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花火
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市の花火大会の日、俺は大学時代の友達に呼び出されていた。
村井という男で、定期的に質が良い(と彼が判断した)無料AVを教えてくれるやつだ。
友達といっても二人きりで会ったことはなく、今回も「職場の先輩が飲み会をセッティングしろってうるせえんだよ」というわけだった。
「メンツが足りねえから来てくんない?」
禁酒を考えていたところだったがAVを紹介してくれるという恩義もあって誘いにのった。
土曜日の午後三時、茹だるような暑さの中を俺は出かけていった。
飲み会の目的は花火ではなく、地ビールとB級グルメで女の子と楽しく騒ぐことにあるらしい。
指定された場所を聞いて、商工会のイベントだと気づいた。五十川さんと一緒に行ってみたかったイベントだ。
結局、断られるのが怖くて誘えなかったな。
ひょっとしたら、という淡い期待に縋っているから、決定的な一打をくらってしまっては立ち直れない。
どうすれば良い返事をもらえるのか見当もつかないが、まだ諦めたくなかった。
とりあえず、気分転換だ。
村井は盛り上げ上手なやつだった。学生時代から村井が幹事の飲み会でハズレた記憶がない。
外車のディーラーで働いているらしいが、そつのない調子の良さを思えば天職だろう。
イベント会場に入り、まず目に留まったのが安っぽいパーティー用の三角帽子をかぶった男だった。
俺は迷うことなくその男がいる一角を目指した。
「村井!」
「お~弥田ぁ、元気だったか?」
「まあまあ、お前は相変わらずそうだな」
村井はにやりと笑い、腕を俺の首に回した。
耳元で、「また良いヤツ見つけてんだよ、そのうち送るな」と悪巧みを打ち明けるように囁かれる。
良いヤツ、とはもちろんAVのことだろう。
「弥田の感想が毎回楽しみでさ、あ。そうだ、俺ここから離れらんないから適当に食べ物買って来てもらえると嬉しいんだけど」
ぽんと肩に手を置かれ、会話はもう違う流れになった。
「何人来るんだ?」
「男女それぞれ六人ずつ」
丸テーブル二つに「御予約席」のプレートが置かれている。
「はじまっちまえば自分たちで買ってもらうけど最初だけはあったほうがいいだろ」
俺は差し出された五千円札を受け取り、「このために俺を呼んだな?」と顔をしかめた。
「弥田はイイヤツで助かるよ~」
「はいはい」
男の友情なんてこんなもんだ。
しばらくしかめ面で露店を見回っていたが、食欲をそそる匂いには敵わない。
唐揚げと焼きそばははずせないよな!
お小遣いをもらった子供のように五千円を握りしめ、うきうきとイベント会場をうろついた。
地鶏の焼き鳥も捨てがたい。あ、枝豆もある!
「こんにちはぁ、何かお探しですか?」
「あ…お疲れさまです」
見覚えのある顔に記憶を探る。
「どれも美味しそうなんで迷ってしまって」
運営スタッフのTシャツを着ているということは商工会の、事務の女性か!
「迷いますよね、わたしはお昼にホルモン入りの焼うどん食べたんだけど美味しかったですよ」
「焼うどんかぁ」
「席は取れてます?」
「友達が予約してくれてたみたいで」
三角帽子の男を指差すと、女性は笑った。
「村井さん」
「知り合いですか?」
「何度か飲みの席で一緒になったことがあるの。途中参加、しようかな」
「え?」
「五時までだから、仕事。せっかくなら地ビール飲んで帰りたいし、あ、無線だわ」
名前を聞く暇もなく、女性はひらりと手を挙げて人混みに紛れていった。
村井に聞けば分かるか。
焼うどんという新たな選択肢もあったが、つまみやすさを優先して唐揚げと枝豆を買った。
五千円では足りなくて、少し自分の財布から持ち出した。
席に戻ると、それぞれが自分の飲み物を調達しているところだと言われた。
呑んだらまた泣くかな。
「呑まねえの?!」
「ああ…ちょっと胃の調子が悪くて」
もごもごもと言い訳をする。
「胃? 大丈夫かよ」
「大したことじゃないんだけど」
陽気に酔っ払っていく周囲を、支離滅裂なことを言って大笑いしているのを、半ば羨ましい気持ちで見守った。
俺だって、毎回泣くわけじゃないんだけどな。今は、きっとだめだ。
十七時を過ぎ、商工会の女性が顔を出したときにはみんな完璧に出来上がっていた。俺は適当に相槌をうちながら、まだ明るい空を横切る飛行機をぼんやり見ていた。
「呑んでないの?」
「はい…あ、イスがないですね」
「いいわよ、どこかに」
見回しても周りに空いているイスはなさそうだった。
「ここ、いいですよ。俺、帰るんで」
「ええ! 帰っちゃうの?」
「なにぃ? 帰んのか!」
「まだいたらぁ?」
「ここからも花火見えるよ?」
「実は会社から電話入ってて」と嘘をついたつもりが本当にスマートフォンが鳴った。
「あ…それじゃ」
「なんだよーまたなぁ! 胃、治せよ!」
電話は会社ではなく、五十川さんからだった。
何事だろう。
人混みを抜けながら、「もしもし」と応える。
『お疲れ、五十川だけど』
「お疲れ様です! どうかしましたか?」
『いや…うちの犬見なかったかなと』
「ソーシ? 逃げたんですか?」
『知らないよな。地ビールの行ってんだっけ、悪いな楽しんでるとこ、一応、聞いてみただけ』
切ってしまいそうなのを慌てて声をかける。
「もう抜けたんです! 探しますよ、一緒に」
『もう? …いいって、そのうち帰ってくるし』
「今、河原ですか? どうせ帰り道なんで。すぐ行きます」
返事を聞く前に通話を切った。
ビール呑まなくてよかった!
