羊飼いとグリモワールの鍵

むらうた

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第2部

19 | 辺境の山小屋 - セルシウス②

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「いやでも…」

 そんなに私と二人きりになりたくないのか。無意味な押し問答をつづけるベルスタに虚しくなってくる。

「三人も寝る場所ないでしょ」

「そ、そうだけど」

「じゃあ泊まれないね!」

 モルを見送るベルスタの背中が山小屋のなかに戻りたくなさそうで、「そこまで嫌なら犬に戻る」と声をかける。

 容姿に合わせて精神的にも幼くなってしまったのか、戸口から出てきざま、すれ違うときに「ベルスタのばか」とつぶやいてしまった。

 姉上の姿変えの術がある結界へ移動しながら浮かれていたことを顧みて反省する。思わず出たつぶやきが聞こえてないといいのに。

 ドラゴンの召喚に興味はあったが、そのドラゴンが王となることはどうでもよかった。私のつくった結界を壊すのもいい機会だろう。偉業だといわれているものがなくなればシュルッセル・ラザフォードという魔術師がいたこともそのうち忘れさられる。

 ノクトと姉上は話が合うようだったが、どちらも現実離れしていた。穏便に魔物の王の復活を知らしめなければならない、と考えている点で義兄殿と私の意見は一致していたが、どちらも決定権は持っていなかった。

 魔術師に話し合いの仲介をさせるなど聞いたことがない。でも、話をまとめなければ山小屋へは帰れない。ベルスタだってきっと帰りを待っていてくれる、と思って投げ出したくなるのをこらえて話をつけてきたのに。

「ばかは私だな」

 理解しがたいルーメン教授やマクスウェルと、認めたくはないが私も変わらない。ろくでもない魔術師の一人だ。生真面目な羊飼いは巻き込まれているにすぎない。

 姉上の結界まで犬の姿なら走ってすぐだったが、だぼつく服はうっとうしく、十三歳の体格ではなかなか前にすすまなかった。途端に歩くのが面倒になって草地に寝転んだ。

 目を閉じて風が渡っていく音を聞く。ここで一晩過ごそうかと考えているとかすかに狼の遠吠えが聞こえた気がした。近くではない。どのあたりだろうと耳をすます。

「おーい!」

 風に混じってベルスタの声がする。幻聴を疑う前に、「セルシウスー! どこにいるんだー!」と今度ははっきりと聞こえた。がばりと起き上がって山小屋の方向を見ると遠くに人影がある。

 声をあげることも、その場から動くこともできない。

 追いかけてきて、どうするというのだ。そのうち勘のいい羊飼いは私を見つけて駆け寄ってくる。

「座ってどうしたんです、怪我でも?」

「別に、疲れたから座っていただけだ」

「よかった、じきに日が暮れるのに子供一人では危ない」

 ベルスタは私に手を差し伸べて、「俺も一緒に行きます」と言う。引き寄せられるように手を取って、ぐいと引っ張る。顔が近づく。

「わ!」

 その声にはっとして、口づけをしようとしていたのをごまかすように、「子供ではない!」と怒鳴ってしまう。それ自体が子供のようだ。まったく、ベルスタのことになると調子が悪い。

「体は子供じゃないですか、それに魔術は使わないんですよね」

「私と一緒にいるのは嫌なのだろう」

「嫌なんかじゃ…」

 ベルスタは頭をかいて私のとなりに座る。

「拒否できないから困るんですよ」

「意味がわからない。稀代の魔術師の魔力が得られるというのに、なにを困る?」

「…魔力の交換ってつまり、体を、重ねることじゃないですか」

「そうだな?」

「魔術師殿には理解できないかもしれませんが、俺にとっては、体を重ねることの方が意味が大きいんです。魔力が得られることは…なんというか、ついでに過ぎません」

 私にとっても魔術の交換は言い訳でしかなかった。ベルスタも同じだというならなにも問題はない、はずがこの姿だ。まさか、元の姿に戻るまでできないということか。

「拒否できないと言ったな」

「はい?」

「お前が困る必要はない。この体で満足させてやれるかはわからないが尽力する」

 こちらに向けられた顔がぎこちなく歪んでいく。

「…犬の姿に戻るのでは?」

「気が変わった、逃げるなら今だぞ」

「手をつかんでおいて…」

「子供の力だ。嫌ならふりはらえばいい」

 我ながら卑怯な言い方だ。案の定、困り果てているベルスタに良心が痛む気がして、自分に良心が残っていたことに驚く。

 なにがしたいんだ私は。「冗談だ」と言って掴んでいた手を離した。

「そう怯えるな。少し調子にのっただけだ。追いかけてきてくれてうれしかった…ありがとう」

 立ち上がり、「アレッポの地帯に姉上の結界があるんだ。そこへ…」と話を切り替えていた口の端にベルスタのくちびるが触れる。

「アレッポ樹林ですね」

 なにもなかったかのようにベルスタは歩きはじめる。

「…なんだその子供みたいな口づけは」

「子供にするんだからこんなものでしょう」

 その日最後の太陽に照らされて、二人の影が伸びていく。


   ◇◇◇


 辺境の地、ファラド山脈の中腹にある山小屋では、王国の情勢も魔物の王の復活も関係ない。私は一匹の牧羊犬に戻って、羊飼いのとなりに寝そべる。

「このかたいベッドも懐かしいな」

 ルーメン教授の嫌がらせも姿変えで犬になってしまえば意味をなさない。問題は若返りをどうにかしない限りベルスタを抱けないということだけだ。いや、抱けはするが、ベルスタがそれを受け入れてくれないだけなのだが。

 ルーメン教授をどうにかするのとベルスタが納得するののどちらが簡単なのか、考えるまでもなく後者のほうが簡単そうだ。

「おやすみの挨拶はないのか」

 困った顔を見てやろうと思ったのに、なんのてらいもなく「おやすみ、セルシウス」と頬をするりと寄せられる。

「…解せない」

「なにがだ」

 犬への態度が一番自然で親密さを感じるとはどういうことだ。ライバルは自分自身ということか。それよりも、いまだにベルスタのなかで私に対する認識がぶれているのが気になる。

 まあ、焦る必要はない。時間だけはたっぷりある。

「なんでもない。おやすみ、ベルスタ」

 しばらくはただの牧羊犬に甘んずるのも、悪くない。




--- おしまい

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