐ。押された勢いで後ろへ下がり、剣を払う。
返す手で外側から脇の下を狙いつつ、間合いを詰める。
そこで船が大きく揺れて、俺はよろめいた。エサムが避けると、波打つ海が現れた。
踏み止まろうとするが、傾く甲板の上では足に力が入らない。たちまち船縁が眼前に迫った。
落ちる、と思った。
視界の端から腕が伸びてきて、腰抱きで後ろへ引き戻された。何か燃えているような、しかし甘い匂いがする。
「船上で戦うのは、もっと練習してからにした方がいいですよ」
副船長のジャックが言った。口に葉巻を咥えていて、少々発音が不明瞭だ。そこへエサムがやってきた。武器は鞘に仕舞われていた。
「いやあ、慣れないことをさせてすまなかった。ジャックさんも、ありがとうな」
「いえ。勉強になりました。ジャック副船長も、助けてくださりありがとうございます」
ジャックは手を振った。熊みたいな太い腕である。
「ところで、それは暗黒大陸特産の葉巻じゃないか」
「はい。一本いかがですか」
「いや結構。レクルキスじゃご禁制だし」
「あ、そうなんですか。初耳です」
そういえば、紙巻きはもちろん、葉巻も刻みも水もパイプも嗅ぎタバコも見たことがなかった。俺は煙草をやらないから、全く意識に上らなかった。
ジャックは俺にも勧めてくれたが、丁重にお断りした。
禁じられている葉巻を持っていて大丈夫なのか、と心配すると、船で保管しておけば違法にならないということだった。
何事にも抜け道があるものだ。
聞くところによると、薬の原材料としての葉タバコは黙認されているという。国交を結んでおらず、高価なこともあって、流通はほとんどしていないとか。
他にも、暗黒大陸にしかない動植物、それらを原材料とした品物がいくつもあって、昔から沿岸部の住民同士が細々と交易してきたという。
レクルキス王が国交を結ぼうと画策したのは、こうした交易を管理して利益を上げるためなのではないか、と思った。
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