今回の飲み会のことを知っていたのは意外だが、まあ社長あたりから聞いたんだろう。というか、社長にしか話してないから、社長から聞くしかない。
俺を急かすように遠雷が鳴る。一雨くるのかもしれない。
自転車を走らせて街中を抜け、川沿いのジョギングコースのどこかにいる五十川さんを探しながら進んだ。
もうすぐ自宅、というところでベンチに座る姿を見つけた。
「まだ見つからないですか?」
「ああ。つか、飲酒運転」
「違いますよぉ、呑んでないんで」
「は? 地ビールのやつ行ってたんじゃねえの?」
「そうですけど…呑むと泣きそうなんで」
「情けねえやつだな」
首元にタオルを巻き、Tシャツ、短パン、ビーチサンダルという気の抜けた格好の五十川さんは、それはそれでグッとくるものがある。
「それより! ソーシ探さなくていいんですか!」
「交番には言ったし、まあ、そのうち帰ってくるよ」
「よく逃げるんですか?」
「俺は逃げられたことなかったんだけど、母親は時々そういうことがあるらしい」
「この前、俺が見つけたときも興奮した感じで走ってましたね…あ、行ってみます?」
「どこに?」
「その時ソーシが向かった土手」
自転車からおりて押して歩く俺に五十川さんが並ぶ。
空では警鐘のような雷がゴロゴロと不吉に轟いている。
ソーシが駆け上がった土手に来てみたが姿は見えなかった。
「いないですね」
「たくっあの馬鹿犬…巻き込んで悪かったな、でも俺は来なくていいって言ったからな」
「ははっ嬉しかったんです。連絡もらって、頼ってもらったみたいで。役には、立ちませんでしたけど」
五十川さんが何かを言いかけて口ごもる。
「…雨だ」
「え?」
ぽつり、と鼻先に雨粒を感じた。
「降り出したな」
西陽は射しているから通り雨だろう。
「見つかったら連絡するから」
雨はもう地面を黒く濡らし、雨音に混じって子ども達のきゃあきゃあと叫ぶ声が聞こえる。
このまま別れたくなくて、帰ろうとする五十川さんの手首を掴んでいた。
「うち、この近くなんで雨宿りしてってください」
眼鏡のレンズを水滴が伝う。その奥の瞳が迷っているように見えた。
「早くしないと! 濡れちゃいます!」
俺は自転車をその場に置き鍵をかける。
「ほら!」と再び手首を掴み土手を駆け上がった。
五十川さんは何も言わなかった。俺も振り返らなかった。
我が城リバーサイドまで五分もかからなかったが、雨の勢いは止まらず滝に打たれた後のようにずぶ濡れになってしまった。
「けっこー濡れちゃいましたね。シャワー浴びてってください。服も貸しますんで」
髪から滴る水とか、濡れてはりついたTシャツとか、そういうのはなるべく見ないようにした。
どうにも気まずくて、わざとらしいほど明るい声色になる。
試されているのかもな。神か仏かそれとも…悪魔に。
***
俺がシャワーを浴びて出てくると、五十川さんは窓を開け外を眺めていた。
外はすっかり暗くなっている。
「雨、 上がったぞ」
俺の部屋にいる俺の服を着た五十川さんは、いつもより自信なさげで小さく見えた。
「通り雨だったんですね、ソーシ大丈夫だったかな。あ、カフェオレどうでした?」
「美味かったよ」
「よかった」
五十川さんは伏し目がちだ。
「帰るな」
そう言われても今度は引き止める理由が思いつかない。
「俺も自転車取りに行きます」
二人して狭い玄関を出た。
聞きたいことがある。言いたいことがある。でも…それをしてしまうと五十川さんを困らせてしまう。
「花火の打ち上げできそうでよかったですね」
「……俺が電話かけたからか?」
「え?」
「飲み会、してたんだろ。花火だってそいつらと見てくりゃよかったんだよ」
「いやぁ、ああいう席は素面じゃ楽しめなくて、帰ろうとしたところで、ほんともうグットタイミングで電話もらったんです。それに、さっきの雨を考えると…そのままいたら悲惨でしたよ。だから、良かったです」
「ふん」
肯定とも否定ともわからない相槌。
「この辺からも花火見えるんですよ」
「へえ」
「見て、いきませんか? もうすぐ時間だと思うんです」
かっこ悪く声が震えてないといいけど。
五十川さんが口を開くのを待つことなく、遠くの空に花火は上がり遅れて音が耳に届いた。
「あ」
「…久しぶりに見た」
「夏って感じですよね」
同意も反対も、五十川さんは答えてくれない。
一緒に見てくれるのかな。
嫌だと言われないなら期待してしまう。
「向こうにベンチありますよ」
返事は待たなくてもいいか。
勝手に歩いていってベンチに座ると、少し遅れて五十川さんも隣に腰を下ろしてくれた。桜の木の下にあるベンチは雨に濡れていなかった。
赤や黄色のきらめきが次々に咲いては散っていく。タイミングのずれた音が追いかけるように鳴り響く。
「きれいだな」
五十川さんが感慨深そうにぽつりと言った。俺は盗み見たつもりの横顔から目が離せなくなってしまう。
