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第一章
天の原と戦の原に舞う紅の花 《三》
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「皇」
玉座の間を出て、紫微宮の廊下を歩いていた皇に声をかけたのはナタだった。ナタの声に歩みを止め、皇は振り返る。
「道観の護りを持ち、下界へ行って参ります」
「そうか」
“時を見て下界に降りてもらう、ナタとよく話し合い公女に力を貸すように” などと口では言いながら直ぐにその機会がこないことは、皇にもよく分かっている。
恐ろしいのだ、皇と沙麼蘿が一緒になった時、自分達にどんな害が及ぶのか。皇も沙麼蘿も、この世界をどうこうすることなど考えていないと言うのに。それを思い、皇はフッと笑った。
自分と沙麼蘿に対する信頼感など無いに等しい、そんなことは分かりきったことだ。ナタが手に持つ “護り” を見れば、これを自分に持たせることなどあり得ない。
「どうかしたのですか?」
「いや」
フッと笑った皇の姿に首を傾けたナタだったが、皇は何事もないと言うように呟く。
「何か、公女にお伝えすることは」
ナタの言葉に何もないと言おうとして、皇はふと動きを止めた。
「花薔の容態が思わしくない。そうとだけ、伝えてくれ」
「それだけで」
「あぁ。それだけで、沙麼蘿にはすべて分かる」
自分のことは伝えずとも、沙麼蘿には分かっている。だが、花薔は……と考えて、皇は花薔仙女のことだけをナタに頼んだ。
「では、行って参ります」
軽い一礼をして踵を返そとするナタに、皇はふと思い出したように
「何処から降りる」
と聞いた。ナタは少し不思議そうな顔で “朱雀門ですが” と答える。その言葉に皇は
「ほかの門から行け」
と、険しい表情で言った。
「それは、いったい……」
突然の言葉に困惑の色を見せるナタに、皇は険しい表情のままで
「朱雀を、信用するな」
と言った。
「何を言うのですか! 霊獣朱雀に対しそのようなことを!」
思わず、皇に意見するような言葉がナタの口を衝いて出た。だが、皇はひどく冷たい顔をして
「アレが、霊獣だと」
と、呟く。アレはあの日、天都の端にある何処までも続く緑の野原で皇に言ったのだ。
『大切なものを奪い取られる気持ちが、お前にもわかったか!』
と。その燃えるような紅緋色の大きな躰で。その大きな、太陽のような琥珀色の睛眸で。
火を放ちながら空を飛ぶ火輪に乗り、天色の衣を翻しナタは地上に降り立った。翡翠観の中庭では既に、李緑松と黄丁香が平伏してナタを待っていた。
「また会いましたね、白水観の黄丁香」
ナタは平伏して自分を待っていた二人の道士を見つけ、見知った方の丁香にまず声をかけた。丁香は “はい” と言葉を返す。そしてナタはその横で平伏する人物を見つめ
「お前が、翡翠観の李緑松か」
と言った。緑松は平伏したままの姿で
「はい。私が李緑松でございます、ナタ太子」
と答え、その頭を上げた。しかし、その睛眸を見ることは畏れ多く感じられ、ナタの天色の衣の上に咲くように見える白蓮華と紅蓮華を見つめる。
「鶯光帝の意により、この翡翠観と白水観の護りを持って来ました。既に阿修羅王より護りを頂いたと思うがそちらは地下に、此方は敷地にある四隅と中央近くにある柱の中に入れよ。それにより、此処翡翠観と白水観は護られよう」
「ははっ」
ナタの言葉に、緑松と丁香は額を手の甲に押し付けるように深く平伏する。その二人の元に、ナタの部下が “護り” の入った袋を二つ持ちやって来て、それぞれの前に置く。その袋を二人が手に取るのを確認し、ナタは玄奘達に向き直った。そして
「そうそうに、奴らの奇襲を受けたようですね。公女がいれば心配はないでしょうが、これからは気をつけて行きなさい」
と声をかけると、建物の入り口近くに琉格泉と共に立つ沙麼蘿の元へと足を向ける。
「仏界を、脅されたのですか」
「私が、か」
真面目な顔でナタが聞けば、沙麼蘿はさして気にした様子もなく “あれは、蜃景の言葉を見聞きした仏神達が、かってに慌てふためいただけだろうに。大袈裟なことだ” と呟く。
