天上の桜

乃平 悠鼓

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第一章

川辺の水落鬼 《八》

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 悟空がその場にたどり着い時、玄奘達が崩れ落ちる中、一人の女が水落鬼すいらくきを次々と倒していた。

「あの姉ちゃん、すげぇー」

 悟空は、今まで好き勝手に生きてきた。時には、東海龍王とうかいりゅおうの龍宮から如意金箍棒にょいきんこぼうを奪い取ったり、またある時には、人々が大切に育てていた食物を食い散らかしたり、小なことまであげればきりがないくらいだ。それが、育ての親である玄仙げんせん須菩提すぼだいの命を奪うほどに。
 倒れた須菩提に驚いた悟空は、慌てて須弥山しゅみせんを囲む山の一つ妙高山みょうこうさんへ向かった。だが、そこで言われた言葉は

「お前が今まで犯したしき行いをつぐなえたなら、須菩提を助けよう」

 だった。悟空はそれから長い間、人助けだけにいそしんできた。そんな悟空が久々に戦闘に気をひかれるほど、その女の能力は人並み外れていたのだ。








 水落鬼を倒した沙麼蘿さばらが振り返った時、すでにその姿は元の紫黒しこく色の髪、赤い襦裙じゅくんに戻り、玄奘達もその場に立ち上がっていた。
 その中で八戒だけが、玄奘と沙麼蘿を見つめて

「あなた方は、天上の桜を知っているのですか」

 と、言った。沙麼蘿はそんな八戒の睛眸ひとみの奥、真実をさぐるようにじっとソレをみた。八戒はソレにあらがうことなく、不快な視線に耐える。真実を求めるがゆえに。

「私の父と母は邪神じゃしんの手にかかり、その命をたれました。そして私の住んでいた村は、邪神の攻撃を二度も受け壊滅かいめつしたんです。何故なぜなんの力も持たない自分達がおそわれたのか、その理由も分からずに」

 こぶしを握り締め、時にはその唇を噛みしめながら話す八戒に

を得るためには、宝具の成り損ないでも、ないよりはいい」

 沙麼蘿は、突然そんな言葉を呟いた。そして、玄奘がその言葉に息をみ、顔を歪める。

「そうです、奴等やつらは村人達の……いいえ、母の遺骸いがいを踏みつけながらそう言った!!」

 “あぁ、これは復讐ふくしゅうだ” と、玄奘は思った。人生を踏みつけられ、踏みにじられた者の。いったいどれだけの血が、天上の桜のために流されるのか。

「世界が欲しくば天上の桜を奪い取れ、世界を死守したくば天上の桜を護り抜け。、天上の桜のすべてだ」

 自分に向けられた沙麼蘿の言葉に、玄奘は双眸そうぼうを見開く。

「天上の桜を護りたければ、その身が血にまみれることをいとうな。天上の桜を護るとは、そう言うことだ。綺麗事きれいごとだけでは、この世界は護れない」
「お願いします、私も連れて行って下さい!」

 声を上げたのは八戒だった。

「親を奪われた弟妹きょうだいのため、恐怖の中命を絶たれた村人達のため、私は奴等を倒したい!! 奴等を倒すことができるのなら、何でもします! それがその、天上の桜を護り抜くと言うことに繋がるなら、私の幼い弟妹きょうだいが住むこの世界を護ることに繋がるなら、私は喜んでこの身を差し出します」
「お前のその復讐が、本当に弟妹きょうだい達のためになると思っているのか」

 玄奘は、八戒を見つめ言った。自分に復讐心がないと言えば、それは嘘になる。御師匠様おっしょうさまを奪われ、兄弟子達を亡くしたことによる憎しみ。それは、一生消えはしない。何もできなかった不甲斐ふがいない自分を、ゆるせはしない。
 だが、それでも、自分は天上の桜を護り抜くと決めたのだ。

