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第1部
8 | グリモワール - セルシウス①
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そういえば私は、星空を眺めるのが好きだった。羊の毛刈り祭りの夜には羊飼いは麓の村ですごす。だからオンスに頼んで主人不在の山小屋に泊まらせてもらい、平地よりも近くで流星雨を楽しんでいた。
いつからその熱は冷めてしまったのだろう。
ベルスタの語った嘘の理由も思い出せない。昔の記憶はすべて、靄がかかったようにぼんやりとしている。
過去というのはそういうものだろうかと、流れ落ちてくる光の雨を見上げながら考える。
刈り取りの終わった小麦畑に寝転び、「これが魔術じゃないなら、一体なんなんだ」とベルスタがぼやいた。
となりの羊飼いは、昼間の出来事をどう解釈したのか。すっかりいつもどおりの態度によかったと思うべきなんだろうが、もちろん、私がシュルッセルであることがばれるのは困るのだが…なんだろうこの納得いかないかんじは。
いや、それよりこうしている今も、マクスウェルが乗り込んでくるかもしれない。本当はぐずぐずしている時間はないとわかっている。
オンスへ手紙を託したから、今日あったことのあらましは姉上へ伝わっているだろう。
ベルスタを正気に戻す間は立ち入られないように結界を施していたが、そのあとは別だ。
流れ落ちる星の数は減り、極大時刻は過ぎようとしていた。
のそりと起き上がり、ベルスタの腹の上に前脚をのせる。
「なにするんだ」
「用事を思い出した」
「…用事?」
「今から出かけるが、山小屋へ帰る頃には戻ってくる。道中ケルビンだけでは羊たちの管理が大変だろうからな」
「気遣い痛み入るよ」
ベルスタは私の首にぶら下がっているペンダントに触れ、それから前脚のつけねあたりをぽんぽんとたたく。
「気をつけてな」
「お前もな」と返すと、ベルスタはかすかにわらった。
◇◇◇
オンスの家には明かりが灯っていた。いつもなら就寝している時間であるが、私が訪れるとわかっていたのだろう。
手のひらを見つめる。そこにあるのは間違いなく人間の手である。五本の指を曲げ拳をつくってドアを叩いた。
「オンス、私だ」
軋みながら開いたドアのそばに立っていたのは姉上の侍女をしているテスだった。「お待ちしておりました」と言い、礼儀正しくお辞儀をされる。
「キュリー様からお手紙を預かっております」
「さすがだな、手際が良い」
恭しく差し出されている書簡を受け取ると、家主であるオンスの向かいへ座った。
「これはこれは、シュルッセル様。こんなボロ屋にお越しいただけるとは」
口先だけで顔つきはにやにやとしている。迂闊に宣戦布告のようなことをしたからおもしろがっているに違いない。
「白々しい、いつもどおりでいい」
「はっはっはっ、もう少し早く来てくれると思ってたが遅かったな」
「牧羊犬としての生活があるんだ」
「どうせ星でも見ていたんだろう」
「…私が見たいと言ったわけではない」
丸められた書簡を開く。踊っているような 美しい文字を読む。
軽率な行動をしたことに対する皮肉からはじまり、リリスのこと、マクスウェルの近況、王宮内の動き、そして今後の身の振り方に関するいくつかの提案が書かれてあった。
読み終わる頃合いで、「手伝うことはあるか?」とオンスが聞いてくる。
「セルシウスがいなくなるなら、代わりになる牧羊犬を見繕っておくぞ」
「新しい牧羊犬は不要だ。テス、姉上に伝えてくれ。死者は蘇らないと」
「承知しました」
「となると、目の前の貴方様は亡霊かなにかですか」
オンスが愉快そうに聞いてくる。悪くない提案だ。
「そうだな、そういうことにしよう」
◇◇◇
正しいことをしてきたつもりだった。魔力を高めたのも魔術を学んだのも王国のためだった。
「…マクスウェル様」
王宮内の書庫に兄弟子はいた。並ぶ書架の隙間に置かれたソファで本を読んでる。見た目だけは二年前と変わらない。銀色の長い髪を一つに束ねた姿に声をかけた。
「やっと来たか」
「待つくらいならそちらから来ればよかったのでは」
「ふん、嫌味を言えるようになったんだな」
先ほどの手紙で知ったことだが、姉上の魔術により、マクスウェルはパウンダル領に入れないらしい。
それはつまり、辺境伯夫人の魔術を破れないほどマクスウェルの魔力が落ちてしまったということだ。一時的になのか恒久的になのかわからないが。
「シュルッセル、お前はなにを企んでいる」
「私が…?」
「知っているんだぞ、ルーメン教授から話は聞いているんだ」
「…意味がわかりませんね」
ルーメン教授というのは、マクスウェルと私を魔術師として育てた師である。片眼鏡の老紳士、というのが私の覚えている教授の姿だ。数年前から床に臥せっているらしいが見舞いに行く気にもならない。魔術師として育ててもらった恩は、もう十分に返したつもりでいる。
「とぼけるな、グリモワールの鍵のくせに」とマクスウェルは顔を歪めた。
「グリモワールの鍵…なんですかそれは」
リリスもそうだったが、なぜこちらが知っている前提で話してくるのか。
「マクスウェル様、私はただの亡霊です。朝になれば消える。亡霊の私にはなにかをなし得ることはできないし、するつもりもない。それを伝えに来ただけです」
「笑えない冗談だな」
