羊飼いとグリモワールの鍵

むらうた

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第1部

3 | 突然の訪問者 - ベルスタ②

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「結界は外から侵入できないようにするだけだ。もともと王国内にいた魔物に制限はできない」

 セルシウスは牙をむき出してじっと右目を見つめた。

「リリス! リリスだろう? ラザフォード家では大人しかったのにこんな山小屋まで来てなにがしたいんだ!」

 まさか知り合いなのか、という言葉は出てこなかった。

「ワンちゃん、おしゃべりできたのね」

 誰かいるのかとあたりを見回したいが首が動かない。それどころか、そう言ったのは俺の声のような気がする。

「目的はなんだ」

「呼ばれたから目が覚めたけど夜明け前じゃない、ふぁああ」

 口が大きく開く。体が乗っ取られているのだと理解する。

「えっと、目的? そんなの簡単よ、山小屋の監視に決まってるじゃない。ワンちゃんがおしゃべりできるって知ってたら他の方法を考えたわ。今から作戦変えようかしら…ね、アンタはグリモワールの鍵を知ってる?」

 セルシウスがにやりと笑ったように見えた。

「知らない。それに、私は辺境伯夫人から守護のペンダントをいただいたんだ。魔力で従わせようとしても通用しない」

「じゃあ力づくで教えてもらうまでよ」

 俺の右手が目の前の犬の喉元めがけて伸びる。やめてくれ、と思う。でも体は言うことをきかないし、声も出せない。指が触れる瞬間、機敏に机からとびおりるセルシウスに安堵する。そのまま逃げてくれればいい。

「この羊飼いってば片腕だったわ、どうしようかしら。追いかけっこでワンちゃんにかなうわけないし…」

 体がふらりと立ち上げり、ナイフを掴む。それでセルシウスを狙うつもりか。

「この羊飼いを殺すと言ったらどう? アタシは情報が欲しいだけ。か弱い人間一人殺すのなんてとっても簡単」

 違った。俺か。

「…知りたい情報とはなんだ?」

「グリモワールの鍵の居場所よ」

「なんだ、それは」

「ウソでしょ、どいつもこいつもなんで知らないの! シュルッセル・ラザフォードっていえばわかるかしら」

「やつは死んだ」

「聞き飽きたわ! でもワンちゃんが本当のことを言ってるかわからないもの」

「信じられないなら好きにすればいいさ。ただの羊飼いだ、代わりならいる」

 おい、セルシウス!

「だそうよ羊飼いさん、聞こえてる? アンタもかわいそうね、そこそこ男前なのに同情しちゃうわ。こーんなとこで羊飼いなんかして、最後は自分とは関係のないことに巻き込まて死ぬの」

「巻き込んだのはお前だろう」

「アタシだってこんなことしたくないわよ。楽しく遊んで暮らしてたのにつまんない魔術師と契約しちゃったから」

 リリスはため息をつく。俺の体で。

「魔術師を信じるなんてばかだな」

「信じるわけないじゃない! 命がかかってるから必死なのよ」

「ふん、死んだ人間をどう探すんだ? 契約した魔術師を殺すほうが簡単じゃないか」

 まるで人間をそそのかす魔物の言葉のようだ。こんな駆け引きがただの犬にできるだろうか。やることがなくてそんなことを考える。セルシウスが、もし、犬ではないとしたら?

「…アタシの力じゃ無理なのよ」

「辺境伯夫人なら力を貸すかもしれない。不肖の弟が生きているなんてうわさに迷惑を被っているのだから」

「そんな甘言やめてよね、キュリー様だってアタシを消すことくらいわけないのに」

「そうかな? 王宮からの紹介状で使用人をしているんだろう。そう簡単に手出しはできないさ。とにかく交渉するならこんな山小屋じゃなく辺境伯の屋敷でしてくれ」

「呼んだのはそっちじゃない! いいわよ、疲れちゃったし帰ってやるわ」

 リリスはそう言って、ナイフをもとの場所に戻す。と同時に体の力が抜けた。

「おっ、と。戻った…」

「もう二度と、気持ちの悪い話し方をするな」

「好きで話していたわけじゃ」

「知っている。私も疲れた…寝る…」

 とぼとぼとベッドへ向かう背中に、「セルシウスの正体って」と声をかけると、ぱっとこちらを振り返った。やはり犬は仮の姿なのだろうか。

「…魔物、なのか?」

「ッ違う! 失礼だな、どこをどう見たら魔物に見えるんだ、まったく」

 魔力のない俺には、リリスだって人間にしか見えなかった。

「普通の犬はしゃべらないんだ」

「これは…辺境伯夫人の魔術だ」

「魔術とは便利なものだな」

「やっかいでしかないよ。…あ、サッシュを身に着けておくように。右目を交換しているリリスには効かないが、まあ、気休めにはなる」

 ベッドで伏せるセルシウスのとなりへ腰かける。少し迷ってから、「さっきは助かった、ありがとう」と言ってみる。

 セルシウスは目を閉じたまま不機嫌そうに、「礼を言われる道理はない」と言う。

「お前は巻き込まれたんだ…悪かったな。私が山小屋から離れなければ、右目を魔物に取られることはなかった」

 責任を感じているのだろうか。犬のくせに、と軽口をたたける雰囲気でもない。

「右目を取られたのは俺が弱いからだ、セルシウスのせいではない。だからそう落ち込むな」

「落ち込んでない」

「じゃあ、ふてくされるな」

「違う、眠いんだ私は」

 励ますこともできず、ふかふかとした毛並みの背中を撫でるしかなかった。


   ◇◇◇


 緑に覆われた斜面で羊たちが草を食んでいる。右目を隠して見ても、左目を隠して見ても、同じ景色だ。両目を閉じて、交換した右目が見ているものはなんだろうと思う。

 リリスがこちらを自由に操れるなら、こっちだって向こうの様子くらいわかるかもしれない、なんて魔力を使えない人間にできるわけないか。

 閉じた目蓋の向こうで、草を渡る風の音と羊たちの鳴き声がする。

 目蓋を開けると羊たちは新しい草を求めて移動しようとしていた。犬笛でケルビンを呼び、羊たちの進路をそれとなく誘導させた。
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