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第二章
夕景山の揺籃歌《六》
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「ッ……」
血だらけの左手首を右手で押さえた叔母が、苦痛に歪む表情でその場に座り込む。そんな中、血に染まった腕釧を持ち叔父達に冷ややかな笑みを見せた八戒の表情は、邪神が弱者をいたぶる時の顔にも似て冷酷無残にしか見えない。
「弟妹達を納屋に行かせて、正解だったな」
「あぁ、子供達には見せられねぇ」
八戒が叔母一家が暮らす家に行くと言った時、玄奘はこっそりと悟空に耳打ちし “家についたら弟妹達と納屋に行っておけ” と言った。こうなるであろうことが、わかっていたからだ。
だが、その言葉の意味がわからず “なんでだ” と一人首を傾けた悟空のそばで、“ぴゅ!” と、玉龍だけが片手を上げ返事をしていた。
土足で家の中に上がり込んだ八戒の睛眸が、叔母夫婦の娘の首元を捉える。本来なら、桂英の首元にあるはずの母の形見の首飾りは、今はそこにあった。
ほぼ無意識に八戒の手が動き、容赦なく首飾りを掴み取り引きちぎるように引っ張る。
「いッ!!」
いとも簡単に、言葉を発する間もなく、娘の身体は前と倒れ込むように動く。だがそれに反して、娘が倒れ込むことはなかった。八戒の手が、今度は娘の首を釣り上げるように高々と上げられたからだ。娘の首に、首飾りが食い込む。
「や…だッ! 痛、い! やめ…、てッ!!」
「桂英も、お前に言わなかったか。やめて!と」
その声は、憎しみすら含んでいた。それはそうだろう、桂英のためにと八戒が選んで送った衣は、今はこの娘が着ているのだから。
まだ幼い桂英の衣服が、この娘の身体に合うはずがない。だからなのか、何枚もの衣服をほどき新たに繋ぎ合わせて作られたソレは、この娘には不釣り合いにも見える。
だが、さぞや着心地はいいことだろう。寂しい思いをさせていると思えばこそ、八戒が桂英と明陽のために選び送る物はどれも質の良い物ばかりだった。
自分が我慢することはあっても、幼い弟妹達にはできるだけ我慢はさせたくないと。無論、叔母一家にも金子の他に反物なども送っていた。それなのに、桂英と明陽には何一つ届いていなかった。
肌触りの良い衣も、暖かな外套も、歩きやすそうな履物も、何一つ。すべて叔母一家が使っていた。
「首…が、ちぎれ…、るッ!」
「こんなことでちぎれる首なら、いらないだろう」
まるで、傍若無人の悪神かと見間違えるような八戒の行動に、自分の手首を押さえ座り込んでいた叔母だったが、娘の苦しむ声を聞いて
「や、やめてちょうだい! 八戒、お願いよ!!」
と叫びながら走り寄ってきて、八戒の右手に縋り付いた。その行動に “ハッ” と我に返った叔父も
「頼む八戒、やめてくれ!!」
と、叫ぶ。
「今更人間ぶるなどと。お前達のような者でも、我が子は可愛いとでも言うつもりか! ならば何故、その我が子よりも幼い桂英と明陽に千分の一、いや万分の一でも情けをかけてくれなかった!! 私だって、最初からお前達に良くして貰えるなどとは思っていなかった。だからこそ! お前達には金子や物を十分に送っていたはずだ! それなのに何故、二人から奪い取るたけ奪い取り、食べ物さえ与えなかった! この私が、頭巾を取って村の中を歩いてもいいんだぞ!!」
八戒が問答無用に叔母の手を振り払いそう言えば、叔母と叔父は顔を真っ青にして “やめて、それだけはやめて!” “俺達が悪かった。だから、それだけは…!” と、床に頭をこすりつけるようにして八戒に懇願する。
まだ幼い桂英と明陽とは違い八戒の髪色は、邪神の色である深碧色をひくとわかる色になっている。そんな八戒が村の中を頭巾なしで歩き回ればどうなるか。
幾ら姉の子供と言えど邪神の血を引く者が親族にいると知れたら、この村に住まわせていたことが知られたら、自分達はもう村で暮らすことができなくなる。それがわかっていて、金子に目がくらんで桂英と明陽を預かったのだ。
人間である黒髪の母と邪神である父を持つ八戒は、子供の頃はまだ桂英や明陽のように母よりの髪色でごまかしがきいた。だが成長するに連れ緑色が出て、今では納戸色になっている。