「…なんだよ」
「へ? あ…いや、きれいですね」
「ばかにしてんのか」
「なんでそうなるんですか!」
「そんな顔してる」
「い、言いがかりです!」
すぐ側にいるのに、俺たちの会話は遠くの花火のようにちくはぐだ。
「…彼女はできそうか?」
聞かれている意味がわからなかった。
「おい」
「はい?」
「彼女、作る気になったんだろ」
「…なってないですけど」
「は? なんのための飲み会だよ」
「大学んときの友達に誘われただけです」
「まあ、今回は違うとしても…奈美枝さんだって言ってたぞ、保育園の先生にも人気だとか。お前なら彼女もすぐできるって」
これは、どういう意味だろう。
「俺の気持ちは変わってませんよ…」
二の腕を掴んで顔を覗き込む。
「五十川さんにとって俺はただの後輩ですか?」
眼鏡の奥の視線が揺らいだ気がして、ぎゅうと胸が苦しくなる。
だめだ。
「前髪あると幼く見えますね」
無意識に近づいていた身体を離す。誤魔化すように笑顔をつくって花火を指差した。
「あ! ハートのかたちしてますよ!」
今、酒を呑んだら間違いなく泣く。
ああ、意気地なしめ。
拒否されるのが怖い。
「…馬場から今日の飲み会のことを聞いて、彼女をつくる気になったんだと思った」
視線を花火に戻した五十川さんが言った。
「だからそれは」
「ビアガーデンのあとからなにも言ってこないし。納得だった、ようやく目が覚めやがったかと。俺を好きだとかやっぱり気の迷いだったんだって…」
「諦め悪くてすみません」
「なんつーか、気が抜けた」
花火はクライマックスを迎えている。でも俺はそれどころではなかった。
まるで、彼女を作る気がないって知って安心したと言われているようで。
「そんな言われ方、期待します」
「…勝手にすれば」
言葉の意図を捕まえるようにそっと肩に触れた。
花火の音は夜に消え、川音だけが辺りを包んでいた。
重なり逸らされることのない視線に心臓が熱く早鐘をうつ。
「じゃあ…」
「なんだよ?」
「…キスしてもいいですよね?」
発せられそうな言葉を食い止めるように下唇に吸いつく。
どうしよう。離したくない。
「好きです」
絞り出すように言って、そのまま抱きしめた。
この気持ちが感染すればいいのに。
「うん」
「…好きで、いいんですか?」
「……俺に確認すんなよ」
「もう待たなくていいってことですか?」
五十川さんはなにも言わず、ただ遠慮がちに俺の背中へ腕を回した。
「…泣きそう」
「大袈裟なんだよ、お前は」
「だって…わかってます? 俺、勘違いしましたからね?」
「…ああ」
「もう一回、俺の部屋に来てくれますか?」
「うん」
小さく聞こえた承諾に、腕の力をいっそう強めた。
心臓がどきどきバクバク、ばうわう、とうるさい。
ばうわう?
自分の鼓動でないものが混じっている。
途端、足元で獣の瞳がきらりと光ったかと思うとこちらに飛びついてきた。
「ぬわっ! ソーシ?!」
「びしょ濡れじゃねえか! ったく、どこ行ってたんだよ」
ソーシは忙しなく尻尾を振り興奮した様子で飛び跳ねながら五十川さんと俺にじゃれついてくる。
自分から脱走したくせに再会できたことが嬉しいらしい。
俺も帰ってきてくれて嬉しい、嬉しいけど今のタイミングかよぉ。
「あー、じゃあ…連れて帰るわ」
俺が茫然としている間に五十川さんはリードをしっかりと握り立ち上がっていた。
そうなるよな!
「お気をつけて」
気持ちが通じた(たぶん)だけで今日は良しとするか。
「そんな顔すんな、後で行くから」
「え? …え゛!」
耳を疑う。
「なんだよ、行かなくていいなら俺は別に」
「ま、待ってます!」
本当に? うちに来んの? それって、なんかいろいろしていいってこと、ですか?!
一人残されたベンチからしばらく動けなかった。
身体の奥では先ほどの熱がまだチリチリとくすぶっていた。
***
たとえば、名前を呼ばれるだけでうれしかったり。遠くからでも姿を見つけることができたり。それはきっと恋だと思う。
五十川さんが俺と同じ気持ちだとは思えないけれど、少なくともヤッてもいいと判断したからこうして部屋に戻ってきてくれたのだろう。
お茶を飲みにきた、わけじゃないよな。
完全な据え膳状態に俺はどうしていいのかわからなくなっていた。
「お前が来いっつったから来たんだからな」
「は、はい…うまく信じられなくて」
五十川さんは仏頂面で部屋へ上がると男らしくベッドへ座る。
妄想ならいくらでもした。でも、このシチュエーションは想定外だ。
まさかの俺の部屋。
ベッドに腰掛けている五十川さんの足元にあぐらをかいて座る。右手を取り指を絡め、不機嫌そうな顔を見上げた。
「なんだよ」
「ちょっと待ってください、頭ん中を整理します」
これ、現実だよな? 夢オチじゃないよな?
