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第一章
水簾洞の小猿 《五》
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「こ、これは、何としたことじゃ……!!」
悟空に連れられ花果山の水簾洞にやってきた須菩提は、驚きのあまり声を上げた。山中にある洞の入り口に、割り竹やあしを糸で編みつないだ簾のような滝がかかっている場所があるのだが、その滝を取り囲むように桃の木が並んでいたのである。
しかも、そこはこの辺りでは特に陽の気の強い場所で、飛び散る水に降り注ぐ太陽の光がキラキラと光輝いて見え、それが桃にも降り注ぐようで下界とは思えぬ光景を醸し出していた。
托塔天が須菩提の元を訪れたあの日、帰ってきた悟空を須菩提は激しく叱りつけた。声を張り上げ頭に血が上り、途中で倒れるほどには。
「じ、じいちゃん!!」
突如倒れた須菩提に驚いた悟空は、知り合いの仙達の元に慌てて走りだしていた。
「お前が好き勝手して須菩提に心労を与えているのではないか? 今日も、天上界から托塔天がきたそうではないか」
「えっ……!」
「須菩提も、もう若くはない。いい加減心配をかけることはやめることだな」
そう言うと、須菩提の知り合いであった仙は薬を差し出した。その日悟空は、須菩提のことが気になり一睡もすることができなかった。長きにわたり、悟空は須菩提との二人暮らしで、まさか須菩提が自分の前から消えるようなことがあるかも知れないと、そんなことを考える日がくることなど思いもしなかったのである。
この日悟空は、いつか自分はひとりぼっちになってしまうのではないかと言う、そんな恐怖心に襲われて過ごした。その後目覚めた須菩提は、切々と悟空に語る。天界から討伐隊がくればどうなるのか。あのナタ太子が、降りてくることになるのだ。托塔天と共に、天界軍を率いて。だがその詳しい意味を、悟空を知ることはできなかった。
しばらくの養生の後、須菩提は悟空と共に花果山にやってきた。驚くべきことに、悟空は天界の蟠桃園から盗んだ蟠桃果を猿達に与えたと言うではないか。
そしてその場の光景を見た須菩提は、直ぐ様頭を抱えることになった。今のこの状況を、どうやって天界に伝えたらよいと言うのか、と。“この花果山の山中に、天界の蟠桃園にも劣らぬような蟠桃園ができました” とでも、自分に言えと言うのか。
しかも当の悟空は、蟠桃果がどういうものか全く知らないのだ。ただのうまい桃、としか思っていない。そして頭を抱えるべきは、この水簾洞に住む猿達のこと。
托塔天に聞いた話では、悟空が天界の蟠桃園から盗み出した蟠桃果は三千年に一度熟すもので、一口食べれば仙人になると言われる桃だったはずだ。だが、須菩提がこの水簾洞の蟠桃果を調べた所、これには長寿と知恵の効能があるだけと出た。
恐らく、天界の霊気からこの花果山の陽の気に変わったことで、その効能も変わったのだろう。だが、これを猿達が食し続ければどうなることか。
現に、悟空から最初に蟠桃果をもらった小猿が桃の種を此処に埋めたと言うではないか。確かに、その小猿達には、仙にも等しい生き物と答えが出た。仙ほどの知能はないかも知れないが、仙ほどには長く生きるかも知れない。そしてそれはまた、悟空も同じことなのだ。
今も目の前では、悟空と猿達がこの水簾洞の周りの桃を美味しそうに食べている。これを、なんと天界に報告すればいいと言うのか。
「いったい、どうすればいいと言うのじゃ」
須菩提から須弥山の上仙を通して伝えられたこの報告は、天界では一時的には大事にはなったが、此処に人間達が入らぬよう結界をはることで終息をみた。“既に、蟠桃果を食した水簾洞の猿達以外が、この桃を口にすることがないように” と言う、その言葉と共に。
