3 / 38
第1部
2 | 牧羊犬の正体 - セルシウス①
しおりを挟む
稀代の魔術師シュルッセル・ラザフォードが国家転覆を企んでいる、なんて誰が信じるんだと思っていた。
なぜ私がそんな面倒なことをしなければならないのだ。
どうせ国土拡大に反対した嫌がらせだろうと放っておいたら、いわれのない罪をでっち上げられ罪人扱いになっていた。
自分の魔力を過信し、推進派の貴族連中を見くびっていたことは認めよう。まさか本当に命を狙ってくるとは思いもしなかった。
一連の事件から数年が経ち、客観的に振り返ってみれば、平和な国にとって強大な魔力は厄災でしかないとわかる。たとえばそれが、国のために尽くした魔術師であったとしても。
利権と陰謀が絡み合う王宮の相関図を当時の私は理解していなかったのだ。(正直なところ、今だって興味がなさすぎてろくにわかっていない。)
とにかく私個人の意思は関係なく、誰の意思をも無視して最悪の結末を辿ろうとしていた。だからとりあえず死ぬことにした。正確には、実際に死にかけたから、そのまま死んだふりをすることにした。
ほとぼりが冷めるまでは魔力も封じて大人しくしていよう。私は消えるからあとは好きにしてくれ、と考えていたのに。実際に勝手にされると我慢ならない。
新聞記事によれば、誰かがシュルッセル・ラザフォードの名を語って根も葉もない噂だった国家転覆を本当に企んでいるらしい。
新聞の情報だけでは本当のことはわからないが、この記事に一割でも真実があるとすればそれは見過ごすことができない。人様の名前に泥を塗るとはいい度胸だ。
◇◇◇
山を下りるのは二年ぶりだった。
魔力を使うと気配が残るため犬の姿のまま暗闇を駆けていく。目指すはパウンダル辺境伯のラザフォード家邸宅だ。
しかし、私の仮の姿を知っているのは先代の羊飼いであるオンスと姉のキュリーだけ、ということを思い出したのは、夜が明けて邸宅の門前にたどり着いてからだった。
まずはオンスと会ってから取り次いでもらったほうがよさそうだ。
「まあ、素敵なリボンね」
気配なく急にかけられた声にぞわりと悪寒がはしる。使用人の恰好をした女が後ろに立っていた。朝日の加減で顔はよく見えない。
「魔力を感じるわ、どこかのお宅からのおつかいかしら」
魔力?
自分の魔力が発現していなければ他人の魔力も感じることはできない。魔力を封じている犬の姿では他人の魔力がわからないのと同じだ。
この使用人は何者だろう。
魔力が発現する人間は限られている。魔力の発現と魔術を使えることは別だが、姉上は魔力が発現している使用人を置かない主義だったはすだ。
逃げるべきか。いや、うまくいけば姉上に会えるかもしれない。と考えていると、別の気配が近づいてきた。
「リリス、おはよう」
今度は男だった。この男には見覚えがある。庭の手入れをしているやつだ。
「おはようございます、グレイさん」
「どうした? 犬?」
「ええ、おつかいかもしれません」
「おつかい?」
「ね、ワンちゃん」
二人がこちらを見下ろすので、胸を張ってここ一番の賢い顔をしてみた。
「なにも持ってないじゃないか」と腕組みをしながら庭師が言うことに賛同しかない。まったくもってその通りだ。出直してくるか。
「でも…あの…リボンしてます」
だからなんだ。
「だから…えっと…贈り物、とか?」
さすがに無理がある!