日に焼けていない脚。足の指、甲、くるぶし、ふくらはぎ、膝裏。点検をするように指を這わすと、くすぐったいのか筋肉が震える。
腿に触れ、膝の内側に唇をつけて吸い付く。
「…舐めていい?」
「……は?」
仏頂面は崩れ、怖気づいたものに変わっていた。
「ここ、舐めていいですか?」
脚を開き、その付け根を布越しに触れようとすると腰を引かれ肩を足蹴にされた。
「そこまでする必要ねえだろ」
「あります!」
「ねえよ! ケツでもどこでもぶち込んでさっさと終わらせりゃいいだろ」
「乱暴な言い方しないでくださいよ、そうしたいのは山々ですが…それだと痛い目みるのは五十川さんですから」
「だからって舐める必要なんか」
「今さら恥ずかしがらないでください。ほら、下脱ぎましょ、腰上げて」
「…前、みたいに……」
「え?」
「…一緒に触るのでいいじゃねえか」
思わぬリクエストに自分の顔が緩んでいくのがわかる。
覚えてるんだ。
「あれ、気持ちよかったですね」
強張っている頬に触れ、眼鏡を外す。唇を合わせながら身体を倒した。
ゆっくりと舌を絡め上顎をなぞる。
「っん」
Tシャツの上から胸元を探り、見つけた突起を爪でかくと控えめに身体がよじられた。
唇を離し、色香を放ちはじめた表情を見下ろす。
「乳首気持ちいい?」
「…遊ぶなよ、ヤるならさっさとしろ」
「へへっ、もったいなくて」
「物好きなヤツだな」
「それに五十川さんが気持ちよくないと次がないかもしれないじゃないですか」
「前立線がいいって豪語したのは誰だ」
「そ、そうなんですけど…試したことないから、急かさないでください。ゆっくりしましょう」
「…なぶり殺される気分だ」
「物騒な!」
俺が情けない声をあげると五十川さんが面倒くさそうにため息をついた。
「好きにしろよ」
「あ…じゃあ、舐め」
「それは無理」
「なんでですかあ!」
「こっちの台詞だ、よくそんなことしようと思えるな」
「だって、五十川さんの形とか色とか匂いとか味とか知りた」
「うっわ、ありえねえ」
食い気味の否定に傷つく。
「触るだけじゃ思い出すのに限界があるんです…愛ゆえです…」
「……思い出すんだ」
「はい。あ、仕事に支障の出ない範囲で」
「当たり前だバカ」
二人とも服を着たままじゃれあっているのも悪くない。こんなことすらできるようになるとは思ってもいなかったのだから。
「こんなふうに」と下腹部を重ねる。これからするであろう行為の予感に欲望が疼いた。
腰を動かすと布地で擦れるもどかしさに自分のものが昂ぶっていくのがわかる。
「してることも、また後で何度も思い出します」
Tシャツ越しの胸の突起に舌先を押し当て唾液で濡らしながら甘噛みする。片方は爪で執拗に刺激を与えた。
五十川さんが深く呼吸するごとに胸元が上下する。
「やめろよ、それ」
「気持ちよくないですか?」
「…じれったいんだよ」
五十川さんはおもむろに俺の身体を押しのけ、自ら衣服を脱ぎはじめる。
な、なにそれ!
「ほら、お前も脱げよ」
「ぅわっ」
「こんなもんがケツに入るとは思えねえな」
「だ、大丈夫ですよ。たぶん…」
俺はベッドの下から来るべき日のために買っていた品々を取り出す。
「オイ…いろいろ出てきたぞ」
「買ってみたんです! すごく時間をかけて慣らさないとだめだってネットで見て」
ローションを買うついでにスティックやプラグなど大人のおもちゃもいくつか購入した。
「まさか五十川さんが本当に乗り気になってくれるとは思ってもなかったんですが、開発できるように頑張りますんで!」
「…お前の頑張りしだいなのかよ」
「はい! 任せてください!」
「いやいや不安しかねえわ、あー…いいや、もう」
なにかを諦めたらしい五十川さんはベッドに身を委ねる。
俺は自分のTシャツを脱ぎ捨て、ローションを手に取ると五十川さんの陰茎を優しく包んだ。
溢れる吐息を聞きながら、陰嚢を軽く揉んで指を窪みまで這わせる。
かたく閉ざされている襞に中指で触れる。
「絶対、無理だと思うぞ」
「俺もそんな気がしてきました…一回抜きましょうか」
「ん」
一旦ほぐすのは諦め、ローションでぬるつく手のひらで互いのものを握った。
この間は半ば無理やりだったけど。今はそうじゃない、よな。
キスをしようと顔を近づけると、信じられないことに五十川さんが俺の首に手をそえる。
角度を変えて何度もくちづけを交わす。
扱く手にローションだけでなく溢れた粘液も混じるようになると先端を指の腹で弄った。
きつく張りつめていくほどに腰を揺らし、息遣いも荒々しく無遠慮に舌で互いを煽る。
交じる吐息が熱い。
「っあ、弥田」
吐精する瞬間、重ねていた唇から切なげな声が漏れた。
やっぱり、もっと深く繋がりたい。
目の前に快楽に脱力した肢体を晒され、その奥に触れたいという欲求が膨らんでいく。
「五十川さん、今なら」
「え?」
窪みの襞に中指を添わせ、じわりと押し付ける。
「ぃや、待て」
「力抜いてて」
どちらのものかわからない精液の残るかりくびを口に含んだ。
「っあ、ぁ…やめろよ」
力の抜けきった声に拘束力はない。舌で撫で、軽く吸う。
中指でその間も襞をほぐしていると、つと指が孔を破った。
恐る恐る中指を侵入させる。
「痛くない?」
「ん…うあ…あ、も、むり」
「キツイ?」
「んん」
咥えられた中指の第二関節まで、みっちりと内壁を感じる。
ここに挿れたい。
微かに指を動かすと、五十川さんが苦しそうに唸る。
「息、止めないでくださいね」
じわじわと指を抜き、顔を窺うと両目に涙を浮かべていた。
「い、痛かったですか?」
「じんじんする」
拗ねたような物言いがかわいい。
「笑ってんなよ! 急になんだよ!」
「いや、いけそうだなって思って」
「いけなかったろ、無理なんだってそんなところ」
「ちょっと入ったじゃないですか! 見込みあります!」
