爛れ顔の聖女は北を往く

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2.聖女、仲間を得てやらかす

31.S級冒険者の邂逅2

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 宿屋の壁に背を預けて抱えた膝に突っ伏した姿は、物乞いか、浮浪児かと思ったが、着ている衣服や靴は多少の汚れはあるものの真新しく、生地も上等なものに見えた。
 
「……生きてるのか」
 
 近づいてもぴくりとも動かないので死んでいるのかと思ったが、よくよく観察すればわずかに肩が上下しており、寝ているらしかった。
 土地柄と身形からそれなりに大きな商会の関係者かと思われたが、それにしてはなぜ人目を避けるようにこんな裏道にいるのか。
 何かしらのワケがありそうではあるが、だとすればこの宿の近くはまずいだろうと思った。宿泊客の安全や店の評判のため、客にもそれなりのマナーやドレスコードを求める宿だ。
 そろそろ洗濯物を干しにこの裏口から女将が出てくる。見つかればゴミを掃くように箒で追いやられるだろう。下手をすれば警邏を呼んで連行されかねない。
 こんな場所で深く眠り込むほど疲れ果てているのだと思うと、女将に見つかる前に起こして逃がしてやる気になった。

 声をかけ、肩を叩いてようやく飛び跳ねるように起きたのは、顔色の悪い女だった。
 よく見れば頬は青白く、唇も色もなくカサついている。だが細い手や爪は綺麗に整えられていて荒れは見られない。どうにもちぐはぐな印象を受けた。
 被ったフードで目元に影が落ちてわかりにくいが、瞳は黒に近い深い色をしていそうだ。
 商家の娘、を装った貴族令嬢だろうかとあたりをつけたが、本人は違うという。
 
「――その髪色で貴族じゃねぇってのはこの町じゃ通らねぇことぐらい、世間知らずのお嬢サマでもわかってんだろ?」
「えっ」
 
 しかし首を振った拍子にフードから零れ落ちた髪は艶やかな黒で、瞳もやはり黒い。嘘をつくならせめてどちらかの色を変えるかしろと言いたい。
 まるで意外なことを言われたとばかりに目を丸くして動きを止めた女は、けれど本当にわかっていないように見える。

 異世界からくる聖女と同じ色を持つ、世間知らずな女。
 ――まさか、という思いが頭の片隅を過る。
 
 見るからに健康状態が悪く、いる場所も服装も明らかに人目を避けようとしている。そしてリネンに包まれた大荷物は、魔物に襲われた村から逃げる人々のそれによく似ていた。
 
(予想通りなら、思った以上にめんどくせぇことになってそうだな……)
 
 
 迷ったが貴族相手の約束を平民に過ぎないヴィルが反故にすることもできず、王都からの脱出手段を教えてやり見送った。
 <穴熊>の老婆なら、女の髪と瞳の色を見れば北上することを勧めるだろう。逃亡者の心理としてできるだけ遠く、人の出入りが多く紛れ込みやすい大都市と考えるのであれば、目的地は北都イェーレブルーになる。
 そうでなくとも王都での予定をすべて終えてから追いかけても、旅馬車に追いつくことは可能だ。
 
 当初の予定よりだいぶ短縮したとはいえ、二週間ほどかけて情報収集をやり遂げたヴィルは、報告を送った後、<穴熊>に顔を出して女が来店したこともしっかりと確認した。これで王都ですべきことはすべて終わった。
 馬を借りて王都を出る。まずはトルトゥへ出て、そこからいくつかあるイェーレブルーまでのルートを絞り込むつもりだ。


 トルトゥの街で情報収集をしていれば、どことなく南へ向かう際に通った時よりも治安が良くなっているように感じた。
 
「ひと月ほど前に来た時より、なんだか街の雰囲気が変わったな」
 
 適当に入った酒場のカウンターで、何とはなしに店主に尋ねれば、よくぞ聞いてくれた、とばかりに店主は口の端を釣り上げた。
 
「わかるかい兄さん! ちょっと前に新人の冒険者が宿で暴漢に襲われたらしくてな」
「ふーん? 花の売り買いで揉めたのか?」
 
 よくある話が街の雰囲気の変化とどうつながるのかわからずに首をかしげる。
 
「いや、それがどうもその新人は売ってねぇのに夜中に男が部屋に押し入ったってんだ」
「それはまた……」
「その新人に商家にお嬢さんが指名依頼して事件が発覚、お嬢さんが大層お怒りで家を通して衛兵団やら商業ギルドやらに苦情を申し立てたってわけよ」
 
 なるほど、確かに夜間巡視の衛兵が増えていたり、商家や飲食店が閉店後も出入口の明かりを点けたままにしていて、人目と明るさが確保されている。
 これでは夜の闇に紛れて店や宿に忍び込み、盗みや乱暴を働くような輩もやりにくかろう。
 
「新人に指名依頼……?」
「その新人の魔法で、お嬢さんの愛犬が人の言葉をしゃべったっていうんだが……そんなことができるもんなのかねぇ?」
 
 ことの経緯よりも新人に過ぎない冒険者を指名することを不思議に思えば、店主も半信半疑といった風に首をかしげながらも教えてくれた。
 最も、店主の疑問は犬の方にあるようだが。
 
「テイマーならある程度は意思の疎通もできるとは聞くが……ペットの犬に魔物ほどの知能があるとは聞かねぇな」
「この街の愛犬家たちがこぞってその新人を探してるって話だぜ、賞金まで出るらしい」
「おいおい、もう指名手配犯じゃねぇか」
 
 新人相手になんとも大仰なことだ、と笑ってしまう。さすがに賞金はないだろうが、どこにでも信じる馬鹿というのはいる。件の新人は苦労をするだろうが、目立つようなことをした自業自得ともいえる。それとも腕に自信があって、わざとそのように売り込んだのか。

 情報の礼代わりに追加で酒を注文をしつつ、探し人とは関係がなさそうだと聞いた話を酒とともに喉へ流し込んだ。
 犬がしゃべったならそれはそれで大事な気もするが、どうせ尾びれ背びれだろう。
 
 
 店を出れば以前までは暗い店や通りが多く、路地には酔っ払いが転がっていたものだが、今夜の大通りではそれがない。
 街全体となるとまだそこまでいきわたってはいないようだが、それもいずれ、といった風である。
 街の治安が良くなるのはヴィルとしても面倒ごとが減ってありがたい。酒場で絡まれたり宿に押しかけられたりといった迷惑には懲り懲りしている。

 残念ながら探している女は見つからず、それらしい目撃情報もなかったが、気分良く街を出た。
 情報がないとはいえ、旅馬車で北部を目指すのならトルトゥに立ち寄らないはずはない。うまく髪や瞳の色を隠し、目立たぬように行動してすでに先へ進んでいるのだろう。
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