「キキッ」
「キキ」
「オ……ウ……シャ……マ……」
琥珀色の毛並みをした水簾洞に住む小猿の一匹が、生まれて初めて悟空をそう呼んだのはいつのことだったか。あの、悟空が最初に蟠桃果を与えた小猿だ。
他の水簾洞の周りの桃だけを食べている猿達と違って、明らかにあの時天界の蟠桃果を食べた五匹の小猿達は、年を取ることが遅くなり賢かった。
「ほら、見てみろ。こんなもの持ってきたぞ!」
それは、悟空がたくさんの人間が住む “街” と呼ばれる所から取ってきたものだ。キン斗雲で何処までも行けるようになった悟空は、至る所で悪さを繰り返していた。
だが昔と違うのは、龍王の龍宮から何かを奪い取ったり、天界の蟠桃園から蟠桃果を盗むような、大事と言われる鶯光帝に直訴をされるようなことはしなくなったと言うことだ。
「オウ……シャマ……!」
「オウシャマ……!」
「オウシャマ!」
いつしか、水簾洞の猿達は皆人の言葉を喋るようになり、一番先に人の言葉を喋り初めた小猿はこの群れの先導者となっていた。猿達は仲間として、王として、何時も悟空に対して優しかった。
人間には受け入れられなかったが、猿達と一緒に山を駆け回り、悪さをして、遊んで、食べて、寝て。ある意味、一番子供らしく、悟空の平和な日々だったのかも知れない。
あの日、須菩提が倒れる時までは。
********
簾→竹や葦(あし)などを編んで部屋の仕切りあるいは日よけのために吊り下げて用いるもの
醸し出す→ある雰囲気、気分をそれとなく作り出す
突如→予想外の物事が前触れもなく起こるさま
心労→あれこれ心配して心を使うこと。また、それによる精神的な疲れ。気苦労
切々→思いが胸に追るさま。人の心を動かすほどに心がこもっているさま
養生→病気の回復につとめること。生活に留意して健康の増進を図ること
現に→予測や仮定でなく、事実であるさま
終息→おさまりがつくこと
至る所→行くところすべて。どこもかしこも
先導者→先導する人。主導者などの意味の表現
次回投稿は19日か20日が目標です
悟空に連れられ花果山の水簾洞にやってきた須菩提は、驚きのあまり声を上げた。山中にある洞の入り口に、割り竹やあしを糸で編みつないだ簾のような滝がかかっている場所があるのだが、その滝を取り囲むように桃の木が並んでいたのである。
しかも、そこはこの辺りでは特に陽の気の強い場所で、飛び散る水に降り注ぐ太陽の光がキラキラと光輝いて見え、それが桃にも降り注ぐようで下界とは思えぬ光景を醸し出していた。
托塔天が須菩提の元を訪れたあの日、帰ってきた悟空を須菩提は激しく叱りつけた。声を張り上げ頭に血が上り、途中で倒れるほどには。
「じ、じいちゃん!!」
突如倒れた須菩提に驚いた悟空は、知り合いの仙達の元に慌てて走りだしていた。
「お前が好き勝手して須菩提に心労を与えているのではないか? 今日も、天上界から托塔天がきたそうではないか」
「えっ……!」
「須菩提も、もう若くはない。いい加減心配をかけることはやめることだな」
そう言うと、須菩提の知り合いであった仙は薬を差し出した。その日悟空は、須菩提のことが気になり一睡もすることができなかった。長きにわたり、悟空は須菩提との二人暮らしで、まさか須菩提が自分の前から消えるようなことがあるかも知れないと、そんなことを考える日がくることなど思いもしなかったのである。
この日悟空は、いつか自分はひとりぼっちになってしまうのではないかと言う、そんな恐怖心に襲われて過ごした。その後目覚めた須菩提は、切々と悟空に語る。天界から討伐隊がくればどうなるのか。あのナタ太子が、降りてくることになるのだ。托塔天と共に、天界軍を率いて。だがその詳しい意味を、悟空を知ることはできなかった。
しばらくの養生の後、須菩提は悟空と共に花果山にやってきた。驚くべきことに、悟空は天界の蟠桃園から盗んだ蟠桃果を猿達に与えたと言うではないか。