「ねえよ、諦めろ! せっかく気持ちよかったのが台無しだよ」
「…気持ちよかったですか」
「余計なことする前まではな!」
「でも抜くだけじゃそのうち飽きちゃうかもしれせんし、ここはマンネリ防止のためにも」
「調子に乗んな」
「無理です! だって、もう、俺…」
「…泣くなよ」
「泣いてないですよ! 五十川さんのバカ!」
「は?! てめぇにバカ呼ばわりされたくねえ」
この関係をなんと呼べばいいのか、確認する度胸もない。
村井という男で、定期的に質が良い(と彼が判断した)無料AVを教えてくれるやつだ。
友達といっても二人きりで会ったことはなく、今回も「職場の先輩が飲み会をセッティングしろってうるせえんだよ」というわけだった。
「メンツが足りねえから来てくんない?」
禁酒を考えていたところだったがAVを紹介してくれるという恩義もあって誘いにのった。
土曜日の午後三時、茹だるような暑さの中を俺は出かけていった。
飲み会の目的は花火ではなく、地ビールとB級グルメで女の子と楽しく騒ぐことにあるらしい。
指定された場所を聞いて、商工会のイベントだと気づいた。五十川さんと一緒に行ってみたかったイベントだ。
結局、断られるのが怖くて誘えなかったな。
ひょっとしたら、という淡い期待に縋っているから、決定的な一打をくらってしまっては立ち直れない。
どうすれば良い返事をもらえるのか見当もつかないが、まだ諦めたくなかった。
とりあえず、気分転換だ。
村井は盛り上げ上手なやつだった。学生時代から村井が幹事の飲み会でハズレた記憶がない。
外車のディーラーで働いているらしいが、そつのない調子の良さを思えば天職だろう。
イベント会場に入り、まず目に留まったのが安っぽいパーティー用の三角帽子をかぶった男だった。
俺は迷うことなくその男がいる一角を目指した。
「村井!」
「お~弥田ぁ、元気だったか?」
「まあまあ、お前は相変わらずそうだな」
村井はにやりと笑い、腕を俺の首に回した。
耳元で、「また良いヤツ見つけてんだよ、そのうち送るな」と悪巧みを打ち明けるように囁かれる。
良いヤツ、とはもちろんAVのことだろう。
「弥田の感想が毎回楽しみでさ、あ。そうだ、俺ここから離れらんないから適当に食べ物買って来てもらえると嬉しいんだけど」
ぽんと肩に手を置かれ、会話はもう違う流れになった。
「何人来るんだ?」
「男女それぞれ六人ずつ」
丸テーブル二つに「御予約席」のプレートが置かれている。
「はじまっちまえば自分たちで買ってもらうけど最初だけはあったほうがいいだろ」
俺は差し出された五千円札を受け取り、「このために俺を呼んだな?」と顔をしかめた。
「弥田はイイヤツで助かるよ~」
「はいはい」
男の友情なんてこんなもんだ。
しばらくしかめ面で露店を見回っていたが、食欲をそそる匂いには敵わない。
唐揚げと焼きそばははずせないよな!
お小遣いをもらった子供のように五千円を握りしめ、うきうきとイベント会場をうろついた。
地鶏の焼き鳥も捨てがたい。あ、枝豆もある!
「こんにちはぁ、何かお探しですか?」
「あ…お疲れさまです」
見覚えのある顔に記憶を探る。
「どれも美味しそうなんで迷ってしまって」
運営スタッフのTシャツを着ているということは商工会の、事務の女性か!
「迷いますよね、わたしはお昼にホルモン入りの焼うどん食べたんだけど美味しかったですよ」
「焼うどんかぁ」
「席は取れてます?」
「友達が予約してくれてたみたいで」
三角帽子の男を指差すと、女性は笑った。
「村井さん」
「知り合いですか?」
「何度か飲みの席で一緒になったことがあるの。途中参加、しようかな」
「え?」
「五時までだから、仕事。せっかくなら地ビール飲んで帰りたいし、あ、無線だわ」
名前を聞く暇もなく、女性はひらりと手を挙げて人混みに紛れていった。
村井に聞けば分かるか。
焼うどんという新たな選択肢もあったが、つまみやすさを優先して唐揚げと枝豆を買った。
五千円では足りなくて、少し自分の財布から持ち出した。
席に戻ると、それぞれが自分の飲み物を調達しているところだと言われた。
呑んだらまた泣くかな。
「呑まねえの?!」
「ああ…ちょっと胃の調子が悪くて」
もごもごもと言い訳をする。
「胃? 大丈夫かよ」
「大したことじゃないんだけど」
陽気に酔っ払っていく周囲を、支離滅裂なことを言って大笑いしているのを、半ば羨ましい気持ちで見守った。
俺だって、毎回泣くわけじゃないんだけどな。今は、きっとだめだ。
十七時を過ぎ、商工会の女性が顔を出したときにはみんな完璧に出来上がっていた。俺は適当に相槌をうちながら、まだ明るい空を横切る飛行機をぼんやり見ていた。
「呑んでないの?」
「はい…あ、イスがないですね」
「いいわよ、どこかに」
見回しても周りに空いているイスはなさそうだった。
「ここ、いいですよ。俺、帰るんで」
「ええ! 帰っちゃうの?」
「なにぃ? 帰んのか!」
「まだいたらぁ?」
「ここからも花火見えるよ?」
「実は会社から電話入ってて」と嘘をついたつもりが本当にスマートフォンが鳴った。
「あ…それじゃ」
「なんだよーまたなぁ! 胃、治せよ!」
電話は会社ではなく、五十川さんからだった。
何事だろう。
人混みを抜けながら、「もしもし」と応える。
『お疲れ、五十川だけど』
「お疲れ様です! どうかしましたか?」
『いや…うちの犬見なかったかなと』
「ソーシ? 逃げたんですか?」
『知らないよな。地ビールの行ってんだっけ、悪いな楽しんでるとこ、一応、聞いてみただけ』
切ってしまいそうなのを慌てて声をかける。
「もう抜けたんです! 探しますよ、一緒に」
『もう? …いいって、そのうち帰ってくるし』
「今、河原ですか? どうせ帰り道なんで。すぐ行きます」
返事を聞く前に通話を切った。
ビール呑まなくてよかった!
