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第二章 魔法学院
6 またやらかした
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弱った。得意と胸を張って言えるほど使っている魔法は、ない。俺は考えるだけで魔法が発動するので、下手なことを考えないようにしないと。
例えば、いや、だめだ。
グリエルに爆殺をかけたことを、思い出してしまった。急いで違うことを考える。本人がそばにいなくて良かった。
ザインが練習していた、火を出す魔法はどうだろう。右掌を上に向けて窪ませ、火の玉を乗せるところを思い浮かべた。
出た。ソフトボールくらいの大きさの炎が浮かぶ。不思議なことに、手のひらは熱くない。
「なるほど、わかりました。今日のところはこれで‥‥ちょっと待って‥‥え?」
一瞬だけ、マイアの笑顔が薄れ、目が僅かに開いた。白いまつ毛のカーテンの奥に、黒々とした爬虫類の瞳が現れ、俺を射抜く。
俺は危うく声を上げるところだった。ついでに腕も振り上げようとして、掌に火の玉を載せたままであることに気づいた。
急いで消す。再び教授に視線を戻した時には、彼女の笑顔は元通りになっていた。
「トリス。怪我人が送られてくるから、治してみせて。できるわよね」
「あ、はい。多分」
窓から、氷の塊が飛び込んできた。よく見れば、氷で出来た鳥だった。
日の光を反射してキラキラ輝く透明な鳥は、太い両脚に掴んだものを床にそっと置くと、すぐさま同じ窓から飛び去った。
後に氷の細片が散る。周囲の学院生たちがざわめく。
「グリリ」
口はもちろん、左目から鼻から耳から血が出ている。
体の方も、服ごとあちこち破けて流血している。意識もないようだ。今まで見た中で一番ひどい有様だった。内部から攻撃されたような‥‥あれ?
「まずい」
またやってしまった。
グリリに爆殺をかけたのだ。俺は慌てて跪いた。どこから治していいかわからない。
とりあえず、グリリ全体にドームを被せるイメージで、頭の辺りとお腹の辺りにそれぞれ手をかざした。
「こりゃ、ひでえな」
「医務室へ運んだ方が」
俺は集中した。周囲の雑音が消えた。学院生の姿も、机や椅子も消えた。
グリリは手術台の上にいる。まず出血を止める。組織が壊れた箇所は再生する。ズレたものは元の位置へ戻す。表の傷を繋ぎ合わせる。
起きない。
横から手が伸びてきた。
グリリの頭に触れる。呪文めいた単語がいくつか聞こえたかと思うと、グリリの意識が戻った。
俺は、気が抜けてへたり込んだ。
前世ストーカーでも、俺の召喚者でくっついてきて邪魔でも、人殺しはしたくない。
「よく出来ました」
マイア教授が笑顔で言った。出てきた手は彼女のものだった。俺は床から教授を見上げた。またうっすらと爬虫類の瞳が見えた。そこだけ笑っていない。
「あなたの試験は終わりです。彼を医務室へ運びなさい」
ザインがどこかから担架を持ってきた。目顔で俺に足を持てと合図し、自分は頭を担当する。二人して、グリリを担架へ載せた。
グリリは意識が戻っても起き上がれないようだ。目が虚ろで抵抗もしない。
ザインはそのまま担架を持ち上げると、先頭に立って歩き出した。手慣れている。
俺は医務室の場所を知らないから、助けてもらってありがたい。
「トリスって、すごいのな」
俺に背を向けたまま、ザインが言う。その手が持つ担架の上では、グリリがグリエルに変形しつつあった。少しずつ重みが減っていく。
「俺、回復魔法に頼らない医学を目指しているんだけど、やっぱり光魔法もあった方が、いいんだろうな」
最後の方は独り言に思えたので、俺は黙っていた。グリエルは猫らしからぬ伸び具合で、仰向けになっていた。その輪郭がぼやけてきたように見えて、俺は目を瞬かせた。
グリエルは、黒い雪だるま姿に戻っていた。目つきの悪い左目は、宙を見ている。
彼女のこれまでの言動からして、変身は闇魔法独自の能力らしい。
周囲にバレると、キナイがしたような攻撃を受けるかもしれない。とはいえ、両手は担架で塞がっているし、声を出せばザインの注意を引く。
俺は何とかして気づいてもらおうとグリエルを見つめたが、一向に目が合わない。とうとうザインが止まってしまった。