そしてその場の光景を見た須菩提は、直ぐ様頭を抱えることになった。今のこの状況を、どうやって天界に伝えたらよいと言うのか、と。“この花果山の山中に、天界の蟠桃園にも劣らぬような蟠桃園ができました” とでも、自分に言えと言うのか。
しかも当の悟空は、蟠桃果がどういうものか全く知らないのだ。ただのうまい桃、としか思っていない。そして頭を抱えるべきは、この水簾洞に住む猿達のこと。
托塔天に聞いた話では、悟空が天界の蟠桃園から盗み出した蟠桃果は三千年に一度熟すもので、一口食べれば仙人になると言われる桃だったはずだ。だが、須菩提がこの水簾洞の蟠桃果を調べた所、これには長寿と知恵の効能があるだけと出た。
恐らく、天界の霊気からこの花果山の陽の気に変わったことで、その効能も変わったのだろう。だが、これを猿達が食し続ければどうなることか。
現に、悟空から最初に蟠桃果をもらった小猿が桃の種を此処に埋めたと言うではないか。確かに、その小猿達には、仙にも等しい生き物と答えが出た。仙ほどの知能はないかも知れないが、仙ほどには長く生きるかも知れない。そしてそれはまた、悟空も同じことなのだ。
今も目の前では、悟空と猿達がこの水簾洞の周りの桃を美味しそうに食べている。これを、なんと天界に報告すればいいと言うのか。
「いったい、どうすればいいと言うのじゃ」
須菩提から須弥山の上仙を通して伝えられたこの報告は、天界では一時的には大事にはなったが、此処に人間達が入らぬよう結界をはることで終息をみた。“既に、蟠桃果を食した水簾洞の猿達以外が、この桃を口にすることがないように” と言う、その言葉と共に。
「キキッ」
「キキ」
「オ……ウ……シャ……マ……」
琥珀色の毛並みをした水簾洞に住む小猿の一匹が、生まれて初めて悟空をそう呼んだのはいつのことだったか。あの、悟空が最初に蟠桃果を与えた小猿だ。
他の水簾洞の周りの桃だけを食べている猿達と違って、明らかにあの時天界の蟠桃果を食べた五匹の小猿達は、年を取ることが遅くなり賢かった。
「ほら、見てみろ。こんなもの持ってきたぞ!」
それは、悟空がたくさんの人間が住む “街” と呼ばれる所から取ってきたものだ。キン斗雲で何処までも行けるようになった悟空は、至る所で悪さを繰り返していた。
だが昔と違うのは、龍王の龍宮から何かを奪い取ったり、天界の蟠桃園から蟠桃果を盗むような、大事と言われる鶯光帝に直訴をされるようなことはしなくなったと言うことだ。
「オウ……シャマ……!」
「オウシャマ……!」
「オウシャマ!」
いつしか、水簾洞の猿達は皆人の言葉を喋るようになり、一番先に人の言葉を喋り初めた小猿はこの群れの先導者となっていた。猿達は仲間として、王として、何時も悟空に対して優しかった。
人間には受け入れられなかったが、猿達と一緒に山を駆け回り、悪さをして、遊んで、食べて、寝て。ある意味、一番子供らしく、悟空の平和な日々だったのかも知れない。
あの日、須菩提が倒れる時までは。
********
簾→竹や葦(あし)などを編んで部屋の仕切りあるいは日よけのために吊り下げて用いるもの
醸し出す→ある雰囲気、気分をそれとなく作り出す
突如→予想外の物事が前触れもなく起こるさま
心労→あれこれ心配して心を使うこと。また、それによる精神的な疲れ。気苦労
切々→思いが胸に追るさま。人の心を動かすほどに心がこもっているさま
養生→病気の回復につとめること。生活に留意して健康の増進を図ること
現に→予測や仮定でなく、事実であるさま
終息→おさまりがつくこと
至る所→行くところすべて。どこもかしこも
先導者→先導する人。主導者などの意味の表現
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