天上の桜

乃平 悠鼓

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第一章

川辺の水落鬼 《十》

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「俺の村を襲ったやつらも、八戒の村を襲ったやつらと同じか。その宝具とやらが目当てで、御袋おふくろや姉貴、村人は、その命を奪われたのか!」

 悟浄は、沙麼蘿さばらの不快な睛眸ひとみに耐えながら言った。じっと、その睛眸の奥を見つめた沙麼蘿は

「そうだ」

 とだけ、答えた。

「何故、俺達の村だった! 他にいくらでも、そんな御大層ごたいそうもん、持った街だってあっただろうが!」

 本当に何もない、小さな村だったのだ。納得できない、と言うように悟浄が叫ぶ。

「宝具が何処どこにでもあると思ったら、大間違いだ。宝具は、鬼神きしん邪神じゃしんが神仏と戦う為に作り出した武器。その宝具を使うには、膨大ぼうだいな力を必要とする。人間のような弱き者に、宝具は使いこなせない。人間では、使のがおちだ。そんな物が、街中にあるわけがない。あるとすれば、修羅界しゅらかいから抜け出し、地上の片隅かたすみで人間達と暮らすようになった、鬼神や邪神のはみ出し者だけだ。そんなやつが、街に住むわけがない。だからやつらも、を襲った。事前の情報収集は、できていたはずだ。そうだろう」
「だから、私の父、邪神がいる村が襲われた、と」
「そうだ、宝具は神の武器。下級神であろうと上級神であろうと、武器は持っているはずだからな」 

 沙麼蘿の説明に、思わず途中で八戒が声をかける。父親が、宝具を持っていた。そして、修羅界から抜け出したはみ出し者だった。そんな父親がいたから、自分達が住んでいた村が狙われ、たくさんの命が散ったのかと。
 父は “この宝具ゆびわで家族をまもれ” と言った。だが、結局母は護れず、幼い弟と妹を連れて逃げるが精一杯だった。

「はぁっ! あの飲んだくれの親父のせいで、村は襲われたのか! 村が襲われた時、親父はいなかったんだぞ。親父さえいてくれたら、神の武器とか言う御大層な物を持った親父がいてくれたら、御袋や姉貴だって助かったかも知れねぇって言うのに! 村だってそうだ!」

 “親父さえ、親父さえ” と、悟浄は手を握り締め呟く。

「俺も、俺もあんた達と一緒に、旅に連れてってくれ! このままじゃ、何も前に進めねぇ! 俺は鬼神の血を引く傭兵ようへいだ、きっと役に立つ。その、天上の桜とやらのために、俺もこの身体を差し出そうじゃないか。その代わり、村を襲ったやつら、御袋と姉貴の命を奪ったやつらには、キッチリ仮を返させてもらうぜ」

 天上の桜をほっする修羅界の神々に、御師匠様おっしょうさま兄弟子あにでし達を奪われた者、両親と村を奪われた者、そして母を姉を村を奪われた者。彼らが、この日この場所で出逢であったのは偶然ぐうぜん必然ひつぜんか。
 そしてその場に、龍王りゅうおうの息子と、かって天上界において “化け物” として恐れられ、みの子としてうとまれた沙麼蘿が生まれ出たのは、仏界ぶっかい思惑おもわくか天上の桜の意思か。

 この瞬間から、天上の桜を巡って、血で血を洗うような戦いが繰り広げられるのである。








「あんたがた、大丈夫だったかい」
水落鬼すいらくき、水落鬼はどうなったんだ!」

 船の乗客達が身を寄せた村にたどり着くと、家の中から人々が出て来て玄奘達を取り囲んだ。

「水落鬼なら、ぜ~んぶやっつけたぞ」
「安心して下さい」
「ほんとか、本当にもう、水落鬼はいないのか」

 安心させるような悟空や八戒の言葉にも、人々は不安そうに呟く。その大人達の後ろで、子供達も不安そうに見つめてくる。

「大丈夫ですよ。こちらには、高名こうめいな三蔵法師もいらっしゃいましたし。」

 八戒の言葉に、村人はその双眸そうぼうを見開いた。

「なんと! 三蔵法師様が!」
「はい。こんな姿をして袈裟けさは着ていませんが、こちらは間違いなく玄奘三蔵様です」

 その言葉を聞いた村のお年寄り達は、雨上がりの濡れた地面に座り込み

「ありがたや、ありがたや」

 と手を合わせ、玄奘をおがんでいる。

 玄奘は決めたのだ、もう逃げないと。自分が三蔵であることを、隠しはしないと。
 天上の桜の鍵を護るため、生き抜くことだけを考え、隠れるように天上の桜を探してきた。だがそれも、今日でしまいだ。
 天上の桜のため、誰かの、自分の知らぬ数多あまたの血が流れたのなら、これからは、自分がやつらとの最前線にたち戦おう。自分は今日、沙麼蘿そのちからを得たのだから。

「どんな状態だ、これ」

 玄奘を拝む村人、水落鬼が消えて喜ぶ村人と船の乗客、わけはわからないが大人の真似をする子供達。この収拾のつかない状態に、悟浄があきれたように呟く。
 その時、小さな影が悟浄の回りをぐるぐると回った。

「どうした、璃葉りよう

 悟浄の回りで、何かを捜すように覗きこんでいるのは璃葉だ。

「おにいちゃん、ネズミさんは!」
「あぁ、あれか」

 悟浄は、隣にいた悟空の頭の上にいる玉龍ハムスターを摘まみ上げると “ほら” と、璃葉に差し出した。

「これはな、ハムスターって言う生き物らしいぞ」
「はむすたー?」

 玉龍は、璃葉のてのひらに飛び移ると

「ぴゅ」

 と、片手を上げて鳴いた。

「はむすたーちゃん、とうさんのはいぎょく、ありがとーね」

 指で優しく玉龍の頭を撫でながら、璃葉は感謝の言葉を呟いた。

 そうして、船の乗客達は朝には村を出て、近くの街へと向かったのだ。








水落鬼すいらくきか。いたんだ、ホントに。それにしても、衝撃的な出逢いだったんだな、皆! ハムちゃんも、大活躍だ!」
「ぴゅ!」

 つまんで話された玄奘の話を、山茶さんさはまるで、冒険の物語を聞く子供のように喜んで聞いた。
 そして目の前で、“頑張った!” と胸を張る玉龍に、“ハムちゃんもすごいな” と、めてやることも忘れない。

「んじゃ、ちと遅いが昼飯に行くか」

 悟浄の声に、みなが立ち上がる。平和な日常は、こうしていとも簡単に過ぎて行くのだ。次の戦いまで、わずかな時間を残して……。




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御大層→他人のする大げさなさまを、あざけっていう語 
膨大→ふくれて大きくなること
修羅界→自分と他者を比較し、常に他者に勝ろうとする『勝他(しょうた)の念』を強くもつ、鬼神や邪神が住む世界
傭兵→金銭などの利益により雇われ、直接に利害関係のない戦争に参加する兵。また、その集団
疎む→いやだと思う、嫌って遠ざける
血で血を洗う→殺傷に対して殺傷で応じる。血のつながっている者どうしが争う
高名→高い評価を受け広く一般の人々に名前を知られていること。また、そのさま
袈裟→仏教の僧侶のまとう衣の一つ
佩玉(はいぎょく)→おびたま
掻い摘む→話の内容の要点やあらましをとらえる
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