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第2部

12 | 卵と月の魔術 - ベルスタ②

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「古代の文字が読めるなんて偉いな、たった三日で魔導書を解読するなんてさすがだ」

「なんだその棒読みは、やめろ」

 セルシウスは体を引いてぶるりと身震いをした。照れているのだろうか。犬のくせに素直じゃない。


   ◇◇◇


 セルシウスは賢い。しかし人間の理屈が通らず身分の概念が理解できていないところをみるとやはり犬だと実感する。

「さあ、ドラゴンの卵を召喚をしよう」

 その夜、セルシウスの姿が見えないと思ったらシュルッセル様が訪ねてきた。理由は一つしかない。

「わざわざ来ていただいて申し訳ございません、止めたんですが力及ばず…」

「謝る必要はない、私も早くドラゴンを見たいんだ」

「本当に召喚させるんですね」

「ああ、今から出かけられるか?」

 心なしか顔がほころんでおられる。シュルッセル様も楽しみにしているなら、変に気を回す必要はなかったのか。

「羊飼いの杖を持ってついてきてくれ」

 魔術師殿に続き山小屋を出ようとして元凶の牧羊犬が見当たらないことに気づいた。

「あの、セルシウスは?」

「ん?」

「セルシウスは一緒ではないのですか?」

 シュルッセル様は立ち止まり、「…今は私がセルシウスだ」と言った。それまだ続けるんですね。

「セルシウスが二人いてはややこしいだろう」

 リリスのような存在もいる手前、不用意に名前を呼ぶのはよくないと分かるが、それなら別の名前にすればいいのに、と思っても口には出せなかった。

「そう、ですね」

「優秀な牧羊犬には別の用件をお願いしている。さあ、我々はカルデラ湖へ向かうぞ」

 気を取り直すかのように肩をたたかれた。


   ◇◇◇


 ゆるくウェーブした黒髪が、風になびく。魔術師殿の手にあるランプの明かりが俺たちの行き先を照らす。静かな夜だ。

「私はまだ魔力を使いたくないから、召喚はベルスタが行ってくれ」

「えっ! 俺にできますか」

 まともに魔術を使ったことがないのに。

「ペンタクルを描くだけだ。それに月の魔術を使うからベルスタの魔力でも問題ないだろう」

 そのペンタクルを描くのが問題なのだが、稀代の魔術師がそう言うなら信じるほかない。

 カルデラ湖のほとりに到着した頃には、満月から数日分欠けた月がちょうど頭上にきていた。

 シュルッセル様は良き場所を探し当てるとランプを足元に置いた。それから魔導書を取り出し、その場にしゃがみこんでぱらぱらとめくる。お目当てのページが見つかると、落ちてきた髪をかきあげながら顔を上げた。

「よし、はじめるか」

 自信に満ちあふれた不敵な表情に魔術師の貫禄を感じる。かっこいい。と、見惚れている場合ではない。

「ここに円を描いてくれ」

 召喚するのは俺なのだ。この方の期待に応えられるだろうか。

「大きさはどれくらいですか」

 質問すると両手が広げられる。

「これくらい」

「承知しました」

 羊飼いの杖を使って柔らかな土にあたりをつけてからけずっていく。

「円の中には三角形を。一つの角は湖を向くように描いてくれ」

 ペンを使って描くよりも歪みが少ない。シュルッセル様も「上出来だ」と褒めてくれる。

「次は円と三角形の頂点が作る隙間に枝を置いていく」

「枝、ですか」

「月の魔術では万物に宿る魔力を借りるようだ。まずは底辺の外にブラックソーン、二極に調和をもたらす木」

 手渡された枝を言われたとおり描きかけのペンタクルへ置く。

「つぎは右側にヴァイン、復活。最後に左側へバーチ、はじまりと浄化だ」

 ペンタクルはしんと鎮まったまま。

「置きましたが…すぐに変化が起こるわけではないんですね」

「作りかけで発動するわけないだろう」

「なるほど」

 前触れのようなものもないのか。

「…ベルスタはドラゴンが怖いんじゃないのか、このまま召喚していいのか」

 聞かれている意味がすぐにわからず反応が遅れた。

「えっと、ああ…そうですね。セルシウス、様? がいらっしゃるならどうにかなるかと思っています」

 俺と牧羊犬だけでは不安だが、シュルッセル様がいるなら安心だ。

「私は魔力を使う気はないぞ、あてにするな。ほら、依り代の水晶だ」 

「え? わっ」

 投げられた水晶を慌てて掴む。

「湖の水で濡らした水晶を持ってペンタクルの三角形の中に立ち、魔力を込めろ。召喚の呪文は『ノクト』」

「ノ…?」

「『ノクト』、顕在せよという意味の古代語だ。簡単だろう」

 ノクト、ノクト、と心の中で繰り返す。

「卵、なんですよね?」

「ん?」

「今から召喚するのはドラゴンの卵ですよね、いきなり巨大なドラゴンが現れるわけではないですよね」

 「たぶんな」という返事が遅れたのに深い意味はないと思いたい。

「あてにしてますからね!」

 承諾はないが大丈夫だ。いざとなったら助けてくださる、はずだ。

「集中しろよ」

「言われなくても」

 水晶を湖に浸す。ペンタクルの中央に立ち、魔力を込める。少し離れた場所でシュルッセル様がこちらを見ている。大丈夫だ。俺の中にもシュルッセル様の魔力はある。

 先ほどまでは冷たかった水晶が熱を帯びる。周囲の空気が微かに震え、ペンタクルに魔力が満ちたことがわかる。心臓の鼓動が早い。一度深く息を吸い込み、震えるくちびるで、『ノクト』とつぶやいた。

 しかし、辺りはしんっと静まり返っている。声が小さすぎただろうかと不安になっているとバリバリっと稲妻の走るような音がする。上を見上げた次の瞬間にはドンッと衝撃を受けていた。

 なにが起こったのかわからないが、両手の中には水晶の代わりに顔の大きさほどの赤銅色をした塊が、あった。召喚は成功したらしい。
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