26 / 29
番外編
書籍化感謝編 出会った頃の二人④
しおりを挟む勉強と屋敷の仕事以外にやることがなかった楓が「刺繍」に夢中になるのはあっという間のことだった。
学校から帰り、屋敷の仕事と学校の勉強を終えると風呂の時間が回ってくるまでひたすら刺繍をするのが日課になった。
「えっと、ここが四本取りで……フレンチノットで縫う、っと……」
三日もすればキットに書かれているステッチは習得し、ミモザの黄色い花の部分もほとんど出来上がってしまった。
このままのペースでいけば次に桔梗のレッスンが行われる日曜までには完成するだろう。
「これ、桔梗様にプレゼントしたら喜んでくれるかな……」
初めてにしてはなかなか上手くいっていると自分でも思う。
まっすぐ線を縫うだけであんなに喜んでくれたのだ、これをプレゼントしたらもっと喜んでくれるのではないかと心が弾んだ。
「桔梗様のイニシャルとか入れたら喜ぶかな……」
説明書に載っていないことでもやってみようと意欲が湧く。
携帯を持っていない楓はネットで調べることは出来なかったが、次の日学校の図書館で刺繍の本を見つけ、その日から睡眠時間を削りながら完成にむけて励んでいた。
そして一週間後の日曜日。
先週と同じ時間、桔梗は楓の部屋を訪れると前回のようにベッドに横並びに座っていた。
先週と同じように紅茶を飲み、一週間の出来事を話す。
「さて、お話もこれぐらいにして刺繍の続きしようか。楓持ってる?」
話を終えた桔梗が紅茶をトレイに乗せる。
胸がドキドキする。
ようやくこの時が来たのだ。
楓は深く息を吐くとチェストにしまっていた刺繍を取り出した。
そして俯きながら完成した刺繍を桔梗に差し出す。
「これ……やっと完成したんです。あんまり上手に出来なかったかもしれませんが……」
「先週渡したばかりだよ……? もう出来たの?」
驚く桔梗に向かって楓はこくんと一度頷いた。
桔梗は驚いたように目を瞠りながら布を広げると、布の一部を指さした。
「『K・М』って刺繍してある……。これってもしかして」
「あの、桔梗様のイニシャルをいれてみたんです……。お礼にはならないかもしれませんがよかったら貰ってください……」
「いいのかい?嬉しい! ありがとう楓。幸せだ……」
今までに聞いたことのないくらい弾んだ声に楓はぱっと顔を上げた。
そこには目じりに涙を溜めながら幸せそうに微笑む桔梗の姿。
あぁ、僕は桔梗様が好きなんだ。尊敬だけでは収まらないこの気持ちの正体がわかった。
貴方のためなら僕はなんでもしたい。
アルファとして同じように肩を並べることが出来なくても、オメガのように貴方を慰めることが出来なくても……。
使用人としてでいいから近くにいたい。
「き、きょう様……。僕、頑張ります!刺繍も、勉強も、屋敷の仕事も......! だから、」
俯きながら必死に言葉を紡ぐ。
続きの言葉を言おうとした瞬間、楓は桔梗の腕に抱きしめられていた。
「うん、大丈夫だよ。楓はこのままでいて欲しい。ずっと一緒にいるから……」
熱い胸板と仄かに漂うシトラスの香りに包まれる。
楓は泣いてしまいそうなのがばれないよう桔梗の腕にしがみつきながら何度も何度も頷いた。
ーーーー
「それが初恋ってことなんだよね?」
「ふふ、そうですよ。……あ、先生、紅茶もう一杯いかがですか?」
「あぁ、桔梗はまだ帰ってこないしもう一杯貰おうかな」
楓は立ち上がるとティーポットに入った紅茶を空になった山之内のティーカップに注いだ。
山之内はこの日、フランス出張帰りのお土産を望月家に届けにきていた。
両腕にパンパンの紙袋を持っていた山之内は話し込むつもりだったのだろう。
「楓くんにはデカフェの紅茶、桔梗にはワインね」とちゃっかりお酒まで用意していた。
だが、運悪く桔梗は休日だというのに仕事のトラブルがあり会社に出勤していたのだ。
「それでさ、話戻るんだけど。楓君が桔梗と結ばれたのってさやっぱり『運命』だったからって思う?」
「うーん……。違います。だって僕は自分がベータだった時から桔梗様が好きだったし。もちろん運命の番ってすごい力だし運命の力でオメガになっていったと思うけど、僕たちはそれだけで結ばれたわけじゃないです。きっと……運命じゃなかったとしても結ばれてたと思います」
でも僕がオメガだったからこの子に出会えたんですけどね。楓はそう言いながらクーハンの中で眠っている小梅を優しく見つめた。
「そっか……」
「でも、どうしてです?」
ベータの山之内にとって「運命」や「番」は関係ないんじゃないのか。
不思議に思った楓が尋ねると、山之内は「あぁ……」と呟きながら頭を掻いた。
「楓くん、なんか僕から感じる?」
「感じる、とは?」
「うーん雰囲気が変わったとか、なんかフェロモン?を感じるとか……」
「特にはわからないですよ?フェロモンって……。え……もしかして、先生?!」
まさか、そう窺うように尋ねる。
だって、まさか、先生が……! 焦った気持ちが伝わったのか、山之内は困ったように笑いながら「落ち着いて」と答えた。
「実は……アルファってわかったのは少し前なんだ。この短期間に色々あって……。今まであんなにオメガやアルファの患者さん看てきたのにな、いざ自分がなったら戸惑うことばかりだ。それで桔梗にも聞きたいことがあったんだけど……」
ーポン♪ー
山之内が話しているタイミングで運悪く楓のスマホの着信音が鳴った。
メッセージだろう。
ホーム画面には「桔梗さん」の文字。
「桔梗だろ?スマホ見ていいよ」
「すみません、先生……」
申し訳なさそうに急いでメッセージを確認するとそこには『すまない、トラブルが解決しなくてまだ帰れそうにない。遅くなるだろうから、先に休んでてほしい』の文字。
「山之内先生、すみません。桔梗さん今日帰るの遅くなるみたいで……」
「そっか、じゃあしょうがない。小梅ちゃんもお昼寝中だし今日は帰るとするよ」
「でも、お話の途中じゃ」
大事な話の途中、ここで話を終わらせてしまうのは申し訳ない。
自分もベータからオメガに変わったからこそ、その不安な気持ちは痛いほどわかった。
「いや、いいよ。それにいくら楓くんに番がいるからといって、オメガの君と長い時間二人きりになるのは良くないしね」
そう言うと山之内は飲みかけの紅茶を一気に飲み干しソファから立ち上がった。
「じゃあここで。お見送りはしないでいいからね。桔梗にもよろしく」
「は、はい……! 先生、またいつでも来てくださいね。本当にいつでもいいから……」
楓も小梅を起こさないようにそっと立ち上がった。
山之内は心配する楓を安心させるように頭を一撫でし帰って行った。
バタン、とドアが閉まる。
「山之内先生、アルファになったんだ……」
確かに山之内先生はアルファでもおかしくはないけど、でもそんなことってあるのかな!?ーー
楓は落ち着こうとソファに座り直し、ティーカップに入った紅茶に口をつけた。
そして自分が初めてヒートを起こした日のことを思い出していた。
「僕は、桔梗様に出会って少しずつ体がオメガに変わっていった……。誠一郎様や学校の先生にもアルファの人はいたけど全く反応なかったし。やっぱり桔梗様……『運命』の力で目覚めたんだよね」
ということは……。
「山之内先生も、『運命』に出会えたってことなのかな?」
「んぎゃー、んぎゃー」
独り言が大きかったのか、寝ていた小梅が泣き出してしまった。
「あぁ、小梅起きちゃったね。今抱っこするよ」
楓は立ち上がると小梅を縦抱きにし、泣き止むようにゆらゆらと揺り籠のように揺れた。
「あのね、先生も『運命』に出会ったかもしれないんだ。先生には、僕も桔梗さんも、小梅もいっぱい助けてもらったから。先生にも幸せになってほしいね……」
優しい揺れにすっかり泣き止んだ小梅は気持ちよさそうにうとうとしている。
楓は小梅を愛おしく見つめると、まあるいおでこに触れるようなキスをした。
3
お気に入りに追加
2,723
あなたにおすすめの小説
運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー
白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿)
金持ち社長・溺愛&執着 α × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω
幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。
ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。
発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう
離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。
すれ違っていく2人は結ばれることができるのか……
思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいαの溺愛、身分差ストーリー
★ハッピーエンド作品です
※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏
※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m
※フィクション作品です
※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです
風俗店で働いていたら運命の番が来ちゃいました!
白井由紀
BL
【BL作品】(20時毎日投稿)
絶対に自分のものにしたい社長α×1度も行為をしたことない風俗店のΩ
アルファ専用風俗店で働くオメガの優。
働いているが1度も客と夜の行為をしたことが無い。そのため店長や従業員から使えない認定されていた。日々の従業員からのいじめで仕事を辞めようとしていた最中、客として来てしまった運命の番に溺愛されるが、身分差が大きいのと自分はアルファに不釣り合いだと番ことを諦めてしまう。
それでも、アルファは番たいらしい
なぜ、ここまでアルファは番たいのか……
★ハッピーエンド作品です
※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏
※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m
※フィクション作品です
※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです
※長編になるか短編になるかは未定です
こわがりオメガは溺愛アルファ様と毎日おいかけっこ♡
なお
BL
政略結婚(?)したアルファの旦那様をこわがってるオメガ。
あまり近付かないようにしようと逃げ回っている。発情期も結婚してから来ないし、番になってない。このままじゃ離婚になるかもしれない…。
♡♡♡
恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!
異世界から来た勇者様は男娼オメガに恋をする
小鳥遊ゆう
BL
警察官を目指す大学生・宮内翔は剣道の試合の帰り道、車に轢かれそうな少女を助ける。だがその瞬間、目の前に光の輪が現れ翔は吸い込まれてしまう。
次に翔が覚めるとそこは魔族が蔓延る異世界だった。
異世界・イブネリオ王国で勇者として扱われる翔に、王の側近たちは世継ぎを作ってもらうため夜な夜な貴族の娘やオメガを送り込む。
だが勇者は、付き合ってもいない人とはしないという真面目な性格な上、過去のトラウマから”そういう行為”が出来ない体質になっていた。
そこで側近たちが考えたのは、オメガの娼館一のフェロモンを持つジュリを使い勇者の”それ”を勃起させる事だった。
一途で真面目なスパダリ勇者α×親を亡くした愛を知らない意地っ張りな男娼Ω。
勇者と男娼として出会った2人が本当の愛を知っていく物語。
全寮制の学園に行ったら運命の番に溺愛された話♡
白井由紀
BL
【BL作品】
絶対に溺愛&番たいα×絶対に平穏な日々を過ごしたいΩ
田舎育ちのオメガ、白雪ゆず。東京に憧れを持っており、全寮制私立〇〇学園に入学するために、やっとの思いで上京。しかし、私立〇〇学園にはカースト制度があり、ゆずは一般家庭で育ったため最下位。ただでさえ、いじめられるのに、カースト1位の人が運命の番だなんて…。ゆずは会いたくないのに、運命の番に出会ってしまう…。やはり運命は変えられないのか!
学園生活で繰り広げられる身分差溺愛ストーリー♡
★ハッピーエンド作品です
※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏
※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承ください🙇♂️
※フィクション作品です
※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです
平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます
ふくやまぴーす
BL
旧題:平凡な俺が双子美形御曹司に溺愛されてます〜利害一致の契約結婚じゃなかったの?〜
名前も見た目もザ・平凡な19歳佐藤翔はある日突然初対面の美形双子御曹司に「自分たちを助けると思って結婚して欲しい」と頼まれる。
愛のない形だけの結婚だと高を括ってOKしたら思ってたのと違う展開に…
「二人は別に俺のこと好きじゃないですよねっ?なんでいきなりこんなこと……!」
美形双子御曹司×健気、お人好し、ちょっぴり貧乏な愛され主人公のラブコメBLです。
🐶2024.2.15 アンダルシュノベルズ様より書籍発売🐶
応援していただいたみなさまのおかげです。
本当にありがとうございました!
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
アルファ王子に嫌われるための十の方法
小池 月
BL
攻め:アローラ国王太子アルファ「カロール」
受け:田舎伯爵家次男オメガ「リン・ジャルル」
アローラ国の田舎伯爵家次男リン・ジャルルは二十歳の男性オメガ。リンは幼馴染の恋人セレスがいる。セレスは隣領地の田舎子爵家次男で男性オメガ。恋人と言ってもオメガ同士でありデートするだけのプラトニックな関係。それでも互いに大切に思える関係であり、将来は二人で結婚するつもりでいた。
田舎だけれど何不自由なく幸せな生活を送っていたリンだが、突然、アローラ国王太子からの求婚状が届く。貴族の立場上、リンから断ることが出来ずに顔も知らないアルファ王子に嫁がなくてはならなくなる。リンは『アルファ王子に嫌われて王子側から婚約解消してもらえば、伯爵家に出戻ってセレスと幸せな結婚ができる!』と考え、セレスと共にアルファに嫌われるための作戦を必死で練り上げる。
セレスと涙の別れをし、王城で「アルファ王子に嫌われる作戦」を実行すべく奮闘するリンだがーー。
王太子α×伯爵家ΩのオメガバースBL
☆すれ違い・両想い・権力争いからの冤罪・絶望と愛・オメガの友情を描いたファンタジーBL☆
性描写の入る話には※をつけます。
11月23日に完結いたしました!!
完結後のショート「セレスの結婚式」を載せていきたいと思っております。また、その後のお話として「番となる」と「リンが妃殿下になる」ストーリーを考えています。ぜひぜひ気長にお待ちいただけると嬉しいです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。