天上の桜

乃平 悠鼓

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第一章

出会い、そして西へ 《三》

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※ 耳トウのトウと言う漢字が、スマホでは出なかった。




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「ハムちゃん、あ~ん」

 三人の男達の横で、小さな女の子が、これまた小さな小さな生き物に、こまかに切った肉や野菜を与えている。
 女の子の名は鈴麗りんれい、この宿屋の娘だ。肉を出されたハムスターと言う生き物は、小さな口をいっぱいに開けて肉を頬張ると、ムキュムキュと美味しそうに噛み締めていた。

「面妖な……」

 丁香ていかは呟く。見た目は鼠に近いが、より丸く、何故か鞄を斜め掛けにし、何より怪しいのはだ。あのハムスターの周りには、神々しい程の氣が溢れている。

「アレは、西海龍王さいかいりゅうおうの息子です」
「何だって!」

 丁香が声を荒げたのも無理はない。普通、龍には出会わないものだ。その姿に、龍の欠片かけらも見いだせないとしても……。
 聞くところによると、やっと雨を降らせることができた、龍としては一人前と喜び勇んだのはいいが、勢い余って天上の宝の玉を割ってしまったらしい。何とかしようと自らの力を総動員した結果、力を使い果たし雨を降らせることができなくなったあげく、親に事の次第がばれ怒鳴どなられ、“下界で修行でもしてこい!”と、上界から突き落とされたらしい。

「なんと間抜けな」
「いや、それだけじゃない。力を使いすぎ、下界では龍の姿を保つこともできず、この地で初めて見たものに変化できるはずだっただが、その姿があまりにも小さすぎて龍魂りゅうこんが入りきらなかった。おかげで魂魄こんぱくが離ればなれになり、魄はハムスターの形となり魂は鞄に入れて持ち歩くはめになった。笑えると思いませんか、黄道士こうどうし
「笑えるってお前、あの小さな身体に入りきらなかったのなら、もっと小さなあの鞄には入らないだろう」

 それがあの鞄の中は、無限に広い空間が広がっているのです、と玄奘は言う。しかも、自分達の荷物もすべてあの中に入っていると言う。そして初めて見たハムスターが鳴かなかった為、鳴きかたがわからず適当に鳴いていると。
 本当にアレが龍なのか、と丁香は少々呆れた。

「ハムちゃん、人参も甘くて美味しいよ」
「ぴゅ」

 美味しい食べ物を沢山もらって、龍、いやハムスターはご満悦まんえつらしい。
 その近く、テーブルの横で伏せの状態で大人しくしているのは大神オオカミ。輝くばかりの銀色の毛並みに、神々しい氣を放っている。近寄り難い雰囲気ではあるが、たった一人、もっとも丁香が気になっていた人物には、甘えとも見える態度を見せていた。

「大神は言い伝えられる通り賢いが、それに匹敵するほどプライドも高い。人間の言うことなどは聞きはしない」
「そんな大神が、なぜ一緒なんだい」

 普段現れない大神が現れるだけでも信じられないことなのに、その大神が一緒に旅をしているとはどういうことか。

が現れて間もなくやって来て、それからずっとと一緒です」

 と玄奘が言う人物こそ、丁香が最も気になっていた人物。

「そのは、か。氣があまりにも禍々しく、けれども凄まじく神々しい。禍々しいものと神々しいものが交ざりあっている。あんなものは今まで見たことがない」
は、血の海から生まれ出たのです。私と、悟浄と、八戒の、混ざりあった血の中から生まれた、人でもなく、妖怪でもなく、神でもない生き物」

 そんなものがこの世界に、と丁香は言った。話を聞いただけでは、とても信じられるものではない。

「皆、信じられるのかい。お前の命を、世界を預けても、大丈夫なのかい」
「恐らく」

 玄奘は呟いた。それは、自信があるようにも、ないようにも、丁香には思われた。その時、ふとが窓の外を見つめた。

「玄奘、二週間程前に襲われた道廟は、あたしの弟子だった乾道けんどうのところだった」

 丁香のその言葉に、玄奘は睛眸ひとみを見開いた。自分のせいで、丁香の弟子を傷つけたのかと。

「あたしにとっちゃ弟子達もお前も、皆子供みたいなもんさ。どの子にも傷ついてほしくない。あの子はね、に襲われる中、神に祈ったそうだ。何故助けて下さらないのかと。意味もなく、何の罪もない者達が命を奪われているのに、と。その時、神から答えがあった。ナタ太子が現れたそうだ。ナタ太子の答えはこうだ。天上の桜とは何の関係もない道観や道廟が襲われることは、私としても赦しがたい。故に、天上の桜の鍵を持つ三蔵の一人を、私が護ると宣言しよう、と。これにより、あいつらの攻撃はあちらに向くだろう。だが、ナタ太子が護ると言った三蔵は、まだ僅か十歳の小坊主なんだよ」
「十歳……だと」
「訳は色々とあるんだろうが、お前も三蔵であることを隠さないとなると、あいつらの狙いは一気にお前の方に行くかもしれないよ。あちらにはナタ太子がいるが、お前には神の護りがない。それでも、偽らず行くの……」
「お前」
  
 丁香の話の途中で、いきなりが割って入ってきた。丁香はその相手を見る。年の頃は玄奘よりも僅かに上か。紫黒しこく色の長い髪をして、双眸は少し赤みがかった黒檀こくたん色。肌は白く、感情のない表情はとても冷たく感じられる。左の耳には紅玉ルビーと血赤珊瑚さんご耳トウピアス。左手中指には瑠璃ラピスラズリの指環。真っ赤な襦裙じゅくんを着て、こちらじっと見つめている。そして

「何故、玄奘や自分の弟子の身は案じるのに、お前は幾多の命を奪うまねをする」

 と言った。




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神々しい→おごそかで気高い感じがすること、神秘的で尊い
魂魄→魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気
禍々しい→悪いことが起こりそうな予感をさせること、不吉である
紫黒→紫がかった黒
黒檀→赤みがかった黒
襦裙→上は襦、下はスカート(裙)という装束





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