「何も分からずに奪われた命、その真実を知らぬ限り、私は前に進めない。弟妹きょうだい達のもとに、帰ることもできない。どうして両親を奪われたのか、それすら教えてやることができない兄では、どうしようもない。私には、弟妹きょうだい達に、生き残った者達に、説明する義務がある。奴等が、狙っていたのならば」

 八戒はそう言うと、己の右手の手背てのこうを見せた。人差し指と小指に光る銀製とおぼしき指環ゆびわ、そしてそれをつなぐ三連のくさり

「これは、宝具ですか! 奴等の狙いは、これでしたか!」
「それは宝具だ。でなければ、指環からゴンせんが現れることはあり得ない。だが、奴等の狙いがと決まっていたわけではない。その村に、宝具があるかいなかも定かではなかっただろう」

 沙麼蘿の言葉に、八戒は一滴の涙を流した。何故自分達がこんな目にあうのか、奴等は何がしたかったのか、今日までそれが何一つわからなかった。
 だが、今それが目の前の霧が晴れるように、はっきりとわかった。八戒は涙をはらうと、まるでき物が落ちたような清々しい表情で

「ありがとうございます、これですっきりしました。例え駄目だと言われても、後ろからついていきますのでお気になさらずに」

 と、言った。すると

「オレも! オレも行く! その天上の桜を護ることは、この世界を護ることになるんだろ」

 そう言って、走ってやってきたのは悟空だった。

「無事でしたか」
「あんなのオレの敵じゃないから、全然大丈夫。」

 八戒の言葉に答えながら、悟空は沙麼蘿を見つめる。

「なぁ、なぁ、姉ちゃんすごいな。」

 琥珀こはく色をしたその睛眸ひとみは、沙麼蘿の探るような眼差まなざしを嫌がる素振りも見せず、期待の眼差しを向ける。
 なんと陽の気の強いことか、と沙麼蘿は思う。仙石が割れて卵を産み、そこからかえった陽の気の塊。まるで、自分と正反対の存在ではないか。
 一つ気になることがあるとすれば、それはその琥珀色の睛眸に宿る火眼金睛あかいひとみ

「なっ、いいだろ。オレも、天上の桜を護るからさ」

 悟空は、玄奘のおもてを覗きこみ、満面の笑みを見せた。

「お前を一緒に連れて行けだと、水落鬼すいらくき五体を一人で葬り去るような奴を、か。お前のその力が、此方こちらの害にならないと誰が言える」

 今は気のいいただの子供かも知れないが、牙をむかないと誰が言える、と玄奘は思う。

「う~ん。じゃさ、これで手を打ってよ。」

 そう言って悟空がふところから取り出したのは、一つの輪。

緊箍児きんこじか」
「そう、姉ちゃん知ってるのか。あの仙人じじいども、オレにこんな物持たせてさ。使い道なんてないと思ってだけど、つけてもいいからさ、一緒に連れてくれよ。頼む」

 悟空は、改めて玄奘に緊箍児を渡し、その頭を下げた。




********

玄仙→仙人の区別は諸説あるが、ここでは仙人のトップクラスを上仙とし、上から “上仙→高仙→大仙→玄仙→真仙→神仙→霊仙→至仙” を採用しています
須菩提→西遊記の中では須菩提祖師。悟空の術の師匠。釈迦の十大弟子の一人、須菩提(しゅぼだい)と同一人物かどうかは不明
須弥山→古代インド仏教の世界観の中で、その仏教世界にある中心にそびえる山。ここでは、上仙達が住んでいる天上界へとつながる山
妙高山→玄奘が須弥山のことを妙高山と訳した。ここでは須弥山を取り囲む山の一つ
遺骸→なきがら、遺体
厭う→いやに思う、いやに思って避ける
不甲斐ない→情けない、意気地がない
憑き物が落ちる→その人に取り付いて悪い影響を及ぼしていた何かが除かれること。その人らしさを取り戻すこと、などを意味する表現
火眼金睛(かがんきんせい)→炎を連想させる金色の虹彩を備えた赤い眼球のこと
緊箍児→悟空の頭につけられる輪。詳しくは次話で
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