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第一章
幻影の瞬き 《八》
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「皇様、此方をお召し上がり下さいませ」
「これは…」
「はい、かつては天上界にあったモノでございます。彼らが探して来てくれました、氣の回復に役にたちましょう」
琅牙が切り分けたものを、皇は訝しげに見た。それは、かつては天上界にあったもの。だがこの地上では、天界から落ちたものと言えどオイソレと見つかっていいものではない。だが “食え”と、皇の訝しむ姿を見ていた玄奘は言った。
「今貴様に力尽きて倒れられては、沙麼蘿も終わりだ。俺達は、天上の桜までたどり着かねばならない。そのためには、手段を選んでいる暇などない。さっさと食え」
その言葉に皇は “フン” と鼻で笑い、琅牙は “言葉が過ぎよう” と玄奘に詰め寄る素振りを見せる。だが、その琅牙の姿を気にもとめず素知らぬ振りを決め込んだ玄奘を見て、皇は右手だけでその果実を受け取った。左手は、氣を送るために沙麼蘿の手を握ったままだが、一口かじれば口の中で広がる甘味とその果汁。
確かに、天界の蟠桃果には及びもつかないが、氣の回復の役には立つ。その果実は、この地上にあっても確かに力を宿したものだった。
「よく見つけられたものだ」
「西海龍王の息子もおりますから」
琅牙は、床に寝転びながら玉龍サイズに切られた果物を、美味しそうに頬張る小さな生き物を見た。
「そうか」
その視線を、皇は玄奘一行に向ける。殺生も厭わぬ坊主に、仙石から生まれた強い陽の氣を持つ者、鬼神や邪神や妖怪や人間の血が混ざりあった男達、そして龍王の息子でありながらその姿は面妖な小動物。彼らは、様々な理由の中 “天上の桜” を目指す。それがどのような結果を生み出すのかは、誰にもまだわからない。
だが、沙麼蘿がいれば必ず彼らは “天上の桜” にたどり着く。そしてそれが、皇の望む結果をもたらすものだと、彼は信じて疑わない。だからこそ、そのためならば玄奘一行に力を貸すことも吝かではない。
「待っていろ、沙麼蘿」
力なく、睛眸を閉じたままの沙麼蘿には聞こえているわけもないが、皇は囁かずにはいられなかった。
夜の帳が降りる頃には、妾季をはじめとする蒼宮軍もこの城にやって来た。
「すべて処理致しました。あの村は浄化した後に邪神信仰に使われていた物は全て処分し、村人の記憶も一部を消し、何事もなかったかのように取り計らいました。」
「そうか」
あの村が、なぜ邪神を信仰したのかなど、誰にもわからない。それが、邪神や鬼神の思惑だったのか、村人達の意志だったのか。ただ、多くの村人達は村から離れた場所で発見された。深く、眠ったままの姿で。
「一部の鬼神達は取り逃がしましたが、残りは跡形もなく」
残念なことに、指揮をとっていた鬼神達は取り逃がした。いくら蒼宮軍と言えど、村人達を全面に押し出されれば、無闇に討伐を名目に命を奪うことなどできない。妾季の報告を受けた皇は “ご苦労だった” と労いの言葉をかけた。この後、琅牙と妾季は合流して今後の予定を話し合うのだ。
それから僅かばかりの時が過ぎた頃、二頭の大神が戻って来た。出ていった時と同じ窓から帰って来た彼らだが、その姿を見てその場にいた者達は絶句する。
「どうしたんだよ! お前達!!」
悟空の叫びにも似た言葉、それも仕方ないことだった。目の前に降り立った二頭の大神は、血だらけだったのだから。しかも、須格泉にいたっては片目を切り裂かれている。
「須格泉、琉格泉」
皇が右手を差し出して呼べば、二頭は皇の元に集まりすり寄った。須格泉と琉格泉を仏界に送れば、二頭がどうなるのか皇にはよくわかっていた。それでも、二頭に仏界に行ってもらうしかなかったのだ。二頭を撫でる皇の手は優しかった。“よく戻って来てくれた。すまなかった” と。
『皇、コレを』
琉格泉が、口にくわえていたソレを皇に差し出す。白い紙で包まれた、たった一粒の実。この実を貰うためだけに、二頭はここまでの傷をおったのだ。
