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この制度が施行されて10年を過ぎた。10年なんて、あっという間だ。世界的には、死刑は廃止の傾向にあって、曲がりなりにも先進国を自負するこの国において、こうした制度が存すると知られる度、国内外を問わず驚きの声が上がる。声の多くは、人間の死に対する驚き、ひいては敬虔な気持ちが残っているという表明に過ぎないが、結構なことである。もちろん、国内外に存在する各人権団体から個人に至るまで、制度廃止を求めて活動する人々は後を絶たない。しかしながら、現状が続く限り、彼らが目的の達成を見ることはないだろう。
何故なら、まず第1に、いくら世界が死刑廃止の方向に動いているとはいっても、決して全廃とはならないからである。世界は一枚岩ではない。人間ひとりひとりが異なる考えの集積によって個性を現すように、死刑に対する考え方も時代や地域によって異なる。個性を尊重しながら、全ての行為をただひとつの道徳律に当てはめようとすることには矛盾が生じる。
死は、今のところ、全ての人間が避けることもできず、やり直しも効かない決定的な出来事である。この切り札を、治安の要として手放せない国家があるのは当然だ。死刑に限らず、戦争を引き起こして軍隊を送り込む行為も含めて考えれば、少しは想像がつく。人間が生じてこのかた、片時も戦を休まなかった。全ての人間は、とは言わない。特定の人間は、人を殺すことを止めようとは思わない。死刑だろうが、正義のための戦争で味方に犠牲者を出すつもりがなかろうが、目的のためには仕方がなかろうが、人が人に殺されることには変わりない。
第2に、継続する力の問題がある。一旦始まったものは、容易に終わらない。たとえそれが如何に非道であろうとも、目的を達成するか、或はそれが始まった時以上の強力な横やりが入らない限り、慣性というより惰性の法則に従って、制度は続く。事を終えるにも、新しく事を始めると同様の力を必要とする。継続にはさほどの力を必要としない。始まるまでが肝心なのである。
この制度の施行に関し、人権団体が手をこまねいていたと思うのは間違いである。彼らは信ずるところに従って精一杯の行動を起こした。彼らのために惜しむらくは、世間の反応が鈍かった。大抵の人間は、自分を善人と考える。悪人はどこかよその世界にいて、自分とは関係ない。関係の薄いところへ関心は向かない。実際、制度の関係者が総人口に閉める割合は僅かである。
死刑を執行される悪い人、悪い人に被害を被った人、死刑を執行する人及びその周辺。僅かな関係者の間でさえ、未だに意見は一致しない。娘を手荒に殺した犯人の命を重んじろと言われて、即座に応じる親はまずいない。そういう訳で、この制度は官僚の仕事の手順に組み込まれた。
朝、警備員の立つ門をくぐろうとすると、足止めを食らった。
「すみません。どちらへご用でしょうか」
若い警備員は口元を僅かに緩め、柔らかな口調でありながら、体でしっかりと進路を塞いだ。手順通りの応対である。二人の脇を、如何にも職員顔の男がすり抜けた。若い警備員は一瞬そちらに目を向け、また視線を戻した。やはり職員であろう。
「おい。その人は通していいんだ。帯刀さん、行ってください」
詰め所の中から声がかかった。若い警備員は戸惑った顔で年上の警備員に顔を向けた。私は救い主に目礼し、さっさとその場を離れた。こちらはいちいち顔を覚えもしないが、あちらは見知っているのだろう。
場合によっては数年に1度しか顔を見せないから、古株のうちでも私の顔を知らぬ者は少なくない。この程度で解放されたのはむしろ幸運であった。中には、好奇心を満足させるため、身分証を取り上げて必要以上に足止めする輩もいる。
職員も人間である。心情は理解できるが、快くはない。帯刀というのは本名ではない。江戸時代の役人に由来する役名であるが、私の身分証はそれがあたかも名前であるようにして作成されている。本名を知る者は、お偉方などごく限られた人間である。
事務所へ顔を出し、手続きを済ませると係員に連れられて専用の控え室へ案内された。その時々で、先にお偉方の部屋へ通されることもある。やはり好奇心であったり、不安の解消を求めたり、職務上の義務感からであったり、理由は様々である。
今のお偉方とは去年来た時に会ったから、好奇心も義務感も満たされた筈である。私にも、その方がありがたかった。封書を手渡すと、係員は私を残し立ち去った。
控え室には椅子と小机が置いてあり、机の上には着替えがある。壁の一方にパソコンが埋め込まれ、別の面は鏡張りである。隅にはシャワーが設えてある。着替えてから封筒を開き、中身を取り出す。カードが1枚。椅子をパソコンへ引き寄せる。壁にかかったヘッドフォンを耳にあて、スロットへカードを差し込むと、パソコン画面が明滅した。指定された暗証番号を打ち込み、ファイルを開いた。
今日の予定が入っていた。執行死刑囚の顔及び全身写真。年齢と性質と特技。特に武術は小学校の臨海学校における短期の経験に至るまで細かい記述がなされる。
この死刑囚は空手を始め、カポエラやら太極拳やら、やたらと武術経験が豊富であった。施設内で鍛える時間は限られるから、死刑が確定するまでの長い期間に技術も体力も多少落ちたと期待しても、難物ではある。
どうせマスコミが調べて報道するのだが、施設は死刑囚の名前や罪名を資料から頑固に除外していた。私も特に必要がない限り、資料にないことを知ろうとはしない。
それから、執行者の顔、年齢及び全身写真。
今日は第3執行者まで目一杯揃っていた。1人の死刑囚につき、執行者は私を含め4人まで選任され、共同して執行することができる。執行者が多すぎても、互いが邪魔になるだけで、死刑囚に隙を与えるだけである。執行者になろうとする人は、死刑が確定すると同時に登録を申し込むことができる。
申し込み期間は官報に掲載されるが、大体1ヶ月くらいである。従って、死刑が確定した後、死刑囚には最低1ヶ月程度の猶予が与えられることになる。
国籍条項にかからない満20歳以上であれば、誰でも執行者になれる。回数制限もない。実際には、執行が決まった際に連絡がとれない住所不定者が除かれたり、被害者やその遺族が優先して選ばれるので、国民が執行者となる機会は不均等である。
執行具は3人とも長刀。執行具に銃火器や飛び道具、毒は認められていない。素手か、紐又は鈍器、若しくは刀剣類に限られる。刀剣類の場合、予行演習で施設が危険と判断すると使えない。刃付きのブーメラン様の武器が不許可になった事例がある。反対に、鎖鎌で見事執行した者もあった。世の中にはいろいろな人がいる。今回の執行者たちは、元から稽古仲間だったのか、この日に備えて練習したものか。
パソコンを終了させると、カードが出てきた。今見た資料は消去されて、二度と見ることができない。パソコン本体にも残らない仕組みである。カードは封筒に収めて、係員へ返すことになる。
壁の鏡がぱっと切り替わった。私は壁際へ移動した。隣の部屋が丸見えとなった。天井に取り付けられたカメラまで見える。執行の様子は記録が義務づけられている。既に、死刑囚が四肢を床につながれてあった。予想よりもさらに生命力に溢れた体つきである。
タイミングよく、係員が迎えにきた。まずカードの入った封筒を返し、再び案内されて別の部屋へ入る。作り付けの金庫から道具一式を渡される。別の係員が3人の執行者を連れてきた。今日は全員揃って来た。
当日になって時間までに出頭しない者も、3割ぐらいいる。これまでと同様、私と3人は初対面である。写真で見たよりも、3人には血の繋がりが感じられた。そして、揃って写真よりも緊張に強張った顔で、死刑囚より脆弱に見えた。中でも年長の執行者が、係員に向けて言った。
「この人は?」
「助太刀です」
係員より早く、私が答えた。年長の執行者はなおも問い質したそうな素振りを見せたが、口には出さなかった。他の執行者と無駄口を交わさないこと、という契約書の条項を思い出したに違いない。
志願執行者たちは、多くの誓約を交わし、契約書に同意しなければならない。死刑囚に返り討ちとなっても、国や施設を訴えないとか、施設内を目隠しして歩かされても文句を言わないとか、執行具は原則没収及び廃棄とするなどといった細かい事柄まで決められる。
書類への同意は強制されない。ただし、全てに同意しなければ執行者にはなれない。大量の書類を読むうちに具合が悪くなったり、同意せずに執行者を降りる者は1割ばかりとなる。緊張で内容がろくに理解できないのに同意して、予行演習やこの部屋へ来た段階で何らかの問題を起こして執行者から外れる者が1割。執行にかかる怪我や死亡に下りる一般の保険金は相当に減額されるし、会社によっては全く補償されない。
外れた方が正解ということもある。この3人は、事前によく勉強してきたと見えた。公機関が発行するパンフレットの他にも、匿名の執行者体験集の類いは本屋に並んでいるし、インターネットで検索すれば、真偽はともかく、より真に迫った表現の情報まで手に入る。
執行者の4人は執行室へ入った。
何故なら、まず第1に、いくら世界が死刑廃止の方向に動いているとはいっても、決して全廃とはならないからである。世界は一枚岩ではない。人間ひとりひとりが異なる考えの集積によって個性を現すように、死刑に対する考え方も時代や地域によって異なる。個性を尊重しながら、全ての行為をただひとつの道徳律に当てはめようとすることには矛盾が生じる。
死は、今のところ、全ての人間が避けることもできず、やり直しも効かない決定的な出来事である。この切り札を、治安の要として手放せない国家があるのは当然だ。死刑に限らず、戦争を引き起こして軍隊を送り込む行為も含めて考えれば、少しは想像がつく。人間が生じてこのかた、片時も戦を休まなかった。全ての人間は、とは言わない。特定の人間は、人を殺すことを止めようとは思わない。死刑だろうが、正義のための戦争で味方に犠牲者を出すつもりがなかろうが、目的のためには仕方がなかろうが、人が人に殺されることには変わりない。
第2に、継続する力の問題がある。一旦始まったものは、容易に終わらない。たとえそれが如何に非道であろうとも、目的を達成するか、或はそれが始まった時以上の強力な横やりが入らない限り、慣性というより惰性の法則に従って、制度は続く。事を終えるにも、新しく事を始めると同様の力を必要とする。継続にはさほどの力を必要としない。始まるまでが肝心なのである。
この制度の施行に関し、人権団体が手をこまねいていたと思うのは間違いである。彼らは信ずるところに従って精一杯の行動を起こした。彼らのために惜しむらくは、世間の反応が鈍かった。大抵の人間は、自分を善人と考える。悪人はどこかよその世界にいて、自分とは関係ない。関係の薄いところへ関心は向かない。実際、制度の関係者が総人口に閉める割合は僅かである。
死刑を執行される悪い人、悪い人に被害を被った人、死刑を執行する人及びその周辺。僅かな関係者の間でさえ、未だに意見は一致しない。娘を手荒に殺した犯人の命を重んじろと言われて、即座に応じる親はまずいない。そういう訳で、この制度は官僚の仕事の手順に組み込まれた。
朝、警備員の立つ門をくぐろうとすると、足止めを食らった。
「すみません。どちらへご用でしょうか」
若い警備員は口元を僅かに緩め、柔らかな口調でありながら、体でしっかりと進路を塞いだ。手順通りの応対である。二人の脇を、如何にも職員顔の男がすり抜けた。若い警備員は一瞬そちらに目を向け、また視線を戻した。やはり職員であろう。
「おい。その人は通していいんだ。帯刀さん、行ってください」
詰め所の中から声がかかった。若い警備員は戸惑った顔で年上の警備員に顔を向けた。私は救い主に目礼し、さっさとその場を離れた。こちらはいちいち顔を覚えもしないが、あちらは見知っているのだろう。
場合によっては数年に1度しか顔を見せないから、古株のうちでも私の顔を知らぬ者は少なくない。この程度で解放されたのはむしろ幸運であった。中には、好奇心を満足させるため、身分証を取り上げて必要以上に足止めする輩もいる。
職員も人間である。心情は理解できるが、快くはない。帯刀というのは本名ではない。江戸時代の役人に由来する役名であるが、私の身分証はそれがあたかも名前であるようにして作成されている。本名を知る者は、お偉方などごく限られた人間である。
事務所へ顔を出し、手続きを済ませると係員に連れられて専用の控え室へ案内された。その時々で、先にお偉方の部屋へ通されることもある。やはり好奇心であったり、不安の解消を求めたり、職務上の義務感からであったり、理由は様々である。
今のお偉方とは去年来た時に会ったから、好奇心も義務感も満たされた筈である。私にも、その方がありがたかった。封書を手渡すと、係員は私を残し立ち去った。
控え室には椅子と小机が置いてあり、机の上には着替えがある。壁の一方にパソコンが埋め込まれ、別の面は鏡張りである。隅にはシャワーが設えてある。着替えてから封筒を開き、中身を取り出す。カードが1枚。椅子をパソコンへ引き寄せる。壁にかかったヘッドフォンを耳にあて、スロットへカードを差し込むと、パソコン画面が明滅した。指定された暗証番号を打ち込み、ファイルを開いた。
今日の予定が入っていた。執行死刑囚の顔及び全身写真。年齢と性質と特技。特に武術は小学校の臨海学校における短期の経験に至るまで細かい記述がなされる。
この死刑囚は空手を始め、カポエラやら太極拳やら、やたらと武術経験が豊富であった。施設内で鍛える時間は限られるから、死刑が確定するまでの長い期間に技術も体力も多少落ちたと期待しても、難物ではある。
どうせマスコミが調べて報道するのだが、施設は死刑囚の名前や罪名を資料から頑固に除外していた。私も特に必要がない限り、資料にないことを知ろうとはしない。
それから、執行者の顔、年齢及び全身写真。
今日は第3執行者まで目一杯揃っていた。1人の死刑囚につき、執行者は私を含め4人まで選任され、共同して執行することができる。執行者が多すぎても、互いが邪魔になるだけで、死刑囚に隙を与えるだけである。執行者になろうとする人は、死刑が確定すると同時に登録を申し込むことができる。
申し込み期間は官報に掲載されるが、大体1ヶ月くらいである。従って、死刑が確定した後、死刑囚には最低1ヶ月程度の猶予が与えられることになる。
国籍条項にかからない満20歳以上であれば、誰でも執行者になれる。回数制限もない。実際には、執行が決まった際に連絡がとれない住所不定者が除かれたり、被害者やその遺族が優先して選ばれるので、国民が執行者となる機会は不均等である。
執行具は3人とも長刀。執行具に銃火器や飛び道具、毒は認められていない。素手か、紐又は鈍器、若しくは刀剣類に限られる。刀剣類の場合、予行演習で施設が危険と判断すると使えない。刃付きのブーメラン様の武器が不許可になった事例がある。反対に、鎖鎌で見事執行した者もあった。世の中にはいろいろな人がいる。今回の執行者たちは、元から稽古仲間だったのか、この日に備えて練習したものか。
パソコンを終了させると、カードが出てきた。今見た資料は消去されて、二度と見ることができない。パソコン本体にも残らない仕組みである。カードは封筒に収めて、係員へ返すことになる。
壁の鏡がぱっと切り替わった。私は壁際へ移動した。隣の部屋が丸見えとなった。天井に取り付けられたカメラまで見える。執行の様子は記録が義務づけられている。既に、死刑囚が四肢を床につながれてあった。予想よりもさらに生命力に溢れた体つきである。
タイミングよく、係員が迎えにきた。まずカードの入った封筒を返し、再び案内されて別の部屋へ入る。作り付けの金庫から道具一式を渡される。別の係員が3人の執行者を連れてきた。今日は全員揃って来た。
当日になって時間までに出頭しない者も、3割ぐらいいる。これまでと同様、私と3人は初対面である。写真で見たよりも、3人には血の繋がりが感じられた。そして、揃って写真よりも緊張に強張った顔で、死刑囚より脆弱に見えた。中でも年長の執行者が、係員に向けて言った。
「この人は?」
「助太刀です」
係員より早く、私が答えた。年長の執行者はなおも問い質したそうな素振りを見せたが、口には出さなかった。他の執行者と無駄口を交わさないこと、という契約書の条項を思い出したに違いない。
志願執行者たちは、多くの誓約を交わし、契約書に同意しなければならない。死刑囚に返り討ちとなっても、国や施設を訴えないとか、施設内を目隠しして歩かされても文句を言わないとか、執行具は原則没収及び廃棄とするなどといった細かい事柄まで決められる。
書類への同意は強制されない。ただし、全てに同意しなければ執行者にはなれない。大量の書類を読むうちに具合が悪くなったり、同意せずに執行者を降りる者は1割ばかりとなる。緊張で内容がろくに理解できないのに同意して、予行演習やこの部屋へ来た段階で何らかの問題を起こして執行者から外れる者が1割。執行にかかる怪我や死亡に下りる一般の保険金は相当に減額されるし、会社によっては全く補償されない。
外れた方が正解ということもある。この3人は、事前によく勉強してきたと見えた。公機関が発行するパンフレットの他にも、匿名の執行者体験集の類いは本屋に並んでいるし、インターネットで検索すれば、真偽はともかく、より真に迫った表現の情報まで手に入る。
執行者の4人は執行室へ入った。
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