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第1部
5 | 羊の毛刈り祭 - ベルスタ②
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「告白でもしてくれるのか?」と冗談めかして隊長は言う。
「告白というか…」
おい、リリス! これは、あれだな、あろうことか俺の姿で隊長を誘惑しているんだな!
「一度だけ、その…隊長に抱かれてみたくて…だめでしょうか」
恥を知れ! だめに決まっているだろう!
魔物を少しでも信用した自分の愚かさを呪っていると、「ワフッ」と鳴き声が聞こえ、リリスが隊長から視線を外した。セルシウスが駆け寄ってくるのが見える。
「どうした?」とリリスはいかにも俺のようなことを言ってセルシウスの頭を撫でる。さっきまでの不自然さならまだしも、こんな普通な対応ではいくらセルシウスだとしても異変に気づくのは不可能だ。
牧羊犬は俺の手の匂いを嗅ぎぺろりと舐めた。
「賢い犬だな。ベルスタの具合を心配しているんだろう」
当然だ、という風にセルシウスが軽く鼻を鳴らす。気づくべきところはほかにあるんだからな、そんなことで得意気になるなよ。でも、おかげでさっきまでの妙な雰囲気はなくなった。これでどうにか…
「そうか、セルシウス。心配してくれてありがとう、俺は大丈夫だから」
「それならもう肩を貸す必要はないか?」
「いえ! それは…」
自分が今、どんな表情で言葉をつまらせているのか。想像できないし、考えただけで恐ろしい。
リリスがセルシウスを見下ろす。自動的に俺もセルシウスを見下ろす。
「俺は大丈夫だから、みんなのところへ行っておいで」
大丈夫じゃない! 助けてくれ!
いくら叫んでもセルシウスには届かない。
「ベルスタのことは心配無用だ、俺が責任を持って休ませとくから」
隊長はそう言って、先ほどまでの酔っ払いの介抱とは明らかに違う仕草で俺の腰を抱いた。
腰を…って、隊長! 正気ですか! まさか隊長もリリスの魔力にあてられているのだろうか。
リリスはもうセルシウスを振り返ることはなかった。
なんだこの茶番は。諦めるしかないのか。どう足掻いてもなにもできないなら気を失ってしまいたい。
◇◇◇
昼過ぎではあるが窓も扉も閉めてしまうと石造りの住居の中はすっかり薄暗い。
「扉は開かないようにしておこう」
隊長はそう言って呪文を呟く。それから、「こっちの趣味は無いんだと思ってたよ」と笑った。
「離れて気づくこともあるでしょう」
リリスは隊長の首に手をかける。自分がそんなことをしていると思うと死にたくなるから、俺は無になることにした。
隊長の顔が近づく。息のかかる距離で、「右目はどうしたんだ?」と聞かれる。
密着させていた体をリリスは引こうとするが、隊長に抱きしめられているため逃げることはできなかった。
「答えられないか?」
「…事情が、あるんです」
「俺を誘うのもその事情とやらが関係してるのか」
「ええ」
「そうか、それなら…話を聞くのは楽しんでからにしよう」
隊長! 問い詰めるのは今です! 今すぐに拘束してリリスをどうにかしてくださいっ! 口づけを交わしている場合でも、ベッドへ押し倒している場合でもありません!
そのとき、俺の断末魔の叫びに呼応するように扉が吹っ飛んだ。先ほど隊長が施した魔術が強制的に解かれたのだ。
まさか俺も魔術が使えるようになったのかと一瞬考えたが、そんなことはなかった。
開いた扉から現れた人物に、「シュルッセル・ラザフォード…」と言ったのは、リリスだったのか、隊長だったのか。
「失礼、力加減が難しくて」
十年前に会ったときよりも、もちろん背も髪も伸びている。姿形をはっきりと覚えていたわけでもない。それでもまとっている雰囲気というか、全てを見透かしているような瞳というか、彼が間違いなくシュルッセル・ラザフォードだということはわかった。
突然現れた人物が誰であるかはわかっても、一体なにが起こっているのか、三人とも検討がつかずあっけにとられていた。
死んだはずの魔術師がなぜこんなところにいるのかと、三人とも考えていたはずだ。
「私を探している魔物がいると耳にしたんだが」
視線が合う。男二人が情事に及んでいる点について、魔術師殿は気にならないようで表情ひとつ変えない。
「…生きていたのか」
かすれた声が言う。思ったことがそのまま声として発せられる。と、いうことは!
「戻った!」
俺は隊長の腕を掴む。押し倒されていた体を起こし、「こんなことになって、なにから説明をすればいいのか」と早口で言い訳をする。
「不本意ながらこの右目は魔物に奪われていまして、それで、あの…そちらの方が探されているのはこの右目の魔物だと思います」
隊長は俺の顔と魔術師の顔を見比べる。
「経緯はさっぱりわからんが、俺の記憶ではあんたは死んだって話なんだけどな」
「私もその話に異存はない」
「生きてるとなると、最近の黒い噂も本当なのかね」
「権力に興味はないし、部外者の貴殿にこれ以上話すこともない」
魔術師は、「おい」と俺を呼ぶ。「魔物を召還するから、こっちへ来い」
俺が乱れた衣服を整えていると、「ベルスタ、こいつは信用できんのか」と隊長が小声で聞いてくる。
「…たぶん。それより、さっきまでのことは俺の意思ではありませんが、巻き込んでしまって申し訳ありません」
「様子が変だったし、なんかあるなとは思ってたよ」
「それならやめてくださいよ」
「ははは、減るもんじゃ」
言葉の余韻を残したまま隊長の姿は目の前で消えてしまった。
「え」
転移の魔術だと思うが、魔術師はなにも言わない。どうやらご機嫌が麗しくないらしい。
「告白というか…」
おい、リリス! これは、あれだな、あろうことか俺の姿で隊長を誘惑しているんだな!
「一度だけ、その…隊長に抱かれてみたくて…だめでしょうか」
恥を知れ! だめに決まっているだろう!
魔物を少しでも信用した自分の愚かさを呪っていると、「ワフッ」と鳴き声が聞こえ、リリスが隊長から視線を外した。セルシウスが駆け寄ってくるのが見える。
「どうした?」とリリスはいかにも俺のようなことを言ってセルシウスの頭を撫でる。さっきまでの不自然さならまだしも、こんな普通な対応ではいくらセルシウスだとしても異変に気づくのは不可能だ。
牧羊犬は俺の手の匂いを嗅ぎぺろりと舐めた。
「賢い犬だな。ベルスタの具合を心配しているんだろう」
当然だ、という風にセルシウスが軽く鼻を鳴らす。気づくべきところはほかにあるんだからな、そんなことで得意気になるなよ。でも、おかげでさっきまでの妙な雰囲気はなくなった。これでどうにか…
「そうか、セルシウス。心配してくれてありがとう、俺は大丈夫だから」
「それならもう肩を貸す必要はないか?」
「いえ! それは…」
自分が今、どんな表情で言葉をつまらせているのか。想像できないし、考えただけで恐ろしい。
リリスがセルシウスを見下ろす。自動的に俺もセルシウスを見下ろす。
「俺は大丈夫だから、みんなのところへ行っておいで」
大丈夫じゃない! 助けてくれ!
いくら叫んでもセルシウスには届かない。
「ベルスタのことは心配無用だ、俺が責任を持って休ませとくから」
隊長はそう言って、先ほどまでの酔っ払いの介抱とは明らかに違う仕草で俺の腰を抱いた。
腰を…って、隊長! 正気ですか! まさか隊長もリリスの魔力にあてられているのだろうか。
リリスはもうセルシウスを振り返ることはなかった。
なんだこの茶番は。諦めるしかないのか。どう足掻いてもなにもできないなら気を失ってしまいたい。
◇◇◇
昼過ぎではあるが窓も扉も閉めてしまうと石造りの住居の中はすっかり薄暗い。
「扉は開かないようにしておこう」
隊長はそう言って呪文を呟く。それから、「こっちの趣味は無いんだと思ってたよ」と笑った。
「離れて気づくこともあるでしょう」
リリスは隊長の首に手をかける。自分がそんなことをしていると思うと死にたくなるから、俺は無になることにした。
隊長の顔が近づく。息のかかる距離で、「右目はどうしたんだ?」と聞かれる。
密着させていた体をリリスは引こうとするが、隊長に抱きしめられているため逃げることはできなかった。
「答えられないか?」
「…事情が、あるんです」
「俺を誘うのもその事情とやらが関係してるのか」
「ええ」
「そうか、それなら…話を聞くのは楽しんでからにしよう」
隊長! 問い詰めるのは今です! 今すぐに拘束してリリスをどうにかしてくださいっ! 口づけを交わしている場合でも、ベッドへ押し倒している場合でもありません!
そのとき、俺の断末魔の叫びに呼応するように扉が吹っ飛んだ。先ほど隊長が施した魔術が強制的に解かれたのだ。
まさか俺も魔術が使えるようになったのかと一瞬考えたが、そんなことはなかった。
開いた扉から現れた人物に、「シュルッセル・ラザフォード…」と言ったのは、リリスだったのか、隊長だったのか。
「失礼、力加減が難しくて」
十年前に会ったときよりも、もちろん背も髪も伸びている。姿形をはっきりと覚えていたわけでもない。それでもまとっている雰囲気というか、全てを見透かしているような瞳というか、彼が間違いなくシュルッセル・ラザフォードだということはわかった。
突然現れた人物が誰であるかはわかっても、一体なにが起こっているのか、三人とも検討がつかずあっけにとられていた。
死んだはずの魔術師がなぜこんなところにいるのかと、三人とも考えていたはずだ。
「私を探している魔物がいると耳にしたんだが」
視線が合う。男二人が情事に及んでいる点について、魔術師殿は気にならないようで表情ひとつ変えない。
「…生きていたのか」
かすれた声が言う。思ったことがそのまま声として発せられる。と、いうことは!
「戻った!」
俺は隊長の腕を掴む。押し倒されていた体を起こし、「こんなことになって、なにから説明をすればいいのか」と早口で言い訳をする。
「不本意ながらこの右目は魔物に奪われていまして、それで、あの…そちらの方が探されているのはこの右目の魔物だと思います」
隊長は俺の顔と魔術師の顔を見比べる。
「経緯はさっぱりわからんが、俺の記憶ではあんたは死んだって話なんだけどな」
「私もその話に異存はない」
「生きてるとなると、最近の黒い噂も本当なのかね」
「権力に興味はないし、部外者の貴殿にこれ以上話すこともない」
魔術師は、「おい」と俺を呼ぶ。「魔物を召還するから、こっちへ来い」
俺が乱れた衣服を整えていると、「ベルスタ、こいつは信用できんのか」と隊長が小声で聞いてくる。
「…たぶん。それより、さっきまでのことは俺の意思ではありませんが、巻き込んでしまって申し訳ありません」
「様子が変だったし、なんかあるなとは思ってたよ」
「それならやめてくださいよ」
「ははは、減るもんじゃ」
言葉の余韻を残したまま隊長の姿は目の前で消えてしまった。
「え」
転移の魔術だと思うが、魔術師はなにも言わない。どうやらご機嫌が麗しくないらしい。
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