“幸泉の実” は、仏界の菩薩達が持つ珍しい実で、仏神にとっては薬の役目も果たす。蟠桃果はその寿命を伸ばすものだが、“幸泉の実” は如何なる傷も癒すと言われ、仏神のみがその実を使う。
琅牙がその白い包みを預かり紙を開けると、現れた実は小さなものだった。そしてそれを皇に差し出せば、受け取った皇がその実を沙麼蘿の口元に近づける。
「さぁ、わかっているのだろう。須格泉と琉格泉が苦労して手に入れた “幸泉の実” だ」
沙麼蘿の唇に触れた “幸泉の実”。睛眸を開くことも、その身体が動くこともなかったが、まるで皇の声だけは聞こえているかのように僅かに唇が開く。
皇はさっと沙麼蘿の口に “幸泉の実” を入れると、水を一緒に飲ませる。沙麼蘿は無意識のうちに、それを当たり前のように飲み込んだ。沙麼蘿が “幸泉の実” を飲み込んだことを確認した皇は、沙麼蘿から手を離すと二頭の大神と向かい合う。
傷ついた二頭の大神。皇は、懐から花薔仙女が作った丸薬を取り出すと、二頭の大神に飲ませるべく口を開けさせた。須格泉と琉格泉は、口に入れられた玉薬を飲み込む。花薔の丸薬は、動物にも効能を発揮する。
だが、いくら花薔の薬と言えど、これ程傷ついた二頭の体を回復させることは可能だろうか。問われれば、答えは “否” だろう。須格泉と琉格泉はその体を横たえると、自らを癒すように眠りにつく。
********
訝しい→物事が不明であることを怪しく思うさま。疑わしい
オイソレ→簡単に応じること。即座に物事が行われること。また、そのさま
厭わない→物事を行うことに後ろ向きでないさま
面妖→不思議なこと。あやしいこと。また、そのさま
吝か→……する努力を惜しまない
帳→物をおおいかくすもの。さえぎって見えないようにする
取り計らう→あれこれと考えて、物事をうまく処理する。取り扱う
思惑→思うところ。考え。意図。期待。他の人々の考え。評判
名目→表向きの理由。口実
労う→苦労や骨折りに感謝し、いたわる
否→同意しないこと。不承知
次回投稿は15日か16日が目標です。
「これは…」
「はい、かつては天上界にあったモノでございます。彼らが探して来てくれました、氣の回復に役にたちましょう」
琅牙が切り分けたものを、皇は訝しげに見た。それは、かつては天上界にあったもの。だがこの地上では、天界から落ちたものと言えどオイソレと見つかっていいものではない。だが “食え”と、皇の訝しむ姿を見ていた玄奘は言った。
「今貴様に力尽きて倒れられては、沙麼蘿も終わりだ。俺達は、天上の桜までたどり着かねばならない。そのためには、手段を選んでいる暇などない。さっさと食え」
その言葉に皇は “フン” と鼻で笑い、琅牙は “言葉が過ぎよう” と玄奘に詰め寄る素振りを見せる。だが、その琅牙の姿を気にもとめず素知らぬ振りを決め込んだ玄奘を見て、皇は右手だけでその果実を受け取った。左手は、氣を送るために沙麼蘿の手を握ったままだが、一口かじれば口の中で広がる甘味とその果汁。
確かに、天界の蟠桃果には及びもつかないが、氣の回復の役には立つ。その果実は、この地上にあっても確かに力を宿したものだった。
「よく見つけられたものだ」
「西海龍王の息子もおりますから」
琅牙は、床に寝転びながら玉龍サイズに切られた果物を、美味しそうに頬張る小さな生き物を見た。
「そうか」
その視線を、皇は玄奘一行に向ける。殺生も厭わぬ坊主に、仙石から生まれた強い陽の氣を持つ者、鬼神や邪神や妖怪や人間の血が混ざりあった男達、そして龍王の息子でありながらその姿は面妖な小動物。彼らは、様々な理由の中 “天上の桜” を目指す。それがどのような結果を生み出すのかは、誰にもまだわからない。
だが、沙麼蘿がいれば必ず彼らは “天上の桜” にたどり着く。そしてそれが、皇の望む結果をもたらすものだと、彼は信じて疑わない。だからこそ、そのためならば玄奘一行に力を貸すことも吝かではない。
「待っていろ、沙麼蘿」
