天上の桜

乃平 悠鼓

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第一章

出会い、そして西へ 《四》

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 黒檀こくたん色の双眸そうぼうは、丁香ていかの頭の中を探るように見つめる。

数多あまたの妖怪を封じた封印の玉を、お前は外した。神の力は消え去り、そら、閉じ込められていた妖怪どもが姿を現した。近くの村は、数分ともつまい。これから多くの街が襲われ、幾多の命が喰われるのだ、あの妖怪どもに」
黄道士こうどうし!!」

 玄奘は、話の内容に声を荒げた。丁香に宿屋の前で声をかけられたとき、確かに不吉な氣を感じた。それは、弟子達が持っていた荷の一つからだったかもしれない。だが、そこにいたのが丁香であったからこそ、気のせいだろうと思ったのだ。それを……。

「どこだ、何がおこる!!」

 玄奘の大きな声に、食堂にいた全員が振り返り、声の主を見つめた。

「お前は、自分の近くにあった小さな村を助けたつもりかもしれないが、そのせいで数えきれない程の命が消え去るのだ。お前は、いくら人質をとられ脅されようと、取引をのむべきではなかった。なぜなら、放たれた妖怪どもは、多くの人間達の命を奪うだけではなく、お前が我が子も同然と言った玄奘の命を奪うためにも使われるからだ」

 その言葉に丁香は驚き、睛眸ひとみを見開いた。

「あたしは……、あたしは、本当かどうかわからない伝承よりも、目の前の命をとったんだ」

 そう、丁香は遥か昔から伝えられる本当か嘘かもわからない話よりも、目の前の村人達の命をとった。

 “天上の桜” の話は信じたのにか」

その言葉に、丁香は項垂うなだれた。あの村は小さいが、皆善良で信心深い。村をまるごと人質にとられたのだ、考えている時間はなかった。は、丁香に言った。

「向こうの山中にある封印の玉を取ってきたなら、村人達の命は助けてやる」

 と。ただの娘、街の商人達だろうと思っていた。だから、村人達は水も食事も分け与えたというのに。村を包囲したは、その命と引き換えに封印の玉を要求した。

「確かに、伝承のすべてが事実ではない。だが、お前はよく考えるべきだった。お前の決断が、お前のその行為が、たくさんの命を奪うのだ。、すべてを無に帰すのだ。そして、助けたつもりのあの村も、最後には他の者達と同じように妖怪に襲われ消え去る」
「どうすればよかったと言うんだい。あたしに、目の前で幾人もの命が消えていくのを、ただ黙って見ていればよかったと言うのかい。事実かどうかもわからない話を信じて、あの村を見捨てればよかったとでも言うのかい。そんなこと……、あたしにできるはずがないじゃないか」
「だが、同じだったじゃないか。皆喰われる。封印の玉さえ外さなければ、あの村だけですんだものを」
「そんなこと……!」

  食堂で、丁香達の話を黙って聞いていた客達が騒ぎはじめた。

「よ、妖怪が来るのか!」
「逃げなきゃ、皆逃げろー!!」

 ザッと食堂から出て行こうとする者達より早く、出入口にたどり着いたのは八戒。

「皆さんをここから出すわけには行きません、話はまだ終わっていませんから」
「どけよー!」
「家族を連れてここを出るんだ、どけ!」
「邪魔するなぁー!」

  怒号が飛び交うなか、

「助かりたいのら、話を最後まで聞きなさい。私達には、その力がある!」

 儒者じゅしゃの様な姿をした大人しげな青年が、驚く程威圧感いあつかんのある声をあげた。慌てふためいていた客達は、びっくりしてその動きをとめる。

「さぁ、どうしますか」
「皆を助けるんだろ姉ちゃん」
「どこに集める。力ずくか」
「時間がない急げ!」

 丁香の隣に立つ女を見つめる八戒、悟空、悟浄、玄奘の言葉に

琉格泉るうの

 と言って、真っ赤な襦裙じゅくんまとった女が大神に目配せした。大神は、ウォーンと一吠えすると、パッと窓から外に飛び出した。人々は驚きの表情で大神を見つめる。何故なら、大神は外に飛び出すとそのままくうを切り、そらを駆けて行ったからだ。そして

「二十分だ、二十分で一番大きな宿屋に全員を集めろ」

 と、女は静かに言った。

「皆さん、聞きましたか。助かりたかったら、直ぐに斜め向かいの一番大きな宿屋に向かってください」
「よけいな荷物は置いていけよ。入りきらないからな。命と荷物、どっちが大事かよく考えろ」

 八戒、悟浄の声に続く様に

「オレ、ここの宿にいる人達を連れてくよ」

 と悟空は、急ぎ食堂を出て行った。

「では、私があちらの宿屋に説明に行ってきます。」
「俺は他の宿屋に行ってくる」

 自分達のやることを即座に決めて出て行く八戒、悟浄を見送って、玄奘は丁香に声をかける。

「黄道士、向かいの宿屋はお願いします。
 封印の玉は、必ず持って来てください」
「玄奘」
「お願いします」
「わかった。あたしにできることは、何でもするよ」

 そう言うと丁香は立ち上がり、食堂を出て行った。

「どうすればいい。どの街も襲わせずに、一気にここに誘き寄せたい」
「お前の気力次第だ」

 と、女は玄奘を見て言った。そして

華厳経けごんきょうだ、ここが時間も空間もすべてを超越した場所だと教えてやれ。その経に光の氣を纏わせここしか目に入らぬようにしてやれ。あとはお前次第だ」

 女の言葉に玄奘はその場に座り込むと、右手首に腕釧ブレスレットの様に巻きつけていた玻璃すいしょうの数珠を取り出し、合わせたその両手にかけた。そして静かに経文を唱え始める。玄奘が経を唱えるにしたがってその言葉の一つ一つに輝く氣の粒子がまとわりつき、空高く立ち上っていった。その氣に誘われて、封印をとかれた妖怪どもが集まってくるのだ。




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眼睛→ひとみ、または目玉
儒者→儒学を修めた人、儒学を講じる人
華厳経→お経の一つ
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