この髪色では同族以外には受け入れられない、だからこそ朱子深衣と言う服装をして頭巾で髪を隠し、旅をしていたのだ。双眸はまだ髪色に比べれば錆鉄御納戸色に近く、そのままで生活していても何とかごまかすことができている。
「ねぇ、姉ちゃん…」
姉がまるで首をしめられるように釣り上げれている姿をみて、叔母夫婦の息子も恐怖でその場から動けずにいる。叔母夫婦だってわかっていた。だから、八戒から桂英と明陽を迎えに行くと手紙がくれば、綺麗な衣を着せ満足のいく食事を与えるつもりだった。
山に囲まれ紅葉の季節以外はこれと言った楽しみもなく、ひたすら畑を耕す毎日。自給自足のような生活だが、決して生活が苦しいわけではない。それでも、八戒が見せた金子は近年の生活では見たこともない金額だった。
八戒が毎月金子と一緒に送ってくる品物は珍しい物ばかりだったし、欲が出たのだ。何処にも行き場のない、姉の子と言えど邪神の子供を密かに預かってやっている。いつ村人に知れるかもわからないと言う危険をはらみながら。
こんなに気を使って預かってやっているのだから、少しくらい余分にもらってもバチは当たらない。子供が持つにしては贅沢な飾り物や持ち物、この辺りでは手に入れることもできない品々。自分達の物にしたって、わかりはしないと。
「ぐ…っ…」
いよいよ、首を釣り上げられた娘の意識が飛びそうになった時
「八戒」
そう言って、玄奘が首飾りを握りしめる八戒の手首を掴んだ。
********
冷酷無残→思いやりがなく冷酷であること。冷たく無慈悲で乱暴なこと
捉える→生き物をつかまえる。捕獲する。逃げる人を取り押さえる。離すまいと手でしっかりつかむ
傍若無人→人のことなどまるで気にかけず、遊び、騒いで勝手に振る舞うこと。また、そのさま
頭巾→被り物の一種で、主として布を袋形に、あるいは折り畳み、頭部や顔面を覆い包むもの
問答無用→あれこれ議論してもなんの利益もないこと。また、もはや議論する必要のないこと
懇願→ねんごろに願うこと。ひたすらお願いすること
読み方
•深碧色→しんぺきいろ
•納戸色→なんどいろ
•錆鉄御納戸色→さびてつなんどいろ
次回投稿は6月8日か9日が目標です。
血だらけの左手首を右手で押さえた叔母が、苦痛に歪む表情でその場に座り込む。そんな中、血に染まった腕釧を持ち叔父達に冷ややかな笑みを見せた八戒の表情は、邪神が弱者をいたぶる時の顔にも似て冷酷無残にしか見えない。
「弟妹達を納屋に行かせて、正解だったな」
「あぁ、子供達には見せられねぇ」
八戒が叔母一家が暮らす家に行くと言った時、玄奘はこっそりと悟空に耳打ちし “家についたら弟妹達と納屋に行っておけ” と言った。こうなるであろうことが、わかっていたからだ。
だが、その言葉の意味がわからず “なんでだ” と一人首を傾けた悟空のそばで、“ぴゅ!” と、玉龍だけが片手を上げ返事をしていた。
土足で家の中に上がり込んだ八戒の睛眸が、叔母夫婦の娘の首元を捉える。本来なら、桂英の首元にあるはずの母の形見の首飾りは、今はそこにあった。
ほぼ無意識に八戒の手が動き、容赦なく首飾りを掴み取り引きちぎるように引っ張る。
「いッ!!」
いとも簡単に、言葉を発する間もなく、娘の身体は前と倒れ込むように動く。だがそれに反して、娘が倒れ込むことはなかった。八戒の手が、今度は娘の首を釣り上げるように高々と上げられたからだ。娘の首に、首飾りが食い込む。
「や…だッ! 痛、い! やめ…、てッ!!」
「桂英も、お前に言わなかったか。やめて!と」
その声は、憎しみすら含んでいた。それはそうだろう、桂英のためにと八戒が選んで送った衣は、今はこの娘が着ているのだから。
まだ幼い桂英の衣服が、この娘の身体に合うはずがない。だからなのか、何枚もの衣服をほどき新たに繋ぎ合わせて作られたソレは、この娘には不釣り合いにも見える。
だが、さぞや着心地はいいことだろう。寂しい思いをさせていると思えばこそ、八戒が桂英と明陽のために選び送る物はどれも質の良い物ばかりだった。
自分が我慢することはあっても、幼い弟妹達にはできるだけ我慢はさせたくないと。無論、叔母一家にも金子の他に反物なども送っていた。それなのに、桂英と明陽には何一つ届いていなかった。
