天上の桜

乃平 悠鼓

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第一章

水簾洞の小猿 《八》

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 悟空は、水簾洞すいれんどうから戻る途中にある花果山かかざん須菩提すぼだいの家に立ち寄った。
 あれから長い時間がたつと言うのに、家の中はあの時と何も変わらない。須菩提がかけた術により、この家の中だけ時が止まったかのようだ。
 あの日、悟空が偶然見つけた小さな寺院の奥には、金色こんじきに光る桃の木があった。その珍しさに心ひかれ、気がつけば桃を両手いっぱいに持って食べていた。金色の桃は大変美味しく、思わず須菩提に土産として持ち帰ったくらいだ。
 もしあの時この桃を持ち帰らなければ、須菩提の命はなかったはずだ。たった一口、須菩提が食べた、そのほんの一口。あの一口のおかげで、須菩提の命は奪われることなく、身体が長い眠りについた。
 倒れて動かなくなった須菩提を連れ須弥山しゅみせん妙高山みょうこうさんに向かった時、須弥山の上に住む上仙は悟空にこう言ったのだ。

「須菩提もお前等まえなどと出会わなければ、もっと早く上仙となり、長い長い時間を過ごせただろうに。だが、お前を育てたばかりに長い時間を無駄にし、気苦労ばりをして病に倒れ、その命を散らすのだ」

 と。悟空は必死になって上仙に頼んだ。“じいちゃんを助けてくれ!”と。倒れる寸前に食べた蟠桃果ばんとうかのおかげで、命を取られることはなかった。だが、長い眠りにつくことになってしまった。上仙は、確かに悟空と約束した。

「お前が今まで犯したしき行いをつぐなえたなら、須菩提を助けよう」  

 と。悟空は、須菩提が助かるその日まで、毎日毎日人助けをして過ごす。須菩提が、目覚めることを願って。

「じいちゃん。オレ!もっともっと頑張るからな、待っててくれ!」

 悟空は、誰もいなくなった家に語りかけた。








「本当に、役に立たないやつらね」

 大通りの見世物みせもの小屋があったその場所で、女は呟いた。白百合色わずかに黄みの白いろの武術服のような服を着て、消炭色けしすみいろの髪と睛眸ひとみをした女だ。

花韮かきゅう様」

 部下の男に声をかけられた花韮は振り返る。

「あの猿達は、どうしたのかしら。アレにはお金をかけたんでしょう。」
「それが、連れて行かれたそうです」
「ホント役に立たないやつら。これで、こちらの隠れみのが一つ減ったわ」

 昨日までここにあった見世物小屋は、花韮の息が掛かった場所だった。金銭面的にも援助し、情報を集めていた。各地を回る見世物小屋ほど、花韮達にとって扱いやすい場所はなかった。

「また、どこかの見世物小屋を探さなければいけないわね。だけど、玄奘三蔵の行動を確認できたのはよかったわ」

 この場所を、こんな何もない場所にしたのは玄奘一行らしい。あの沙麼蘿ばけものがいれば、それも当然のことだろう。

忌々いまいましい」

 玄奘一行に弟の悟浄がいれば、いずれは思いのままにできるだろうが、邪魔者はあの沙麼蘿ばけものだけだ。アレをなんとかしなければ、後々面倒なことになるだろう。

「姉貴?」

 その声に、“まぁ!” と花韮は不敵な笑みをみせ、声の主を見た。

「悟浄、貴方も此処ここにいたの。奇遇ね。」

 そう言って悟浄に近づき、その手を取った。

「さぁ、姉さんによく顔を見せてちょうだい!この間は、そんな時間はなかたもの」

 あの時別れた姉花韮は、そう言って悟浄に話しかける。優しい手つきで悟浄の頬に手を近づけ

「立派になって」

 と、嬉しそうに囁いた。だが、突然 “うっ!” と言うと手で胸元を握りしめ、その場に座りこんだ。

「姉貴!」

 “はっ…はっ…” と荒い呼吸を繰り返し、花韮は肩で息をする。

「痛むのよ、時々。あの時背中に受けたの場所が」

 花韮の言葉は、まるで言い訳のように悟浄には聞こえた。苦しそうに胸元を握りしめ、本当に痛むのは胸なのか背中なのかさえも解らない。だが次の瞬間、花韮はそのかおをあげると

「に…げて……。私…に、近づ…いては…だめ……よ。逃げる…の、悟浄…」

 と小さな声で言った。まるで、姉貴ではない見知らぬ人間の面をして。いや、違う…? 今まで見ていた姉貴の面が、違うのか? 姉貴は、姉貴は、今目の前にいる姉貴のように……。
 “うっ!” ともう一度苦しげに面を下げると、花韮の震えが止まった。

「いやね、本当にこの身体。しぶとくて困るわ」

 と声がして、いつもの花韮が面があげ悟浄を見た。

「悟浄、今日はここでお別れね。私は、姉さんは、何時いつでも待っていらから。貴方が、玄奘三蔵を連れて、私達の所に戻ってきてくれる日を」

 そう言うと、仲間を連れてふっと消え去って行った。

「なん、なんだ…。今のは…。俺はいったい、今何を…見た…」

 悟浄から発せられた言葉は、誰にも聞かれることなく喧騒けんそうの中に消えて言った。








「やっと戻ったか、悟空」
「うん、皆。待たせた、やっと戻った!」

 水簾洞から戻ってきた悟空は、元気いっぱいだった。久しぶりに猿達と会えたし、家にも帰れた。忘れていた初心と言うものを、改めて取り返したようだ。
 ここ数日間の遅れを取り戻し、人助けをしながら天上の桜を守っていけば、きっと自分の望みは叶う。また、元気になったじいちゃんと会うことができる。自分はそのために頑張るのだ。望みが叶うその日まで

「頑張るぞー!」

 と、悟空は気合いを入れた。




********

悪しき→悪いこと、悪いもの
隠れ蓑→実体を隠すための手段
忌々しい→非常に腹立たしく感じる、しゃくにさわる
奇遇→思いなく出会うこと
喧騒→さわがしいこと、やかましく騒ぐ声や音


次回更新は7日か8日が目標です。
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