「冗談? もっとわかりやすく言いましょうか、これ以上詮索するなという忠告です。私は二年前の貴方の裏切りを忘れていないし、許してもいない」
魔力の弱っているマクスウェルに魔術をかけるのは簡単だった。
いつからその熱は冷めてしまったのだろう。
ベルスタの語った嘘の理由も思い出せない。昔の記憶はすべて、靄がかかったようにぼんやりとしている。
過去というのはそういうものだろうかと、流れ落ちてくる光の雨を見上げながら考える。
刈り取りの終わった小麦畑に寝転び、「これが魔術じゃないなら、一体なんなんだ」とベルスタがぼやいた。
となりの羊飼いは、昼間の出来事をどう解釈したのか。すっかりいつもどおりの態度によかったと思うべきなんだろうが、もちろん、私がシュルッセルであることがばれるのは困るのだが…なんだろうこの納得いかないかんじは。
いや、それよりこうしている今も、マクスウェルが乗り込んでくるかもしれない。本当はぐずぐずしている時間はないとわかっている。
オンスへ手紙を託したから、今日あったことのあらましは姉上へ伝わっているだろう。
ベルスタを正気に戻す間は立ち入られないように結界を施していたが、そのあとは別だ。
流れ落ちる星の数は減り、極大時刻は過ぎようとしていた。
のそりと起き上がり、ベルスタの腹の上に前脚をのせる。
「なにするんだ」
「用事を思い出した」
「…用事?」
「今から出かけるが、山小屋へ帰る頃には戻ってくる。道中ケルビンだけでは羊たちの管理が大変だろうからな」
「気遣い痛み入るよ」
ベルスタは私の首にぶら下がっているペンダントに触れ、それから前脚のつけねあたりをぽんぽんとたたく。
「気をつけてな」
「お前もな」と返すと、ベルスタはかすかにわらった。
◇◇◇
オンスの家には明かりが灯っていた。いつもなら就寝している時間であるが、私が訪れるとわかっていたのだろう。
手のひらを見つめる。そこにあるのは間違いなく人間の手である。五本の指を曲げ拳をつくってドアを叩いた。
「オンス、私だ」
軋みながら開いたドアのそばに立っていたのは姉上の侍女をしているテスだった。「お待ちしておりました」と言い、礼儀正しくお辞儀をされる。
「キュリー様からお手紙を預かっております」
「さすがだな、手際が良い」
恭しく差し出されている書簡を受け取ると、家主であるオンスの向かいへ座った。
「これはこれは、シュルッセル様。こんなボロ屋にお越しいただけるとは」
口先だけで顔つきはにやにやとしている。迂闊に宣戦布告のようなことをしたからおもしろがっているに違いない。
「白々しい、いつもどおりでいい」
「はっはっはっ、もう少し早く来てくれると思ってたが遅かったな」
「牧羊犬としての生活があるんだ」
「どうせ星でも見ていたんだろう」
「…私が見たいと言ったわけではない」
丸められた書簡を開く。踊っているような 美しい文字を読む。
軽率な行動をしたことに対する皮肉からはじまり、リリスのこと、マクスウェルの近況、王宮内の動き、そして今後の身の振り方に関するいくつかの提案が書かれてあった。
読み終わる頃合いで、「手伝うことはあるか?」とオンスが聞いてくる。
「セルシウスがいなくなるなら、代わりになる牧羊犬を見繕っておくぞ」
「新しい牧羊犬は不要だ。テス、姉上に伝えてくれ。死者は蘇らないと」
「承知しました」
「となると、目の前の貴方様は亡霊かなにかですか」
オンスが愉快そうに聞いてくる。悪くない提案だ。
「そうだな、そういうことにしよう」
◇◇◇
正しいことをしてきたつもりだった。魔力を高めたのも魔術を学んだのも王国のためだった。
「…マクスウェル様」
王宮内の書庫に兄弟子はいた。並ぶ書架の隙間に置かれたソファで本を読んでる。見た目だけは二年前と変わらない。銀色の長い髪を一つに束ねた姿に声をかけた。
「やっと来たか」
「待つくらいならそちらから来ればよかったのでは」
「ふん、嫌味を言えるようになったんだな」
先ほどの手紙で知ったことだが、姉上の魔術により、マクスウェルはパウンダル領に入れないらしい。
それはつまり、辺境伯夫人の魔術を破れないほどマクスウェルの魔力が落ちてしまったということだ。一時的になのか恒久的になのかわからないが。
「シュルッセル、お前はなにを企んでいる」
「私が…?」
「知っているんだぞ、ルーメン教授から話は聞いているんだ」
「…意味がわかりませんね」
ルーメン教授というのは、マクスウェルと私を魔術師として育てた師である。片眼鏡の老紳士、というのが私の覚えている教授の姿だ。数年前から床に臥せっているらしいが見舞いに行く気にもならない。魔術師として育ててもらった恩は、もう十分に返したつもりでいる。
「とぼけるな、グリモワールの鍵のくせに」とマクスウェルは顔を歪めた。
「グリモワールの鍵…なんですかそれは」
リリスもそうだったが、なぜこちらが知っている前提で話してくるのか。
「マクスウェル様、私はただの亡霊です。朝になれば消える。亡霊の私にはなにかをなし得ることはできないし、するつもりもない。それを伝えに来ただけです」
「笑えない冗談だな」
「冗談? もっとわかりやすく言いましょうか、これ以上詮索するなという忠告です。私は二年前の貴方の裏切りを忘れていないし、許してもいない」
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