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第2部

11 | 魔導書の封印 - セルシウス①

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 満月の夜。風にまじる狼の遠吠えにベルスタの意識がそれるのがわかった。

「心配する近さじゃないだろう、集中しろ」

「…はい」

 ランプの炎に照らされた二人の影がゆらめく。苦悶の表情を浮かべた羊飼いに思わずため息がでた。

「ベルスタ」

「言わないでください」

「うぅむ、せっかく魔力が使えるようになったのになぁ」

「訓練すれば、どうにかなります!」

 軍仕込みの根性はいいが、そんなに力む必要はない。

「肩に力が入りすぎだ」

 羊皮紙に描かれるペンタクルであるはずの図形は子どもの落書きにしか見えなかった。お手本があるわけだから見た通り写すだけなのに、それができないとなると、どう説明すればいいのか。

「シュルッセル様が、話しかけるから」

「私のせいか?」

「………違います」

 机の向こう側で、俯いていた顔があがる。怒られる前の子どものような表情は、牧羊犬の姿では向けられたことがない。

「下手すぎて呆れてますよね」

「呆れてはいない、どう教えればいいか考えている」

「上手く描けるようになる魔術はないんでしょうか」

 訓練すると言った気概はどこへいったのか。

「それでいいのか」

 ぐっと眉間にしわがよって、「いい、え」と言う。ベルスタのことを、なにごとも器用にできる人間だと思っていた。そうか、ペンタクルを描くのが苦手なのか。そうかそうか。

「とりあえず、そのインクがなくなるまで描いてみたらどうだろう」

「わかりました」

 弟子を見守る心境でいたが、息を吸い込み全身に力を入れて羊皮紙に挑もうとする姿に、「待て」と声をかけてしまった。

「力は抜け」

「ちから?」

 自覚がないのか。

「魔力の交換をするか」

「え!」

「体力を削れば余計な力も抜けるんじゃないか」

「そうなんですか」

「知らない。それを今から試してみるんだ」

「…軽いですね」

 軽い? 魔力の交換を承知したんじゃなかったのか。これまで二回しているが、相性だって悪くないはずだ。

「不満が?」

「そういうわけではなく…不満というよりも、なんというか…魔術師の方にとってはなんでもないことかもしれませんが、魔力の交換って、つまり…」

 言いづらそうにもごもごとしてから半ば諦めたようにベルスタは続ける。

「俺にとっては気分転換にするようなことではなく…もっと特別なんですが……すみません、忘れてください。そういう問題ではないとわかっています」

 私にとっても特別なことであると伝えたほうがいいだろうか。

「わかった、誘い方には気をつけよう」

「お、畏れ多いです」

「それでするのか、しないのか」

 ベルスタはなにか言おうとした口を一度つぐみ、「しましょう」と言った。


   ◇◇◇


 私の羊飼いは、なかなかに具合が良い。淫魔のせいで箍の外れたあれこれが逆によかったのかもしれない。

 舌を絡ませ、じわりと魔力が交わっていくのを感じる。欲望のまま無茶をしそうになる体をなだめる。

「今くらい楽な気持ちでペンタクルも描けばいいんだ」

「まったく楽な気持ちじゃありません」

「そうか? 体の力は抜けているが」

「今の状態じゃペンなんか持てませんよ」

 満月の光は屋根裏部屋の床に脱ぎ捨てられた衣服にもほのかな陰影を作り出していた。

 暗がりのなか、犬としてではなくベルスタに触れる。熱を孕む互いの体が生々しい。

 頬へ口づけをおとす。耳、首筋、鎖骨、胸元、へそ、最終的に股ぐらへ顔をうずめる。ベルスタの指が遠慮がちに私の髪を撫でる。

 セルシウスに対する態度と違うことがうれしいときもあるが、今は妙にさびしい気がする。正体を隠していることは不公平だろうか。なんとも言えない気分だ。

「シュルッセル様」

 ささやくような呼びかけに、「それは死んだ魔術師の名だ」と返していた。

「羊飼いの山小屋での会話をほかの者が聞くことはないだろうが、この世にいない人間の名前を呼ぶのはよくない」

「…失礼しました」

「セルシウスでいい」

「はい?」

「良い名だよな、セルシウス」

「犬です」

「知っている。羊には見えない」

「犬と同じ名前で呼べと?」

「問題があるのか?」

 暗がりのむこうの表情はわからないが想像はついた。むっつりとした生真面目な顔をしているのだろう。

「敬称もいらない」

「ですが」

「この暗さでは姿もおぼろげだろう、犬と戯れていると思えばいい」

「む、無理です! シュルッ…」

 ベルスタがその名を呼ばなかったのは、私が愛撫を再開したからだった。

「ただの呼び方だ、気にするな」

 強めに吸い上げると、びくりと体が跳ねる。

「ほら呼んでくれ」

「………セル、シウス」

 いつか本当のことが言えるだろうか。それよりも同じ声なんだから、いい加減、気づいてもいいものだと思うが。

 張り詰めていく熱を口に含みながら窄まりをほぐす。こんなことを軽い気持ちでできるわけがない。魔力の質が変わることは魔術師にとっても一大事なのだ。過去の出来事が脳裏をよぎる。私はルーメン教授とは違う。はずだ、たぶん。

 苦しそうな息遣いに、「つらくはないか」と声をかける。

 すっと腿を撫でれば、「あッ」と吐息まじりの声がしてベルスタは達していた。

 腹部に落ちた精液に舌を這わし、そのまま陰茎に垂れているものも舐めとった。

「…すみません」

「なぜ謝る」

「シュルッセル様にこんなこと」

「セルシウスだ、犬に舐められてるとでも」

「思えませんから!」

 私の発言を打ち消すような否定だった。そんなに嫌なのか。

「い、犬に舐めらてもこんなことにはなりません」

「そうだな、犬にはここから先のことはできないしな」
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