今回の飲み会のことを知っていたのは意外だが、まあ社長あたりから聞いたんだろう。というか、社長にしか話してないから、社長から聞くしかない。
俺を急かすように遠雷が鳴る。一雨くるのかもしれない。
自転車を走らせて街中を抜け、川沿いのジョギングコースのどこかにいる五十川さんを探しながら進んだ。
もうすぐ自宅、というところでベンチに座る姿を見つけた。
「まだ見つからないですか?」
「ああ。つか、飲酒運転」
「違いますよぉ、呑んでないんで」
「は? 地ビールのやつ行ってたんじゃねえの?」
「そうですけど…呑むと泣きそうなんで」
「情けねえやつだな」
首元にタオルを巻き、Tシャツ、短パン、ビーチサンダルという気の抜けた格好の五十川さんは、それはそれでグッとくるものがある。
「それより! ソーシ探さなくていいんですか!」
「交番には言ったし、まあ、そのうち帰ってくるよ」
「よく逃げるんですか?」
「俺は逃げられたことなかったんだけど、母親は時々そういうことがあるらしい」
「この前、俺が見つけたときも興奮した感じで走ってましたね…あ、行ってみます?」
「どこに?」
「その時ソーシが向かった土手」
自転車からおりて押して歩く俺に五十川さんが並ぶ。
空では警鐘のような雷がゴロゴロと不吉に轟いている。
ソーシが駆け上がった土手に来てみたが姿は見えなかった。
「いないですね」
「たくっあの馬鹿犬…巻き込んで悪かったな、でも俺は来なくていいって言ったからな」
「ははっ嬉しかったんです。連絡もらって、頼ってもらったみたいで。役には、立ちませんでしたけど」
五十川さんが何かを言いかけて口ごもる。
「…雨だ」
「え?」
ぽつり、と鼻先に雨粒を感じた。
「降り出したな」
西陽は射しているから通り雨だろう。
「見つかったら連絡するから」
雨はもう地面を黒く濡らし、雨音に混じって子ども達のきゃあきゃあと叫ぶ声が聞こえる。
このまま別れたくなくて、帰ろうとする五十川さんの手首を掴んでいた。
「うち、この近くなんで雨宿りしてってください」
眼鏡のレンズを水滴が伝う。その奥の瞳が迷っているように見えた。
「早くしないと! 濡れちゃいます!」
俺は自転車をその場に置き鍵をかける。
「ほら!」と再び手首を掴み土手を駆け上がった。
五十川さんは何も言わなかった。俺も振り返らなかった。
我が城リバーサイドまで五分もかからなかったが、雨の勢いは止まらず滝に打たれた後のようにずぶ濡れになってしまった。
「けっこー濡れちゃいましたね。シャワー浴びてってください。服も貸しますんで」
髪から滴る水とか、濡れてはりついたTシャツとか、そういうのはなるべく見ないようにした。
どうにも気まずくて、わざとらしいほど明るい声色になる。
試されているのかもな。神か仏かそれとも…悪魔に。
***
俺がシャワーを浴びて出てくると、五十川さんは窓を開け外を眺めていた。
外はすっかり暗くなっている。
「雨、 上がったぞ」
俺の部屋にいる俺の服を着た五十川さんは、いつもより自信なさげで小さく見えた。
「通り雨だったんですね、ソーシ大丈夫だったかな。あ、カフェオレどうでした?」
「美味かったよ」
「よかった」
五十川さんは伏し目がちだ。
「帰るな」
そう言われても今度は引き止める理由が思いつかない。
「俺も自転車取りに行きます」
二人して狭い玄関を出た。
聞きたいことがある。言いたいことがある。でも…それをしてしまうと五十川さんを困らせてしまう。
「花火の打ち上げできそうでよかったですね」
「……俺が電話かけたからか?」
「え?」
「飲み会、してたんだろ。花火だってそいつらと見てくりゃよかったんだよ」
「いやぁ、ああいう席は素面じゃ楽しめなくて、帰ろうとしたところで、ほんともうグットタイミングで電話もらったんです。それに、さっきの雨を考えると…そのままいたら悲惨でしたよ。だから、良かったです」
「ふん」
肯定とも否定ともわからない相槌。
「この辺からも花火見えるんですよ」
「へえ」
「見て、いきませんか? もうすぐ時間だと思うんです」
かっこ悪く声が震えてないといいけど。
五十川さんが口を開くのを待つことなく、遠くの空に花火は上がり遅れて音が耳に届いた。
「あ」
「…久しぶりに見た」
「夏って感じですよね」
同意も反対も、五十川さんは答えてくれない。
一緒に見てくれるのかな。
嫌だと言われないなら期待してしまう。
「向こうにベンチありますよ」
返事は待たなくてもいいか。
勝手に歩いていってベンチに座ると、少し遅れて五十川さんも隣に腰を下ろしてくれた。桜の木の下にあるベンチは雨に濡れていなかった。
赤や黄色のきらめきが次々に咲いては散っていく。タイミングのずれた音が追いかけるように鳴り響く。
「きれいだな」
五十川さんが感慨深そうにぽつりと言った。俺は盗み見たつもりの横顔から目が離せなくなってしまう。
