エリートアルファの旦那様は孤独なオメガを手放さない

小鳥遊ゆう

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番外編

書籍化感謝編 出会った頃の二人④

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勉強と屋敷の仕事以外にやることがなかった楓が「刺繍」に夢中になるのはあっという間のことだった。
学校から帰り、屋敷の仕事と学校の勉強を終えると風呂の時間が回ってくるまでひたすら刺繍をするのが日課になった。

「えっと、ここが四本取りで……フレンチノットで縫う、っと……」

三日もすればキットに書かれているステッチは習得し、ミモザの黄色い花の部分もほとんど出来上がってしまった。
このままのペースでいけば次に桔梗のレッスンが行われる日曜までには完成するだろう。

「これ、桔梗様にプレゼントしたら喜んでくれるかな……」

初めてにしてはなかなか上手くいっていると自分でも思う。
まっすぐ線を縫うだけであんなに喜んでくれたのだ、これをプレゼントしたらもっと喜んでくれるのではないかと心が弾んだ。

「桔梗様のイニシャルとか入れたら喜ぶかな……」

説明書に載っていないことでもやってみようと意欲が湧く。
携帯を持っていない楓はネットで調べることは出来なかったが、次の日学校の図書館で刺繍の本を見つけ、その日から睡眠時間を削りながら完成にむけて励んでいた。

そして一週間後の日曜日。
先週と同じ時間、桔梗は楓の部屋を訪れると前回のようにベッドに横並びに座っていた。
先週と同じように紅茶を飲み、一週間の出来事を話す。

「さて、お話もこれぐらいにして刺繍の続きしようか。楓持ってる?」

話を終えた桔梗が紅茶をトレイに乗せる。
胸がドキドキする。
ようやくこの時が来たのだ。
楓は深く息を吐くとチェストにしまっていた刺繍を取り出した。
そして俯きながら完成した刺繍を桔梗に差し出す。

「これ……やっと完成したんです。あんまり上手に出来なかったかもしれませんが……」

「先週渡したばかりだよ……? もう出来たの?」

驚く桔梗に向かって楓はこくんと一度頷いた。

桔梗は驚いたように目を瞠りながら布を広げると、布の一部を指さした。

「『K・М』って刺繍してある……。これってもしかして」

「あの、桔梗様のイニシャルをいれてみたんです……。お礼にはならないかもしれませんがよかったら貰ってください……」

「いいのかい?嬉しい! ありがとう楓。幸せだ……」

今までに聞いたことのないくらい弾んだ声に楓はぱっと顔を上げた。
そこには目じりに涙を溜めながら幸せそうに微笑む桔梗の姿。

あぁ、僕は桔梗様が好きなんだ。尊敬だけでは収まらないこの気持ちの正体がわかった。

貴方のためなら僕はなんでもしたい。
アルファとして同じように肩を並べることが出来なくても、オメガのように貴方を慰めることが出来なくても……。

使用人としてでいいから近くにいたい。

「き、きょう様……。僕、頑張ります!刺繍も、勉強も、屋敷の仕事も......! だから、」

俯きながら必死に言葉を紡ぐ。
続きの言葉を言おうとした瞬間、楓は桔梗の腕に抱きしめられていた。

「うん、大丈夫だよ。楓はこのままでいて欲しい。ずっと一緒にいるから……」

熱い胸板と仄かに漂うシトラスの香りに包まれる。
楓は泣いてしまいそうなのがばれないよう桔梗の腕にしがみつきながら何度も何度も頷いた。




ーーーー




「それが初恋ってことなんだよね?」

「ふふ、そうですよ。……あ、先生、紅茶もう一杯いかがですか?」

「あぁ、桔梗はまだ帰ってこないしもう一杯貰おうかな」

楓は立ち上がるとティーポットに入った紅茶を空になった山之内のティーカップに注いだ。

山之内はこの日、フランス出張帰りのお土産を望月家に届けにきていた。
両腕にパンパンの紙袋を持っていた山之内は話し込むつもりだったのだろう。
「楓くんにはデカフェの紅茶、桔梗にはワインね」とちゃっかりお酒まで用意していた。
だが、運悪く桔梗は休日だというのに仕事のトラブルがあり会社に出勤していたのだ。


