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第1部
5 | 羊の毛刈り祭 - ベルスタ①
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強くなりたかった。守られるのではなく、だれかを守る存在になりたかった。
俺が左腕を失ったとき、ジュール隊長は軍属としての職務もあると言ってくれた。ありがたい話を受け入れられなかったのは、それでは俺にとって軍に残る意味がないからだ。それに、自分の不甲斐なさの結果なのに情けをかけられるのは悔しい。
行く当ても仕事の目途もなかったから、とりあえず報告も兼ねて幼馴染のモルへ手紙を書いた。
故郷のパウンダル領では親の仕事を継ぐのが当たり前で、孤児院育ちとなると就ける職業も限られる。それに俺は故郷から一度離れた身だ。ずっと故郷でクーリエとして働いているモルとは状況が違う。今さら居場所はないだろうと期待はしていなかったが、意外にも色よい返事だった。
ちょっとした額の負傷手当とすこしの荷物を持って帰郷したのが半年前。そして、羊飼いとしてはじめての毛刈り祭りの今日に至る。
◇◇◇
祭りの騒がしさのなか、良く通る野太い声に「ベルスタ!」と呼ばれた。条件反射的に、ぴっと背筋が伸びる。
「やあやあ、元気そうだな!」
そう言いながら、辺境の村には不釣り合いな存在感の男が近づいてくる。
「ジュール隊長もお変わりなく…本日はどうされたんですか」
「手紙をもらってうれしくてな、様子を見に行きたいとは思っていたんだ」
「それでわざわざ来てくださるとは」
「怪我で辞して腐っちまうヤツも多いからなぁ。まあ、ベルスタは真面目だし心配はしてなかったが」
「いえ、そんな…あ、これ! サッシュ、ありがとうございました」
俺は羊飼いの杖に巻き付けているサッシュの礼を言う。
「持ってくれているのか。それにしてもよく魔術に気がついたな」
「はい、ええと…知り合いが教えてくれました」
隊長は俺のとなりにいる牧羊犬に目を止め、「おっ、お前がセルシウスだな」と手を伸ばす。セルシウスの尻尾はすんと下がったが隊長は気にせず牧羊犬の頭を撫で続けた。
されるがままのセルシウスはおもしろいが、後でなにか言われるだろうか。助け船を出すつもりで、「隊長、祭りを案内しますよ」と提案した。
隊長の手から解放され、セルシウスはぶるると身震いをする。ちらりと視線は合ったが意図まではくめない。歩き出す俺たちについて来ないから、隊長と離れられて清々している、というところか。
祭りを案内するといっても、見るべきものは羊の毛刈り以外になかった。青空のもと、羊たちは慣れた手つきの村人たちによって上等な上着を脱がされるように毛を刈られていく。
「ベルスタは手伝わなくていいのか?」
「はい。羊飼いの仕事は、羊たちを麓まで連れてきてまた山へ戻すことなので」
「なんでまた羊飼いなんてと思ったが、不満はないんだな?」
「故郷ですし、不満なんてありません。それに羊飼いという仕事が性分に合っているようです」
ぽつりぽつりと話をしていると、それまでこちらを遠巻きに見ていた二人の娘が近づいてくる。
「あの、お話し中すみません。あっちに料理を用意してて、みんなで食べませんか?」
「お客様のお口にあうか、わからないけど」
「客だなんて、よそ者が勝手に紛れ込んだのにお気遣いありがとう。やさしいお嬢さんたちだな」
隊長の言葉に娘たちはきゃっと笑って、「こちらへどうぞ」と先を歩く。
「かわいい娘たちだなぁ、仔犬のようだ」
「それって褒めてます?」
そう言ったのは俺の声だが、俺ではなかった。俺ではないということは…つまり、リリスしかいない。唐突に、声も体も何ひとつ思い通りにならなくなる。一体どういうつもりなのか。
以前のような話し方をされては隊長に変に思われてしまうと焦ったが、リリスは「アタシ」とは言わなかったし、態度も俺に似せようとしているようだった。
食事の席では酒も振る舞われ、隊長も村人も気安く盛り上がった。リリスも適当に話しを合わせつつ食事を楽しんでいる。なんなら、俺よりもうまく会話をしている気がする。
ただ祭りの雰囲気を楽しみたかっただけだろうか。それなら、まあ、少しくらい体が乗っ取られても許してやるか。
ところが、二杯目の酒を飲んでいるところでリリスはおもむろにため息をつく。
「久しぶりに飲んだからな…気分が悪くなったのでちょっと休んできます」
立ち上がりかけたところでぐらりと体勢を崩す、「おいおい、大丈夫か」と隊長が心配してくれる。
俺だって心配した。普段の俺なら酒を二杯飲んだだけで具合が悪くなることなんてない。でも、リリスは違うのかもしれない。乗っ取られている間、体の感覚はなかった。だからこそどれくらい具合が悪いのか心配になる。
隊長に肩を貸してもらいながら村にある羊飼い用の住居へ向かった。
「隊長、すみません…」
「気にするな」
そうだぞ、リリス。酒が苦手なら無理して飲む必要なんてなかったのに。
「会いに来てもらえたのがうれしくて」
うーん、俺ならそんなことは言わない。うれしい気持ちはあるが、正直に言うのは気恥ずかしい。隊長も、「なんだ、酔っ払ってるのか」と軽く笑う。
「そうですね、酔っ払いの戯言ですが…どうしても、二人きりになりたかったんです」
その言い方は、なにか、誤解をされるのではないだろうか。ものすごく嫌な予感がする。隊長の驚きの表情から目を逸らしたいのに逸らすことができない。
そんな凝視しないでください! 俺が言ってるんじゃないんです! リリスって魔物がいてですね!