「…なんだよ」
「へ? あ…いや、きれいですね」
「ばかにしてんのか」
「なんでそうなるんですか!」
「そんな顔してる」
「い、言いがかりです!」
すぐ側にいるのに、俺たちの会話は遠くの花火のようにちくはぐだ。
「…彼女はできそうか?」
聞かれている意味がわからなかった。
「おい」
「はい?」
「彼女、作る気になったんだろ」
「…なってないですけど」
「は? なんのための飲み会だよ」
「大学んときの友達に誘われただけです」
「まあ、今回は違うとしても…奈美枝さんだって言ってたぞ、保育園の先生にも人気だとか。お前なら彼女もすぐできるって」
これは、どういう意味だろう。
「俺の気持ちは変わってませんよ…」
二の腕を掴んで顔を覗き込む。
「五十川さんにとって俺はただの後輩ですか?」
眼鏡の奥の視線が揺らいだ気がして、ぎゅうと胸が苦しくなる。
だめだ。
「前髪あると幼く見えますね」
無意識に近づいていた身体を離す。誤魔化すように笑顔をつくって花火を指差した。
「あ! ハートのかたちしてますよ!」
今、酒を呑んだら間違いなく泣く。
ああ、意気地なしめ。
拒否されるのが怖い。
「…馬場から今日の飲み会のことを聞いて、彼女をつくる気になったんだと思った」
視線を花火に戻した五十川さんが言った。
「だからそれは」
「ビアガーデンのあとからなにも言ってこないし。納得だった、ようやく目が覚めやがったかと。俺を好きだとかやっぱり気の迷いだったんだって…」
「諦め悪くてすみません」
「なんつーか、気が抜けた」
花火はクライマックスを迎えている。でも俺はそれどころではなかった。
まるで、彼女を作る気がないって知って安心したと言われているようで。
「そんな言われ方、期待します」
「…勝手にすれば」
言葉の意図を捕まえるようにそっと肩に触れた。
花火の音は夜に消え、川音だけが辺りを包んでいた。
重なり逸らされることのない視線に心臓が熱く早鐘をうつ。
「じゃあ…」
「なんだよ?」
「…キスしてもいいですよね?」
発せられそうな言葉を食い止めるように下唇に吸いつく。
どうしよう。離したくない。
「好きです」
絞り出すように言って、そのまま抱きしめた。
この気持ちが感染すればいいのに。
「うん」
「…好きで、いいんですか?」
「……俺に確認すんなよ」
「もう待たなくていいってことですか?」
五十川さんはなにも言わず、ただ遠慮がちに俺の背中へ腕を回した。
「…泣きそう」
「大袈裟なんだよ、お前は」
「だって…わかってます? 俺、勘違いしましたからね?」
「…ああ」
「もう一回、俺の部屋に来てくれますか?」
「うん」
小さく聞こえた承諾に、腕の力をいっそう強めた。
心臓がどきどきバクバク、ばうわう、とうるさい。
ばうわう?
自分の鼓動でないものが混じっている。
途端、足元で獣の瞳がきらりと光ったかと思うとこちらに飛びついてきた。
「ぬわっ! ソーシ?!」
「びしょ濡れじゃねえか! ったく、どこ行ってたんだよ」
ソーシは忙しなく尻尾を振り興奮した様子で飛び跳ねながら五十川さんと俺にじゃれついてくる。
自分から脱走したくせに再会できたことが嬉しいらしい。
俺も帰ってきてくれて嬉しい、嬉しいけど今のタイミングかよぉ。
「あー、じゃあ…連れて帰るわ」
俺が茫然としている間に五十川さんはリードをしっかりと握り立ち上がっていた。
そうなるよな!
「お気をつけて」
気持ちが通じた(たぶん)だけで今日は良しとするか。
「そんな顔すんな、後で行くから」
「え? …え゛!」
耳を疑う。
「なんだよ、行かなくていいなら俺は別に」
「ま、待ってます!」
本当に? うちに来んの? それって、なんかいろいろしていいってこと、ですか?!
一人残されたベンチからしばらく動けなかった。
身体の奥では先ほどの熱がまだチリチリとくすぶっていた。
***
たとえば、名前を呼ばれるだけでうれしかったり。遠くからでも姿を見つけることができたり。それはきっと恋だと思う。
五十川さんが俺と同じ気持ちだとは思えないけれど、少なくともヤッてもいいと判断したからこうして部屋に戻ってきてくれたのだろう。
お茶を飲みにきた、わけじゃないよな。
完全な据え膳状態に俺はどうしていいのかわからなくなっていた。
「お前が来いっつったから来たんだからな」
「は、はい…うまく信じられなくて」
五十川さんは仏頂面で部屋へ上がると男らしくベッドへ座る。
妄想ならいくらでもした。でも、このシチュエーションは想定外だ。
まさかの俺の部屋。
ベッドに腰掛けている五十川さんの足元にあぐらをかいて座る。右手を取り指を絡め、不機嫌そうな顔を見上げた。
「なんだよ」
「ちょっと待ってください、頭ん中を整理します」
これ、現実だよな? 夢オチじゃないよな?