「それでさ、話戻るんだけど。楓君が桔梗と結ばれたのってさやっぱり『運命』だったからって思う?」

「うーん……。違います。だって僕は自分がベータだった時から桔梗様が好きだったし。もちろん運命の番ってすごい力だし運命の力でオメガになっていったと思うけど、僕たちはそれだけで結ばれたわけじゃないです。きっと……運命じゃなかったとしても結ばれてたと思います」

でも僕がオメガだったからこの子に出会えたんですけどね。楓はそう言いながらクーハンの中で眠っている小梅を優しく見つめた。

「そっか……」

「でも、どうしてです?」

ベータの山之内にとって「運命」や「番」は関係ないんじゃないのか。
不思議に思った楓が尋ねると、山之内は「あぁ……」と呟きながら頭を掻いた。

「楓くん、なんか僕から感じる?」

「感じる、とは?」

「うーん雰囲気が変わったとか、なんかフェロモン?を感じるとか……」

「特にはわからないですよ?フェロモンって……。え……もしかして、先生?!」

まさか、そう窺うように尋ねる。
だって、まさか、先生が……! 焦った気持ちが伝わったのか、山之内は困ったように笑いながら「落ち着いて」と答えた。

「実は……アルファってわかったのは少し前なんだ。この短期間に色々あって……。今まであんなにオメガやアルファの患者さん看てきたのにな、いざ自分がなったら戸惑うことばかりだ。それで桔梗にも聞きたいことがあったんだけど……」

ーポン♪ー

山之内が話しているタイミングで運悪く楓のスマホの着信音が鳴った。
メッセージだろう。
ホーム画面には「桔梗さん」の文字。

「桔梗だろ?スマホ見ていいよ」

「すみません、先生……」

申し訳なさそうに急いでメッセージを確認するとそこには『すまない、トラブルが解決しなくてまだ帰れそうにない。遅くなるだろうから、先に休んでてほしい』の文字。

「山之内先生、すみません。桔梗さん今日帰るの遅くなるみたいで……」

「そっか、じゃあしょうがない。小梅ちゃんもお昼寝中だし今日は帰るとするよ」

「でも、お話の途中じゃ」

大事な話の途中、ここで話を終わらせてしまうのは申し訳ない。
自分もベータからオメガに変わったからこそ、その不安な気持ちは痛いほどわかった。

「いや、いいよ。それにいくら楓くんに番がいるからといって、オメガの君と長い時間二人きりになるのは良くないしね」

そう言うと山之内は飲みかけの紅茶を一気に飲み干しソファから立ち上がった。

「じゃあここで。お見送りはしないでいいからね。桔梗にもよろしく」

「は、はい……! 先生、またいつでも来てくださいね。本当にいつでもいいから……」

楓も小梅を起こさないようにそっと立ち上がった。
山之内は心配する楓を安心させるように頭を一撫でし帰って行った。


バタン、とドアが閉まる。


「山之内先生、アルファになったんだ……」

確かに山之内先生はアルファでもおかしくはないけど、でもそんなことってあるのかな!?ーー

楓は落ち着こうとソファに座り直し、ティーカップに入った紅茶に口をつけた。
そして自分が初めてヒートを起こした日のことを思い出していた。

「僕は、桔梗様に出会って少しずつ体がオメガに変わっていった……。誠一郎様や学校の先生にもアルファの人はいたけど全く反応なかったし。やっぱり桔梗様……『運命』の力で目覚めたんだよね」

ということは……。

「山之内先生も、『運命』に出会えたってことなのかな?」

「んぎゃー、んぎゃー」

独り言が大きかったのか、寝ていた小梅が泣き出してしまった。

「あぁ、小梅起きちゃったね。今抱っこするよ」

楓は立ち上がると小梅を縦抱きにし、泣き止むようにゆらゆらと揺り籠のように揺れた。

「あのね、先生も『運命』に出会ったかもしれないんだ。先生には、僕も桔梗さんも、小梅もいっぱい助けてもらったから。先生にも幸せになってほしいね……」

優しい揺れにすっかり泣き止んだ小梅は気持ちよさそうにうとうとしている。
楓は小梅を愛おしく見つめると、まあるいおでこに触れるようなキスをした。
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