力なく、睛眸を閉じたままの沙麼蘿には聞こえているわけもないが、皇は囁かずにはいられなかった。
夜の帳が降りる頃には、妾季をはじめとする蒼宮軍もこの城にやって来た。
「すべて処理致しました。あの村は浄化した後に邪神信仰に使われていた物は全て処分し、村人の記憶も一部を消し、何事もなかったかのように取り計らいました。」
「そうか」
あの村が、なぜ邪神を信仰したのかなど、誰にもわからない。それが、邪神や鬼神の思惑だったのか、村人達の意志だったのか。ただ、多くの村人達は村から離れた場所で発見された。深く、眠ったままの姿で。
「一部の鬼神達は取り逃がしましたが、残りは跡形もなく」
残念なことに、指揮をとっていた鬼神達は取り逃がした。いくら蒼宮軍と言えど、村人達を全面に押し出されれば、無闇に討伐を名目に命を奪うことなどできない。妾季の報告を受けた皇は “ご苦労だった” と労いの言葉をかけた。この後、琅牙と妾季は合流して今後の予定を話し合うのだ。
それから僅かばかりの時が過ぎた頃、二頭の大神が戻って来た。出ていった時と同じ窓から帰って来た彼らだが、その姿を見てその場にいた者達は絶句する。
「どうしたんだよ! お前達!!」
悟空の叫びにも似た言葉、それも仕方ないことだった。目の前に降り立った二頭の大神は、血だらけだったのだから。しかも、須格泉にいたっては片目を切り裂かれている。
「須格泉、琉格泉」
皇が右手を差し出して呼べば、二頭は皇の元に集まりすり寄った。須格泉と琉格泉を仏界に送れば、二頭がどうなるのか皇にはよくわかっていた。それでも、二頭に仏界に行ってもらうしかなかったのだ。二頭を撫でる皇の手は優しかった。“よく戻って来てくれた。すまなかった” と。
『皇、コレを』
琉格泉が、口にくわえていたソレを皇に差し出す。白い紙で包まれた、たった一粒の実。この実を貰うためだけに、二頭はここまでの傷をおったのだ。
“幸泉の実” は、仏界の菩薩達が持つ珍しい実で、仏神にとっては薬の役目も果たす。蟠桃果はその寿命を伸ばすものだが、“幸泉の実” は如何なる傷も癒すと言われ、仏神のみがその実を使う。
琅牙がその白い包みを預かり紙を開けると、現れた実は小さなものだった。そしてそれを皇に差し出せば、受け取った皇がその実を沙麼蘿の口元に近づける。
「さぁ、わかっているのだろう。須格泉と琉格泉が苦労して手に入れた “幸泉の実” だ」
沙麼蘿の唇に触れた “幸泉の実”。睛眸を開くことも、その身体が動くこともなかったが、まるで皇の声だけは聞こえているかのように僅かに唇が開く。
皇はさっと沙麼蘿の口に “幸泉の実” を入れると、水を一緒に飲ませる。沙麼蘿は無意識のうちに、それを当たり前のように飲み込んだ。沙麼蘿が “幸泉の実” を飲み込んだことを確認した皇は、沙麼蘿から手を離すと二頭の大神と向かい合う。
傷ついた二頭の大神。皇は、懐から花薔仙女が作った丸薬を取り出すと、二頭の大神に飲ませるべく口を開けさせた。須格泉と琉格泉は、口に入れられた玉薬を飲み込む。花薔の丸薬は、動物にも効能を発揮する。
だが、いくら花薔の薬と言えど、これ程傷ついた二頭の体を回復させることは可能だろうか。問われれば、答えは “否” だろう。須格泉と琉格泉はその体を横たえると、自らを癒すように眠りにつく。
********
訝しい→物事が不明であることを怪しく思うさま。疑わしい
オイソレ→簡単に応じること。即座に物事が行われること。また、そのさま
厭わない→物事を行うことに後ろ向きでないさま
面妖→不思議なこと。あやしいこと。また、そのさま
吝か→……する努力を惜しまない
帳→物をおおいかくすもの。さえぎって見えないようにする
取り計らう→あれこれと考えて、物事をうまく処理する。取り扱う
思惑→思うところ。考え。意図。期待。他の人々の考え。評判
名目→表向きの理由。口実
労う→苦労や骨折りに感謝し、いたわる
否→同意しないこと。不承知
次回投稿は15日か16日が目標です。
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