この女は見習いの使用人だろうか。先ほどの悪寒が勘違いに思えるほど毒気のない幼さののこった顔立ちだった。
庭師は、「贈り物ぉ?」と真偽を確かめるように私の目をのぞきこむ。「そう言われりゃ毛艶もいいし、賢そうな顔もしてるが」
「そうでしょう!」
「俺たちだけじゃわからねえな。犬、ついてくるか?」
門前払いでないのはありがたいが、心配になる警備の甘さだ。まあ今回に限っては時間が省けたから良しとするか。
私は機嫌良く尻尾を振って承諾を表現した。
◇◇◇
「報告してきます」と、見習い使用人が言うので庭師と待っていたが、なかなか戻ってこなかった。
「まいったなぁ、俺にも仕事があるのに」
庭師はぶつぶつと不平をもらし、とうとう「犬、おとなしく待てるか?」と聞いてきた。私が曲者だったらどうするのだということは考えないことにして、ワフッと軽く吠える。
というわけで、「あら、死んでしまったのかしら?」と声をかけられるまで庭のあずまやで眠っていた。夜通し走って疲れていたのだ。
私はあくびをしながら状況を確認する。
太陽の位置から、昼下がりになっていることがわかった。これならオンスに取り次いでもらったほうが早かったかもしれない。
「大きなお口ですこと。生きているようで良かったわ」
柔和かつ威厳。さすが我が姉上、腹の底がよめない微笑みだ。
「キュリー様、近づいては危険です。鎖などを用意いたします」
「ふふふ、鎖ですって。とても楽しそうな提案だけれど大丈夫よ」
「ですが」
「そうね、汚れた犬ではティータイムに相応しくないわね。貴方、姿を現しなさい。あずまやには目くらましの術をかけましょう」
姉上に促され、自らに施していた術を解く。侍女が驚きの声をあげる。私も姉付きの侍女の顔はよく知っているから、向こうだって私の顔くらい覚えているだろう。
「犬を殿方に変身させるのは不貞かしら? でも目くらましの術の中のこと、他の誰に知られることもないわよね、テス?」
あくまで姉の魔術によって犬を変身させた、とするつもりらしい。そして他言無用だと脅している。侍女はちらちらと私を見ながら震える声で、「は、はい」と応えた。
「さあ、お茶の準備をお願いね」
「承知しました」
侍女は一礼をして足早にあずまやを離れた。
なぜ私がそんな面倒なことをしなければならないのだ。
どうせ国土拡大に反対した嫌がらせだろうと放っておいたら、いわれのない罪をでっち上げられ罪人扱いになっていた。
自分の魔力を過信し、推進派の貴族連中を見くびっていたことは認めよう。まさか本当に命を狙ってくるとは思いもしなかった。
一連の事件から数年が経ち、客観的に振り返ってみれば、平和な国にとって強大な魔力は厄災でしかないとわかる。たとえばそれが、国のために尽くした魔術師であったとしても。
利権と陰謀が絡み合う王宮の相関図を当時の私は理解していなかったのだ。(正直なところ、今だって興味がなさすぎてろくにわかっていない。)
とにかく私個人の意思は関係なく、誰の意思をも無視して最悪の結末を辿ろうとしていた。だからとりあえず死ぬことにした。正確には、実際に死にかけたから、そのまま死んだふりをすることにした。
ほとぼりが冷めるまでは魔力も封じて大人しくしていよう。私は消えるからあとは好きにしてくれ、と考えていたのに。実際に勝手にされると我慢ならない。
新聞記事によれば、誰かがシュルッセル・ラザフォードの名を語って根も葉もない噂だった国家転覆を本当に企んでいるらしい。
新聞の情報だけでは本当のことはわからないが、この記事に一割でも真実があるとすればそれは見過ごすことができない。人様の名前に泥を塗るとはいい度胸だ。
◇◇◇
山を下りるのは二年ぶりだった。
魔力を使うと気配が残るため犬の姿のまま暗闇を駆けていく。目指すはパウンダル辺境伯のラザフォード家邸宅だ。
しかし、私の仮の姿を知っているのは先代の羊飼いであるオンスと姉のキュリーだけ、ということを思い出したのは、夜が明けて邸宅の門前にたどり着いてからだった。
まずはオンスと会ってから取り次いでもらったほうがよさそうだ。
「まあ、素敵なリボンね」
気配なく急にかけられた声にぞわりと悪寒がはしる。使用人の恰好をした女が後ろに立っていた。朝日の加減で顔はよく見えない。
「魔力を感じるわ、どこかのお宅からのおつかいかしら」
魔力?
自分の魔力が発現していなければ他人の魔力も感じることはできない。魔力を封じている犬の姿では他人の魔力がわからないのと同じだ。
この使用人は何者だろう。
魔力が発現する人間は限られている。魔力の発現と魔術を使えることは別だが、姉上は魔力が発現している使用人を置かない主義だったはすだ。
逃げるべきか。いや、うまくいけば姉上に会えるかもしれない。と考えていると、別の気配が近づいてきた。
「リリス、おはよう」
今度は男だった。この男には見覚えがある。庭の手入れをしているやつだ。
「おはようございます、グレイさん」
「どうした? 犬?」
「ええ、おつかいかもしれません」
「おつかい?」
「ね、ワンちゃん」
二人がこちらを見下ろすので、胸を張ってここ一番の賢い顔をしてみた。
「なにも持ってないじゃないか」と腕組みをしながら庭師が言うことに賛同しかない。まったくもってその通りだ。出直してくるか。
「でも…あの…リボンしてます」
だからなんだ。
「だから…えっと…贈り物、とか?」
さすがに無理がある!
