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第1部

2 | 牧羊犬の正体 - セルシウス①

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 稀代の魔術師シュルッセル・ラザフォードが国家転覆を企んでいる、なんて誰が信じるんだと思っていた。

 なぜ私がそんな面倒なことをしなければならないのだ。

 どうせ国土拡大に反対した嫌がらせだろうと放っておいたら、いわれのない罪をでっち上げられ罪人扱いになっていた。

 自分の魔力を過信し、推進派の貴族連中を見くびっていたことは認めよう。まさか本当に命を狙ってくるとは思いもしなかった。

 一連の事件から数年が経ち、客観的に振り返ってみれば、平和な国にとって強大な魔力は厄災でしかないとわかる。たとえばそれが、国のために尽くした魔術師であったとしても。

 利権と陰謀が絡み合う王宮の相関図を当時の私は理解していなかったのだ。(正直なところ、今だって興味がなさすぎてろくにわかっていない。)

 とにかく私個人の意思は関係なく、誰の意思をも無視して最悪の結末を辿ろうとしていた。だからとりあえず死ぬことにした。正確には、実際に死にかけたから、そのまま死んだふりをすることにした。

 ほとぼりが冷めるまでは魔力も封じて大人しくしていよう。私は消えるからあとは好きにしてくれ、と考えていたのに。実際に勝手にされると我慢ならない。

 新聞記事によれば、誰かがシュルッセル・ラザフォードの名を語って根も葉もない噂だった国家転覆を本当に企んでいるらしい。

 新聞の情報だけでは本当のことはわからないが、この記事に一割でも真実があるとすればそれは見過ごすことができない。人様の名前に泥を塗るとはいい度胸だ。


    ◇◇◇


 山を下りるのは二年ぶりだった。

 魔力を使うと気配が残るため犬の姿のまま暗闇を駆けていく。目指すはパウンダル辺境伯のラザフォード家邸宅だ。

 しかし、私の仮の姿を知っているのは先代の羊飼いであるオンスと姉のキュリーだけ、ということを思い出したのは、夜が明けて邸宅の門前にたどり着いてからだった。

 まずはオンスと会ってから取り次いでもらったほうがよさそうだ。

「まあ、素敵なリボンね」

 気配なく急にかけられた声にぞわりと悪寒がはしる。使用人の恰好をした女が後ろに立っていた。朝日の加減で顔はよく見えない。

「魔力を感じるわ、どこかのお宅からのおつかいかしら」

 魔力?

 自分の魔力が発現していなければ他人の魔力も感じることはできない。魔力を封じている犬の姿では他人の魔力がわからないのと同じだ。

 この使用人は何者だろう。

 魔力が発現する人間は限られている。魔力の発現と魔術を使えることは別だが、姉上は魔力が発現している使用人を置かない主義だったはすだ。

 逃げるべきか。いや、うまくいけば姉上に会えるかもしれない。と考えていると、別の気配が近づいてきた。

「リリス、おはよう」

 今度は男だった。この男には見覚えがある。庭の手入れをしているやつだ。

「おはようございます、グレイさん」

「どうした? 犬?」

「ええ、おつかいかもしれません」

「おつかい?」

「ね、ワンちゃん」

 二人がこちらを見下ろすので、胸を張ってここ一番の賢い顔をしてみた。

 「なにも持ってないじゃないか」と腕組みをしながら庭師が言うことに賛同しかない。まったくもってその通りだ。出直してくるか。

「でも…あの…リボンしてます」

 だからなんだ。

「だから…えっと…贈り物、とか?」

 さすがに無理がある!

 この女は見習いの使用人だろうか。先ほどの悪寒が勘違いに思えるほど毒気のない幼さののこった顔立ちだった。

 庭師は、「贈り物ぉ?」と真偽を確かめるように私の目をのぞきこむ。「そう言われりゃ毛艶もいいし、賢そうな顔もしてるが」

「そうでしょう!」

「俺たちだけじゃわからねえな。犬、ついてくるか?」

 門前払いでないのはありがたいが、心配になる警備の甘さだ。まあ今回に限っては時間が省けたから良しとするか。

 私は機嫌良く尻尾を振って承諾を表現した。


    ◇◇◇


 「報告してきます」と、見習い使用人が言うので庭師と待っていたが、なかなか戻ってこなかった。

「まいったなぁ、俺にも仕事があるのに」

 庭師はぶつぶつと不平をもらし、とうとう「犬、おとなしく待てるか?」と聞いてきた。私が曲者だったらどうするのだということは考えないことにして、ワフッと軽く吠える。

 というわけで、「あら、死んでしまったのかしら?」と声をかけられるまで庭のあずまやで眠っていた。夜通し走って疲れていたのだ。

 私はあくびをしながら状況を確認する。

 太陽の位置から、昼下がりになっていることがわかった。これならオンスに取り次いでもらったほうが早かったかもしれない。
 
「大きなお口ですこと。生きているようで良かったわ」

 柔和かつ威厳。さすが我が姉上、腹の底がよめない微笑みだ。

「キュリー様、近づいては危険です。鎖などを用意いたします」

「ふふふ、鎖ですって。とても楽しそうな提案だけれど大丈夫よ」

「ですが」

「そうね、汚れた犬ではティータイムに相応しくないわね。貴方、姿を現しなさい。あずまやには目くらましの術をかけましょう」

 姉上に促され、自らに施していた術を解く。侍女が驚きの声をあげる。私も姉付きの侍女の顔はよく知っているから、向こうだって私の顔くらい覚えているだろう。

「犬を殿方に変身させるのは不貞かしら? でも目くらましの術の中のこと、他の誰に知られることもないわよね、テス?」

 あくまで姉の魔術によって犬を変身させた、とするつもりらしい。そして他言無用だと脅している。侍女はちらちらと私を見ながら震える声で、「は、はい」と応えた。

「さあ、お茶の準備をお願いね」

「承知しました」

 侍女は一礼をして足早にあずまやを離れた。
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