「来たね。おっ」
扉をどうしようか考える間もなく、引き戸が開いて、中から白マントを羽織ったおさげ髪の男の人が現れた。顔は優しげだが、マントの下に覗く体は筋肉隆々である。
「ツベルク事務次長。基礎科で怪我人が出ました」
ザインが報告しながら部屋へ入る。俺も担架と共に、後から入った。
ベッドがあって、医薬品の並んだ鍵付きの棚が壁際にあり、事務机と椅子が奥に設置されている。学校の保健室そのものだった。
「連絡を受けて待っていたよ。今は医務室長な」
ツベルク事務次長は棚から膝掛けのような薄い布を引っ張り出すと、担架のグリエルを上から包み込んで持ち上げた。ベッドへ運ぶつもりでいたザインが驚く。
「傷を受けて猫になってしまったようだ。心配ない。後はこちらでする。ザインくん、ここまで運んでくれてありがとう。戻ってマイア教授に状況を報告してくれ。トリスは事情を聞くから、残るように。一人で担架を教室へ戻せるかな?」
名前を呼ばれたザインが、喜びに頬を紅潮させた。
「戻せます。では、報告しに行きます」
「頼んだよ、ザインくん」
くるんだグリエルを抱えたまま、ツベルクは畳んだ担架を運ぶザインを見送った。
片手で引き戸を閉めると、グリエルをベッドに置いて、包みを開く。
目つきの悪い黒だるまのままだった。しかし、ぴょこっと起き上がったところを見ると、大分回復したらしい。
「すまん」
『あ、大丈夫です』
こちらをチラリと見たグリエルが頷いた。
「ふむ。その姿が本体か。喋れる?」
ツベルクが言った。グリエルの発言は俺にしか聞こえない。彼女は彼に向かって頷くと、俺に説明するよう頼んできた。
「事務次長、いえ医務室長。これから話ができる形に変わるので、攻撃しないでください、と言っています」
「分かった」
グリエルは俺たちの前で、グリリに変身を遂げた。
どういう理屈か服の破れも直っている。ただ、少し具合が悪そうだ。
「初等科研究科所属のグリリと申します。グリエルという雌猫にもなります。この度は、お手数をおかけしました」
「いや、君たちのことは、各科教授陣と事務次長、つまり私以上の幹部が知っているから、安心して何でも話していいよ。今回の件について、簡単な事情はマイア教授から聞いたけれど、既に伝聞だからね。君たちから改めて話を聞きたいな。あ、トリスくんも座って」
ツベルクが、机の前の椅子に腰掛けながら、俺に椅子を勧めた。木製の椅子が軋む。
「私が、グリエルに間違って爆殺の魔法をかけてしまったんです」
俺は座る気になれず、頭を下げた。
「グリリくんは別の場所にいたのに? まあ、座って」
再度勧められたので、流石に座った。グリリはベッドの上にへたり込むような姿勢でいる。
「わたくしは、薬学系の研究室で、ピニャ助教授から説明を受けているところでした。ツベルク医務室長、トリスは考えただけで魔法を発動できます。彼が最初に成功した魔法が、わたくしにかけた爆殺だったので、強い結びつきができてしまったと思われます」
「なるほど。ピニャ助教授、パニック状態だったみたいでね。後で二人とも顔を見せて説明して安心させてあげて」
「承知しました」
ツベルクは立ち上がった。頑丈な椅子が、ミシッと音を立てた。
「では、私は事務局に戻る。君たち落ち着くまでここにいていいよ。鍵を渡しておくから、出る時に閉めて、事務局へ返してね」
「はい」
鍵は俺が預かった。二人きりになると、グリリは猫化して、ぱたりとベッドに倒れ込んだ。
「まだ痛む?」
「いえ。傷は癒えています。あの姿が一番弱いみたいで、本調子ではない感じです」
それでこれまでで一番ひどい損傷だったのか。では、もしグリエルを倒さなくてはいけない場合。
「無効化」
グリエルが肉球をこちらへ向けていた。またやらかすところだった。
「すまん」
「お気になさらず。きっとここの先生方が鍛えてくださるでしょう。それで、早速ピニャ助教授のところへ行きませんか」
「ああ行くわ」
謝罪は早い方が良い。俺は保健室に鍵をかけ、グリエルと一緒に事務局へ返しに行った。事務室にはネイサンがいて、鍵を受け取る手続きを進めながら、グリエルに話しかけた。
「研究科の所属は決めました?」
「魔法系にしたいです」
「わかりました。では、身分証を預かります。夕食後に取りに来てください」
「はい」
ネイサンは猫と普通に会話していた。
例えば、いや、だめだ。
グリエルに爆殺をかけたことを、思い出してしまった。急いで違うことを考える。本人がそばにいなくて良かった。
ザインが練習していた、火を出す魔法はどうだろう。右掌を上に向けて窪ませ、火の玉を乗せるところを思い浮かべた。
出た。ソフトボールくらいの大きさの炎が浮かぶ。不思議なことに、手のひらは熱くない。
「なるほど、わかりました。今日のところはこれで‥‥ちょっと待って‥‥え?」
一瞬だけ、マイアの笑顔が薄れ、目が僅かに開いた。白いまつ毛のカーテンの奥に、黒々とした爬虫類の瞳が現れ、俺を射抜く。
俺は危うく声を上げるところだった。ついでに腕も振り上げようとして、掌に火の玉を載せたままであることに気づいた。
急いで消す。再び教授に視線を戻した時には、彼女の笑顔は元通りになっていた。
「トリス。怪我人が送られてくるから、治してみせて。できるわよね」
「あ、はい。多分」
窓から、氷の塊が飛び込んできた。よく見れば、氷で出来た鳥だった。
日の光を反射してキラキラ輝く透明な鳥は、太い両脚に掴んだものを床にそっと置くと、すぐさま同じ窓から飛び去った。
後に氷の細片が散る。周囲の学院生たちがざわめく。
「グリリ」
口はもちろん、左目から鼻から耳から血が出ている。
体の方も、服ごとあちこち破けて流血している。意識もないようだ。今まで見た中で一番ひどい有様だった。内部から攻撃されたような‥‥あれ?
「まずい」
またやってしまった。
グリリに爆殺をかけたのだ。俺は慌てて跪いた。どこから治していいかわからない。
とりあえず、グリリ全体にドームを被せるイメージで、頭の辺りとお腹の辺りにそれぞれ手をかざした。
「こりゃ、ひでえな」
「医務室へ運んだ方が」
俺は集中した。周囲の雑音が消えた。学院生の姿も、机や椅子も消えた。
グリリは手術台の上にいる。まず出血を止める。組織が壊れた箇所は再生する。ズレたものは元の位置へ戻す。表の傷を繋ぎ合わせる。
起きない。
横から手が伸びてきた。
グリリの頭に触れる。呪文めいた単語がいくつか聞こえたかと思うと、グリリの意識が戻った。
俺は、気が抜けてへたり込んだ。
前世ストーカーでも、俺の召喚者でくっついてきて邪魔でも、人殺しはしたくない。
「よく出来ました」
マイア教授が笑顔で言った。出てきた手は彼女のものだった。俺は床から教授を見上げた。またうっすらと爬虫類の瞳が見えた。そこだけ笑っていない。
「あなたの試験は終わりです。彼を医務室へ運びなさい」
ザインがどこかから担架を持ってきた。目顔で俺に足を持てと合図し、自分は頭を担当する。二人して、グリリを担架へ載せた。
グリリは意識が戻っても起き上がれないようだ。目が虚ろで抵抗もしない。
ザインはそのまま担架を持ち上げると、先頭に立って歩き出した。手慣れている。
俺は医務室の場所を知らないから、助けてもらってありがたい。
「トリスって、すごいのな」
俺に背を向けたまま、ザインが言う。その手が持つ担架の上では、グリリがグリエルに変形しつつあった。少しずつ重みが減っていく。
「俺、回復魔法に頼らない医学を目指しているんだけど、やっぱり光魔法もあった方が、いいんだろうな」
最後の方は独り言に思えたので、俺は黙っていた。グリエルは猫らしからぬ伸び具合で、仰向けになっていた。その輪郭がぼやけてきたように見えて、俺は目を瞬かせた。
グリエルは、黒い雪だるま姿に戻っていた。目つきの悪い左目は、宙を見ている。
彼女のこれまでの言動からして、変身は闇魔法独自の能力らしい。
周囲にバレると、キナイがしたような攻撃を受けるかもしれない。とはいえ、両手は担架で塞がっているし、声を出せばザインの注意を引く。
俺は何とかして気づいてもらおうとグリエルを見つめたが、一向に目が合わない。とうとうザインが止まってしまった。
「来たね。おっ」
扉をどうしようか考える間もなく、引き戸が開いて、中から白マントを羽織ったおさげ髪の男の人が現れた。顔は優しげだが、マントの下に覗く体は筋肉隆々である。
「ツベルク事務次長。基礎科で怪我人が出ました」
ザインが報告しながら部屋へ入る。俺も担架と共に、後から入った。
ベッドがあって、医薬品の並んだ鍵付きの棚が壁際にあり、事務机と椅子が奥に設置されている。学校の保健室そのものだった。
「連絡を受けて待っていたよ。今は医務室長な」
ツベルク事務次長は棚から膝掛けのような薄い布を引っ張り出すと、担架のグリエルを上から包み込んで持ち上げた。ベッドへ運ぶつもりでいたザインが驚く。
「傷を受けて猫になってしまったようだ。心配ない。後はこちらでする。ザインくん、ここまで運んでくれてありがとう。戻ってマイア教授に状況を報告してくれ。トリスは事情を聞くから、残るように。一人で担架を教室へ戻せるかな?」
名前を呼ばれたザインが、喜びに頬を紅潮させた。
「戻せます。では、報告しに行きます」
「頼んだよ、ザインくん」
くるんだグリエルを抱えたまま、ツベルクは畳んだ担架を運ぶザインを見送った。
片手で引き戸を閉めると、グリエルをベッドに置いて、包みを開く。
目つきの悪い黒だるまのままだった。しかし、ぴょこっと起き上がったところを見ると、大分回復したらしい。
「すまん」
『あ、大丈夫です』
こちらをチラリと見たグリエルが頷いた。
「ふむ。その姿が本体か。喋れる?」
ツベルクが言った。グリエルの発言は俺にしか聞こえない。彼女は彼に向かって頷くと、俺に説明するよう頼んできた。
「事務次長、いえ医務室長。これから話ができる形に変わるので、攻撃しないでください、と言っています」
「分かった」
グリエルは俺たちの前で、グリリに変身を遂げた。
どういう理屈か服の破れも直っている。ただ、少し具合が悪そうだ。
「初等科研究科所属のグリリと申します。グリエルという雌猫にもなります。この度は、お手数をおかけしました」
「いや、君たちのことは、各科教授陣と事務次長、つまり私以上の幹部が知っているから、安心して何でも話していいよ。今回の件について、簡単な事情はマイア教授から聞いたけれど、既に伝聞だからね。君たちから改めて話を聞きたいな。あ、トリスくんも座って」
ツベルクが、机の前の椅子に腰掛けながら、俺に椅子を勧めた。木製の椅子が軋む。
「私が、グリエルに間違って爆殺の魔法をかけてしまったんです」
俺は座る気になれず、頭を下げた。
「グリリくんは別の場所にいたのに? まあ、座って」
再度勧められたので、流石に座った。グリリはベッドの上にへたり込むような姿勢でいる。
「わたくしは、薬学系の研究室で、ピニャ助教授から説明を受けているところでした。ツベルク医務室長、トリスは考えただけで魔法を発動できます。彼が最初に成功した魔法が、わたくしにかけた爆殺だったので、強い結びつきができてしまったと思われます」
「なるほど。ピニャ助教授、パニック状態だったみたいでね。後で二人とも顔を見せて説明して安心させてあげて」
「承知しました」
ツベルクは立ち上がった。頑丈な椅子が、ミシッと音を立てた。
「では、私は事務局に戻る。君たち落ち着くまでここにいていいよ。鍵を渡しておくから、出る時に閉めて、事務局へ返してね」
「はい」
鍵は俺が預かった。二人きりになると、グリリは猫化して、ぱたりとベッドに倒れ込んだ。
「まだ痛む?」
「いえ。傷は癒えています。あの姿が一番弱いみたいで、本調子ではない感じです」
それでこれまでで一番ひどい損傷だったのか。では、もしグリエルを倒さなくてはいけない場合。
「無効化」
グリエルが肉球をこちらへ向けていた。またやらかすところだった。
「すまん」
「お気になさらず。きっとここの先生方が鍛えてくださるでしょう。それで、早速ピニャ助教授のところへ行きませんか」
「ああ行くわ」
謝罪は早い方が良い。俺は保健室に鍵をかけ、グリエルと一緒に事務局へ返しに行った。事務室にはネイサンがいて、鍵を受け取る手続きを進めながら、グリエルに話しかけた。
「研究科の所属は決めました?」
「魔法系にしたいです」
「わかりました。では、身分証を預かります。夕食後に取りに来てください」
「はい」
ネイサンは猫と普通に会話していた。
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