この女は見習いの使用人だろうか。先ほどの悪寒が勘違いに思えるほど毒気のない幼さののこった顔立ちだった。
庭師は、「贈り物ぉ?」と真偽を確かめるように私の目をのぞきこむ。「そう言われりゃ毛艶もいいし、賢そうな顔もしてるが」
「そうでしょう!」
「俺たちだけじゃわからねえな。犬、ついてくるか?」
門前払いでないのはありがたいが、心配になる警備の甘さだ。まあ今回に限っては時間が省けたから良しとするか。
私は機嫌良く尻尾を振って承諾を表現した。
◇◇◇
「報告してきます」と、見習い使用人が言うので庭師と待っていたが、なかなか戻ってこなかった。
「まいったなぁ、俺にも仕事があるのに」
庭師はぶつぶつと不平をもらし、とうとう「犬、おとなしく待てるか?」と聞いてきた。私が曲者だったらどうするのだということは考えないことにして、ワフッと軽く吠える。
というわけで、「あら、死んでしまったのかしら?」と声をかけられるまで庭のあずまやで眠っていた。夜通し走って疲れていたのだ。
私はあくびをしながら状況を確認する。
太陽の位置から、昼下がりになっていることがわかった。これならオンスに取り次いでもらったほうが早かったかもしれない。
「大きなお口ですこと。生きているようで良かったわ」
柔和かつ威厳。さすが我が姉上、腹の底がよめない微笑みだ。
「キュリー様、近づいては危険です。鎖などを用意いたします」
「ふふふ、鎖ですって。とても楽しそうな提案だけれど大丈夫よ」
「ですが」
「そうね、汚れた犬ではティータイムに相応しくないわね。貴方、姿を現しなさい。あずまやには目くらましの術をかけましょう」
姉上に促され、自らに施していた術を解く。侍女が驚きの声をあげる。私も姉付きの侍女の顔はよく知っているから、向こうだって私の顔くらい覚えているだろう。
「犬を殿方に変身させるのは不貞かしら? でも目くらましの術の中のこと、他の誰に知られることもないわよね、テス?」
あくまで姉の魔術によって犬を変身させた、とするつもりらしい。そして他言無用だと脅している。侍女はちらちらと私を見ながら震える声で、「は、はい」と応えた。
「さあ、お茶の準備をお願いね」
「承知しました」
侍女は一礼をして足早にあずまやを離れた。
0
お気に入りに追加
25
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
大嫌いだったアイツの子なんか絶対に身籠りません!
みづき
BL
国王の妾の子として、宮廷の片隅で母親とひっそりと暮らしていたユズハ。宮廷ではオメガの子だからと『下層の子』と蔑まれ、次期国王の子であるアサギからはしょっちゅういたずらをされていて、ユズハは大嫌いだった。
そんなある日、国王交代のタイミングで宮廷を追い出されたユズハ。娼館のスタッフとして働いていたが、十八歳になり、男娼となる。
初めての夜、客として現れたのは、幼い頃大嫌いだったアサギ、しかも「俺の子を孕め」なんて言ってきて――絶対に嫌! と思うユズハだが……
架空の近未来世界を舞台にした、再会から始まるオメガバースです。
転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!
めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。
ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。
兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。
義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!?
このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。
※タイトル変更(2024/11/27)
【完結】相談する相手を、間違えました
ryon*
BL
長い間片想いしていた幼なじみの結婚を知らされ、30歳の誕生日前日に失恋した大晴。
自棄になり訪れた結婚相談所で、高校時代の同級生にして学内のカースト最上位に君臨していた男、早乙女 遼河と再会して・・・
***
執着系美形攻めに、あっさりカラダから堕とされる自称平凡地味陰キャ受けを書きたかった。
ただ、それだけです。
***
他サイトにも、掲載しています。
てんぱる1様の、フリー素材を表紙にお借りしています。
***
エブリスタで2022/5/6~5/11、BLトレンドランキング1位を獲得しました。
ありがとうございました。
***
閲覧への感謝の気持ちをこめて、5/8 遼河視点のSSを追加しました。
ちょっと闇深い感じですが、楽しんで頂けたら幸いです(*´ω`*)
***
2022/5/14 エブリスタで保存したデータが飛ぶという不具合が出ているみたいで、ちょっとこわいのであちらに置いていたSSを念のためこちらにも転載しておきます。
お客様と商品
あかまロケ
BL
馬鹿で、不細工で、性格最悪…なオレが、衣食住提供と引き換えに体を売る相手は高校時代一度も面識の無かったエリートモテモテイケメン御曹司で。オレは商品で、相手はお客様。そう思って毎日せっせとお客様に尽くす涙ぐましい努力のオレの物語。(*ムーンライトノベルズ・pixivにも投稿してます。)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる