31 / 58
第31 私が生きる世界 1
しおりを挟む
私あてだと渡された手紙の差出人を確認して、心臓がバクバクと痛いぐらいに鳴っていた。
名前も見慣れた筆跡も、実家の父のものだった。手紙を開封する手が緊張で少し汗ばんで震えている。私になんの用だろう。
まだ1年が終わるには7ヶ月近くは残っているはずだ。あの父が私を心配するはずがないのだから、私には父が連絡を寄こす理由が全く分からなかった。
開封した中に入っていたのは1枚の便せんだけだった。
そこには簡単に「数日内に戻ってこい」ただそれだけが書かれていた。そちらはどうだ、とか。元気にしているか、とか。私を気遣う言葉なんて一言も書かれてはいない。やっぱりそんなものかと、思わず笑ってしまったぐらいだった。
「どうした? 何かおもしろいことでもあったのか?」
笑った顔をリオネル様に見られてしまったらしい。少し恥ずかしかった。
「いいえ。ただ、父からの手紙があまりに思った通りだったので、我ながら冴えてるな、と思って思わず笑ってしまいました」
そう言ってクスクス笑ってごまかしてみる。
「そうか」
リオネル様が口元で小さく笑って私の頭をポンポンと撫でていく。それはマエリス様のお話を聞きそびれてしまったあの日から時々見られるリオネル様の悪癖の1つだった。
いくら髪だとはいっても、女性に気安く触れるものではないはずなのだ。でもその感触が嬉しくて、こんな時には特に泣きたくて。私はその手をダメだと言うことができないままだった。
「それでブランシャール卿は何だって?」
「あの、心配なので久しぶりに顔を見たい、と実家に呼ばれました」
「心配か、そうだな。この数ヶ月一度も顔を見せていないからな。それなら明日にでも馬車を出そう」
「そんな。カナトス家の馬車をお出し頂くなんて悪いです。乗り合いの馬車を使いますから大丈夫ですわ」
我が家だって専用の馬車は持っているけど、お父様が私へ迎えの馬車なんて寄こすはずがない。だからといってこれ以上カナトス家にご迷惑は掛けられない。
毎日奉公人にはもったいないぐらいの待遇なのだ。いくらなんでも、こんなことまで甘えるわけにはいかなかった。
「大丈夫だ。母がちょうどあちら方面に用もあるらしいからな。それに戻りがいつなのか分からなければ心配なんだ」
「心配ですか?」
はじめてそんな言葉をかけてもらった。目の奥が熱くなって、鼻の奥が痛かった。私は慌てて下を向いて、何度も目を瞬かせて浮かんできてしまいそうな涙をどうにか飲み込んだ。
私には、私を想ってくれる友人はいない。同じように働く使用人達の仲間にだってなれてはいない。家族だって私のことを想いはしない。
リオネル様が本当に心配しているのはエレンなのだと知ってはいる。だけどいま言葉を向けられたのはエレンではなくて、私エレナのはずなのだ。いまだけは私を想ってくれたのだと、そう考えていたかった。
「ありがとうございます。そう仰って頂いて嬉しいです」
ニコッと微笑んでリオネル様へお礼を言えば、リオネル様がまた私の頭をポンポンと撫でた。
「それでは馬車の手配をしてこよう」
「かしこまりました。お手間をおかけしますが、よろしくお願い致します」
「気にしないで良い。レナはここで待っていてくれ」
そう言ったリオネル様が扉の向こうへ消えていった。パタンと閉まった扉を見つめていれば、その輪郭がぼんやりと少しずつ揺れていた。
「本当に、ありがとう、ございます……」
心配をしてくれた人がいたことを私は一生忘れない。いまこの瞬間だけはエレナとしての自分に戻って、もう1度扉に向かって頭を下げた。
名前も見慣れた筆跡も、実家の父のものだった。手紙を開封する手が緊張で少し汗ばんで震えている。私になんの用だろう。
まだ1年が終わるには7ヶ月近くは残っているはずだ。あの父が私を心配するはずがないのだから、私には父が連絡を寄こす理由が全く分からなかった。
開封した中に入っていたのは1枚の便せんだけだった。
そこには簡単に「数日内に戻ってこい」ただそれだけが書かれていた。そちらはどうだ、とか。元気にしているか、とか。私を気遣う言葉なんて一言も書かれてはいない。やっぱりそんなものかと、思わず笑ってしまったぐらいだった。
「どうした? 何かおもしろいことでもあったのか?」
笑った顔をリオネル様に見られてしまったらしい。少し恥ずかしかった。
「いいえ。ただ、父からの手紙があまりに思った通りだったので、我ながら冴えてるな、と思って思わず笑ってしまいました」
そう言ってクスクス笑ってごまかしてみる。
「そうか」
リオネル様が口元で小さく笑って私の頭をポンポンと撫でていく。それはマエリス様のお話を聞きそびれてしまったあの日から時々見られるリオネル様の悪癖の1つだった。
いくら髪だとはいっても、女性に気安く触れるものではないはずなのだ。でもその感触が嬉しくて、こんな時には特に泣きたくて。私はその手をダメだと言うことができないままだった。
「それでブランシャール卿は何だって?」
「あの、心配なので久しぶりに顔を見たい、と実家に呼ばれました」
「心配か、そうだな。この数ヶ月一度も顔を見せていないからな。それなら明日にでも馬車を出そう」
「そんな。カナトス家の馬車をお出し頂くなんて悪いです。乗り合いの馬車を使いますから大丈夫ですわ」
我が家だって専用の馬車は持っているけど、お父様が私へ迎えの馬車なんて寄こすはずがない。だからといってこれ以上カナトス家にご迷惑は掛けられない。
毎日奉公人にはもったいないぐらいの待遇なのだ。いくらなんでも、こんなことまで甘えるわけにはいかなかった。
「大丈夫だ。母がちょうどあちら方面に用もあるらしいからな。それに戻りがいつなのか分からなければ心配なんだ」
「心配ですか?」
はじめてそんな言葉をかけてもらった。目の奥が熱くなって、鼻の奥が痛かった。私は慌てて下を向いて、何度も目を瞬かせて浮かんできてしまいそうな涙をどうにか飲み込んだ。
私には、私を想ってくれる友人はいない。同じように働く使用人達の仲間にだってなれてはいない。家族だって私のことを想いはしない。
リオネル様が本当に心配しているのはエレンなのだと知ってはいる。だけどいま言葉を向けられたのはエレンではなくて、私エレナのはずなのだ。いまだけは私を想ってくれたのだと、そう考えていたかった。
「ありがとうございます。そう仰って頂いて嬉しいです」
ニコッと微笑んでリオネル様へお礼を言えば、リオネル様がまた私の頭をポンポンと撫でた。
「それでは馬車の手配をしてこよう」
「かしこまりました。お手間をおかけしますが、よろしくお願い致します」
「気にしないで良い。レナはここで待っていてくれ」
そう言ったリオネル様が扉の向こうへ消えていった。パタンと閉まった扉を見つめていれば、その輪郭がぼんやりと少しずつ揺れていた。
「本当に、ありがとう、ございます……」
心配をしてくれた人がいたことを私は一生忘れない。いまこの瞬間だけはエレナとしての自分に戻って、もう1度扉に向かって頭を下げた。
78
お気に入りに追加
6,242
あなたにおすすめの小説
婚約破棄でかまいません!だから私に自由を下さい!
桗梛葉 (たなは)
恋愛
第一皇太子のセヴラン殿下の誕生パーティーの真っ最中に、突然ノエリア令嬢に対する嫌がらせの濡れ衣を着せられたシリル。
シリルの話をろくに聞かないまま、婚約者だった第二皇太子ガイラスは婚約破棄を言い渡す。
その横にはたったいまシリルを陥れようとしているノエリア令嬢が並んでいた。
そんな2人の姿が思わず溢れた涙でどんどんぼやけていく……。
ざまぁ展開のハピエンです。

酒の席での戯言ですのよ。
ぽんぽこ狸
恋愛
成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。
何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。
そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。

人の顔色ばかり気にしていた私はもういません
風見ゆうみ
恋愛
伯爵家の次女であるリネ・ティファスには眉目秀麗な婚約者がいる。
私の婚約者である侯爵令息のデイリ・シンス様は、未亡人になって実家に帰ってきた私の姉をいつだって優先する。
彼の姉でなく、私の姉なのにだ。
両親も姉を溺愛して、姉を優先させる。
そんなある日、デイリ様は彼の友人が主催する個人的なパーティーで私に婚約破棄を申し出てきた。
寄り添うデイリ様とお姉様。
幸せそうな二人を見た私は、涙をこらえて笑顔で婚約破棄を受け入れた。
その日から、学園では馬鹿にされ悪口を言われるようになる。
そんな私を助けてくれたのは、ティファス家やシンス家の商売上の得意先でもあるニーソン公爵家の嫡男、エディ様だった。
※マイナス思考のヒロインが周りの優しさに触れて少しずつ強くなっていくお話です。
※相変わらず設定ゆるゆるのご都合主義です。
※誤字脱字、気を付けているつもりですが、やはりございます。申し訳ございません!

完】異端の治癒能力を持つ令嬢は婚約破棄をされ、王宮の侍女として静かに暮らす事を望んだ。なのに!王子、私は侍女ですよ!言い寄られたら困ります!
仰木 あん
恋愛
マリアはエネローワ王国のライオネル伯爵の長女である。
ある日、婚約者のハルト=リッチに呼び出され、婚約破棄を告げられる。
理由はマリアの義理の妹、ソフィアに心変わりしたからだそうだ。
ハルトとソフィアは互いに惹かれ、『真実の愛』に気付いたとのこと…。
マリアは色々な物を継母の連れ子である、ソフィアに奪われてきたが、今度は婚約者か…と、気落ちをして、実家に帰る。
自室にて、過去の母の言葉を思い出す。
マリアには、王国において、異端とされるドルイダスの異能があり、強力な治癒能力で、人を癒すことが出来る事を…
しかしそれは、この国では迫害される恐れがあるため、内緒にするようにと強く言われていた。
そんな母が亡くなり、継母がソフィアを連れて屋敷に入ると、マリアの生活は一変した。
ハルトという婚約者を得て、家を折角出たのに、この始末……。
マリアは父親に願い出る。
家族に邪魔されず、一人で静かに王宮の侍女として働いて生きるため、再び家を出るのだが………
この話はフィクションです。
名前等は実際のものとなんら関係はありません。

忘れられた薔薇が咲くとき
ゆる
恋愛
貴族として華やかな未来を約束されていた伯爵令嬢アルタリア。しかし、突然の婚約破棄と追放により、その人生は一変する。全てを失い、辺境の町で庶民として生きることを余儀なくされた彼女は、過去の屈辱と向き合いながらも、懸命に新たな生活を築いていく。
だが、平穏は長く続かない。かつて彼女を追放した第二王子や聖女が町を訪れ、過去の因縁が再び彼女を取り巻く。利用されるだけの存在から、自らの意志で運命を切り開こうとするアルタリア。彼女が選ぶ未来とは――。
これは、追放された元伯爵令嬢が自由と幸せを掴むまでの物語。

お姉さまに婚約者を奪われたけど、私は辺境伯と結ばれた~無知なお姉さまは辺境伯の地位の高さを知らない~
マルローネ
恋愛
サイドル王国の子爵家の次女であるテレーズは、長女のマリアに婚約者のラゴウ伯爵を奪われた。
その後、テレーズは辺境伯カインとの婚約が成立するが、マリアやラゴウは所詮は地方領主だとしてバカにし続ける。
しかし、無知な彼らは知らなかったのだ。西の国境線を領地としている辺境伯カインの地位の高さを……。
貴族としての基本的な知識が不足している二人にテレーズは失笑するのだった。
そしてその無知さは取り返しのつかない事態を招くことになる──。

【完結】気味が悪いと見放された令嬢ですので ~殿下、無理に愛さなくていいのでお構いなく~
Rohdea
恋愛
───私に嘘は通じない。
だから私は知っている。あなたは私のことなんて本当は愛していないのだと──
公爵家の令嬢という身分と魔力の強さによって、
幼い頃に自国の王子、イライアスの婚約者に選ばれていた公爵令嬢リリーベル。
二人は幼馴染としても仲良く過ごしていた。
しかし、リリーベル十歳の誕生日。
嘘を見抜ける力 “真実の瞳”という能力に目覚めたことで、
リリーベルを取り巻く環境は一変する。
リリーベルの目覚めた真実の瞳の能力は、巷で言われている能力と違っていて少々特殊だった。
そのことから更に気味が悪いと親に見放されたリリーベル。
唯一、味方となってくれたのは八歳年上の兄、トラヴィスだけだった。
そして、婚約者のイライアスとも段々と距離が出来てしまう……
そんな“真実の瞳”で視てしまった彼の心の中は───
※『可愛い妹に全てを奪われましたので ~あなた達への未練は捨てたのでお構いなく~』
こちらの作品のヒーローの妹が主人公となる話です。
めちゃくちゃチートを発揮しています……

純白の檻からの解放~侯爵令嬢アマンダの白い結婚ざまあ
ゆる
恋愛
王太子エドワードの正妃として迎えられながらも、“白い結婚”として冷遇され続けたアマンダ・ルヴェリエ侯爵令嬢。
名ばかりの王太子妃として扱われた彼女だったが、財務管理の才能を活かし、陰ながら王宮の会計を支えてきた。
しかしある日、エドワードは愛人のセレスティーヌを正妃にするため、アマンダに一方的な離縁を言い渡す。
「君とは何もなかったのだから、問題ないだろう?」
さらに、婚儀の前に彼女を完全に葬るべく、王宮は“横領の罪”をでっち上げ、アマンダを逮捕しようと画策する。
――ふざけないで。
実家に戻ったアマンダは、密かに経営サロンを立ち上げ、貴族令嬢や官吏たちに財務・経営の知識を伝授し始める。
「王太子妃は捨てられた」? いいえ、捨てられたのは無能な王太子の方でした。
そんな中、隣国ダルディエ公国の公爵代理アレクシス・ヴァンシュタインが現れ、彼女に興味を示す。
「あなたの実力は、王宮よりももっと広い世界で評価されるべきだ――」
彼の支援を受けつつ、アマンダは王宮が隠していた財務不正の証拠を公表し、逆転の一手を打つ!
「ざまあみろ、私を舐めないでちょうだい!」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる