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二度目の人生
14 その中身
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翌朝、義父母が出かけるのを、入り口で見送った。
「お土産を持って帰るわね」
「これこれ。遊びに行くのではないぞ」
御者と、伯爵夫妻だけである。護衛はいない。ウィリアムもいなかった。
「お気をつけて」
思いを込めて言ったが、多分、伝わってはいない。扉を閉めた御者が、御者席へ飛び乗った。
「たまには、ゆっくり休んでね」
伯爵夫人が窓から手を振り、視線を遠くへ向けた。背後から足音が近付いたかと思うと、私の脇を、ウィリアムがガシャガシャと駆け抜けた。
「内鍵を掛け忘れていますよ。私も行きます」
動き出した馬車に取り付き、扉を開けて乗り込んだ。慌てて後ろへ下がった伯爵夫人も、伯爵も、予想外の様子だった。馬車は止まることなく、そのまま出発した。
「ロレンス。今日のウィリアム様のご予定は?」
「レンデル弁護事務所にて、打合せとのことでございます。先ほど伺いました」
執事はしれっと答えた。私が見送りに出た時には、知っていたのだ。尤も彼には、若主人の予定変更について、その妻への逐一報告の義務はない。
私は屋敷の中へ戻った。
ウィリアムが、私の妄想めいた警告を真剣に受け止めて、自ら護衛を買って出てくれたことに、喜びを感じた。
彼は帯剣していた。
マイクは屈強な男だが、一度目の人生では馬丁に過ぎない。日頃から、武器を扱い慣れていない筈である。
あの時の馬車の襲撃は、ジャコブと二人で実行したような話だった。
バウンティランド伯爵は、普段は剣を持たない。御者はただの平民である。戦闘には向かない。
伯爵夫人を人質に取られたら、殺意を持った平民二人を相手に、勝ち目はなかったのだろう。
今回は、剣を持ったウィリアムがいる。みすみす伯爵夫妻の命を取られることはあるまい。
そうだろうか?
バウンティランド家は、どちらかといえば文官の家系だ。
パスチャー伯爵のように、武術に興味を示したりもしない。ウィリアムが体を鍛え出したのは、瀕死の重傷を負った後である。むしろ、普通の人よりも柔弱と考えた方が合っている。
私はいつの間にか、ウィリアムを随分な贔屓目で眺めるようになっていた。
客観的に考えたら、彼一人の護衛は、不安でしかない。
パスチャー伯には、ジャコブとマイクを見張ってもらっている。だが、見張りの度合いまでは指示できない。始終張り付いているのか、巡回だけか。後者なら、ほぼ確実に出遅れる。
一度立ち上った不安は、別の不安を連れてきた。
ウィリアムが既に、メリンダに取り込まれていたとしたら?
彼は元より、バウンティランド家の後継者である。今のジェイコブを後継に推す者は、胡散臭い目で見られるだろう。
正式な継承手続きには、多少の時間がかかる。財産の整理をすると言っていたから、通常より長引くかもしれない。
伯爵夫妻が急死すれば、とりあえず財産を動かす権限はウィリアムに渡る。
メリンダが待ちきれず、ウィリアムを急かしたら?
彼は、実の両親を殺すだろうか?
そもそも一度目のウィリアムは、あれが謀殺と知っていたか?
事前には知らなかったとしても、勘付いた可能性は大いにある。事故現場からは、遺言の変更に関する書類が一切見つからなかったのだ。
それなのに、彼はメリンダとその父と兄を受け入れた。
ウィリアムとメリンダは、共犯なのだ。
私の足は、厩舎に向いた。馬を走らせれば、間に合うかもしれない。最悪、彼らの犯行を目撃しても、馬に乗ったままなら、離脱して助けを求められる。
騒がしい声が聞こえてきた。離れの方からだ。私は吸い寄せられるように、そちらへ向かった。
ジェイムズだった。聞くに堪えない悪口雑言を、休みなく喚き立てていた。
扉の脇に、トレイが入る程度の小窓が設えてあり、まさに半分開いたそこから食器の並んだトレイがはみ出していた。
私は無意識にトレイを引き出した。中身は空だった。カタン、と扉が落ちて、喚き声が途絶えた。
「ジェイムズ、まだそこにいるんだろ?」
くぐもった声が聞こえた。彼は、まだ自分をウィリアムだと思い込んでいるのだ。私は小窓を塞ぐ扉を、少しだけ持ち上げた。
「エレインです」
「珍しいな。そう言えば、母上付きの侍女になったのだったか。母上は‥‥ああ、それどころじゃない!」
ドタドタと足音が近付き、小窓から手がにゅっと突き出た。危うく私は手を離した。小窓が突き出た手の甲に落ち、五本の指先が芋虫のように蠢いた。
「エレイン、母上を止めてくれ! あいつは、ジェイムズは、俺になりすまして、俺を貴族から引き摺り下ろす気なんだ」
ジェイムズは、自分がウィリアムとなった代わりに、ウィリアムをジェイムズと思い込んでいるのだった。
二人の中身が入れ替わった、と考えるとわかりやすい。そうでも考えなければ、彼の外側に自分のような人間が存在することを、説明できない。
彼の言から推すに、ウィリアムは今回の措置を、ジェイムズに通告したようだ。そしてその措置は、彼の意に反している。
興味深い事に、彼は自分をウィリアムと主張しているにもかかわらず、貴族籍を失うジェイムズをも、自分と認識していた。
つまり彼は、今の外見がジェイムズであることを理解している。これを治癒への第一歩とすれば、ウィリアムの荒療治は、図らずも正鵠を射ていた事になる。
「伯爵夫妻は、既に出立なさいました」
「くそっ。メリンダがいれば」
ジェイムズの口から、メリンダの名前が出るとは思わなかった。小窓から出た指が、苛立たしげに床を叩く。
そのリズムに、聞き覚えがあった。まるで、警告音のように感じられた。
「メリンダが止めてくれなかったら、俺は平民どもに殺されていた。ジェイムズ。どうやったか知らんが、あいつが俺と体を入れ替えて、メリンダと引き離した。お前を俺に渡さない、とかほざいていたが、あいつの狙いはメリンダだ。あの燃えるような赤い髪に、金を思わせる瞳。お前のような地味な女とは大違い。自分の顔じゃ落とせないってわかって、俺の顔を手に入れたのさ。くそっ。お前の代わりにメリンダがこの屋敷にいれば、今頃俺は、元に戻れたに違いない」
「ジェイムズは、メリンダに会った事はない筈よ」
頭の芯が、すうっと冷えた感じがした。
目の前で蠢く指の持ち主は、ジェイムズの皮を被ったウィリアムなのだ。
不意に、納得した。
すると、この男の言う通り、ウィリアムの顔をした彼の中身は、ジェイムズなのである。それも、すとんと腑に落ちた。
彼を、助けに行かなければ。
私は、引き出したトレイをその場に置いて、厩舎へ駆け出した。
「おい、エレイン! 待て! 俺を出せ!」
ジェイムズの声で、本物のウィリアムが怒鳴っていたが、私は無視した。
「お土産を持って帰るわね」
「これこれ。遊びに行くのではないぞ」
御者と、伯爵夫妻だけである。護衛はいない。ウィリアムもいなかった。
「お気をつけて」
思いを込めて言ったが、多分、伝わってはいない。扉を閉めた御者が、御者席へ飛び乗った。
「たまには、ゆっくり休んでね」
伯爵夫人が窓から手を振り、視線を遠くへ向けた。背後から足音が近付いたかと思うと、私の脇を、ウィリアムがガシャガシャと駆け抜けた。
「内鍵を掛け忘れていますよ。私も行きます」
動き出した馬車に取り付き、扉を開けて乗り込んだ。慌てて後ろへ下がった伯爵夫人も、伯爵も、予想外の様子だった。馬車は止まることなく、そのまま出発した。
「ロレンス。今日のウィリアム様のご予定は?」
「レンデル弁護事務所にて、打合せとのことでございます。先ほど伺いました」
執事はしれっと答えた。私が見送りに出た時には、知っていたのだ。尤も彼には、若主人の予定変更について、その妻への逐一報告の義務はない。
私は屋敷の中へ戻った。
ウィリアムが、私の妄想めいた警告を真剣に受け止めて、自ら護衛を買って出てくれたことに、喜びを感じた。
彼は帯剣していた。
マイクは屈強な男だが、一度目の人生では馬丁に過ぎない。日頃から、武器を扱い慣れていない筈である。
あの時の馬車の襲撃は、ジャコブと二人で実行したような話だった。
バウンティランド伯爵は、普段は剣を持たない。御者はただの平民である。戦闘には向かない。
伯爵夫人を人質に取られたら、殺意を持った平民二人を相手に、勝ち目はなかったのだろう。
今回は、剣を持ったウィリアムがいる。みすみす伯爵夫妻の命を取られることはあるまい。
そうだろうか?
バウンティランド家は、どちらかといえば文官の家系だ。
パスチャー伯爵のように、武術に興味を示したりもしない。ウィリアムが体を鍛え出したのは、瀕死の重傷を負った後である。むしろ、普通の人よりも柔弱と考えた方が合っている。
私はいつの間にか、ウィリアムを随分な贔屓目で眺めるようになっていた。
客観的に考えたら、彼一人の護衛は、不安でしかない。
パスチャー伯には、ジャコブとマイクを見張ってもらっている。だが、見張りの度合いまでは指示できない。始終張り付いているのか、巡回だけか。後者なら、ほぼ確実に出遅れる。
一度立ち上った不安は、別の不安を連れてきた。
ウィリアムが既に、メリンダに取り込まれていたとしたら?
彼は元より、バウンティランド家の後継者である。今のジェイコブを後継に推す者は、胡散臭い目で見られるだろう。
正式な継承手続きには、多少の時間がかかる。財産の整理をすると言っていたから、通常より長引くかもしれない。
伯爵夫妻が急死すれば、とりあえず財産を動かす権限はウィリアムに渡る。
メリンダが待ちきれず、ウィリアムを急かしたら?
彼は、実の両親を殺すだろうか?
そもそも一度目のウィリアムは、あれが謀殺と知っていたか?
事前には知らなかったとしても、勘付いた可能性は大いにある。事故現場からは、遺言の変更に関する書類が一切見つからなかったのだ。
それなのに、彼はメリンダとその父と兄を受け入れた。
ウィリアムとメリンダは、共犯なのだ。
私の足は、厩舎に向いた。馬を走らせれば、間に合うかもしれない。最悪、彼らの犯行を目撃しても、馬に乗ったままなら、離脱して助けを求められる。
騒がしい声が聞こえてきた。離れの方からだ。私は吸い寄せられるように、そちらへ向かった。
ジェイムズだった。聞くに堪えない悪口雑言を、休みなく喚き立てていた。
扉の脇に、トレイが入る程度の小窓が設えてあり、まさに半分開いたそこから食器の並んだトレイがはみ出していた。
私は無意識にトレイを引き出した。中身は空だった。カタン、と扉が落ちて、喚き声が途絶えた。
「ジェイムズ、まだそこにいるんだろ?」
くぐもった声が聞こえた。彼は、まだ自分をウィリアムだと思い込んでいるのだ。私は小窓を塞ぐ扉を、少しだけ持ち上げた。
「エレインです」
「珍しいな。そう言えば、母上付きの侍女になったのだったか。母上は‥‥ああ、それどころじゃない!」
ドタドタと足音が近付き、小窓から手がにゅっと突き出た。危うく私は手を離した。小窓が突き出た手の甲に落ち、五本の指先が芋虫のように蠢いた。
「エレイン、母上を止めてくれ! あいつは、ジェイムズは、俺になりすまして、俺を貴族から引き摺り下ろす気なんだ」
ジェイムズは、自分がウィリアムとなった代わりに、ウィリアムをジェイムズと思い込んでいるのだった。
二人の中身が入れ替わった、と考えるとわかりやすい。そうでも考えなければ、彼の外側に自分のような人間が存在することを、説明できない。
彼の言から推すに、ウィリアムは今回の措置を、ジェイムズに通告したようだ。そしてその措置は、彼の意に反している。
興味深い事に、彼は自分をウィリアムと主張しているにもかかわらず、貴族籍を失うジェイムズをも、自分と認識していた。
つまり彼は、今の外見がジェイムズであることを理解している。これを治癒への第一歩とすれば、ウィリアムの荒療治は、図らずも正鵠を射ていた事になる。
「伯爵夫妻は、既に出立なさいました」
「くそっ。メリンダがいれば」
ジェイムズの口から、メリンダの名前が出るとは思わなかった。小窓から出た指が、苛立たしげに床を叩く。
そのリズムに、聞き覚えがあった。まるで、警告音のように感じられた。
「メリンダが止めてくれなかったら、俺は平民どもに殺されていた。ジェイムズ。どうやったか知らんが、あいつが俺と体を入れ替えて、メリンダと引き離した。お前を俺に渡さない、とかほざいていたが、あいつの狙いはメリンダだ。あの燃えるような赤い髪に、金を思わせる瞳。お前のような地味な女とは大違い。自分の顔じゃ落とせないってわかって、俺の顔を手に入れたのさ。くそっ。お前の代わりにメリンダがこの屋敷にいれば、今頃俺は、元に戻れたに違いない」
「ジェイムズは、メリンダに会った事はない筈よ」
頭の芯が、すうっと冷えた感じがした。
目の前で蠢く指の持ち主は、ジェイムズの皮を被ったウィリアムなのだ。
不意に、納得した。
すると、この男の言う通り、ウィリアムの顔をした彼の中身は、ジェイムズなのである。それも、すとんと腑に落ちた。
彼を、助けに行かなければ。
私は、引き出したトレイをその場に置いて、厩舎へ駆け出した。
「おい、エレイン! 待て! 俺を出せ!」
ジェイムズの声で、本物のウィリアムが怒鳴っていたが、私は無視した。
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