俺が左腕を失ったとき、ジュール隊長は軍属としての職務もあると言ってくれた。ありがたい話を受け入れられなかったのは、それでは俺にとって軍に残る意味がないからだ。それに、自分の不甲斐なさの結果なのに情けをかけられるのは悔しい。
行く当ても仕事の目途もなかったから、とりあえず報告も兼ねて幼馴染のモルへ手紙を書いた。
故郷のパウンダル領では親の仕事を継ぐのが当たり前で、孤児院育ちとなると就ける職業も限られる。それに俺は故郷から一度離れた身だ。ずっと故郷でクーリエとして働いているモルとは状況が違う。今さら居場所はないだろうと期待はしていなかったが、意外にも色よい返事だった。
ちょっとした額の負傷手当とすこしの荷物を持って帰郷したのが半年前。そして、羊飼いとしてはじめての毛刈り祭りの今日に至る。
◇◇◇
祭りの騒がしさのなか、良く通る野太い声に「ベルスタ!」と呼ばれた。条件反射的に、ぴっと背筋が伸びる。
「やあやあ、元気そうだな!」
そう言いながら、辺境の村には不釣り合いな存在感の男が近づいてくる。
「ジュール隊長もお変わりなく…本日はどうされたんですか」
「手紙をもらってうれしくてな、様子を見に行きたいとは思っていたんだ」
「それでわざわざ来てくださるとは」
「怪我で辞して腐っちまうヤツも多いからなぁ。まあ、ベルスタは真面目だし心配はしてなかったが」
「いえ、そんな…あ、これ! サッシュ、ありがとうございました」
俺は羊飼いの杖に巻き付けているサッシュの礼を言う。
「持ってくれているのか。それにしてもよく魔術に気がついたな」
「はい、ええと…知り合いが教えてくれました」
隊長は俺のとなりにいる牧羊犬に目を止め、「おっ、お前がセルシウスだな」と手を伸ばす。セルシウスの尻尾はすんと下がったが隊長は気にせず牧羊犬の頭を撫で続けた。
されるがままのセルシウスはおもしろいが、後でなにか言われるだろうか。助け船を出すつもりで、「隊長、祭りを案内しますよ」と提案した。
隊長の手から解放され、セルシウスはぶるると身震いをする。ちらりと視線は合ったが意図まではくめない。歩き出す俺たちについて来ないから、隊長と離れられて清々している、というところか。
祭りを案内するといっても、見るべきものは羊の毛刈り以外になかった。青空のもと、羊たちは慣れた手つきの村人たちによって上等な上着を脱がされるように毛を刈られていく。
「ベルスタは手伝わなくていいのか?」
「はい。羊飼いの仕事は、羊たちを麓まで連れてきてまた山へ戻すことなので」
「なんでまた羊飼いなんてと思ったが、不満はないんだな?」
「故郷ですし、不満なんてありません。それに羊飼いという仕事が性分に合っているようです」
ぽつりぽつりと話をしていると、それまでこちらを遠巻きに見ていた二人の娘が近づいてくる。
「あの、お話し中すみません。あっちに料理を用意してて、みんなで食べませんか?」
「お客様のお口にあうか、わからないけど」
「客だなんて、よそ者が勝手に紛れ込んだのにお気遣いありがとう。やさしいお嬢さんたちだな」
隊長の言葉に娘たちはきゃっと笑って、「こちらへどうぞ」と先を歩く。
「かわいい娘たちだなぁ、仔犬のようだ」
「それって褒めてます?」
そう言ったのは俺の声だが、俺ではなかった。俺ではないということは…つまり、リリスしかいない。唐突に、声も体も何ひとつ思い通りにならなくなる。一体どういうつもりなのか。
以前のような話し方をされては隊長に変に思われてしまうと焦ったが、リリスは「アタシ」とは言わなかったし、態度も俺に似せようとしているようだった。
食事の席では酒も振る舞われ、隊長も村人も気安く盛り上がった。リリスも適当に話しを合わせつつ食事を楽しんでいる。なんなら、俺よりもうまく会話をしている気がする。
ただ祭りの雰囲気を楽しみたかっただけだろうか。それなら、まあ、少しくらい体が乗っ取られても許してやるか。
ところが、二杯目の酒を飲んでいるところでリリスはおもむろにため息をつく。
「久しぶりに飲んだからな…気分が悪くなったのでちょっと休んできます」
立ち上がりかけたところでぐらりと体勢を崩す、「おいおい、大丈夫か」と隊長が心配してくれる。
俺だって心配した。普段の俺なら酒を二杯飲んだだけで具合が悪くなることなんてない。でも、リリスは違うのかもしれない。乗っ取られている間、体の感覚はなかった。だからこそどれくらい具合が悪いのか心配になる。
隊長に肩を貸してもらいながら村にある羊飼い用の住居へ向かった。
「隊長、すみません…」
「気にするな」
そうだぞ、リリス。酒が苦手なら無理して飲む必要なんてなかったのに。
「会いに来てもらえたのがうれしくて」
うーん、俺ならそんなことは言わない。うれしい気持ちはあるが、正直に言うのは気恥ずかしい。隊長も、「なんだ、酔っ払ってるのか」と軽く笑う。
「そうですね、酔っ払いの戯言ですが…どうしても、二人きりになりたかったんです」
その言い方は、なにか、誤解をされるのではないだろうか。ものすごく嫌な予感がする。隊長の驚きの表情から目を逸らしたいのに逸らすことができない。
そんな凝視しないでください! 俺が言ってるんじゃないんです! リリスって魔物がいてですね!
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