子爵令嬢は二度目の人生でも囚われる

在江

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二度目の人生

12 赤い影

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 ウィリアムは約束を守った。

 侍女には、当然のこと、私たちの間に交渉がないことは、すぐに知れた。
 彼らは、協定でも結んだように、何も聞かなかった。

 私が媚薬入りの香油と薬酒を止めるよう頼んだ時も、黙って従った。
 その代わり、一週間ばかり、どこから仕入れたのか、手を替え品を替え、扇情的な夜着をお仕着せてきた。

 寝室の花瓶にも、媚薬効果があると言われる草花を紛れ込ませて活けてあった。
 彼らに悪気はないのだ。

 「ごめん、エレイン。そそられてしまうから、もう少し肌を隠す服を着てくれないかな。次にそういう物を着るのは、君の気持ちが固まった時にして欲しい」

 遂に、ウィリアムから、申し訳なさそうに頼まれた。私は、結婚した妻の夜着は、こうであらねばならない、と思い込んでいた。

 侍女に頼むと、万が一人に見られても恥ずかしくないような、それでいてゆったりと着心地の良さそうな夜着が、ちゃんと用意された。
 その気もないのに、誘っていたように思われても致し方がない。私は恥ずかしくなった。

 私たちの寝室は、隣り合っており、扉一つで互いに行き来することが出来た。
 ウィリアムは、毎晩私の部屋を訪れ、他愛もない話をして帰るのだった。

 私がウィリアムの顔を見て、恐怖の記憶と結びつける回数は、少しずつ減ってきた。


 寝室で触れ合うことはなくとも、表向き、私たちは仲の良い夫婦らしく過ごしていた。

 社交パーティに出席すれば、エスコートで手を繋ぎ、ダンスを踊り、合間には連れ立って他の出席者と談笑した。都での行状を知る友人からは、驚きの目で見られた。

 「すっかり見違えた。当主になる前から隠遁生活か」

 まだ現役で遊んでいそうな知人から誘いをかけられても、ウィリアムは揺らがなかった。
 私は安心して、彼に体を預けられた。しかし、夫婦生活については、彼に抱かれても自分がまともでいられるかどうか、自信がない。

 相変わらず、私たちは白い結婚のままだった。


 「メリンダが、都から姿を消したそうだ」

 元悪友から知らされた時、ウィリアムは私の腰に手を回していた。僅かながら強張こわばりが伝わったことで、彼の動揺を感じ取ってしまった。彼の表情は、完全な平静を装っていた。

 「彼女の家族は、釈放されたのだったかな?」

 何食わぬ顔で尋ねた。

 「そうそう。メリンダが金を掻き集めて、あちこち運動かけたお陰で、ようやくってところか。あの時、親しくしていた奴らも処分されて、随分苦労したらしいよ。あの女、ちゃっかり奥方と幸せになったお前を見たら、恨むんじゃないか」

 「襲撃したのは、向こうの方だ。こちらは被害を届け出ただけ」

 ウィリアムは、淡々と言い返した。一度目と異なり、バウンティランド家は名誉より実を取った。
 彼の負傷が決闘によるものではなく、平民の集団暴行だと明らかにして、騎士団に被害を訴えたのだ。

 その結果、貴族を襲った平民たちに、重い刑罰が科されたのである。
 事件を世間に流布るふさせる公開処刑こそまぬがれたものの、彼らは鉱山送りなどの重労働や鞭打ち、重監獄送り、と普通の生活には戻れないような罰を受けた筈であった。

 賄賂で便宜を図る人間は、騎士団以外にも大勢いる。メリンダは、父と兄が無事に戻れる程度の金を、集めることが出来た訳である。
 彼女自身は、今回も罪に問われなかったのだ。

 「逆恨みってのが、あるだろ。ま、せいぜい気をつけな」

 彼との話はそれで終わったが、その後のウィリアムは、どこか上の空だった。私は漠然ばくぜんと不安を感じた。


 メリンダの消息不明を聞いた後、ウィリアムが街へ出かける回数が増えた。
 同時に、私を街から遠ざける感じがした。街で買いたい物が生じると、翌朝には誰かに買わせるか譲ってもらうかして、調達されている事がしばしばあった。

 彼女に会っているのだ。私は直感した。
 あの赤毛と、黄色く光る目がチラつく。思い出すだけで、気分が悪くなり、手足が震える。

 ウィリアムの私に対する態度は、変わらなかった。私に必要以上に触れないよう注意しつつも、気遣いを忘れず、こまめに贈り物もしてくれる。

 「近頃、具合が悪そうに見える。無理をしているのではないか?」

 私は彼に、メリンダと会っているのか、尋ねることが出来ない。私に知られた途端、以前のウィリアムに戻るのでは、と思うと、恐ろしい。

 「ご心配、ありがとうございます。皆様、よくして下さるので、無理はしておりません」

 私に動かせる手勢があれば、ウィリアムを間断かんだんなく見張ることができるのに。

 今回のメリンダは、バウンティランドの屋敷には、未だに訪ねて来ない。
 都から消えた、という噂の後、どこかで姿を現した話も聞かなかった。

 どうせここへ来たとしても、伯爵夫妻に追い返されるのだが。
 来る筈の者が来ないのは、落ち着かなかった。

 彼女もまた、一度目よりも賢くなっていた。まるでウィリアムのように。それとも、彼の指示で、大人しくしているのか?

 ウィリアムもまた、私と同様に、二度目の人生を歩んでいるのだろうか?

 私の死後、バウンティランド家が没落の一途を辿った事は、疑いない。一度目のウィリアムに、領地経営の才はなかった。
 頼みのジェイムズも、最後に見た様子では、長くはなかったろう。

 メリンダが、ウィリアムを愛していたかは、疑問だ。
 彼がそのことに気付き、一度目の人生を後悔のうちに終えたならば、都での態度も納得がいく。しかし、それでは、最近の彼の動きが説明できない。

 私の勘違いだろうか? メリンダが都から姿を消したからと言って、バウンティランド領へ来るとは限らない。
 彼女がこの地へ来たとしても、ウィリアムが相手にするとは限らない。
 私は自らに言い聞かせ、良い方へ考えようと努めた。

 私の悶々とした思いは、唐突に解消した。但し、悪い方向へ。
 ウィリアムが街へ出かけた後、義母が私を外出へ誘ったのが、きっかけだった。

 「最近、元気がないように見えるわ。気晴らしに、街で美味しい物を食べましょう」

 「でも、ウィリアム様も街へ出かけているのに、私まで勝手に外出して良いものでしょうか?」

 「大丈夫よ。お客が来る予定もないし、そんなに時間は取らないわ。屋敷に閉じこもってばかりいては、気がふさぐでしょう」

 閉じこもる、との言葉に、ジェイムズを思い出した。

 「あの、義母様。ジェイムズ様のお加減は、如何でしょうか?」

 伯爵夫人の顔が、曇った。

 「変わらないわ。食事も入浴も欠かさないから、体が健康なのは、喜ばしいことね。あの子も外へ出してあげたいのだけれど、ウィリアムと呼ぶ訳にもいかなくて」

 「やはり、ご自身をウィリアム様と思い込んでおられますか?」

 「ええ、そうなの。思えば、私たち、あの子が大人しいのを良いことに、ウィリアムにばかりかまけていたわ。領地の事も、気が紛れるかと思って教え始めたのに、いつの間にか、随分な仕事を任せてしまって。あの子の優秀さに甘えていたのね。もしかして、貴女たちも、あの子に気を遣って、その‥‥子供の事」

 「いえっ。それは、その、ウィリアム様と私の間の問題で」

 遂に、義母の口から言わせてしまった。私たちが白い結婚であることは、義両親も把握していたのに、これまで見守ってくれていたのだ。

 焦って否定し、義母の口出しを責めるような言い方になってしまったと気付く。

 「ご心配をおかけして、申し訳ございません。そのような事ではないので、ご安心を」

 一度目の記憶が邪魔して夫が怖いとも言えないし、ジェイムズの方が好きだったなどとは、口が裂けても言えなかった。結果、曖昧な物言いとなり、義母を安心させるには至らなかったと思うのだが、彼女は優しく頷いた。

 「貴女を責めるつもりはないのよ。ずっと仲良く見えていたのに、近頃ウィリアムは忙しそうだし、貴女は元気がないし、気になってしまって」

 「お気遣いを、ありがとうございます」

 馬車が、ガタンと揺れた。いつもの御者と馬車は、ウィリアムが乗って行ってしまったので、私たちは見習いと予備の馬車を使っていた。

 「師匠が引退するまで見習いです」

 と、暗に一人前と主張した若い彼は、やはり見習い相当の腕前だった。


 街へ到着すると、伯爵夫人は早速、私を店へと連れ込んだ。

 「昔ながらのお店も良いのだけれど、若い人にはこういう感じの方が気楽と聞いたのよ。この街にも、都にあるような店ができて、嬉しいわ」

 私は、どちらの店にも縁がなく、初体験となった。
 地方で暮らしていると、自宅の外で飲食するのは、知り合いの屋敷か、せいぜいが野外ピクニックである。

 婚約期間が長ければ、二人で外食する機会もあったろう。一度目も二度目も、私にはその機会もなかった。

 広い店内は、衝立ついたてや背の高い植木鉢などで仕切られ、個室のように周囲の目を気にせず過ごせるようになっていた。

 完全な密室でない辺りが逆に、令嬢の安心感を得ていると思われた。内容までは聞き取れないが、女性の声が多く聞こえるように感じた。

 美味しい紅茶と、見た目も可愛らしいタルトを頂く頃には、私の気持ちも解けていた。
 店内では、伯爵夫人も私も、他愛ない話題に終始した。

 視界の端を、ウィリアムと赤毛が横切った。

 義母は、こちらを向いて話す最中であった。背の高いウィリアムは衝立の上からはみ出しており、赤毛はその隙間からチラチラと視界を奪うので、見間違いようもなかった。

 二人は、あっという間に去って行った。私は彼らを追いかけるよりも、まず心を落ち着けるため、伯爵夫人の話に集中した。

 赤毛は、メリンダであった。
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