爛れ顔の聖女は北を往く

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2.聖女、仲間を得てやらかす

24.再会……?

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 指先を草の汁で緑に染めながら、麻袋がぱんぱんになるまで目に付いたハーブたちを摘んだシャナは――
 
「”影縛り”! ”影縛り”! ”影縛り”ぃぃぃ……っ!」
 
 窮地に陥っていた。 
 採取に夢中になるあまり、エドガーが解体を行っている川辺からいつの間にか遠く離れてしまったらしい。
 街道から逸れた草原は、先も体験した通り魔物の群れが次々に連鎖して襲い掛かって来る危険地帯だ。
 周囲を取り囲んだ角兎ホーンラビット大野鼠プレインズラットに手当たり次第に足止めの闇魔法をかけていくが、当然ながら全ての個体を止めることはできない。
 
 ひぃひぃ言いながら足止めを繰り返し、合間に”光線”で少しずつ倒すしかない。
 右側から一直線に突進してきた角兎を転がるように避け、大きな前歯を見せつけるように大口で向かってくる大野鼠を辛うじて躱す。
 転がりすぎて川がどちらの方角だったかも怪しくなってきた。
 
「うっひゃぉう……っ?!」
 
 踏んだ小石でバランスを崩した拍子に、間の抜けた悲鳴が漏れた。
 ごろん、と前転の要領で地べたを転がったが、立ち上がるより先に大野鼠の長い前歯が眼前に迫った。

(――あ、これだめなやつ)

 瞬間的に死を悟った。
 お父さん、お母さん。友人たち。上司と同僚……はこの際いいかもしれない。とにかく次々と脳裏を大切な人々の顔が過った。
 
(――これが走馬灯かぁ)

 我ながらなんとも呑気な感想が浮かぶ。
 命の危機に見舞われると世界がスローモーションで見えるというのは事実らしい。そんなどうでもよい感動も覚えたが、果たしてこれは来世に記憶として持ち越せるだろうか。
 できれば来世は異世界召喚などされず、平和な日本で老衰で死にたいものである。
 
 早々に今世を諦めたシャナだが、この世界の神は彼女を見放してはいなかったらしい。
 ――「人の頭上ですっぱだかでいちゃつきやがって」なんて思って申し訳なかったかもしれない。

 ざぁ、と風が吹いたと思ったときには、周囲を取り囲んでいた魔物たちは一匹残らず斬られて地に臥していた。
 何が起きたのかわからないが、命の危機が去った事だけは感じ取れた。
 
「……あれ?」
「新人か? こんなとこまで来るならチーム組んだ方が……あ?」
 
 座り込んだまま顔を上げたシャナに、どうやら命の恩人らしき冒険者が剣についた血を払いながら声をかけた。
 日を浴びてきらきら光る銀にも見える淡いプラチナブロンドと、深い暗緑色の瞳。目つきは鋭く精悍なその男には見覚えがあった。
 男もフードが落ちたシャナの顔をまじまじと見て首を傾げる。間違いなく泥だらけなのであまり見ないでほしい。
 
 お互いに互いの顔に見覚えがあるが、どこの誰だか思い出せない――そんな気まずい空気が二人の間に漂っている気がした。

「えーと……、危ないところを助けていただきありがとうございました」
「あー……、この辺はせめてもうちょい装備整えてからにしとけ、よ……?」
 
 当たり障りなくこの場でまず真っ先に言うべきお礼をシャナが口にすれば、男は「前にもこんな話した気がするけど、その時の奴とは別人だよな?」という顔で曖昧に注意を返す。
 
「……」
「……」
 
 どちらともなく見つめ合った。
 いや、お互いに目の前の顔をどこで見たのか、記憶を懸命に漁っているだけで見つめ合っているわけではない。雰囲気で何となくわかる。そんな空気感がますます気まずい。

「……初めまして、E級冒険者のクラシャナです」
 
 思い出せないならいっそ初めましてという事にしてしまえ、と強硬手段ではあるが、自分の記憶力が当てにならない事を知っているシャナは初対面の挨拶からやり直すことにしたのだった。
 
「! <北辰の牙>のヴィルヘルムだ。街に戻るなら送ってやるが」
 
 男――ヴィルヘルムも意図を汲んでくれたおかげでなんとか気まずい空気は霧散した。
 <北辰の牙>というのは聞き覚えがないが、彼の所属するチームの名だろう。もしかしたら高位の冒険者が持つという二つ名かもしれない。
 
「あ、川近くに仲間がいるんです。うっかり採取に夢中になってしまって……」
 
 言いつつ転がる最中も手放さなかった麻袋を軽く持ち上げた。中のハーブたちはきっとよれたり潰れたりで散々だろうが、どうせ乾燥させた後は細かく砕く予定のものだ。風味は落ちるかもしれないが自分が使うだけなら特に問題はない。
 
「ならそっちに向かうか」
 
 言うなり歩き出したヴィルヘルムに、彼が川まで案内してくれるつもりなのだと察した。
 この世界は日本よりも男女ともに平均身長が高いようで、ヴィルヘルムも例に漏れず長身だ。冒険者らしく服の上から革と金属を組み合わせた胸当てを身につけ、腰には先ほどシャナを救ってくれた長剣を佩いている。
 後頭部の髪がぴょこんと跳ねているのは寝ぐせだろうか。歩くたびにぴょこぴょこと揺れて――
 
「あっ」
「あ?」
 
 銀にも見えるプラチナブロンドの寝ぐせが揺れる様を見て、唐突に思い出した。
 思わず声が漏れてしまって、ヴィルヘルムが何事かと振り返る。慌てて首を左右に振った。
 
「いや、なんでもないです」
「怪我はないように見えるが……痛みがあるなら無理するなよ」
「ありがとうございます。転んだけど怪我はないので大丈夫です」
 
 素早くシャナの全身を観察した視線にはこちらへの気遣いが見える。その瞳の深緑も、精悍な顔立ちも見覚えがあるはずである。

(王都で<穴熊>を教えてくれた第一異世界人……)
 
 監禁された王城の客室からなんとか逃げ出し、けれど何も知らない異世界の街中で自分がどこにいてどこに向かえば良いのか、何もかもがわからなかったシャナに、道を示してくれた人。
 あの時も言葉は荒いが優しい人だと思ったのを思い出して、改めて実感した。
 ヴィルヘルムは王都の宿屋裏で会った厄介そうな家出令嬢(誤解)のことなどもう忘れてしまっているようだが、あの時も今もその優しさによってシャナは救われた。

(この世界で初めて私に優しくしてくれた人――ヴィルヘルムさん)
 
 改めてもう一度、彼に幸いあれと、そっと祈った。
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