「ですが、おかけで皇の下界への降臨が許可されました。これで、公女のお力を解放出来ましょう」
そう口にしたナタだったが、ふと思い出したように
「皇からの伝言がございます。花薔仙女の容態が思わしくない、と。それだけで、公女はお分かりになると言われました」
と、言った。沙麼蘿はナタに
「そうか、わかった」
と返事をしたが、感情など無いはずの沙麼蘿の表情が少し曇ったように感じられ、ナタは不思議に思う。そして、一つの言葉を紡いだ。
「公女、一つお聞きしても。何故、霊獣朱雀を信用してはならないのですか?」
と。沙麼蘿の、誰からそんな話をと言う雰囲気を感じ取ったナタが
「皇に言われたのです、朱雀を信用するなと。朱雀門を使うな、と」
そう言えば、沙麼蘿はそっとその一言を返した。
「それは、朱雀が天人達を恨んでいるからだ」
と。あの日、天人達は大切なものを朱雀から奪ったのだ。あの時の、つんざくような悲鳴にも似た朱雀の鳴き声を、沙麼蘿はまだ覚えている。だが、それ以上の答えを、沙麼蘿がナタにすることはなかった。
********
容態→身体の状態。特に病気のありさま。病状
踵→かかと
険しい表情→表情や雰囲気が鋭く険しい感じになるさま
困惑→どうしてよいかわからなくてとまどうさま
口を衝いて出る→すらすらと口から言葉が出る。また無意識に思いがけない言葉が出る
紅緋色→冴えた黄みの赤色。英名ではスカーレット
天色→晴天の澄んだ空のような鮮やかな青色
翻す→風が旗などをひらめかせる
平伏→両手をつき頭が地面につくほどに下げて礼をすること。ひれふすこと
畏れ多い→身分の高い人に対して失礼だ
奇襲→相手の油断、不意をついて、思いがけない方法でおそうこと
慌てふためく→あわてて騒ぎまわる。うろたえて、取り乱す
大袈裟→実際よりも程度を甚だしく表現するさま
降臨→天上に住むとされる神仏が地上に来臨すること
表現が曇る→気落ちした様子の暗い表情になるさま
紡ぐ→言葉をつなげて文章を作る
※大神の名前について
エスペラント語の『太陽→スーノ』『月→ルーノ』から当て字で『スウノ→須格泉』『ルウノ→琉格泉』にしています。
連続投稿は今日までです。次回投稿は22日か23日が目標です。
玉座の間を出て、紫微宮の廊下を歩いていた皇に声をかけたのはナタだった。ナタの声に歩みを止め、皇は振り返る。
「道観の護りを持ち、下界へ行って参ります」
「そうか」
“時を見て下界に降りてもらう、ナタとよく話し合い公女に力を貸すように” などと口では言いながら直ぐにその機会がこないことは、皇にもよく分かっている。
恐ろしいのだ、皇と沙麼蘿が一緒になった時、自分達にどんな害が及ぶのか。皇も沙麼蘿も、この世界をどうこうすることなど考えていないと言うのに。それを思い、皇はフッと笑った。
自分と沙麼蘿に対する信頼感など無いに等しい、そんなことは分かりきったことだ。ナタが手に持つ “護り” を見れば、これを自分に持たせることなどあり得ない。
「どうかしたのですか?」
「いや」
フッと笑った皇の姿に首を傾けたナタだったが、皇は何事もないと言うように呟く。
「何か、公女にお伝えすることは」
ナタの言葉に何もないと言おうとして、皇はふと動きを止めた。
「花薔の容態が思わしくない。そうとだけ、伝えてくれ」
「それだけで」
「あぁ。それだけで、沙麼蘿にはすべて分かる」
自分のことは伝えずとも、沙麼蘿には分かっている。だが、花薔は……と考えて、皇は花薔仙女のことだけをナタに頼んだ。
「では、行って参ります」
軽い一礼をして踵を返そとするナタに、皇はふと思い出したように
「何処から降りる」
と聞いた。ナタは少し不思議そうな顔で “朱雀門ですが” と答える。その言葉に皇は
「ほかの門から行け」
と、険しい表情で言った。
「それは、いったい……」
突然の言葉に困惑の色を見せるナタに、皇は険しい表情のままで
「朱雀を、信用するな」
と言った。
「何を言うのですか! 霊獣朱雀に対しそのようなことを!」
思わず、皇に意見するような言葉がナタの口を衝いて出た。だが、皇はひどく冷たい顔をして
「アレが、霊獣だと」
と、呟く。アレはあの日、天都の端にある何処までも続く緑の野原で皇に言ったのだ。
『大切なものを奪い取られる気持ちが、お前にもわかったか!』
と。その燃えるような紅緋色の大きな躰で。その大きな、太陽のような琥珀色の睛眸で。
火を放ちながら空を飛ぶ火輪に乗り、天色の衣を翻しナタは地上に降り立った。翡翠観の中庭では既に、李緑松と黄丁香が平伏してナタを待っていた。
「また会いましたね、白水観の黄丁香」
ナタは平伏して自分を待っていた二人の道士を見つけ、見知った方の丁香にまず声をかけた。丁香は “はい” と言葉を返す。そしてナタはその横で平伏する人物を見つめ
「お前が、翡翠観の李緑松か」
と言った。緑松は平伏したままの姿で
「はい。私が李緑松でございます、ナタ太子」
と答え、その頭を上げた。しかし、その睛眸を見ることは畏れ多く感じられ、ナタの天色の衣の上に咲くように見える白蓮華と紅蓮華を見つめる。
「鶯光帝の意により、この翡翠観と白水観の護りを持って来ました。既に阿修羅王より護りを頂いたと思うがそちらは地下に、此方は敷地にある四隅と中央近くにある柱の中に入れよ。それにより、此処翡翠観と白水観は護られよう」
「ははっ」
ナタの言葉に、緑松と丁香は額を手の甲に押し付けるように深く平伏する。その二人の元に、ナタの部下が “護り” の入った袋を二つ持ちやって来て、それぞれの前に置く。その袋を二人が手に取るのを確認し、ナタは玄奘達に向き直った。そして
「そうそうに、奴らの奇襲を受けたようですね。公女がいれば心配はないでしょうが、これからは気をつけて行きなさい」
と声をかけると、建物の入り口近くに琉格泉と共に立つ沙麼蘿の元へと足を向ける。
「仏界を、脅されたのですか」
「私が、か」
真面目な顔でナタが聞けば、沙麼蘿はさして気にした様子もなく “あれは、蜃景の言葉を見聞きした仏神達が、かってに慌てふためいただけだろうに。大袈裟なことだ” と呟く。
「ですが、おかけで皇の下界への降臨が許可されました。これで、公女のお力を解放出来ましょう」
そう口にしたナタだったが、ふと思い出したように
「皇からの伝言がございます。花薔仙女の容態が思わしくない、と。それだけで、公女はお分かりになると言われました」
と、言った。沙麼蘿はナタに
「そうか、わかった」
と返事をしたが、感情など無いはずの沙麼蘿の表情が少し曇ったように感じられ、ナタは不思議に思う。そして、一つの言葉を紡いだ。
「公女、一つお聞きしても。何故、霊獣朱雀を信用してはならないのですか?」
と。沙麼蘿の、誰からそんな話をと言う雰囲気を感じ取ったナタが
「皇に言われたのです、朱雀を信用するなと。朱雀門を使うな、と」
そう言えば、沙麼蘿はそっとその一言を返した。
「それは、朱雀が天人達を恨んでいるからだ」
と。あの日、天人達は大切なものを朱雀から奪ったのだ。あの時の、つんざくような悲鳴にも似た朱雀の鳴き声を、沙麼蘿はまだ覚えている。だが、それ以上の答えを、沙麼蘿がナタにすることはなかった。
********
容態→身体の状態。特に病気のありさま。病状
踵→かかと
険しい表情→表情や雰囲気が鋭く険しい感じになるさま
困惑→どうしてよいかわからなくてとまどうさま
口を衝いて出る→すらすらと口から言葉が出る。また無意識に思いがけない言葉が出る
紅緋色→冴えた黄みの赤色。英名ではスカーレット
天色→晴天の澄んだ空のような鮮やかな青色
翻す→風が旗などをひらめかせる
平伏→両手をつき頭が地面につくほどに下げて礼をすること。ひれふすこと
畏れ多い→身分の高い人に対して失礼だ
奇襲→相手の油断、不意をついて、思いがけない方法でおそうこと
慌てふためく→あわてて騒ぎまわる。うろたえて、取り乱す
大袈裟→実際よりも程度を甚だしく表現するさま
降臨→天上に住むとされる神仏が地上に来臨すること
表現が曇る→気落ちした様子の暗い表情になるさま
紡ぐ→言葉をつなげて文章を作る
※大神の名前について
エスペラント語の『太陽→スーノ』『月→ルーノ』から当て字で『スウノ→須格泉』『ルウノ→琉格泉』にしています。
連続投稿は今日までです。次回投稿は22日か23日が目標です。
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