日に焼けていない脚。足の指、甲、くるぶし、ふくらはぎ、膝裏。点検をするように指を這わすと、くすぐったいのか筋肉が震える。
腿に触れ、膝の内側に唇をつけて吸い付く。
「…舐めていい?」
「……は?」
仏頂面は崩れ、怖気づいたものに変わっていた。
「ここ、舐めていいですか?」
脚を開き、その付け根を布越しに触れようとすると腰を引かれ肩を足蹴にされた。
「そこまでする必要ねえだろ」
「あります!」
「ねえよ! ケツでもどこでもぶち込んでさっさと終わらせりゃいいだろ」
「乱暴な言い方しないでくださいよ、そうしたいのは山々ですが…それだと痛い目みるのは五十川さんですから」
「だからって舐める必要なんか」
「今さら恥ずかしがらないでください。ほら、下脱ぎましょ、腰上げて」
「…前、みたいに……」
「え?」
「…一緒に触るのでいいじゃねえか」
思わぬリクエストに自分の顔が緩んでいくのがわかる。
覚えてるんだ。
「あれ、気持ちよかったですね」
強張っている頬に触れ、眼鏡を外す。唇を合わせながら身体を倒した。
ゆっくりと舌を絡め上顎をなぞる。
「っん」
Tシャツの上から胸元を探り、見つけた突起を爪でかくと控えめに身体がよじられた。
唇を離し、色香を放ちはじめた表情を見下ろす。
「乳首気持ちいい?」
「…遊ぶなよ、ヤるならさっさとしろ」
「へへっ、もったいなくて」
「物好きなヤツだな」
「それに五十川さんが気持ちよくないと次がないかもしれないじゃないですか」
「前立線がいいって豪語したのは誰だ」
「そ、そうなんですけど…試したことないから、急かさないでください。ゆっくりしましょう」
「…なぶり殺される気分だ」
「物騒な!」
俺が情けない声をあげると五十川さんが面倒くさそうにため息をついた。
「好きにしろよ」
「あ…じゃあ、舐め」
「それは無理」
「なんでですかあ!」
「こっちの台詞だ、よくそんなことしようと思えるな」
「だって、五十川さんの形とか色とか匂いとか味とか知りた」
「うっわ、ありえねえ」
食い気味の否定に傷つく。
「触るだけじゃ思い出すのに限界があるんです…愛ゆえです…」
「……思い出すんだ」
「はい。あ、仕事に支障の出ない範囲で」
「当たり前だバカ」
二人とも服を着たままじゃれあっているのも悪くない。こんなことすらできるようになるとは思ってもいなかったのだから。
「こんなふうに」と下腹部を重ねる。これからするであろう行為の予感に欲望が疼いた。
腰を動かすと布地で擦れるもどかしさに自分のものが昂ぶっていくのがわかる。
「してることも、また後で何度も思い出します」
Tシャツ越しの胸の突起に舌先を押し当て唾液で濡らしながら甘噛みする。片方は爪で執拗に刺激を与えた。
五十川さんが深く呼吸するごとに胸元が上下する。
「やめろよ、それ」
「気持ちよくないですか?」
「…じれったいんだよ」
五十川さんはおもむろに俺の身体を押しのけ、自ら衣服を脱ぎはじめる。
な、なにそれ!
「ほら、お前も脱げよ」
「ぅわっ」
「こんなもんがケツに入るとは思えねえな」
「だ、大丈夫ですよ。たぶん…」
俺はベッドの下から来るべき日のために買っていた品々を取り出す。
「オイ…いろいろ出てきたぞ」
「買ってみたんです! すごく時間をかけて慣らさないとだめだってネットで見て」
ローションを買うついでにスティックやプラグなど大人のおもちゃもいくつか購入した。
「まさか五十川さんが本当に乗り気になってくれるとは思ってもなかったんですが、開発できるように頑張りますんで!」
「…お前の頑張りしだいなのかよ」
「はい! 任せてください!」
「いやいや不安しかねえわ、あー…いいや、もう」
なにかを諦めたらしい五十川さんはベッドに身を委ねる。
俺は自分のTシャツを脱ぎ捨て、ローションを手に取ると五十川さんの陰茎を優しく包んだ。
溢れる吐息を聞きながら、陰嚢を軽く揉んで指を窪みまで這わせる。
かたく閉ざされている襞に中指で触れる。
「絶対、無理だと思うぞ」
「俺もそんな気がしてきました…一回抜きましょうか」
「ん」
一旦ほぐすのは諦め、ローションでぬるつく手のひらで互いのものを握った。
この間は半ば無理やりだったけど。今はそうじゃない、よな。
キスをしようと顔を近づけると、信じられないことに五十川さんが俺の首に手をそえる。
角度を変えて何度もくちづけを交わす。
扱く手にローションだけでなく溢れた粘液も混じるようになると先端を指の腹で弄った。
きつく張りつめていくほどに腰を揺らし、息遣いも荒々しく無遠慮に舌で互いを煽る。
交じる吐息が熱い。
「っあ、弥田」
吐精する瞬間、重ねていた唇から切なげな声が漏れた。
やっぱり、もっと深く繋がりたい。
目の前に快楽に脱力した肢体を晒され、その奥に触れたいという欲求が膨らんでいく。
「五十川さん、今なら」
「え?」
窪みの襞に中指を添わせ、じわりと押し付ける。
「ぃや、待て」
「力抜いてて」
どちらのものかわからない精液の残るかりくびを口に含んだ。
「っあ、ぁ…やめろよ」
力の抜けきった声に拘束力はない。舌で撫で、軽く吸う。
中指でその間も襞をほぐしていると、つと指が孔を破った。
恐る恐る中指を侵入させる。
「痛くない?」
「ん…うあ…あ、も、むり」
「キツイ?」
「んん」
咥えられた中指の第二関節まで、みっちりと内壁を感じる。
ここに挿れたい。
微かに指を動かすと、五十川さんが苦しそうに唸る。
「息、止めないでくださいね」
じわじわと指を抜き、顔を窺うと両目に涙を浮かべていた。
「い、痛かったですか?」
「じんじんする」
拗ねたような物言いがかわいい。
「笑ってんなよ! 急になんだよ!」
「いや、いけそうだなって思って」
「いけなかったろ、無理なんだってそんなところ」
「ちょっと入ったじゃないですか! 見込みあります!」
「ねえよ、諦めろ! せっかく気持ちよかったのが台無しだよ」
「…気持ちよかったですか」
「余計なことする前まではな!」
「でも抜くだけじゃそのうち飽きちゃうかもしれせんし、ここはマンネリ防止のためにも」
「調子に乗んな」
「無理です! だって、もう、俺…」
「…泣くなよ」
「泣いてないですよ! 五十川さんのバカ!」
「は?! てめぇにバカ呼ばわりされたくねえ」
この関係をなんと呼べばいいのか、確認する度胸もない。
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