肌触りの良い衣も、暖かな外套も、歩きやすそうな履物も、何一つ。すべて叔母一家が使っていた。
「首…が、ちぎれ…、るッ!」
「こんなことでちぎれる首なら、いらないだろう」
まるで、傍若無人の悪神かと見間違えるような八戒の行動に、自分の手首を押さえ座り込んでいた叔母だったが、娘の苦しむ声を聞いて
「や、やめてちょうだい! 八戒、お願いよ!!」
と叫びながら走り寄ってきて、八戒の右手に縋り付いた。その行動に “ハッ” と我に返った叔父も
「頼む八戒、やめてくれ!!」
と、叫ぶ。
「今更人間ぶるなどと。お前達のような者でも、我が子は可愛いとでも言うつもりか! ならば何故、その我が子よりも幼い桂英と明陽に千分の一、いや万分の一でも情けをかけてくれなかった!! 私だって、最初からお前達に良くして貰えるなどとは思っていなかった。だからこそ! お前達には金子や物を十分に送っていたはずだ! それなのに何故、二人から奪い取るたけ奪い取り、食べ物さえ与えなかった! この私が、頭巾を取って村の中を歩いてもいいんだぞ!!」
八戒が問答無用に叔母の手を振り払いそう言えば、叔母と叔父は顔を真っ青にして “やめて、それだけはやめて!” “俺達が悪かった。だから、それだけは…!” と、床に頭をこすりつけるようにして八戒に懇願する。
まだ幼い桂英と明陽とは違い八戒の髪色は、邪神の色である深碧色をひくとわかる色になっている。そんな八戒が村の中を頭巾なしで歩き回ればどうなるか。
幾ら姉の子供と言えど邪神の血を引く者が親族にいると知れたら、この村に住まわせていたことが知られたら、自分達はもう村で暮らすことができなくなる。それがわかっていて、金子に目がくらんで桂英と明陽を預かったのだ。
人間である黒髪の母と邪神である父を持つ八戒は、子供の頃はまだ桂英や明陽のように母よりの髪色でごまかしがきいた。だが成長するに連れ緑色が出て、今では納戸色になっている。
この髪色では同族以外には受け入れられない、だからこそ朱子深衣と言う服装をして頭巾で髪を隠し、旅をしていたのだ。双眸はまだ髪色に比べれば錆鉄御納戸色に近く、そのままで生活していても何とかごまかすことができている。
「ねぇ、姉ちゃん…」
姉がまるで首をしめられるように釣り上げれている姿をみて、叔母夫婦の息子も恐怖でその場から動けずにいる。叔母夫婦だってわかっていた。だから、八戒から桂英と明陽を迎えに行くと手紙がくれば、綺麗な衣を着せ満足のいく食事を与えるつもりだった。
山に囲まれ紅葉の季節以外はこれと言った楽しみもなく、ひたすら畑を耕す毎日。自給自足のような生活だが、決して生活が苦しいわけではない。それでも、八戒が見せた金子は近年の生活では見たこともない金額だった。
八戒が毎月金子と一緒に送ってくる品物は珍しい物ばかりだったし、欲が出たのだ。何処にも行き場のない、姉の子と言えど邪神の子供を密かに預かってやっている。いつ村人に知れるかもわからないと言う危険をはらみながら。
こんなに気を使って預かってやっているのだから、少しくらい余分にもらってもバチは当たらない。子供が持つにしては贅沢な飾り物や持ち物、この辺りでは手に入れることもできない品々。自分達の物にしたって、わかりはしないと。
「ぐ…っ…」
いよいよ、首を釣り上げられた娘の意識が飛びそうになった時
「八戒」
そう言って、玄奘が首飾りを握りしめる八戒の手首を掴んだ。
********
冷酷無残→思いやりがなく冷酷であること。冷たく無慈悲で乱暴なこと
捉える→生き物をつかまえる。捕獲する。逃げる人を取り押さえる。離すまいと手でしっかりつかむ
傍若無人→人のことなどまるで気にかけず、遊び、騒いで勝手に振る舞うこと。また、そのさま
頭巾→被り物の一種で、主として布を袋形に、あるいは折り畳み、頭部や顔面を覆い包むもの
問答無用→あれこれ議論してもなんの利益もないこと。また、もはや議論する必要のないこと
懇願→ねんごろに願うこと。ひたすらお願いすること
読み方
•深碧色→しんぺきいろ
•納戸色→なんどいろ
•錆鉄御納戸色→さびてつなんどいろ
次回投稿は6月8日か9日が目標です。
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